第54話
今回、頑張る?編のはずなのに、春菜さんの出番がほとんどありません。
「なんか、今年は去年と違って、いろんな意味で何もないまま夏が終わりそうだよね」
「せやなあ」
夏も終わりが近づき、毎年恒例の花火大会が間近に迫ったある日のこと。
今年の夏は平穏に終わりそうだとフラグを立てている春菜と宏のもとに、一本の電話がかかってきた。
「宏君、電話なってるよ」
「あっ、僕か」
春菜に指摘され、慌てて携帯電話を取り出す宏。
普段滅多にかかってこないこともあり、完全に油断していたようだ。
「僕に電話っちゅうんも珍しいな。誰や?」
そう言いながら携帯電話を取り出して相手を確認すると、そこには「小川社長」の文字が。
「小川社長から? なんやろう?」
「宏君に直接って、珍しいね」
「せやな。……もしもし?」
春菜の言葉にうなずきながら、電話に出る宏。
電話から聞こえてきた声は、明らかに美優のものであった。
『もしもし、東君? 今大丈夫?』
『大丈夫ですけど、僕に直接とか、なんぞありました?』
『別にすごい用事って訳でもないし、この時間なら多分春菜ちゃんが一緒にいるだろうってのも分かってるんだけどさ。こういう用件は直接言うのが筋かなって』
『ほんまに、何があったんです?』
『いやいや、本当に大した用事じゃないから、そんなに身構えないで』
そんな美優の言葉に、ますます身構えてしまう宏。
特に嫌な予感がするとかそういうことはないのだが、このあたりはもはや条件反射である。
『それで、急な話で悪いんだけど、今夜空いてる?』
『特にこれっちゅうて用事はないんですけど、なんぞあるんですか?』
『さっきも言ったように、大した話じゃないよ。せっかくお酒解禁になったんだし、奢るから一度飲みにいかない? ってお誘い』
『……また、唐突ですね』
『今夜の予定が急に空いちゃってさ。いずれ誘うつもりだったんだけど、しばらく予定が読めないから、ダメもとで一応声だけはかけてみた』
美優が口にした理由に、とりあえず納得する宏。
何しろ、彼女は礼宮商事の社長で、次期かその次の会長が内定している上、それを誰にも反対させないだけの人望と実績を持ち合わせた人物である。
仕事などいくらでもある、世界で屈指のアポがとりづらい人物の一人だ。
こういう機会でもなければ、個人的な理由で誰かと会う時間を割くのは難しい立場なのは間違いない。
なお、これまでの宏や春菜に関係しているあれこれで動いている件は、すべて天音案件ということで話がついている。
『もうじき花火大会やから、その時やったらあかんかったんですか?』
『春菜ちゃんたちと楽しくやってるのを邪魔するのもね~』
『別に気にせんでもええのに……』
『いやいや。この歳になってそんな無粋な真似はしたくないって。で、どう?』
『まあ、せっかくのお誘いやし、喜んで行かせてもらいますわ』
『あんまり声が喜んでないけど、了解。受けてくれてありがとうね。とりあえず迎えよこすけど、東君の家か雪菜ちゃんの家、どっちに行かせればいい?』
『……ほな、春菜さんの家で』
『OK。あっ、一応念のためお願いしておくけど、今回は春菜ちゃんも溝口ちゃん達もちょっと遠慮してもらって。一度、君とサシで話したいから』
『分かりました。言うときますわ』
『うん。ごめんね。後、どっちかっていうとお酒メインだから、軽く食べておいてね。多分、東君の年だったら物足りないと思うから』
『了解です。ほな、また今夜に』
そういって、電話を切ってため息をつく宏。
別に美優が嫌いというわけではないのだが、正直少々気が重い。
そもそも好き嫌いを論じられるほど接点がないだけに、一対一で何を話せばいいのかが分からないのだ。
「多分、いろいろ聞こえとったと思うけど……」
「うん。晩御飯は野菜中心で軽めのものだね」
宏の言葉にうなずきながら、そう告げる春菜。
正直、今回に限っては美優が宏をどこに連れていくかに全く心当たりはないが、酒がメインと言っている時点で大した料理など出ないのは間違いない。
