第63話
「ハルナさん、最近なんだか難しい顔してますけど、何かありました?」
「そういえば、アルチェムさんには話してなかったっけ」
エアリスの誕生日兼成人祝いも無事に終わり、澪の卒業式まで残り一カ月を切ったある日のこと。
日本に来ていたアルチェムが、ちょうどいい機会だからと春菜にそんな質問をする。
いろいろ検査をしたいと澪経由で天音に呼ばれており、この後海南大学付属総合病院へと行く予定である。
「アルチェムさんは、エルちゃんから何か聞いてる?」
「いいえ。エル様に何かあったんですか?」
「あったというか、これからあるというか……」
やたら歯切れの悪い春菜の言葉に、すさまじく面倒な事らしいとあたりをつけて居住まいを正すアルチェム。
今までのパターンから察するに、こういう時の春菜の話は、ある程度腹をくくってから聞かないと、いらぬ醜態をさらすことになる。
「えっとね。エルちゃんの誕生日の前ぐらいなんだけど、アルフェミナさんからね……」
アルチェムが真剣に聞く姿勢になったのを察し、非常に言いづらそうにしながらも正直に悩んでいる内容を説明する春菜。
春菜の説明を聞いて、うっすら顔を赤く染めながら微妙な表情を浮かべるアルチェム。
そういう類の話でアルフェミナの名が出てくるとは思わなかったようで、態度を決めかねているらしい。
「それで、覚悟は決めたんだけど、いつやるかっていう踏ん切りがつかなくて……」
「なるほど……」
それはそうだろうなあ、と思いながら、春菜の言葉にうなずくアルチェム。
何が悲しゅうて、惚れた男からお預けを食らっている状態で女相手にいたさねばならないのか、というのはアルチェムですら普通に思う。
もっとも、性愛に絡む権能を持つ神だと、その眷属や巫女は男女関係なくどころか相手が獣であっても普通に行為を行うらしいので、神々の視点では相手が人類であるうちはまだまだ普通の範囲である、という可能性は否定できないのだが。
「内容が内容だからアルチェムさんに言えなかったのかもしれないんだけど、エルちゃんに変わった様子とかなかった?」
「変わったというか、誕生日前からずっとアルフェミナ様からの神託がない、って言ってましたけど……」
「あ~……、言いづらくて逃げたか……」
「かもしれませんね」
澱んだ目でそうぼやく春菜に対し、苦笑しながら相槌を打つアルチェム。
邪神をしとめるまでにいろいろあった影響か、それとも幼いころの印象が強いからか、どうにもエアリスに対してはみんなして過保護だ。
本人はなんだかんだで結構したたかで、性的なことを含むあまり触れてほしくない種類の知識も結構豊富だったりするのだが、春菜達やアルフェミナはそんな風には見ていないようである。
なので、アルチェムは言うかどうか迷っていたことを春菜に教えることにした。
「あの、ハルナさん。エル様に関しては、裸で抱き合ったり、ちょっと胸とかを触りあったりするぐらいは平気かもしれません」
「え゛っ?」
「詳しい内容とかどの程度のことまで実践しているのかは教えてもらっていないので分からないんですが、嫁入りが決まった高貴な身分の女性の教育に、ベッドマナーというものがあるんです」
「えっと、念のために確認しておくけど、ベッドマナーって間違ってもベッドメイクの仕方とかじゃないよね?」
「はい。要するに子供の作り方なんだそうですけど、聞いた話によると肉体的な負担を減らすためとか相手に浮気をさせないためとか複数の理由から、自分が気持ちよくてかつ殿方を喜ばせる方法を学ぶんですよね」
「……うん、まあ、高貴な身分の人だと子供の有無は切実だもんね。作り方分かんなきゃ困るからって、男の人だと未亡人とかそれ専門の高級娼婦とかで実践を学ぶこともある、って聞いたことがあるし、女の人だけ何もないってのも不自然なんだけど……」
そこまで言って、アルチェムが言いたいことを察してしまう春菜。
思わず右手で顔を覆いながらぼやく。
「そっかあ。よく考えたら、実践で教えるっていっても、男の人に教えてもらう訳にはいかないもんねえ……」
「はい。ただ、最近はあんまり実践までやることはないそうなので、実際のところはどうなのか分からないんですけど……」
「エルちゃんの場合、相手が宏君だからね……。逃げ腰の相手をその気にさせるやり方とか実践で仕込もうとする教育係の人、いても不思議じゃないか~……」
アルチェムの話を聞いて、先ほどまでとは違う意味で頭を抱える春菜。
