第62話
「わざわざ足を運んでもらって、すまんな」
「さすがに、今回の内容でうちが呼びつけるわけにもいかんやろう」
二月に入ってすぐのある日。
宏はエアリスとの婚約関連で、ウルス城を訪れていた。
「それで、結局僕は何をすればええん?」
「今日のところは婚約に関する契約の確定と書類の作成だ。いくら王女を嫁がせるとはいえ、お前に不本意な契約を押し付けるわけにはいかん。可能な限り配慮をするから、気に食わんことがあったら遠慮せずに言ってくれ」
「それはええんやけど、言うたことなんでも全部通るっちゅう訳やないんやろ?」
「そうだな。こちらとしてもどうしても譲れない条項はあるし、譲ってもいいがエアリスのために飲んでもらえるとありがたいものもある。お前に不本意な契約を押し付けたくはないが、譲った結果妹が不幸になる可能性があっては本末転倒だ」
念のために確認してきた宏に対し、言わずもがなな答えを返すレイオット。
そもそも今回の契約書は、宏とエアリス、双方に対して余計な横やりを入れさせないためのものだ。
うるさい連中を黙らせて数年後にエアリスを宏のもとに無事嫁がせることができれば、極端な話条件など一切なくてもいいぐらいである。
「そらまあ、そうやわな。それに、あんまり緩いといらん横やり潰すんに全く役に立たんっちゅうことになりかねんし」
「ああ。とはいえ、官僚がどんな条項を仕込んでいるか分からん。一応確認したが、他の条項と合わせると問題が、とか、解釈の違いでゴリ押しが、とか、その手のやり口で何か仕込んでいる可能性が高い」
「官僚の常套手段っちゅう奴か」
「そういうことだ。分かる範囲では潰したが、私のような若造に完全に見抜かれるようなやり方はしていまい。恐らく全ては追いきれていないはずだから、エアリスやアルフェミナ様と相談して対処してくれると助かる」
「了解や。レイっちに見せた後から、補足条項とかいう名分で追加してへんとも限らんし、よう確認して話進めるわ」
「さすがにそこまでの不義理はしていないと思いたいが、自分たちの部署と国益のために暴走するのも官僚だからな。本当に申し訳ないが、注意して進めてくれ」
「まあ、がんばるわ」
レイオットの言葉に、苦笑しながらそう告げる宏。
古い組織にありがちなこの手の役人の暴走や腐敗というのは、一度や二度組織の大粛清をした程度でどうにかなるほど、根っこが浅いものではない。
そもそも官僚機構というものはある程度以上の権限を与えなければ仕事ができないが、その権限が腐敗へ繋がりやすいという構造的な問題を抱えざるを得ない。
さらに言えば、官僚機構というのは、基本的に与えられた仕事をひたすらこなすだけの集団だ。
そこにほどほどだの国家全体を考えてだのといった思考はなく、自身の与えられた役割を果たすためなら、どんな手段でも取ろうとする。
これは個々の人員が優秀かどうかとか考える能力を持っているかどうかとかは関係なく、そもそも官僚組織というのがもともとそういう役割を与えられているからである。
まだ歴史が浅い、新しいうちはいいのだが、成熟し伝統や先例が積み重なってくると、組織の役割上部門最適になりがちでかつ、権限や担当範囲を少しでも広げようと動きがちだ。
結果として与えられた命令に従いつつ、自分の組織により利益が来るように仕事を進めるケースが出てきた結果、「確かにやれとは言ったが、なぜそのやり方でやろうとした?」というような真似をする。
言うまでもなく、そういう方向に暴走するのは大抵権限が強い上層部であり、中間管理職や末端の実行部隊は基本的に少しでも効率よくかつ全体にとって最適になるように行動はする。
が、どこが暴走したかなど部外者には関係ないのも事実で、組織の内外問わず必要以上に役割に忠実な連中の暴走に巻き込まれる方はたまったものではないのだが。
「にしても、悩みの種類が平和になったもんやなあ」
「国としては、平和だと言ってられない話なのだがな……」
宏のお気楽な台詞に、苦い顔でそう突っ込むレイオット。
その後も話し合いの準備が整うまで、そんな緩い漫才を続ける宏とレイオットであった。
「やっと終わったで……」
一時間後。ようやく契約書にサインを終えた宏が、エアリスの私室でぐったりしながらそうぼやく。
ウルス城にあるエアリスの私室に入るのは何気にこれが初めての事なのだが、そんな感慨を抱く気力は今の宏にはないようだ。
「お疲れさまでした」
「ほんまに、油断も隙もあったもんやないで……」
「本当に、そうですね……」
手ずからお茶を入れながら、宏をねぎらうエアリス。
今回の契約書作成はエアリスにとっても大層面倒くさい仕事であったが、正直そのことに文句をつける気はない。