さらに言えば、酒のつまみというのは、それほど野菜料理は多くない。
手でつまめるものがメインになりがちな上、酒が九割という感じの店で飲む場合、調理設備自体が大したものがないことも多いので、どうしても限界があるのだ。
なので、腹ごしらえは野菜中心にしないと、下手をすれば一切野菜類を食べずに終わりかねない。
「それにしても、なんか本気でいきなりやった感じやで……」
「今日言って今日の晩、だもんね」
「そもそも、前振りとかの類が全くなかったから、全然心構えとかできてへんねんけど……」
「私は、前にちょっと話を聞いてたから、むしろ都合がつくまでに結構手間取ったんだな、って」
「そんなん初めて聞いたで……」
「ごめんね。おばさんから前もって直接話が行くと思ってたから、私のほうから言わなくてもいいかな、って思ったんだ。まさか、当日になるまで聞いてないとは思ってなかったよ」
「いや、別に春菜さんが謝るようなことでもないけどなあ……」
春菜に謝罪され、何とも言い難い顔でそう告げる宏。
宏に伝えておいてくれ、と美優から言われていたのであれば春菜の責任もあるだろうが、春菜の言葉を聞く限りは、今回はそういう感じでもない。
よほど忙しい時でもない限り、春菜はこういう伝言の類を忘れることはめったになく、ここ最近は周りがいろいろ追いつかなくなってきたという理由でそこまで忙しいこともない。
それにそもそも、今回は馴染みの薄い人間と飲みに行くだけの話であり、その心構えをする時間が無くなった程度の問題しかない。
いくら相手が日本を代表する偉い人であっても、その程度のことで宏に対する心証を悪くするほど美優の心は狭くないことぐらい知っているのだから、別に嫌なら断っても問題なかったのだ。
断らなかった時点で、ここからは全部宏の責任である。
「しかし、どんな話することやら……」
「まあ、あまり話したりする機会がないから、ちょっと腰据えて会ってみたかっただけじゃない?」
「それはそれで、なんか怖いんやけど……」
不穏なことを言い出す春菜に対し、全力でヘタレる宏。
こうして、早くも偉い人と飲むという社会人の通過儀礼を受けることになる宏であった。
「いや~、今日はごめんね、いきなり呼び出したりして」
「それはええんですけど……」
運転手付きの車で迎えに来た美優を前に、どういう意図があってかを聞こうとして、どう切り出すかで言葉に詰まる宏。
その様子を見て、言いたいことを察した美優が自分から話を進める。
「そんなに身構えなくても大丈夫だよ。とりあえず立ち話もなんだし、車に乗って」
「はい」
美優に促され、素直にリムジンに乗り込む宏。宏が乗り込んだのを確認して一礼し、運転手が車を出発させる。
「で、今日の飲み会の意図だけどね。単に、春菜ちゃんが向こうで作ってきた人間関係のうち、日本在住だと一番肝心な東君だけがほとんど話をする機会がなかったからさ。もう少し親しくなっておきたかったんだよね」
美優の本日の目的を聞き、思わず顔を引きつらせる宏。
なんだかんだで昨年度の年度末ぐらいから、美優と澪が未来を介してよく会っていることは知っていたのだが、なぜか自分にまで矛先が向くとは思っていなかったのだ。
「……えっと、人聞きの悪い言い方すると、品定めっちゅう話ですか?」
「こっちも人聞きの悪い言い方すると、こうやって飲みに誘ってる時点で、そんなのとっくに終わってるって。それに、汚い話をすると、今となっては春菜ちゃんのことがなくても、東君と縁を切るなんて金をどぶに捨てるようなものだし」
「それは潮見メロンですか? それとも新品種のブドウですか?」
「ブドウはまだ保留だけど、潮見メロンは正直、笑いが止まらないほど儲かったよ。まあ、それ以上に儲け話になりそうなのは、対暴風雨用ポータブルフィールドシステムだけどね」
「もう、試作品できとるんですか?」
「うん。今は耐用テスト中。自衛隊に警察に消防署、果ては全国のレスキュー隊や農家の皆様まで熱い要望が届いてるからね。開発班も気合入ってるよ」
「あの話が急に飛び込んできたときには、それ大丈夫なんか、と思ったんですけど……」