最悪養子をとるというやり方があるとはいえ、貴族にとって子供を授かるかどうかは死活問題だ。
さらに言えば、座学では分からないことなどいくらでもある。
それを踏まえれば良し悪しは別にしても、男女ともになにがしかの実践教育を行うこと自体は理解できなくもない。
それなりに筋が通った理由で純潔が重視される背景を踏まえれば、嫁入り前の女性の実践教育をそれ専門の女性が行うというのも納得できる話ではある。
が、それが自分たちと同じ男に嫁ぐ女性の話となると、判断にも反応にも困ってしまう。
久しぶりに直面した、文化の違いというやつである。
「あと、思ったんですけど、エル様にもちゃんと話をしてから、一度アマネさんに相談したほうがいいんじゃないでしょうか?」
「考えなかった訳じゃないんだけど、相手が相手で内容が内容だから、そっちもちょっと踏ん切りがつかなかったんだよね……」
「まあ、気持ちは分からなくもないですが……」
春菜の心情を察して、苦笑しつつそう口にするアルチェム。
間違いなく春菜とは違う理由ではあるが、アルチェムとて親戚にその手の性的な話をするのは躊躇われる。
このパターンで相談するのが平気なのは、恐らく澪ぐらいだろう。
「何にしても、ハルナさんだけで悩んで決めるようなことでもないかな、と思うんですよ」
「……うん、そうだね」
アルチェムに言われ、素直にうなずく春菜。
「そう言えば、この後アルチェムさんはおばさんのところだっけ?」
「はい」
「だったら、エルちゃんに話す前になっちゃうけど、一応相談だけはしてみようか」
「この期に及んでまだエル様を後回しにするのはどうかと思いますけど、事前相談っていう点ではちょうどいいタイミングなのが悩ましいところですね……」
春菜の提案に、困った顔でそう漏らすアルチェム。
なんだかんだ言って、天音は多忙だ。
特に最近は宏と春菜が次々に生み出してしまう発明品や新発見のフォローに振り回され、前よりも業務が過密になっている。
このタイミングを逃せば、次はいつ相談できるか分からない。
が、逆に、こんな半端な状態で振り回すことが確定している相談事を持ち込むのはどうか、というのも気になる。
「……多分今からというのは無理でしょうけど、とりあえずエル様と連絡を取ってからにしましょう」
「そうだね。さすがに、声もかけないのは不義理すぎるし、もしかしたらうまく予定が合うかもしれないし」
アルチェムの提案にうなずき、すぐに向こうの世界へと移動する春菜。
そして数分後。
「……残念ながら、今日は無理みたい」
「そうですか……」
「後日時間を作るから、先に進められるところまで進めておいてほしい、って」
「なるほど。だったら、今日話だけでも通しておきましょう」
春菜がエアリスから同意を得たと知り、積極的に話を進めることにするアルチェム。
こうして、春菜とアルチェムの突発的な思い付きにより、天音がガッツリ巻き込まれることになるのであった。
「……あのね、春菜ちゃん、アルチェムさん。私は夫以外と肉体関係持ったことないって、知ってるよね?」
数時間後、海南大学付属総合病院。
春菜達からの相談事を聞いた天音が、その内容に思わずジト目を向けながらそう言ってしまう。
立場上性的な相談を受けることもなくはない天音だが、さすがに内容が内容だけに春菜の相談に返せる答えは持っていないらしい。
「いやまあ、そうなんだけど……。私達が相談したいのはどっちかっていうと、やらずにどうにかできないかな、って方で……」
「それこそ、今この場では何とも言えないよ。三年前の後始末でアルフェミナさんとは何度か会ってるけど、せいぜい顔見知り程度の関係でしかないし」
「あ~、うん。そうだね、そうだよね……」
「せめてエアリスさんを連れてきてくれないと、さすがにその話だけじゃ何も判断できないよ」
「……ごめんなさい。一応分かってたんだけど、今を逃すとだらだらと先延ばしにしそうだったから、つい前のめりになっちゃって……」
「あ~、うん。内容的に、きっかけと思いきりが必要なのは、何となく分かるかな」
天音の厳しい突込みに、己の身勝手を自覚して凹む春菜。
とはいえ、天音も春菜の言い分自体は理解できる、というより逆の立場なら近い選択をしそうだという実感がある。
なので、とりあえず天音はそろそろ追撃の手を緩めることにする。
「まあ、今日は事前相談みたいなものだから、いろいろ足りてなかったり間に合わなかったりするのはしょうがないよ」