というより、神を出し抜こうとした担当者たちのその後を考えると、いちいち文句を言うだけの価値を感じない。
「あんだけ分厚い契約案持ってきて、結局残ったん共通の三項目だけとか、凄い徒労感があるんやけど……」
「まあ、ヒロシ様から私たちに求めることがない時点で、項目を削ることはあっても増やすことはありませんでしたから……」
宏のボヤキに対し、苦笑しながらエアリスがそう言う。
今回の婚約に関して交わされた契約を大まかにまとめると
・エアリスは宏の第二夫人として婚約する。正式な婚姻の時期は未定。
・婚姻が成立するまでエアリスの立場や各々の関係は慣習に従う形で現状維持とし、この婚約において双方ともにファーレーン王国およびそこに属する各組織、アルフェミナ神殿、アズマ工房に対して特別な権利や義務を求めない。
・この婚約は宏とエアリス双方の合意においてのみ解消される。どちらかに対して圧力や対価を持って解消を強要した場合、アルフェミナの名において神罰の対象とされる。
という内容になる。
この後、各項目に対して抜け道を作るための例外項目をずらずらと並べたものが複数パターン用意されていたのだが、どの項目も必要なら個別に交渉すればいいという宏の主張と、アルフェミナのアドバイスを受けたエアリスによる致命的な悪用方法の指摘により、軒並みばっさり削除されたのだ。
「本来ならば今すぐ独立して神の城へお引越し、という形にすべきだったのですが……」
「そう言うんは、慣例に従っといたほうが楽やからなあ」
少し残念そうにするエアリスに対し、内心で冷や汗をかきながらそうなだめる宏。
最初はそのつもりだったエアリスに、ヘタレて待ったをかけたのだから少々立場が弱い。
「そもそも、エルかて姫巫女以外にもいろいろ仕事してんねんから、いきなり投げ出すんはヤバいやろ」
「それはそうなのですが……」
「単に政治的な権力を持ってへん、っちゅうだけで、この国の王女様はお飾りやなくていろいろ仕事しとるらしいやん。エレ姉さんですら、体調戻ってからユーさんと結婚するまで王女として仕事しとったみたいやし」
「はい。別に王女でなければできない仕事ではないのですが、王家の人間がその看板を使って進めたほうがスムーズに終わることは、私たちが担当しています」
「で、その手の仕事の引継ぎにやっぱり半年ぐらい時間とっとったっちゅう話聞いたんやから、ちゃんと最低限回るようには面倒みんとあかんで」
「その通りですね」
宏にたしなめられ、頭が冷えたエアリスが急ぎすぎたと反省する。
実のところ、「慣習に従う形での現状維持」という項目を入れたのは、宏はヘタレたこと以外にも、いくつか無視できない大きな事情があってファーレーン側がこの項目だけは決して妥協しなかったからというのもある。
それらの事情で特に大きなものが、今エアリスに抜けられると姫巫女不在になる、というアルフェミナ神殿の切実で致命的なものだ。
一応エアリスにはエリーゼという同腹の妹がおり、その王女が姫巫女の資質を持ってはいる。
が、残念ながら末っ子のエリーゼはカタリナの乱の後に生まれたため、現時点でまだ四歳。エアリスがちゃんと姫巫女の役割を果たすようになった年齢どころか、形だけ就任した年齢よりも幼い。
しかも、エリーゼの資質はカタリナやエレーナを大幅に上回るとはいえ、その気になれば常時神降ろしができるエアリスとは比較にもならない。
この状況でエアリスが完全に独立してしまうと、神殿が完全に機能不全に陥る。
「そう言えば、僕は会うたことないんやけど、エルの妹さんってどんな娘なん?」
「どんな、と言われると説明が難しいのですが、そうですね……。オクトガルに育てられた影響か、非常にのんびりしたところがあります」
「オクトガルかあ……」
エアリスの言葉で、何となく人間像をつかんでしまう宏。
オクトガルは伝染するので、エリーゼ王女は非常にのんびりしているというより、極端にマイペースで物事に動じない性格をしているのだろう。
「まあ、非常時でもその態度を崩さへんのやったら、ある意味凄い頼りになる性格やわな」
「そうですね。ただ、現時点でそれが分かるような非常事態は起こっていませんし、仮にその時に態度が変わらなかったとしても、年齢的にちゃんと理解できていないだけ、という可能性もありますので……」
「そらまあ、そうやわなあ……。どっちにしても、最低限思春期に入るぐらいまでは性格とかそんなにしっかり固まらへんし、もうしばらく様子見やな」
「はい」
四歳五歳の子供について、今からごちゃごちゃ言っても仕方がない。そう割り切って、なるようになるだろうと楽観することにする宏とエアリス。
そもそもの話、エリーゼの躾や教育に関して、エアリスは責任を負う立場にない。
