第55話
「いらっしゃい、エルちゃん」
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
もはやエアリスを招くことが恒例となった感がある、礼宮庭園の花火大会の日。
エアリスは、朝から手土産と書類を持って藤堂家を訪れていた。
「えっと、アルチェムさんは?」
「世界樹関連で少し用事があるそうで、お昼前にこちらに来るとのことです」
「了解」
アルチェムの予定を聞き、納得してうなずく春菜。
アルチェムがこういうことで後から合流になるのは、珍しい話ではない。
「そういえば、ミオ様は本日は?」
「未来さんに呼ばれてて、向こうで合流になるよ。ちなみに、真琴さんは久しぶりに祭りの屋台とか堪能したいからって、すでに一人で出かけちゃってる」
「そうですか」
ここに出入りする他の女性陣の動向を聞き、なるほどとうなずくエアリス。
なお、詩織はいつも基本的に達也とワンセット、宏は今回着付けが絡むのが分かっているため、こういう日は藤堂家に近寄らない。
「それで、エルちゃん。その書類は何かな?」
「皆様に検討してほしい案件です」
「私たちが?」
「はい。ファムさんたちが、そろそろ新しく人を雇ってほしいと」
「あ~……」
エアリスに言われ、思わず納得の声を上げる春菜。
ジノ達を雇ってから、すでに三年以上だ。
成功率や品質に目をつぶれば、ファムたちはすでに二級のポーション製造に成功しているし、ジノ達はそろそろ五級がメインである。
他の生産カテゴリーも似たようなレベルで、もはや料理と裁縫、それから特殊事情で強化された錬金術以外は、春菜よりファムたちのほうが上と断言できるレベルである。
いい加減、後輩を作ってやらないといけないだろう。
なお、今でも春菜は自分の霊布製の下着を作っていることもあって、裁縫はまだファムたちには追いつかれていない。
むしろ、未来からデザインやら特殊縫製やらを学んで超本気の勝負下着を作っている分、技量を引き離しにかかっている面がある。
「ってことは、その書類は履歴書か何か?」
「そんな感じです」
「インスタントラーメン工場の時は人材がネタ切れだって言ってたと思うけど、今回は大丈夫だったの?」
「あの時と違って、皆様に推薦する人材はファーレーン国内にこだわる必要はありませんでしたから」
ウルスのインスタントラーメン工場稼働の際にあったことを思い出し、春菜とエアリスが微妙な感じの笑顔を浮かべながらそんな話をする。
宏たちはかつてレイオットに頼まれ、達也を中心にインスタントラーメン工場の採用試験を作ったことがあった。
その時は、春菜は試験そのものに関して直接的に何かをすることはなかったが、それでもなかなかドタバタしたのは覚えている。
その後、日本に帰るまではちょくちょく顔を出してはアドバイスなどをしていたが、日本に帰ってきてからはインスタントラーメン工場に行く機会が無くなったので、宏たちは現在どうなっているかを把握していない。
「まあ、うちは小規模な個人経営の工房だし、あそこまでかっちり採用試験をするつもりはないけどね」
「ヒロシ様の下で働く場合、前歴や経験はあまり関係ありませんしね」
そこまでするのは面倒くさい、という気持ちを隠そうともしない春菜に対し、苦笑しつつそんな感想を告げるエアリス。
現実問題として、作業内容には日本の常識もフェアクロ世界の常識もほとんど通じないのがアズマ工房だ。
他の工房で働いた経験などほとんど役に立たないし、逆に一度も働いたことがなくても大して問題にならない。
「正直な話、私はファムちゃんたちが好きに決めていいと思ってるんだけど、そういうわけにもいかないんだよね?」
「はい。最低限、ヒロシ様とハルナ様にちゃんと確認をしていただいた上での許可がないと……」
「責任者っていうのはそういうものだって分かってはいるけど、いろいろ面倒だよね……」
そういって、深くため息をつく春菜。
別に責任を取るのが嫌だというつもりは一切ないが、もはやアズマ工房の運営は春菜たちの手を完全に離れている。
できることなら、口を挟むのは手に負えない問題が出てきた時だけにしたい。
「とりあえず、すぐってわけじゃないんだよね?」
「はい」
「だったら、日を見て向こうに行くから、その時に面接をやるよ」
「お願いします」
「じゃ、着付け……はまだ早いから、ちょっとお茶でもしよう。相談したい、というか、エルちゃんに頼みたいこともあるし」
「頼みたいこと、ですか?」
「うん」
今考えても仕方がないことを棚上げして、とりあえず相談事に話を移す春菜。
その春菜の話題転換に、小さく首をかしげるエアリス。