あまり長時間凹ませても話が進まなくなるので、仕切り直しの意味も込めてそうやってフォローの言葉をかける天音。
先ほど本人が言ったように内容が内容だけに思いきれるきっかけが必要なのはよく分かるし、本気で悩んでいるときほどこういう種類の視野狭窄を起こすのが人間である。
釘をさす必要を感じたから厳しめに突っ込みはしたが、研究者としても医師としてもよく見る事例だけに、天音的には別段春菜が極端にポンコツとは思っていなかったりする。
「あの、アマネさん。現実問題として、アルフェミナ様が警告したようなことって、起こりうるんでしょうか?」
「あるかもしれないって認識されたことは、大体起こると思っていいのが私たちの世界だからね。詳しく調べないと何とも言えないけど、アルフェミナさんがそう判断したんだったら、何も対策打たずに行動すればそうなるんじゃないかな?」
アルチェムの疑問に、そう答える天音。
究極的には己を縛るものが権能しかない神々の世界では、どれほど強引でこじつけくさかろうが、拡大解釈可能な範囲のことは当たり前のように起こる。
それどころか、翻訳して再翻訳した結果「銀河の果てまで」が「銀河のボルフィグィー」になる、みたいな感じの何をどうすればそうなると突っ込みたくなるようなことも平気で起るのだから、エアリスを介してアルフェミナが宏を乗っ取ってしまうぐらいは起こっても不思議ではない範囲であろう。
「それで、話を戻すというか続けるけど、東君も含む関係者全員の予定を合わせて、一度ちゃんと現状の把握と分析をしよう。この話を知ってるのは?」
「私と澪ちゃんとアルチェムさんかな? 相談をする許可は取ったけど、今日は時間がなかったしそれまで踏ん切りがつかなくてエルちゃんにはまだ詳しい話はしてないし、宏君には言ってしまって大丈夫かどうか自信なくて……」
「東君に関しては懸念するのも分かるけど、一番の当事者であるエアリスさんが全く関わってないのはどうかと思うよ」
「うん。それはここに来る前に、アルチェムさんにも言われたよ……」
天音にたしなめられ、心底反省しているという表情でそう答える春菜。
言いづらい内容なのは確かだが、直接影響を受ける本人に一切声をかけていないのはいくらなんでもあり得ない。
「でもまあ、エアリスさんに関しては、本当に現時点で何も知らないのであれば、原因であるアルフェミナさんの態度も問題ではあるけど」
「うん。今まで踏ん切りがつかなくて逃げてた私が言う事ではないけど、どうして私から伝えなきゃいけないのか、っていうのはね……」
「本当に、それは思います。ハルナさんに伝えるんだったら、その時一緒にエル様にも話せば一度で済んだのに、って」
天音の言葉に、渋い顔で同意する春菜とアルチェム。
神々との距離が近くなった影響か最近では遠慮が一切なくなっているアルチェムのほうが、人のことは言えないという理由で少々抑え気味な春菜より厳しい態度なのが面白いところであろう。
「とりあえず、私の方の予定としては、確実に空けられるのはこの丸印付けてる日だから、その中でエアリスさんとアルチェムさんの都合がつく日を教えて。他に予定が入らないように調整するから」
「うん。……えっと、やっぱり宏君にも……?」
「春菜ちゃんの懸念も分かるから、東君に関してはまずエアリスさんのことを調べてからにしよう。内々で処理できるんだったら、それに越したことはないし」
「そうしてくれると、助かるよ」
「ただまあ、東君の性格的に、エアリスさんが日本での成人年齢になったからってすぐに肉体関係まで発展するとは思えないから、解決はそんなに焦らなくていいというか焦っちゃダメなんじゃないかな、とは思うけど」
「というか、私たちの戦いって、みんな成人してそういう方面で法律とか条例とか気にしなくてもよくなってからが本番だよね……」
天音の言葉に、しみじみとそう漏らす春菜。
その隣では、アルチェムが真顔でうなずいている。
「というか、第三者の私がこんなこと言っちゃっていいのか分からないんだけど、みんなして我慢してる期間が長すぎて、いざ全面解禁になった時にちゃんと肉体的なことを含めた恋愛ができるのかちょっと疑問かな……」
「……あ~、うん。正直、自信ない……」
「今までが今までだけに、その状況に持ち込んだのにヒロシさんがその気になってくれなかったら、とか考えると怖いですよね、実際……」