一応姫巫女としての教育や引継ぎを行うが、エアリスが教えるのはあくまで神職としての知識や作法のみ。それ以外のことは、王妃や王宮の教育係が責任を持って教えることである。
宏に至っては完全な部外者であり、下手をすれば自身かレイオット、もしくはマークの結婚式まで顔を合わせる機会すらないかもしれない間柄だ。
こう言っては何だが、エリーゼがどうなろうと知ったことではないのである。
「あと、引き継ぎ関係に関しましては、どちらかというと神託について意識を変えるのが大変そうだな、と……」
「あ~……」
エアリスの懸念事項に、思わず声を上げてしまう宏。
巫女の資質に関してはよく分かっていない宏だが、それでもいくらエリーゼがすごい資質を持っていようと、エアリスほど軽い調子で神託を得ることなどできない事は察している。
カタリナの乱の前後で内容は違うが、ここのところ政治機構という点ではずっと荒れた状態が続いていたファーレーンにおいて、エアリスの神託は実に重宝されていた。
アルフェミナとしてもファーレーンが安定してくれないと困るため、求められるまま積極的に助言を行っている。
それ以外にも愚痴だのなんだので頻繁に神託を下していることもあり、今アルフェミナ神殿にいる中堅以下の神官たちは、神託というものを非常に身近なものだと錯覚している。
その結果、現在はあちらこちらに神託ありきのシステムが出来上がってしまっており、これがエアリスをすぐに手放せないもっとも大きな事情となっているのだ。
この状況が健全ではないことなど考えるまでもなく、どうやっても姫巫女を続けられなくなる宏との婚姻は、この状態を脱するにはちょうどいい機会と言えよう。
「これまで、こういう状況になった時はどないしとったん?」
「さすがに私ほどアルフェミナ様に近い巫女が生まれたことはないようですので、前例と呼べるようなものは……」
「なるほどなあ。あるとしたら初代ぐらいやろうけど……」
「さすがにそんな神話の時代の話となると、はっきりした記録は残っていませんので……」
「そらまあ、そうやろうなあ。っちゅうたかて、アルフェミナ様自身に当時どうやったか聞くんもなあ。本人にあんたの影響力減らす方法教えてくれっちゅうんは、仮に教えてもらえたとしてもなんかモヤッと来るで……」
「はい……」
宏の言葉に、心底困ったという表情を隠そうともせずに同意するエアリス。
そもそもの話、国の黎明期であった初代巫女の時代と、長い歴史を経て様々な面で成熟しつつ何度目かの発展期に差し掛かろうとしている現在では、状況が全く違う。
恐らく、参考になるかどうかすら怪しいだろう。
「しかし、聞けば聞くほど難儀なことなってる感じやけど、五年やそこらでどうにかなりそうなん?」
「分かりません。ですが、あまり手間取るとそれだけ結婚するのが遅くなりますので、頑張って何とかします」
「無理せんでもええで」
「私だけ、もしくは巻き込んでもアルチェムさんぐらいなら気にせずゆっくり進めるのですが、ハルナ様やミオ様をお待たせするとなると……」
「いやいやいや。日本では三十過ぎてから結婚するんも珍しないから、それこそアルチェム待たすぐらいの感覚でもかまへんで」
「あの……、ハルナ様が三十歳を過ぎるということは私も二十五歳を超えるので、さすがにそんなに待つのは嫌なのですが……」
あまりにのんびりしたことを言い出した宏に、思わず不満そうに声を上げるエアリス。
十年後でも人間換算ではまだ中高生のアルチェムはともかく、エアリスはさすがに二十歳を超えるといろいろ面倒なことが多くなり、二十五になるとたとえ婚約していても周囲は行き遅れ扱いをしてくる。
神に嫁ぐという特殊性に鑑みても、あまりよろしい状況とは言えないのは間違いない。
澪と違って既に成長も老化も止まりつつあるが、それを踏まえてもリミットは二十歳であろう。
なお、エアリスがアルチェムを巻き込んでも平気なのは、アルチェム本人が全く結婚を焦っていないどころか、百年ぐらいは大丈夫ですよと朗らかに笑いながら言ってのけるからである。
さすがにそこまであっけらかんとされると、気を遣おうという気が削がれてしまっても仕方がないだろう。
「っちゅうても、日本の法律とか世間一般の意識とかが変わらん限り、最低でも五年は待たなあかんねんで」
「それは重々承知していますが、やはり私はこちらの意識にさらされる人間です。それに、日本でも婚姻は十八から可能だと伺っていますので、前に倒せるならそうしたい、と思ってしまいます」
「そこはもう、あんだけ胸あってなお、下手したら小学生に見えてまう澪の体格と童顔に文句言うてや」
珍しく甘えと媚びがにじんだエアリスの言葉に、普段言わないセクシャルな言葉まで使って身も蓋もない事実を突きつける宏。