「うん。ライムちゃんのことで、エレーナ様にちょっとお願いしたいことがあるんだ」
「……ああ、そういう事ですか」
エレーナの名前を聞いた時点で、春菜の思惑を察するエアリス。
とはいえ、思い違いがあってはいけないので、念のために何を頼みたいのかを確認する。
「ハルナ様。お姉さまに頼みたいことというのは、ヒロシ様とライムさんのこと、でよろしいのでしょうか?」
「うん。私やエルちゃんだとこじれるだろうし、美優おばさんにも叱られた上でアドバイスをもらったんだよね」
「叱られた、ですか?」
「うん。ライムちゃんの恋愛感情について、今の段階で私たちが四の五の言うな、ってね」
「……」
ぐうの音も出ないほどの正論に、思わず申し訳なさそうにうつむいてしまうエアリス。
そのエアリスの様子に苦い笑みを浮かべながら、春菜は美優から告げられたことをそのまま話し始める。
「おばさんは、宏君に対してはこれまでのことも踏まえて否定的なスタンスで話をしたらしいんだけど、基本的には恋愛感情を持つこと自体はむしろ推奨すべき、って考えみたいでね」
「……そうですね。私の場合、ライムさんの気持ちを否定するのは自分の過去を否定するのと同じですし……」
「そのあたりは横に置いておくとして、ライムちゃんに関しては、恋愛感情云々とかそれが成就するかどうかとか、そういうところが問題じゃないんじゃないかって言われたんだ」
「と、言いますと……?」
「ライムちゃんは、ちょっと生き急ぎすぎてるんじゃないか、って指摘されてね……」
「あっ……」
春菜の言葉に、小さく声を上げてしまうエアリス。
ライムの成長は目を見張るものがあるが、それは裏を返せば子供である時間がどんどん短くなっているということでもある。
エアリスたちが恋愛的な意味で脅威を感じた原因でもあるが、そういう要素を横においても、そのままにしておいていいのかという点は不安がある。
「それで、生き急いでもあんまりいいことはないってことをライムちゃんに納得してもらわなきゃいけないんだけど、今回に限っては、私とかエルちゃんが言ってもダメだから……」
「それで、エレーナお姉さま、ですか」
「うん。ライムちゃんが信頼してる年長者で、この件に関してできるだけ中立で、可能であれば出産経験のある女の人にお願いすること、ってアドバイスをもらったんだ」
「あの、その条件だと、お母様のほうが適任なのではないでしょうか?」
「王妃様にお願いするのも考えたんだけど、今度は逆に、私たちのほうで接点が少ないから……」
「ああ……」
春菜の言葉に、そういえばそうだったとうなずくエアリス。
何となく暗黙の了解でアズマ工房との交渉役が国王もしくは王位継承者と決まってしまっていることもあり、アヴィンとプレセアのような特殊事例を除けば、意外と王妃や王配との接点はなかったりするのだ。
「そういう訳だから、エレーナ様にお願いしたいんだ」
「分かりました。お姉さまに伝えておきます」
「うん、お願いね。あと、王家にだけお願いするのもなんだから、詩織さんにも頼んであるんだ」
「なるほど。確かにシオリ様なら、大人の女性として説得力があります」
春菜の言葉に、心の底から納得するエアリス。
雰囲気や肌の張りなどの影響で見た目の年は春菜と大差なく見える詩織だが、大人の女性としての包容力という点では、春菜やエアリスがどう逆立ちしても太刀打ちできない。
「……最近ね」
「はい」
「結局、大人になろうが女神になろうが、大して変わらないなって思うんだ」
「……そういう話をすると、私なんて聖女だと持ち上げられても、実態は身近な方の悩みも受け止められない、単なる小娘にすぎません……」
お互いに思うところを愚痴っぽくこぼし、同時にため息を漏らす春菜とエアリス。
どれだけ濃い人生経験を積んでいようと、どれだけ多くの修羅場をくぐっていようと、二人ともまだ二十歳にもなっていない小娘だ。
経験の幅という面ではどうしても偏ってしまうこともあり、王妃たちや美優などに比べると未熟な面も多い。
こればかりは積極的に様々なことにチャレンジして、いろんなことに対する場数を踏む以外にない。
「……せっかくのお祭りなんだし、へこむのはこれぐらいにしておこうか」
「そうですね」
春菜の提案を受け、とりあえずさっさと気持ちを切り替えるエアリス。
そのままリビングでお茶を飲みながら、面接やエレーナに対するお願いの段取り、今日の浴衣の柄などについての話で盛り上がる春菜とエアリスであった。
「なるほどなあ。それで詩織とエレーナ様か」
「ちょうどいい人選なんじゃない?」
その日の夜。礼宮邸のいつもの花火大会観覧席。