「宏君がその気になってくれて体のほうがちゃんと反応してくれたとして、本番を思い切れるかどうかっていうのも自信ないよね……」
「はい……」
天音の指摘に、我が身を振り返って渋い顔で肯定の言葉を口にする春菜とアルチェム。
なんだかんだで春菜もアルチェムも、割としっかりした性教育は受けている。
が、春菜は家庭環境の問題で一般的なエロ関係のものに触れる機会が少なく、アルチェムはエアリスと共に学ぶまでその手のものから隔離されていたため、澪とは違う意味で知識も経験も偏っている。
しかも春菜の場合、中高と一貫して、近寄ってくるのがろくでもない男ばかりだったため、宏に恋をするまで嫌悪感こそ持っていないものの性的なことに対する興味自体が薄かった。
アルチェムはアルチェムで、隔離されていた理由が「その方が面白そうだから」というろくでもない理由だったためやたら隔離だけはしっかりしており、宏達と出会うまでその方面は幼児よりまし、という状況。
結果として、二人そろって宏に恋をするまでは性に対して積極性に著しく欠けており、この年と体でありながら一人で致したことすら数えるほどでしかなく、欲求不満はコントロール不能な夢がメインとなっていたりする。
まともに本番ができるかどうかに自信がないのも、当然であろう。
「ん~、そうだね……。エアリスさんのことを調べた結果をもとに、そのあたりのことについても色々と一緒に考えようか」
「うん、お願い……」
ある程度予想はしていたが思ったよりはるかにいろいろとこじらせている春菜たちの現状を見て、危機感を募らせた天音がそう提案する。
春菜の方も、その申し出に素直にすがる。
今まで宏の問題にかこつけて目をそらしてきた自覚があり、さすがにこれ以上先送りするのはそろそろまずいのではという意識は持っているのだ。
「それにしても、春菜ちゃんからこういう相談を受けるようになるとか、私も年を取ったなあってしみじみ思うよ」
「いやいやいや。おばさんはまだまだ若いから」
「最近、ちょっとこういう感じの相談とか増えてたところに、この話だからね。本気で時の流れを感じざるを得ないよ」
「こういう感じの相談って?」
「先輩とか後輩の中高生の娘が妊娠したとか、息子が妊娠させたとか、そういう話。妊娠した系は相手が彼氏だったらまだましな方で、援助交際だのパパ活だので貰ってきてるから父親が誰だか分からない、みたいな話もちょくちょくあってね……」
「「うわあ……」」
「さすがに売春系は論外としても、中学生の妊娠は春菜ちゃん達の一割でいいから慎重さを持ってほしいなと思う反面、現時点では春菜ちゃん達も子供作っちゃったカップルに見習うべき部分がなくもないかなあ、みたいな……」
ため息交じりの天音の言葉に、何をどう言えばいいのか分からず黙り込んでしまう春菜とアルチェム。
現代日本の社会システム上いろんな意味で責任をとれない、という点において、中学生が子供を作るのは褒められたことではないのは確かだろう。
肉体の成熟度合いによるリスクも考えれば、なおのことである。
が、恐らく全員が全員愛情からではなく、また勢いや好奇心もあっただろうとはいえ、その行動力を少しぐらい見習ってもいいのではと外野の天音が思うぐらいには、春菜はすぐにヘタレる。
もっとも、宏のヘタレ具合はもっと上を行っているので、考えようによってはお似合いのカップルではあろう。
「まあ、もともと澪ちゃんとエアリスさんは間違っても今すぐ肉体関係を持つわけにはいかないんだし、ちょうどいい準備期間として考えればいいんじゃない?」
「そうですね」
「うん。もしかしなくても、私たちが澪ちゃんやエルちゃんからいろいろ教えてもらう必要があるだろうし……」
慰めるような天音の言葉に、少々遠い目をしながら同意するアルチェムと春菜。
話もまとまったことだし、ということで立ち去ろうとしたところで、ふとアルチェムが気になったことを口にする。
「そういえば、アマネさんの都合のいい日で私たちが動ける日に合わせる、ということですけど、ハルナさんやヒロシさんはそれで大丈夫なんですか?」
「東君も春菜ちゃんも、年度が替わったら三年生だからね。卒業研究のために本格的に研究室に入るから、卒業までにちゃんと区切りがつきそうなものは三年生になってからのほうがいいだろうってことで、今ちょっとゆっくりになってるんだよね」