宏がわざわざ二十歳にこだわる理由は、ほぼ全てそこに集約される。
なお、宏達の日本では現在、未成年は男女とも十八歳から結婚可能となっているが、保護者の許可が必要なのは変わっていない。
「どっちにしても、すぐに結婚やなんやっちゅう話にならんのは変わらんねんから、あきらめておとなしく引継ぎと教育頑張り」
「……はい」
宏に言われ、少し残念そうにうなずくエアリス。
とりあえず、宏に結婚を意識させることができただけでも御の字と自身に言い聞かせ、機が熟すのを待つことにする。
「せやせや。結婚っちゅうたら、レイっちのほうはどないなん?」
「お兄様ですか? リーファ様や周囲の様子をうかがう限りでは、リーファ様が成人なさればすぐにでも、という雰囲気ですね」
「っちゅうことは、もう婚約したん?」
「正式にはまだですが、恐らく近いうちに婚約が結ばれると思います」
「なるほどなあ。ほな、お祝いについても考えとかなあかんな。婚約の段階やからほどほどにせなあかんか?」
「あの、結婚祝いでもあまり気合を入れないようにしていただいた方が、お兄様とリーファ様の胃の健康上よろしいかと思います」
自分たちの結婚問題から話をそらしつつ、親友の結婚に絡んでアップを始める宏。
そんな宏に対して、内心で冷や汗をかきながらブレーキをかけようと頑張るエアリス。
一瞬いちゃついたように見えたのもつかの間、結局そういう甘い雰囲気になることもないまま夕食時までのんびりだべる宏とエアリスであった。
「ご足労いただき、ありがとうございます」
宏とエアリスが契約書の作成を終えたのと同じころ。
春菜はアルフェミナに呼び出され、天界にある神々の庭を訪れていた。
「あの、アルフェミナ様。重要な要件というのは……」
「その前に、春菜殿。わたくしとあなたは対等の存在です。様付けではなく呼び捨て、もしくはもう少し軽い敬称をつけていただけないでしょうか?」
「……努力はしますけど、すぐにはちょっと……」
「分かりました。できるだけ早くお願いしますね」
困った表情で春菜にそう釘をさすアルフェミナ。
その様子から、宏や春菜がアルフェミナを様付けで呼ぶと、何か重大な問題があるようだ。
「それで、わざわざ春菜殿を呼び出した用件ですが」
「はい」
「エアリスが宏殿のもとに嫁ぐ影響について、特に重要なマイナス要素を春菜殿に説明しておく必要があったのです」
「あの、それって当事者の宏君に直接説明したほうが……」
「そうでなくても結婚そのものに及び腰な宏殿が、そんな話を聞いてこのまま婚約を続けるかどうかはかなりの賭けになると思いませんか?」
アルフェミナに反論され、思わず言葉に詰まる春菜。
確かに宏はどうにか自分たちとの結婚を受け入れてくれたが、今の時点ではあくまで形だけのことだ。
いくらあと何年かあると言っても、このまま結婚に向かって突き進んでしまっていいのかという迷いは、春菜ですら持っている。
宏の持つ迷いや結婚に対する後ろ向きな意識はそれ以上なので、ここでその手のネガティブな話をすれば本気でやめると言いかねない。
婚約を結んだ以上もはやそれが許される段階は過ぎているのだが、仮に婚約を結ぶ前だったとしても、今更結婚できないなどというのはさすがにエアリスが可哀想すぎる。
「私に話を持ってきた理由は納得しました。その悪影響というのはどんなものですか?」
「恐らく予想はついているでしょうが、一番大きなものは、わたくしとの接続が成立してしまう可能性が高いことでしょう」
「それはもう、ならないほうが不思議かな、と思っていましたけど……」
「春菜殿が想像しているであろう状態より、かなり深刻なのです。何しろ、神格こそ宏殿や春菜殿のほうが上ですが、積み重ねてきた時間と経験はわたくしが圧倒的に勝ります。それだけに、下手をすれば宏殿がこの世界を乗っ取りながら、わたくしが宏殿の人格を完全に食いつぶす可能性もあります。それも、決して低くない確率で」
予想以上に重い悪影響に、思わず絶句する春菜。
積み重ねてきた時間と経験を甘く見るつもりはなかったが、さすがに万年単位、下手をすれば億年単位での差となると想像を絶するものがあるようだ。
「……えっと、それを私が聞いて、どうすればいいのでしょうか……」
「春菜殿には宏殿とエアリスの間に立って、わたくしとのつながりが完全に途絶えるまで二人の関係がこじれないようにバランスをとってほしいのです」
「言われなくてもそれはするつもりですが、完全に途絶えるまでにどれぐらいかかります?」
「分かりません。これでもすでに接続強度を三割は減らしているのですが、過去に類を見ないほどの資質だけあって全く変化が感じられません」
大真面目に厄介なことを言い切るアルフェミナ。