合流した達也と真琴が、春菜とエアリスの話を聞いていろいろ納得したように言う。
なお、宏は現在天音と何やら話し込んでおり、アルチェムは到着してすぐに未来に拉致されて澪ともどもまだ出てきていない。
菫は現在お昼寝中で、詩織がすぐに対処できる位置でゆりかごに入ってぐっすり眠っている。
「でも、私ここ一年半ほど、あまり向こうに行ってないんだよね~。そんなので、ライムちゃんがちゃんと話を聞いてくれるのかな?」
「当事者じゃない分、春菜達よりは話が通じると思うぞ」
「そうそう。こういうのは、全員と親しくてかつ傍観者に近い人間のほうがこじれなくて済むことも多いし」
不安そうにする詩織に対し、達也と真琴が安心させるようにそう告げる。
実際の話、達也は営業先で似たような話を腐るほど聞いているし、真琴もネットの海に入り浸っているときにあっちこっちの掲示板などで見ている。
所詮伝聞なのでかなり盛った話ではあろうが、類似事例が多いこと自体は間違いではなかろう。
無論、逆の事例も同じぐらい多いのは言うまでもないが、そこはもうお互いをどれだけ理解し信頼関係を築いているかによる部分だ。
こればかりはもう、それまでの自分たちを信じるしかない。
「でも、詩織さんが行くのはいいとして、菫はどうするの?」
「それがちょっと悩ましいところなんだよね」
「菫さんに関しましては、ライムさんと話をするぐらいの間ならばアレックスと共にお姉さまの侍女に面倒を見てもらうことも可能かと」
「それも考えたんだけど、菫ちゃんを向こうに連れていくかどうかがね」
真琴の疑問に対するエアリスの提案に、一番悩ましいと思っている部分を口にする春菜。
生まれた時からすでに手遅れ感が漂っていたとはいえ、あまり頻繁に向こうへ連れて行くのはためらいがある。
「ねえ、春姉。そこはむしろ、何度も連れて行ってなじませるという手も」
「あっ、澪ちゃん。やっと終わった……」
ようやく未来から解放されたらしく、唐突に澪が話に割り込んでくる。
その言葉に返事をしようと振り返り、澪の姿を見て固まる春菜。釣られて視線を向けたほかのメンバーも凍り付く。
それもそのはずで、本日の澪はすさまじく「攻めた」デザインの浴衣を着こなし、非常に妖艶な色気を振りまいていたのだ。
と言っても、よくある和服のエロ系キャラのように故意に着崩して胸の谷間と北半球を露出させて、というようなデザインではない。
裾こそ浴衣としては短めではあるが、そこまで露出もなく、色っぽくはあるが下品さはない。
が、澪のメリハリの利いたボディラインをうまく強調しつつ、浴衣としての印象や特有の魅力を損なわないデザインにより、下手に着崩すより色気やエロスが増幅されている。
胸以外は全体的に和風な容姿をしている澪の魅力を、いけない方向に最大限引き出したと言い切れる浴衣だと言えよう。
そんな実験要素満載の「攻めた」浴衣を堂々と着こなしながらも、どことなく恥ずかしそうに頬を染めているのがより妖艶さを増幅しているのだが、恐らく本人は気が付いていないのは間違いない。
澪の姿でこんなふうに絶句する羽目になるのは、中学の制服とスクール水着に次いで三度目。
だが、今回は超一流のデザイナーがただただひたすら澪の魅力を増幅するためだけに、その実力をフルに生かし全力投球した結果だ。
これまでのありあわせを組み合わせたものとは、破壊力がケタ違いである。
もっとも、ここまでやってなお、ダールの時に色ボケした春菜のエロさと互角なのだから、春菜のポテンシャルは底知れないものがある。
「……みっちゃん、ちょっとやりすぎだったんじゃない?」
「……だって、こうでもしないと春菜ちゃんの服を本気で作らせてくれないんですもの」
「だって」
春菜たちが絶句しているところに、どことなく遠い目をしている美優と明らかに肌がつやつやしている未来が顔を出す。
その未来の言い分を聞いて、真っ先に復活した達也が突っ込みを入れる。
「春菜の危機感を煽りたいってのは分からんでもないですが、さすがにこれはやりすぎじゃないですか? 間違って外に出たら、冗談抜きで澪の身が危ない」
「分かっていますわ。私だって、こんなに美人できれいで可愛くて妖艶で色っぽい澪ちゃんを、全く縁もゆかりもない方々の目にさらそうとは思いませんもの」
「だったら……」
「でも、私はファッションというのは、三つの種類があると思っていますの」
達也の突っ込みに対して、未来がそんな風にいまいちつながりが分からないことを言いだす。
未来が何を言いたいのかわからず怪訝な顔をする達也。
その様子を気にするそぶりも見せず、未来はそのまま持論を語り続ける。