「うん。新学年になるまで、どうしても私たちじゃないと駄目、っていうようなことはやらない予定」
「まあ、春菜ちゃんが畑で余計なもの見つけたとか、東君が実験中に妙な機材を思いついてでっち上げた、とかやらない限りは大丈夫だと思うけど」
「……おばさん、そういうフラグ立てるの、やめてくれないかな……」
「まあ、その場合でも相談のために開けた日は死守するから」
特大のフラグを立てた天音に、ジト目でそう突っ込む春菜。
そのフラグが見事に実を結び、翌日春菜が畑で新種のミミズを発見したり、どうしても必要となった計測機材を自作した宏がその機材で素粒子を検出し撮影したりと、必要のない騒ぎを起こすことになるのであった。
「……ねえ、教授。本当に今日、こんなことしてて大丈夫なの?」
「大事になりすぎて、すぐに動けないから大丈夫」
数日後、検査当日の綾瀬研究室。
状況が状況だけに不安そうにする澪に対し、天音がそう言って笑い飛ばす。
何だかんだで、エアリスの検査は予定通り行われる運びとなっていた。
なお、現在宏はいつ呼び出されてもいいように、待機もかねてせっせとデータ取りをしている。
もっとも、そういう状況なのでデータと言っても論文に使えるようなものではなく、機材の動作チェックや検出できる素粒子の挙動や傾向について大雑把にあたりをとるための、いわゆる指針を決めるデータである。
そもそも完成して数日の実験機で、しかも想定外の挙動である。そのため、作った本人すらどうしてそうなったのか明確な理屈を把握できておらず、何ができるのかや限界がどこにあるのかも明確になっていない。
現時点では原理についての研究や検証がいつ可能になるのか一切予定が立っていない状況であり、宏でないと駄目という内容はまだまだ出ておらず、しばらくは思いつく限りの挙動についてひたすら人海戦術でデータを取りまくることになりそうである。
「それで、これからアストラルパターンをメインにいろいろなデータを取る予定だけど……」
「あの、どうやらお困りのご様子ですが、何かありましたか?」
「もう、現時点でどうにもならない種類の問題に気が付いたから、どうしたものかなって」
「……それはどのような?」
「多分今更言うまでもないことだとは思うんだけど、エアリスさんとアルフェミナさんが似すぎてるっていうのが、今回の件では大問題で……」
「……ああ……」
天音の言葉を聞き、そのことかとうなずくエアリス。
天音がエアリスともアルフェミナとも、ほとんど接点がないことを思い出したのだ。
「私の姿がアルフェミナ様に似ているのは、単なる偶然の一致だと伺っていますが……」
「うん。それは間違いなく事実だよ。先祖代々アルフェミナさんの加護を受けている、っていうのが多少は影響してるけど、確率ゼロが何億分の一とかになる程度だし」
少々不安そうに自分の姿について知っていることを説明するエアリスに対し、現在開放している権能で即座にできる範囲の解析を行って結論を告げる天音。
ただし、天音の表情は、その事実が決して喜ばしいものではないと告げている。
「東君や春菜ちゃんの話を聞いてる限り、多分呪いに関連した法則は私が知っているのとほぼ同じだと思うんだけど、同じだと仮定した場合、何千年の単位、百世代以上の積み重ねとはいえ単純に加護を受けただけで神の姿と偶然一致した人物が生まれるのは、呪術的にはものすごく影響が大きいんだよ」
「あの、それは最初からそうなるように手を加えた場合よりも、ですか?」
「何をするかにもよるから一概には言えないけど、今回に関しては誰の意図も介在していないほうが影響が大きいよ」
心底頭が痛い、という表情の天音を見て、真剣な表情でなるほどとうなずくエアリス。
残念ながら呪術については対処方法以外は専門外なので、天音が言いたいことをすべて理解し切れてはいないエアリスだが、それでもとんでもない問題なのだということだけは分かる。
そこに、黙って聞いていた澪が素朴な疑問、という形で口を挟む。
「ねえ、教授。化身でもないのに神様そっくりの姿になるって、自然に起こりうることなの?」
「先祖に神様の子供がいるなら、それなりの確率で起こりうるかな。ただ、エアリスさんの世界だと神様が子供を作ることってないみたいだから、そういう世界ではさっき言ったみたいに何億分の一みたいな奇跡的な確率になるね」
「そのそっくりさんがシャーマンとして歴代トップの資質を持っているのは?」