その言葉にドン引きしてしまう春菜。
その様子では、完全に接続を切ったのにリンクが残った、というようなことが起こっても不思議ではない。
「あの、それだとリンクが無くなったところで、アルフェミナ様、じゃなかったアルフェミナさんの影響が残ってしまうのでは……?」
「そうでしょうね。わたくしとしては今年中に一割未満まで接続を落とし、来年には教育がどうであれ姫巫女を完全にエリーゼに移す予定ではありますが、その後三年ぐらいでは長年わたくしをその身に降ろし続けた影響は消えないでしょうね」
そう言ってため息をつくアルフェミナ。
アルフェミナにとって、歴代の巫女の中でも最も可愛い存在であるエアリス。
幼いころから愛し導き、我が子のように育ててきた少女が大人になって嫁いでいく。
それ自体は非常に喜ばしいことだが、自身の巫女であったという経歴と、二度と生まれることはないであろうと言うほど傑出した巫女の資質が障壁となるのは、いろいろと切ない。
「あの、アルフェミナさん。素朴な疑問なんですけど、姫巫女であるエルちゃんと結婚することでリンクが発生して乗っ取られる、というのであれば、神と神との結婚はもっとひどい影響が出るんじゃないでしょうか?」
「それがそうでもないというか、むしろ神と神の婚姻のほうが影響が出ないのですよ」
「えっ?」
「ややこしい話なのですが、巫女の資質というのは己を保ちつつ神をその身に宿す、その触媒としての能力です。その能力を持ったものが誰かの巫女として深いつながりを持ったまま、別の神とも深い仲になってしまうと……」
「あ~……。触媒としての能力がいわゆる変換器とコネクターの能力に化けて、直結に近い状態にしてしまうんですか……」
「ええ、そういう事です。それでも、サーシャ殿ぐらいの資質であれば問題はなかったのですが、エアリスはこのまま私を降ろし続ければ、三百年ぐらいはかかりましょうがいずれ神化する可能性すらあるほどの資質を持っています。ですので……」
アルフェミナの言いたいことを察して、心底困った表情を浮かべてしまう春菜。
正直かなりシャレにならない問題だが、なぜ今になって言うのかと心底突っ込みたい。
これが春菜でなく真琴だったら、間違いなく秒でアルフェミナの襟首をつかんで前後に揺さぶっていただろう。
「あの、それって私にどうこうできる話じゃないと思うんですけど……」
「それがそうでもないのです。というより、春菜殿だからこそできることがある、と言いましょうか……」
春菜の指摘に、歯切れ悪くそう言うアルフェミナ。
どうやら、春菜にとって喜ばしくない種類の手段があるのだろう。
「あの、ズバッとはっきり言ってくれた方が、いろんな意味で助かるんですが……」
「そうですね。結論を一言でいうならば、春菜殿がエアリスと何度か性交渉を行えば、宏殿を乗っ取るほどの影響は消せます」
「えっ……? ……え~!?」
「注意事項としては、エアリスの純潔を奪ってはいけないこと、宏殿の初夜までに最低でも三度は行うこと、一度の行為は……」
「ちょっと待ってください! 何をどうすればそういう話に!?」
「簡単な話で、それが一番手っ取り早くエアリスの中から私の神威を排除できるからです」
いきなり飛び出した生々しい話に、思わず大慌てて待ったをかける春菜。
そんな春菜に対し、完全に腹をくくった顔でそう言い切るアルフェミナ。
カマトトぶっているとまでは言わないが、こういう話に照れや抵抗がある春菜に配慮していては話が進まないと割り切ったようだ。
ちなみに、アルフェミナが今になってようやくこの話をしたのは、まだエアリスが幼いから内容的にすぐに行うと問題が、などと考えているうちにずるずると先送りしてしまっていたからである。
いくら見た目は大人っぽくなっていようと、ファーレーンですらよほどの事情がない限りは性行為など行わない年齢なのだから、アルフェミナが迷うのも仕方がない面はあるだろう。
「さすがに結論から一気に進めすぎたようですので、少し突っ込んだ話をします」
「あっ、はい」
「恐らく春菜殿の世界でも、巫女が純潔を失うことで巫女としての力もなくす、という事例があると思うのです」
「神話とか伝承では結構ありますね。常にそうだとは限らないようですが」
「そうでしょうね。結局のところ、その神の成り立ちと権能の種類による部分ですから、多神教の場合は実際には巫女の資質を失わない事例のほうが多いとは思います」
「あまりそのあたり詳しくないんですけど、実際はそういう感じなんですか?」
「はい。私の世界では違いますが、むしろ古代では巫女=娼婦、というケースが普通だった宗派のほうが多いのではないかと考えています」