常日頃から、割とこういう感じでペースを握られてしまうこともあり、我に返った春菜たちが何処か諦めた顔で未来の持論を聞く。
「一つ目は、日頃の仕事や初対面の相手と会うときなどに着る、礼装とまではいわずとも礼儀として大体の型が決まっているファッション。これはほぼ選択の余地はなく、状況にあっていて失礼にならなければそれでいいというものです」
「最近は、変に尖った連中がそういうのを無視する俺、かっこいい、みたいな感じで空気読めない格好で仕事してたりするけどね」
「逆に、駆け引きの一環としてわざとそういう服装で出ていくケースもあるよ?」
未来が語った一つ目のファッション。その内容に思うところがあったか、真琴と春菜がそんなことを口にする。
別に何でもかんでも無条件に伝統やしきたりに合わせればいいとは思っていないが、駆け引きや変革の必要があるわけでもないのに反発したいというだけで無視をするのは、それはそれでどうかという感じである。
そもそも、反発するにしても効果的なやり方というのがあるので、そこを考えずに気持ちだけで突っ走って独りよがりな真似をするのは、本人の意識とは逆に周囲から見ると格好悪く見えるのが世の中というものだろう。
「未来さん、二つ目は何?」
「二つ目は自分の満足のために自身を飾り立て、自己顕示を主眼としたファッション。斬新さに容姿との調和、その時代の美意識などと一定以上の水準でマッチすれば流行となります。一般的にファッションと呼ばれるものは、大抵これを指すでしょう」
「未来さんのお仕事は、基本的に二番目なんですよね?」
「ええ、そうなります。実際には一番目と二番目のすり合わせを行うのも、私達デザイナーの重要な仕事ですが」
澪に促され、本来の自分の仕事を二番目のファッションという形で説明し、詩織の質問に補足を入れる未来。
いわゆる制服やフォーマルな衣装、それも特にスーツなどは定型から大きく外れられないため意識されることは少ないが、その制約を守りながら新しいデザインをするのもデザイナーの重要な仕事である。
「……私は立場上、一番目のカテゴリーに入る服装かお忍びで浮かないようにすること以外考慮していない服装しかしたことがありませんが、ファッションというのもなかなか奥が深いものなのですね……」
「正直、私みたいに人界から隔離されたど田舎で農業をして生きてきた女には、難しすぎてついていけません……」
「私も、立ち位置が違うだけで一般社会から隔離されてきたというのは一緒ですから、アルチェムさんとそんなに大きく変わりません……」
奥が深すぎてついていけないファッションがらみの話に、後ろのほうで空気になっていたエアリスとアルチェムが、そんな風にどこか恐れおののく感じで言い合う。
「ん。エルの場合、そもそも服を選ぶ自由すら、割と最近まで存在しなかった」
「いえ、全くなかったわけではなく、好みぐらいは告げてもよかったのですが……」
そこに、エアリスのセンスが育たなかった根本的な原因を澪が突っ込む。
澪の突っ込みを、遠い目をしながら否定するエアリス。
残念ながらカタリナの乱が完全に終息するまで、エアリスは己の好みを口にするという習慣が一切なかった。
非常に幼いころは食事にしても服装にしても、一応好みは言っていた。が、カタリナの陰謀でわがままな悪役にされていたこともあり、しつけの名のもとにありとあらゆる好みは否定されてきた。
そのため、宏たちのもとに来るまでは、そもそも好みを言う、選ぶ、という行動自体を半ば忘れていたのだ。
なお、アルチェムは服装に関しては、エアリスとは違う意味で選択の余地がほとんどなかったのだが、これに関しては言わなくても分かることなのであえて誰も触れない。
「そんなこと言ってる澪自身も、ファッションに手を出せるようになったのって向こうに行ってからだろ?」
「それは否定しないけど、ボクの場合は資料だけはいくらでも」
「その資料とやらが、いまいち活かされてない感じなんだが?」
「うっ……」
人のことは言えないだろう、という達也の突っ込みに、思わず答えに詰まる澪。
動けるようになってからこっち、常に自分の体形にコンプレックスを持っている澪は、どうにも自信を持てないこともあってかあまり積極的にファッションを楽しもうとしないところがある。
「みっちゃん、みっちゃん。話がそれてるっていうか、割と最初の段階から何を言いたいのか分からないよ」
「大丈夫です。次の三つ目が本題ですから」
明らかにかつあからさまに話がずれだしたことに美優が突っ込んだところで、未来がようやく澪をこんなヤバげな方向に着飾らせた理由に触れる。
「私が考えている三つ目のファッションは、特定の誰かに見せるためだけのもの。私は今回の澪ちゃんの浴衣を、東君と春菜ちゃんに見せるためだけに作りましたの」