「それは何とも言えないかな。姿が似てるだけで、自動的にその神様のシャーマンになる資質はある程度持ち合わせるし」
「なるほど。だったら、エルが歴代でも群を抜いた巫女の資質を持ってたのは、必然だった側面もある?」
「姿が一致している、っていう要素で増幅されてる可能性はあるね。もっとも、ここまで存在に馴染んじゃってると、そのあたりはもう調べようがないんだけど」
澪の疑問に答えることで、重要な要素を全員に伝える天音。
エアリスたちが理解をした様子を見せたところで、話を続ける。
「で、これから呪術とか魔術とかいろいろ使って深いところまで調べるけど、少なくともこのまま何もせずに成人して、その状態で東君と肉体関係を持ったらアウトなのは間違いないかな」
「ああ、そこは間違いないんだ……」
「うん。正直、今までに会う機会はそれなりにあったんだから、もうちょっと突っこんで確認しておけばよかったって、反省してるところ。で、見た感じ、今日の時点で最低限の対処はしておいた方がよさそう」
「えっ? エルちゃんの状態って、そんなに切羽詰まってたの!?」
「切羽詰まってるっていうか、今後どういう手段を取るかによっては時間が全然足りなくなりそうだから、少なくともこれ以上状況が進行しないようにする処理だけはしておかないとね。そういうわけだからエアリスさん、ついてきてもらえるかな?」
「はい」
結構致命的なこじれ具合を周知したところで、エアリスを伴って部屋を出ていく天音。
その姿を見送った後、残された春菜たちが深いため息をつく。
「ごめん……。なんかうだうだやってるうちに、すごく危険な領域に突っこんじゃった……」
「ん。まあ、春姉の事だから、覚悟決めてもすぐに行動には出られないとは思ってた。というより、相手がいることだからボクが同じ立場に立っても、すぐに行動できたかは疑問」
「そうですよね。というか、そもそも女性同士で、って、どういう事をすればいいのか分からないですし……」
「実は私も……」
アルチェムの告白に乗っかって、たとえ覚悟を決めて行動に起こしたところで結局大したことができなかったであろうことを自白する春菜。
その内容に、思わず視線をそらしてしまう澪。
「……澪ちゃんは、そういうの分かるの?」
「エロゲでは割と定番。ただ、所詮エロゲだから、本当に同じことやっていいのかどうか不明」
「なるほど……」
澪の態度から少し突っこんだ情報を引き出し、納得しつつもどうしたものかと考えこむ春菜。
さすがの春菜もアダルトビデオをはじめとした性産業のコンテンツを鵜呑みにしない程度の知識はあるが、では何を参考にすればいいのかというのは一切分からない。
この点に関しては異性間だろうが同性間だろうが関係なく、あまり表立って話すようなことではないので、ある程度は仕方がない話であろう。
「とりあえず、春姉。まだやらなきゃいけないって決まった訳じゃないから、そこはあまり深く考えない」
「そうだね。まずは、おばさんの調査結果を聞いてから、だよね」
「ん。で、教授から問診票預かってる」
「問診票?」
「ん。今回の問題が解決したとして、ボク達がちゃんと子作りできるか不安になった、らしい」
「「あっ……」」
澪の言葉に、思わず同時に声を上げてしまう春菜とアルチェム。
前回相談した時点で、そのあたりも相談するという話になっていたのを完全に意識の外に放り出していたのだ。
「……うわあ……」
「なんというか、こう、妙に生々しい設問もありますよね……」
「実は、ボクですら答えるの躊躇った設問もあった。教授もあんまりやりたくないって態度、隠そうともしてなかったし」
「つまり、猥談すれすれどころかものによっては下品な領域に入ってる気がする問いも、全部必要だってことだね……」
何が悲しゅうて自分の性癖やら性遍歴やらを他人にさらさねばならんのか、と思わなくもないが、天音のほうも知りたくない情報だろうというのは想像できてしまう。
なので、恥ずかしそうに顔を赤く染めながらも、おとなしく問診票に書き込んでいく春菜たち。
「……ねえ、春姉、アルチェム」
「何、澪ちゃん?」
「どうしましたか?」
「もしよければ、なんだけど、ボクのを見せるから、二人のも見せてもらっていい? 情報共有しときたい」
全員が書き終わったぐらいのタイミングで、澪がおずおずとそんな申し出をする。
その言葉に、すこし考え込む春菜。