あまり宗教や神々の成り立ちについて詳しくないらしい春菜に、結構生々しくて痛い話をするアルフェミナ。
もっとも、そもそも春菜に持ち掛けている話自体がちょっと待てといいたくなる内容なので、これぐらいの話は今更かもしれないが。
「それで、私達の場合ですが、純潔を失う、つまり性交渉を行うということは、物理的にも精神的にも他者の存在を取り込む行為として一番分かりやすいものです。その結果、取り込んだ他者の存在がノイズとなって神との交感能力が抑制されるのです。あくまでノイズでしかないので、神の側がその気になればある程度はどうにかなります」
「何となく理屈は分かりますが……。あの、いろんな事例を見てると、エッチなことをしたからと言って、物理的にはともかく精神的には相手を取り込んでいるとは限らないような気が……」
「育った環境や本人の資質、育てた者の人格にもよるので絶対とは言い切れませんが、少なくとも巫女の場合は、俗世とある程度隔離された環境で育てられることが多いです。日常の神事に含まれでもしていない限りは、良くも悪くも初めての相手というのは特別になるのではないでしょうか?」
「……あ~……」
アルフェミナに言われ、それもそうかなと何となく納得してしまう春菜。
別に性的なことに限らず大抵の場合、最初の一回というのは日常的に行うようになるか記憶に残らないほど幼い時でもない限り、普通は特別になる。
それ以外のいろいろな付加要素も踏まえて考えると、巫女が純潔を失うことでノイズを発してしまうのは納得できる話である。
「今回の話はその応用になります。具体的には、春菜殿とエアリスが性交を行うことで春菜殿の神威をエアリスが取り込み、また精神的にもわたくしより春菜殿とのつながりを深めることで、宏殿とわたくしが深く繋がってしまうリスクを軽減します」
「えっと、二つ質問があるんですが、それって今度は私と宏君が繋がってしまうのではないでしょうか? それと、あくまで軽減でしかないんですか?」
「一つ目に関しては、お互いに純潔を奪わない限りはまず大丈夫でしょう。ついでに言えば、宏殿はすでに、春菜殿の血肉を取り込んでいます。ですので、今更深く接続してしまったところで、ソレスとルシェイルが融合した時ほどの事にはなりません」
「宏君が私の血肉を取り込んだ、って……。あっ! もしかして達也さんと真琴さんを生き返らせた反動の……」
「はい。神の城を強引に強化して、かなりの量の血反吐やミンチになった肉体の破片を処理していたはずです。神の城を通してとはいえ、あれだけの量を処理していれば、今更春菜殿と深く繋がったところで、せいぜい互いの思考が筒抜けになる程度で収まるでしょうね」
アルフェミナの指摘に思わず頭を抱えつつ、それはそうだろうと納得してしまう春菜。
あの時春菜の体から排出された血反吐やミンチ肉は、体積に直して少なくとも春菜二人分以上はあった。
そのうちの結構な量が染料や消耗品に加工されたとはいえ、いろんな意味であまり長期間の保存ができないものだ。
かといってそのまま廃棄することも出来ず、最終的には半ば強引に肥料などに変換して城の内部で消費することで処分したのだが、それは宏が春菜の血肉を取り込んだのと変わらない。
「二つ目についてですが、そもそもどうやってもリスクをゼロにすることはできない、と考えてください。ただ、リスクの高さがそのまま接続の深さになりますので、多少パスが繋がってしまう程度ならどうとでもできます」
「そういうものですか?」
「はい。そういうものです。ついでに説明しておきますと、アルチェム殿のほうはすでに、神の城にある世界樹とのほうがアランウェンより強くつながっています。アランウェンが積極的に巫女を活用していなかったこともあって、元からナザリア殿とイグレオスほどもつながりがありませんし」
「そういえば、アルチェムさんは巫女になったのも私たちと出会ってからの事でしたしね」
春菜が疑問を持つ前に、アルチェムの状況についても説明しておくアルフェミナ。
そもそもアランウェンの立ち位置だとアルチェムの資質は過剰すぎて持て余すため、アルフェミナほど入れ込まなかったのが大きいようだ。
「そういう事ですので、恐らく春菜殿にはそういう性癖はないであろうことは承知していますが、早期に宏殿との婚姻を望むのであれば、儀式の類だと割り切って早めにやっておいてください」
「……えっと、やっぱりやらないと駄目ですか?」
「形だけの婚姻で済ませて百年単位で先送りにするのであれば、恐らく二百年もあれば完全にリスクが消失しましょうが、春菜殿やエアリスがそれに耐えられますか?」
「……うっ」