「えっと、宏君は分からなくもないけど、私に見せるっていうのは……?」
「そろそろ、春菜ちゃんも東君のためだけに着る勝負服を模索する、その時期に来ていると思います。でも、春菜ちゃんに話を持ち掛けても、すぐに逃げちゃいますから……」
「……うっ、ごめんなさい……」
「春菜ちゃんは神衣だけで十分だと思っているかもしれませんけど、前に見せてもらった印象でいうならば、あれは完全に一番目のファッションに分類できるものです。東君だけのために着る服にはなりえません」
未来の指摘に、ぐうの音も出ない春菜。
威力がありすぎで現状では宏ぐらいにしか見せられないとはいえ、神衣は神としての制服のようなものだ。
いくら一番似合う服のカテゴリーに入ったところで、あれは恋愛方面での勝負服にはなりえない。
また、ストーカー先輩などの事情もあって、春菜が本気でおしゃれをする、ということから逃げ回ってきたのも事実だ。
今更逃げる必要などないとはいえ、すっかり苦手意識が付いてしまっているのである。
なお、言うまでもないことかもしれないが、ここまでのファッションの定義はあくまで未来個人の考えであり、また、それぞれを明確に区別できるわけでもない。
「とはいえ、今まで避けようとしていたぐらい苦手意識があるのに、いきなり一足飛びに進めてもうまくいかないでしょうから、まずはそれほど遠くない時期のことから考えましょう」
「遠くない時期?」
「ええ。春菜ちゃん、成人式はどうします?」
「あっ」
未来に言われ、思わず小さく声を上げる春菜。
最近いろいろあって忘れていたが、年が明ければ宏も春菜も成人式である。
まだ夏休みだといっても、もう八月半ば。正味で言えば四カ月を切っている。
未来が張り切っている時点で十中八九オーダーメイド品になるので、振袖にするならそろそろタイムリミットである。
「ちなみに、おばさんか未来さんは、宏君が成人式どうするか聞いてる?」
「それは前の飲み会の時にちょっと聞いた。リハビリもかねて出席はしたい、って言ってたから、だったら羽織袴でって勧めておいたよ。ちなみに、一応東家にも家紋があるらしいけど、東君の場合は立場的にも本質に合わせた新しいのを作った方がいいんじゃないか、とは思ってる」
春菜の問いに、美優がそう答える。
前回の飲み会で、宏と美優はある程度踏み込んだ話ができる間柄になっているのだ。
「宏君が参加するなら、私も参加だね。羽織袴だったら、自動的に振袖になるかな」
「春姉、蓉子さんや美香さんにも話を通して、同窓会にしたら?」
「参加するって言ったら、自動的にそうなると思うよ、多分」
後で合流する予定の蓉子たちに成人式の件で連絡しつつ、澪に対してそう答える春菜。
地元に帰ってきての成人式なんて、基本的に同窓会的な企画とセットになるものである。
「で、それた話からさらにそれてる気がするんだけど、元の話って何だったかしら?」
「詩織さんにライムちゃんと話してもらう間、菫ちゃんをどうしようかっていう話」
「あっ、そうだったそうだった。で、結局どうするの? 向こうに連れていく?」
話を元に戻したついでに、どうするつもりなのかを確認する真琴。
「話がそれちゃったのもあって、まだちょっと決められないというか、踏ん切りがつかないよ」
「まあ、そうよね」
「そんなに何回も向こうに連れて行って大丈夫なのか、将来的な意味で判断しづらいのがね~……」
「保護者である達也と詩織さんはどう考えてるのよ?」
春菜にばかり決断を押し付ける話でもないと考え、保護者でありもう一方の当事者でもある達也と詩織にも話を振る真琴。
真琴から振られて目と目で通じ合ったところで、達也が代表して考えを告げる。
「できることなら必要以上に向こうに連れて行くのは避けたいが、今回はそこそこの時間になりそうだからな。連れて行っておいたほうがいいだろう」
「なんかこう、いろいろとごめんね」
「タツヤ様、シオリ様、ご面倒をおかけします……」
「戻ってから、割と達兄と詩織姉に助けてもらってばかり……」
「ハルナさんやエル様はまだしも、私はあまりお返しできることがないのが心苦しいです……」
達也の決断に、申し訳なさそうに頭を下げる春菜たち。
そんな春菜たちに、苦笑しながら小さくうなずく達也。
「いいっていいって。ただ、菫の今後のことについては、ちょっと注意してほしい」
「分かってるよ。といっても、どう注意すればいいか、っていうのが難しいんだけど……」
「だろうなあ……」
達也にとって最重要ともいえる要求に対し、悩ましい表情でそう答える春菜。
その春菜に対し、美優が助け舟を出す。