澪の様子を見る限り、いつものようにいらぬネタのためとか好奇心に負けてとか、そういう理由でないのだけは分かる。
恐らくだが、天音にこんな問診票を用意させる春菜たちが、どれほどひどい状態なのか不安になったのであろう。
どうしたものかとアルチェムに視線を向けてみると、春菜に判断を任せるらしく完全に静観の構えである。
「……そうだね。こういう事で中学生に頼るのもどうかとは思うけど、多分私たちより澪ちゃんのほうがこの手の知識は豊富だろうから、ちょっとアドバイスもらえるかな?」
「ん」
少し考えこんで、澪の申し出を受けることにする春菜。
いくら澪が特殊事例とはいえ、中学生相手に性的なことを相談するのは倫理的にどうかという躊躇いは消えないが、そもそも現状恋愛や性的なことに関しては小学生以下、どころか下手をすれば幼児レベルで留まっている。
中学生云々は、気にするだけ無駄であろう。
「……ねえ、春姉」
「何かな?」
「自分で能動的に性欲解消するの、週に一回もないって、本当?」
「……うん。忙しいって言うのもあるんだけど、何となくそういうことするの恥ずかしくて……」
「ボクは自分がやりすぎだって自覚はあるけど、春姉は逆に少なすぎだと思う。今までむっつり的にいろいろ溜め込んじゃってやらかしたあれこれを考えたら、多分週三回ぐらいやっても少ない」
「いや、それは確かにそうなんだけど、その言い方だと私がすごい性欲魔人みたいに聞こえるよ……」
澪の指摘に、いろいろな意味でがっくり来ながらそう反論する春菜。
そんな春菜を放置して、アルチェムの問診票を確認する澪。
「……えっ? アルチェムは、自分でしたことないの?」
「えっと、何をどうすればいいのか、よく分からなくて……」
「自分でおっぱい触ったりとか、そういうことは?」
「服を着替えるときとお風呂とかで体洗うとき以外は、まず触りませんね~。あっ、でも、トラブルで服が脱げた時とかは、隠すために触ります」
「そういうのじゃない、そういうのじゃ、ない……」
アルチェムの信じられない発言に、何度も首を横に振りながら力なくそう突っ込む澪。
澪は正直、胸が膨らんでくる年頃になったら、誰に言われなくても自分で胸や股間をいじるのが普通だと思っていた。
異世界のそれもエルフだから地球人類とは違いがあるのかもしれないが、それを踏まえてもあんな立派なものを持っていながら好奇心で揉んでみたりすらしなかったというのは、澪的にはなかなか信じがたい話である。
「ねえ、アルチェム。子供の作り方は、一応知ってるんだよね?」
「はい。エル様と一緒に、ベッドマナーの座学は受けていますから」
「なのに、その内容をベースに自分であっちこっち触ってみたりはしないの?」
「正直に言いますと、今日まで考えたこともありませんでした」
「むう……」
アルチェムの告白に、思わず小さくうなる澪。
アルチェムは別段その種の応用力がないわけではないのに、この件に関しては驚くほど教えられたこと以外をやろうとしない。
恐らくオルテム村の年寄りたちがいろいろと頑張った結果なのだろうが、現状はもはや呪いレベルである。
ここまで完成度が高いと、アルチェムという奇跡の存在を意地でも完成させたいという執念を感じざるを得ない。
完全に他人であれば美味しいキャラとしてニヤニヤできるが、今後深い付き合いが続くとなると迷惑この上ない話だと言えよう。
「……これ、エルのことがどうとか関係なく、一度女同士でそのあたりの実践を確認したり教えあったりする必要あるんじゃ……」
「……ああ、うん。私も胸を軽くいじるようになった程度だから、そういう機会があったほうがありがたいかも……」
あまりにもダメな現状を知り、思わずそんな判断をしてしまう澪と春菜。
全員ちゃんとした性教育を受けている点だけは救いではあるが、及第点はそれだけ。澪と詳細不明なエアリスはともかく、春菜とアルチェムは知識以外の面では冗談抜きで小学生レベルである。
それでも、仮に相手が宏以外であれば男性側のリードによりどうにかなる可能性はあるが、残念ながら宏にそれを望むのは難しい。
どうせ首尾よくベッドインに持ち込んだところで、お互いにヘタレてスムーズに進まないのは目に見えている。
せめてそこから覚悟を決めて本番に至る際、経験不足で手こずって心が折れて先送り、などということにならないよう、受け入れ準備の練習はしておいた方がいいのかもしれない。
「その勉強会は推奨したいところなんだけど、エアリスさんの件が片付くまで待ってくれると助かるかな」