「式を挙げるまでにやれ、とは言いません。エアリスとて女性同士で性行為を行う趣味は持ち合わせていませんし、それなりに覚悟も必要でしょう。が、先ほども申しました通り、宏殿に純潔をささげる前に済ませておく必要はあります」
「念のために確認ですけど、他に方法はありませんか?」
「ありますが、正直口にしたくもない方法ですよ? それでも聞きますか?」
「……一応、参考までに」
どうしても女同士でそういうことをするのに抵抗がある春菜が、嫌な予感がしつつも一応確認だけはする。
その春菜の反応に、ため息をつきながらアルフェミナが説明を始める。
「非常に簡単な方法です。あなた方の誰かがエアリスを殺し、宏殿か春菜殿が生き返らせるのです。そうすればわたくしとの接続は完全に切断され、新たにあなた方だけの巫女として再誕するでしょう」
「……えっ?」
「先に申し上げておきますが、もう他に方法はありませんよ。口が悪い言い方をするなら、殺すか手籠めにするかしかありません」
身も蓋もないアルフェミナの言葉に、渋い顔をしながら悩む春菜。
自分一人が苦労する分には何でもするのだが、事が事だけに絶対にエアリスを巻き込むのが悩ましい。
「自制心に自信があるのでしたら、別に二百年待っても問題ありません。ただし、その場合はどれほど気分が盛り上がっても、絶対に行為に及んではいけませんが」
「……むう」
「いざというときのことを考えるのであれば、どちらかの手段で接続を断っておくに越したことはありません。最終的にどうするかについてわたくしから申し上げることはしませんが、どの道を選ぶにしても春菜殿が主導しなければいけませんよ」
「……分かりました。さすがに生き返らせる方法はリスクが高すぎるので、体を重ねる方で進めます」
真剣な表情で釘を刺されて、あきらめて腹をくくる春菜。
が、やたらと処女のうちにやっておけと強調するところは、どうにも気になってしょうがない。
「ただ、すごい勢いで処女のうちにって強調してますが、結婚式は挙げてしまっても大丈夫なんですか?」
「あなた方に関しては、そもそも夫婦か否かの違いがすでに、共同生活を送っているかどうかと肉体関係を持っているかどうかの二点だけになっています。しかも共同生活のほうは現在実行していないだけで実績があって不安はないのですから、挙式程度では確固とした婚姻が成立しません」
「そういう話なんですか?」
「あなた方の場合はそうなります。もっと正確に言うなら、共同生活をしたうえで肉体関係を持つことで、ようやく宏殿の意識が本当に夫婦になったと切り替わるのではないか、と推測しています」
「結局は、宏君の意識の問題、ですか……」
「ええ。春菜殿のほうが、わたくしよりよほど宏殿のそういう意識について詳しいと思うのですが、その視点から見てどう思われますか?」
「確かに単に結婚式を挙げて共同生活をする程度じゃ、宏君が腹の底から夫婦になったことを納得するのはすぐには無理かな、って思います」
アルフェミナの指摘に、そういう事かとようやく腑に落ちる春菜。
形だけでも夫婦として扱われ続ければ、そのうち何となく腑に落ちて自然と自分たちが夫婦であると納得することもあるだろうが、宏の精神性だと何年かかるか分かったものではない。
が、逆に宏を性的な方向でその気にさせるのも、単に式を挙げた程度では難しそうな気はする。
結婚式などせいぜい、女性側から迫る口実に使えるぐらいのものでしかない。
「いろいろ納得しました。ちゃんとできるかどうかはともかく、努力はします。絶対に満たしておくべき条件を教えてください」
「はい。とはいえ、最初からすべてを満たせるわけではないでしょうから、最終的に儀式としてすべてを完結させることができればいい、というぐらいの気持ちで臨んでください。極端な話、接続が途絶えた後に春菜殿の神気でエアリスの中からわたくしの神気を一掃できればいいのですから、最悪裸で抱き合うだけでもそれなりの効果はあるはずです」
そう前置きをして、春菜にやるべきことを説明するアルフェミナ。
来年ごろには瓜二つと呼べるようになるだろう、というぐらいエアリスそっくりのアルフェミナに生々しい話をされ、どうにも妙な気分になりながら将来のために一言漏らさず頭の中に叩きこむ春菜であった。
「……春姉、どうしたの?」
「ちょっと、アルフェミナ様から面倒な話をもらってきてね~……」
「アルフェミナ様の話が面倒なのは、今に始まったことじゃない」
「まあ、そうなんだけど……」
その日の夜、神の城。
数日後に迫ったエアリスの誕生日について話し合いを終え、温泉につかりながら疲れのにじんだため息をつく春菜。
そんな春菜を、澪が心底心配そうに気遣う。
「ん~……。澪ちゃんも当事者だから、一応説明しておいた方がいいのかな? でも、ここで説明すると、宏君に筒抜けになるかあ~……」