「多分、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「あの、ミユウ様。私が聞く限りでは、日本では魔法とか精霊とかヒューマン種以外の種族とか、そういったものが実在すると口にする方への当たりが非常にきついようなのですが、本当に大丈夫なのでしょうか?」
「大人の世界ではそうなんだけど、子供が言う分には割とどうとでもなるんだよ。理由はいろいろあるけど、なんだかんだ言って三歳から四歳ぐらいの子供って、かなりの割合でそういうのが見えてるっていうのが大きいんだよね」
「えっ? そうなの?」
いきなり大丈夫と言い出した美優に対するエアリスの疑問、その答えに思わず素でそんな風に声を上げてしまう春菜。
七歳までは神の子とはよく言うが、さすがにそこまでとは思ってもみなかったようだ。
「子供がよく妖精さん見つけた、とか、怖いのがこっち見てる、とか言うの、実は結構な割合で実際にいるんだよ。まあ、菫ちゃんみたいに精霊を捕まえて従属させるなんてやんちゃできるほどの子は、さすがにめったにいないけど」
「それは知らなかったけど、だからって大丈夫ってことにはならないんじゃ……」
「要するに、それぐらいまでは見えたとか居るとか言っちゃう子は珍しくないから、別に気にする必要はないってこと。まあ、大部分の子は小学校に上がるまでに見えなくなって、不思議と見えてたこと自体を忘れちゃうんだけど」
事実を知ってなお不安そうな春菜に対し、三歳四歳で見えていると何が大丈夫か、という理屈を説明する美優。
その理屈に春菜が何か言うより早く、澪が鋭い指摘を叩き込む。
「ねえ、美優さん。それだと、小学校に上がってからはごまかしきかない?」
「そのあたりは最悪、うちである程度フォローする予定はあるから、あんまり深く考える必要はないよ」
澪の指摘に、やっぱりそこは気になるかと苦笑しつつ、そのあたりの準備はしてあることを告げる美優。
それに対してさらに何か言いかけたところで、
「……あう~! うぎゅ~!」
ぐっすり眠っていたはずの菫が起きて、大声で泣き始める。
「あ~、ごめんね菫ちゃん、ちょっと待ってね~」
親を探して一生懸命泣き続ける菫を、大慌てであやす詩織。
「ちょっとおむつ替えてくるね」
「何か手伝えることある?」
「大丈夫」
春菜の申し出をやんわりと断って、別室に移動する詩織。
「なんや、あわただしい感じやなあ」
「あっ、宏君。ちょっと菫ちゃんが起きちゃって」
「なるほどなあ」
そこに宏が来たことで、話がうやむやのまま終わってしまう。
「あの、ヒロシさん……」
「なんや?」
「ミオさんがこっち見てって感じで必死にアピールしてるんですけど……」
「僕の本能が訴えかけとる。今あれを見たら死ぬ……」
「死ぬって、そんな大げさ……でもないかもしれませんね考えてみたら……」
その後、どうにかして宏に直視してほしい澪と、生存本能の問題で徹底的に直視を避けようとする宏との勝負が花火開始直前まで続き、最終的に澪がお色直しをすることによりいろんな意味で何もかもが先送りになるのであった。
「赤ちゃん、かわいかったです」
数日後、エレーナの屋敷であるライゼフェルド公爵家。エレーナと詩織に誘われてのお茶会の席。
先ほどまで仲よく遊んでいた子供たちの姿を思い出し、相好を崩しながらライムが言う。
ライムを呼ぶ口実にもできてちょうどいいからと、今日のお茶会はエレーナの息子アレックスと菫の顔合わせをメインにしたのだ。
なお、先ほどまではファムもいたのだが、何かを察したようで一通り子供たちと遊んでから仕事を口実に急ぎ足で帰ってしまっている。
ライムも姉がすぐに帰ろうとしたのを見て一緒に帰りかけたが、二人そろってお茶も飲まずに帰るのは失礼だからとファムにたしなめられたのだ。
「動き回るようになってから、今まで以上に目を離せなくなってちょっと大変だけどね」
「油断すると、びっくりするようなことをしますからね~」
「本当にねえ」
子育ての大変さを、実に嬉しそうに語り合うエレーナと詩織。
子育てが大変だというのは本音だが、それ以上に自分が腹を痛めて産んだ子供が健やかに育っていくさまがうれしい。
そんな気持ちがしぐさや表情に出ており、二人してすっかり母親の顔になっていた。
「……いいなあ……」
「さすがに、ライムにはまだ早いわね」
「分かってます。……早く大人になりたいなあ……」
すさまじく切実そうにそうつぶやき、ため息を一つつくライム。
そのなかなかにただならぬ様子を見て、どうしたものかと顔を見合わせるエレーナと詩織。
少しの沈黙の後、エレーナがライムに問いかける。