そんな相談をしていると、エアリスを連れて部屋に戻ってきた天音が待ったをかける。
「あっ、おばさん。どうだった?」
「とりあえず、必要最低限の処理は済ませておいたよ。ついでにアルフェミナさんにも会って、神託や多少の神降ろしぐらいでは変化しないようにもしたし」
「そっか。でも、解決はしてないんだよね?」
「うん。データはいろいろとってきたから、これから解析して解決方法を検討する予定。と言っても大体のあたりはついたから、そんなにはかからないけど」
「具体的にはどれぐらい?」
「他の案件もあるから、多分三日ぐらいかな? でも、今週いっぱいは私が動けないから、実行はもうちょっと先になるかも」
天音の言葉に、何やら少し考えこむ澪。
澪が考え込んでいる間に、アルチェムが質問のために口を開く。
「それで、アルフェミナ様が言っていたのとは違う手段はありそうですか?」
「まだ絶対とは言い切れないけど、多分一つ二つは構築できると思う」
「その手段を、どうしてアルフェミナ様が思いつけなかったんでしょうか?」
「いろいろ理由はあるけど、一番大きいのは出自の問題かな。なんだかんだ言っても、私は元は普通の人間で、エアリスさんや澪ちゃんの年の頃からどっちかって言うと技師とか研究者とかそういうタイプだったから」
天音の言わんとしていることに、思わず首をかしげるアルチェム。
それを見たエアリスが、横から助け舟を出す。
「あの、アルチェムさん。アルフェミナ様とヒロシ様の違いと考えれば、何となくわかりませんか?」
「……ああ。アルフェミナ様は、ものを作ったり解析したりは専門じゃないんでしたっけ」
「はい。そういう権能はまた、別の神様です。それに、今回の場合はある意味時空神が最も苦手とする、自身がダイレクトにかかわる未来の予知ですので……」
エアリスの補足説明を聞いて、いろいろ腑に落ちるアルチェム。見ると、春菜のほうも何やら納得している様子を見せる。
そんな中、我関せずといった感じでカレンダーを見ながら確認していた澪が、意を決したように話を変える。
「ねえ、教授。ボク、十一日が卒業式なんだけど、卒業式の後とかってどう?」
「ちょっと待ってね。十一日、十一日……、ああ、大丈夫。動かせない予定は入ってないよ」
澪の提案を聞き、予定を確認してうなずく天音。
それを聞いたエアリスが、不思議そうな顔をする。
「卒業式、ですか?」
「ん。その学校で学ぶべき課程を全部終わらせたことを祝う式典。ファーレーンにはない?」
「学校に通ったことがないので分かりませんが、ファーレーンでは聞いたことがなかった気がします」
「そっか」
「というか、ファーレーンの学校は通いたい人が通えるタイミングで通うシステムの学校がほとんどですので、入学も卒業もバラバラになります。なので、多分そういう式典はないかな、と……」
「なるほど……」
エアリスの説明に、そういうものかと納得する澪。
実のところ、エアリスをはじめとした王侯貴族に縁がないだけで、学者などの知識人を育てる目的の大学に近い学校では、ちゃんと入学式も卒業式も行われている。
が、ファーレーンに限らずそういう学校はルーフェウス学院の陰に隠れて目立たないため、そのあたりのシステムは意外と知られていないのだ。
「でもまあ、門出のタイミングでエルちゃんの問題を解決するのって、新しい出発点になる感じでちょうどいいかも」
「そうですね。エル様の誕生日に出てきた問題を、ミオさんの門出の日に解決する。何となく運命的なものを感じますね」
「ん。ただ、エルはその日、予定大丈夫?」
「今の時期はこれと言って必要な儀式などもありませんので、前もって分かっていればどうとでもできます」
エアリスの言葉で、今後の予定がしっかり確定する。
「ただ、最大の問題は、どんな方法で解決するか、なんだけど……」
「まだデータとっただけだから何とも言えないけど、どのリスクをとるかを選ぶ形になりそうなのは断言できるかな」
「やっぱりそうなんだ……」
春菜の疑問に、苦笑しながら過剰な期待をしないよう厄介な事実を突きつける天音。
天音が突き付けてきた事実に、思わず不穏なものを感じざるを得ない春菜。
こうして、澪の卒業式に状況が大きく動くことが確定するのであった。
こういう時に悪あがきすると、大体ろくなことにならない件。
だって、春菜さんなんだぜ?
 