「師匠に知られちゃうと、問題があるの?」
「あると言えばあるし、無いと言えば無いかなって感じの内容。ただ、伝わり方によっては、エルちゃんがすごく可哀想なことになるから……」
「……何となく、察した。後で、地球の春姉の部屋で聞く」
「うん。お風呂あがってから、そっちで説明するよ。アルチェムさんは確か、エルちゃんの誕生日当日までここの世界樹から動けないんだっけ?」
「ん」
「となると、エルちゃん本人には……。誕生日終わってからでいいかな。せっかく宏君とゆっくりできる機会なのに、邪魔しちゃ悪いし」
「せっかくの誕生日だし、ボク達は当日出席できないし、それぐらいの役得はあってもいいと思う」
春菜の結論に同意する澪。
レグナス王やレイオット、さらには祝賀会の担当者などとも話し合った結果、あえて特別扱いせずに去年までと同じ流れで進めることにしたのだ。
威厳のなさを衆目にさらしたくない宏と、そんな宏を強引に参加させて、第三者が何か粗相をして神罰を誘発するのを避けたかったファーレーン側との、日和見と保身による妥協の産物である。
平日なので仕事や学校を休むのはちょっと、という事情も、少しぐらいは考慮されている。
もっとも、すでに入試が終わって自主登校の澪や一日ぐらい講義に出なくても影響がない真琴に関しては、あまり必要のない配慮ではあるのだが。
「そういえば春姉、ちょっと気になってたんだけど……」
「何?」
「高三の四月の時の写真と比べて今の、もっと正確に言うと日本に戻ってきてからの春姉って確実におっぱい大きいけど、権能使っていじった?」
「わざわざいじってないけど、サイズが大きくなってたのはそうなんだよね。心当たりがなくはないけど」
「あるの?」
「うん。達也さんと真琴さん生き返らせた後、反動でひどい目にあってた時にね。顔と全体的な体形はどうにか維持したんだけど、胸とかお尻とかはちょっと雑になったみたいで、一番太ってた時のサイズが基準になっちゃったっぽくて……」
「そういえば春姉は、基本太るときは胸に腹の倍以上脂肪がつく体質だった……」
春菜の言葉に、思わず遠い目をしながらそうつぶやく澪。
もっとも、ここ三年過剰摂取したカロリーが胸にしかついていない感じの澪が、春菜のそのあたりの体質をどうこう言う資格はないのだが。
「ブラに入らないから普段は意識してサイズを落として合わせてるんだけど、お風呂とかで油断すると……」
「そういう事ができるあたり、やっぱり春姉も神様だって思う」
「こんなことでそういう実感を持たれてもね……」
妙なことでやたら感心して見せる澪に、さらに疲れたようにぼやく春菜。
なお、大きくなったと言ってもワンサイズ。圧倒的にとまではいわないが、まだアルチェムのほうが大きい。
「今思ったけど、春姉とエッチする場合、脱がした直後とピークとでおっぱいの大きさが変わる可能性が……?」
「言われるまでそんなこと、考えたこともなかったよ……」
「感じてくるとおっぱいが膨らむヒロインとか、凄いエロゲっぽい」
「言わないで……」
「ねえ、春姉。すごく興味があるから、一度本番で試させて」
やたらと目を輝かせて、そんなひどいことを言い出す澪。
恐らくいつもの口だけ番長的なネタなのだろうが、あまりにタイムリーな話題に思わず真顔になって黙り込んでしまう春菜。
「……春姉、なんでそんなにマジな顔?」
「ああ、うん。なんというか、凄いタイムリーなネタだったもんだから……」
「……えっ?」
「詳しくは、お風呂あがった後、日本に戻ってから説明するよ」
そう言って、話を切り上げるべく湯船から出ていく春菜。
その後を追いつつ、何となく嫌な予感を覚えずにはいられない澪。
その後、藤堂家で春菜から説明されたいろいろひどい内容に、
「……えっ? それ何てエロゲ?」
「うん、澪ちゃんだったらそう言うと思ったよ」
「……ねえ、春姉。それ、ガチの話?」
「うん」
どうやら罰が当たったらしいと遠い目をしてしまう澪であった。
アルフェミナ様が先送りにしたがるレベルの内容が、他に思いつかなかった件について。
なんかこう、このあたりの条件とかルールは同じなのに、こういう問題が出ていないせいか地球の神々が色々と軽く見える不思議。
天照様がああなるようなフェアクロの日本の風潮が一番悪いんだ、という事にしておこう(待て
なお、先にネタバレしておくと、結局春菜さんも宏と似たもの夫婦なので、言われて儀式として踏ん切りつけようとしたものの、いざというときにヘタレて結局やらず仕舞いというのが最終話時点での落ちだったりします。
アルフェミナ様が二度も三度も二百年我慢できるのかと言ってたこと自体が特大のフラグだったわけでして……。