「……どうしたの?」
「……」
エレーナの漠然とした問いかけに、何かを言いかけて再び黙り込むライム。
エレーナが何を聞こうとしているのかは分かっているが、どう言えばいいのか、そもそもそれを言ってしまっていいのか分からないのだ。
「必要ならネタばらししてくれてもいいって言われてるから言ってしまうけど、実はファムからもライムが何かに悩んでいるから相談に乗ってあげてほしい、って言われてるの」
「お姉ちゃんから……?」
「ええ。まあ、ファムもライムが何に悩んでいるかは大体察しているみたいだけど、ね」
エレーナからのネタばらしに、思わず呆然とした表情を浮かべるライム。
察しの良いファムのことだから気が付いているとは思っていたが、裏でそんな段取りをさせるほど心配をかけていたとは思わなかったのだ。
なお、ファムについてもそれなりに周囲の大人たちは心配しているのだが、もはや本人が完全にものづくりの沼地にはまり込んでしまっていてどうにもならない感じである。
恋愛方面と違ってモノづくり方面はうかつなことを言うと宏の存在を否定しかねない上に、最近では新素材に対するファムの反応が完全に女版宏という感じなので、もはや手遅れなのではと達観せざるを得ないのだ。
「実は、私もファムちゃんに頼まれたんだよね」
「シオリお姉ちゃんも?」
「うん。だから、まずはライムちゃんの悩みを教えて。何を聞いても怒りはしないから」
姉によって、最初からある程度お膳立てされている。そのことを知ったライムが、観念したように悩みを口にする。
「私、ハルナお姉ちゃんたちみたいに、親方のお嫁さんになりたいんです。でも、表立って話したことはないけど、お姉ちゃんたちが嫌がってるのも分かってるし、テレスお姉ちゃんやノーラお姉ちゃんもまだ子供だからって本気にしてくれないし……」
「……まあ、そうだろうとは思っていたわ。そもそも、エアリスだってヒロシを本気で愛してしまったのは、今のライムとそう変わらない年だったわけだし」
「テレスちゃんやノーラちゃんの反応は、よくある大人と子供の感覚のずれかなあ。やっぱり、子供にしか分からないことも子供には分からないこともあるから」
「後、ハルナ達がよく思わないのは当然ね。どっちが主な要因かはともかく、ライバルが増える上に親子か兄妹で結婚しようとしているようにも見えるもの」
「春菜ちゃんたちも複雑ですよね~」
「本当にねえ」
ライムの悩みに対し、特に驚くでも怒るでもなく、それぐらい分かっていましたとばかりに思っていることを告げるエレーナと詩織。
その反応を不自然だと思ったのか、ライムが詩織に疑問をぶつける。
「シオリお姉ちゃんは、ハルナお姉ちゃんから何も聞いてないの?」
「そりゃまあ、当然いろいろ聞いてるよ~。ただ、春菜ちゃんたちも宏君が絡むと冷静じゃなくなるから、話半分で保留にしてたんだよね~」
「えっと、ダメって言わないの?」
「今の時点でどうこう言うのは野暮だもの。何か言っていいとするならば、宏君が女性を受け入れられるようになるまで頑張った春菜ちゃんか、宏君本人だけだよ」
ライムの疑問に、あっさりそう答える詩織。その隣では、エレーナも真顔でうなずいている。
「ただ、好きになることに対しては何も言わないけど、焦って成就させようとしたり既成事実を作ろうとしたりは、さすがに怒るわよ?」
「……それ、私がまだ子供だからですか?」
「ええ。もっと正確に言うなら、無理に子供をやめようとするから、ね」
「えっ?」
エレーナの言わんとすることが理解できず、首を傾げるライム。
そのライムに対し、唐突にエレーナが妙なことを言い始める。
「あのね、ライム。大人って、ものすごく長いのよ」
「あ~、それは思いますね~」
まだ二十代も折り返していないエレーナの言葉に、アラサーではあるが三十路には入っていない詩織がしみじみと同意する。
当然ながらそのあたりの感覚が分からないライムが、唐突にそんなことを言い出した年上二人に困惑の表情を向ける。
「ライムにはまだぴんと来ないかもしれないけど、一度大人になったら死ぬまで大人なのよ。ファーレーンでは十五歳で成人だけど、それから死ぬまで大体四十年から五十年、人によってはもっとかしら? それだけの時間、ずっと大人なの」
「ライムちゃんの場合、多分もっと長く大人をすることになるんじゃないですか? だって、宏君のお嫁さんになりたいんだし」
「ああ、確かにそうね。ヒロシに嫁ぎたいのであれば、ヒューマン種の寿命ぐらいは克服しないと話にならないもの」
「仮に寿命が千年だとしたら、今までのライムちゃんの人生の約百倍?」
「千年で足りるのかしら?」
エレーナと詩織の会話、それも千年とか百倍という途方もない数字を聞いて、ようやく二人の言わんとしていることを理解するライム。
庇護の対象として力がなくても許される子供の時間というのは、一生涯の中ではそれほど長い期間ではない。
セミなどの例外はあるが、基本的にそうでなければ生存競争において不利になるのだから、比率として短いのは当然の話である。
「でも、それでも私、早く大人になりたい……」
「子供のころは、みんな早く大人になりたいと思うの。でも、大人になると、もっと子供で居たかったって思うようになるわ」
「……そうなんですか?」
「ええ。それに、あまりに子供であるべき時間を生き急いでしまうと、あとでそのしわ寄せが大きく出るのよ。エアリスなんて、子供らしくいられた時間がないに等しかったものだから、時々目も当てられないような状況になってることがあるわね」
「エル様が!?」
エレーナの言葉に、思わず驚きの声を上げるライム。
ライムからすれば、エアリスは憧れであり手本にしている人物の一人だ。
それがエレーナから見れば目も当てられない状況になっているというのだから、驚くなというほうが難しいだろう。
「そういえば、エルちゃんは遊んだり手を抜いたりするのが、ものすごく下手ですよね。遊んでいないわけではないんですけど、何をするにも必要以上に大掛かりになりがちというか……」
「自分で何か企画を立てる際にほどほどの規模にするとか手加減をするとか、そういうのがとにかく苦手みたいなのよね。なまじ権威があるものだから無理が通ってしまうのも、拍車をかけているわね」
「あと、体を動かして遊んだり、そういう企画を立てたりが苦手そうですよね」
「体力は十分なのに運動神経が壊滅的だから、余計にそういう傾向になっている感じがあるわね。そのあたりにしても、早くから神殿に隔離されて姫巫女として大人の仕事をしてきた弊害ではないかと思っているのよ」
身内だからこそわかる、エアリスの欠点。そのあたりを聞かされて目を丸くするライム。
その様子に、生き急ぐことの弊害がちゃんと伝わったとみて、今度は詩織がもう一つ大事なことを告げる。
「それに、ライムちゃんは大人にあこがれがあるかもしれないけど、大人なんて大したことはないんだよ~?」
「えっ?」
「うん。だって、大人って結局、体が大きくなってちょっと小賢しくなった子供にすぎないし、親だって結局はしわが増えた子供だもの」
子供に言うべきことなのかどうか、かなり微妙なことを言い出す詩織。
その援護をするように、エレーナが横から口をはさむ。
「まだ成長期のライムは一年あれば大違いだけど、私たちの年になるとね。残念ながら、一年後の自分ぐらいは大体想像がつくのよ。それを十回繰り返したところで、大したことはないなってね」
ライムにとってはるか未来のことを、自嘲気味に語るエレーナ。
詩織ともども、まだこういうことを語れるような年ではないのだが、それでもライムを見ているといろいろと思うところがあるらしい。
「ねえ、ライム。あまり急いで大人になろうとせずにね、子供でいられるうちに思いっきり遊んで、いろんなことをやらないとダメよ。子供の頃にやらなかったことってね、大人になってからだと結構やろうとしてもできないものだから」
「宏君も多分、そうやってちゃんと子供を経験して大人になった方が喜ぶだろうし、もしかしたらその方が攻略の糸口になるかもしれないよ」
「……親方が喜ぶって本当?」
詩織の言葉にわずかに食いつき、半信半疑といった体で聞き返すライム。
そのライムに対し、笑顔で頷く詩織。
攻略の糸口云々は誘導のための出まかせだが、子供らしい子供を目いっぱい経験してから大人になった方が、宏は間違いなく喜ぶ。
「今まで頑張ってきたから急には変えられないけど、私できるだけ背伸びするのやめます」
「うん、そうしたほうがいいよ」
「これからは、子供でいていい間だけでも、親方に素直に甘えるの」
そう言って穏やかに無邪気に、だがどこかしたたかさを感じさせる笑顔で微笑むライム。
ライムと宏たちの、数百年にわたる攻防。この時、それが本格的に始まるのであった。
澪と宏のやり取りは、恐らく傍目には非常にほほえましい感じになってるだろうなあ、というイメージ。
なお、澪の浴衣姿はソシャゲ界隈にいくらでも転がってそうな、あまり露出が多くない系統の浴衣ドレスをイメージしていただければ、大体あってます。
2月に2巻が発売されますN-STAR作品
「ウィザードプリンセス」
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もよろしくお願いします。