「いつ調査が終わるかも分かんないことで、これだけ有用な技術の開発を止めておくこともないからね。まあでも、うちとしてはもっと長期のスパンでの開発になると思ってたんだけど」
話の枕として、共通の話題である宏と春菜が権利を持つ諸々について話をする美優。
美優の言葉にあるように、宏のフィールドシステムは現在、まずは防災機器として実用化しようという方向で急ピッチで開発が進んでいる。
「コンピューター関係は手に余るにもほどがあったから、結局教授の手ぇ借りましたわ。おかげで、一気に進む進む」
「アマネちゃんでも、パソコンの拡張ユニットとして接続部分を設計するのは、かなり苦労したみたいだけどね」
「そらまあ、言うたら謎技術の塊を強引に小型化して接続しとるようなもんですから。っちゅうか、教授が苦労するレベルやから、僕らやとどないにもならんかったっちゅうんがほんまのところですし」
宏の正直な言葉に、思わず吹き出してしまう美優。
天音の発明品を製品化する時に開発班からよく聞く話を、よもや宏から聞かされるとは思わなかったのだ。
「東君だったら、その気になればどうとでもなるんじゃないの?」
「そうでのうても理論的なつじつまが怪しいところが山ほどあるのに、これ以上無茶できるわけないですやん。はっきり言うて、検証のしようがないから見逃されてるっちゅう感じがすごいから、なんか作るたびにびくびくしてます」
「まあ、そうだよね」
「むしろ、そういう方面でいろいろやらかしとるん、春菜さんの酵母のほうですわ」
「あっちはあっちですごいよね」
「どんどん謎生物化が進んどりますわ、実際」
「まあ、絶滅危惧種の繁殖力を大幅に強化する時点で、すでに謎生物にもほどがあるとは思うけどね」
美優の身も蓋もない一言に、苦笑するしかない宏。
オクトガルという、生態的には春菜の酵母なんぞ目ではないぐらい訳が分からない生物を知っているだけに、正直まだまだ甘いと思わなくもない。
が、それでも、さすがに大容量固体電解質の原料になるところまで来ると、春菜の酵母がどこに向かって進化をしているのか分からなくなってくる。
「まあ、春菜さんのおかげで、バッテリーのめどが立ったんは助かりましたわ。いつきさんらに使ってるバッテリーは、体積比の容量は無茶苦茶デカいけど、携帯機器に使えるほど小型化できん技術やし」
「コスト的にも、航空機とかのレベルでないと使いづらいしね」
「あの電池は、生産コスト自体は無茶苦茶安いですからね。原料の酵母液が潮見でしか作られへん、っちゅう難点がありますけど」
「まあ、それはしょうがない。裏を返せば、バッテリー技術は流出しないってことだし」
「後、もう一つ不安なんが、うちのフィールドシステム以上に辻褄その他が怪しいっちゅうところが……」
「そこは気にしちゃだめだよ。そもそも、春菜ちゃんが何を思ってあんな加工方法を試したのかとか、その時点で謎だし」
「何であれが電池に使える、っちゅう風に思ったんかもよう分からんところがありますし」
新世代の固体電解質電池を開発したいきさつを思い出し、思わず遠い目をする宏と美優。
それもそのはずで、あの日の春菜は何を思ったのか、助手が事故で大量にこぼした酵母液をふき取った布巾にマヨネーズをたっぷりかけて、オーブンで焼くという暴挙に出たのだ。
本人もなぜそれをやろうと思ったかを思い出せないようで、なぜか正方形に焼き固められた酵母液入り布巾を前に首をかしげていた。
外部からの精神干渉なども疑われたが、春菜がここまで変な行動をとるレベルとなると、宏や天音が気が付かぬ訳もない。
結局、いまだに春菜の奇行の原因や理由はわからないままである。
「そういえば、結局海外やと使われへん場所がある原因が分かってませんけど、どないするんです?」
「どうもなにも、自衛隊はともかくそれ以外の人は別に困らないから、国内限定の道具として売りに出すよ。まあ、早くて来年の年末以降になりそうだけど」
一時フィールドシステムの研究が止まった最大の原因である、日本の領土を出ると使えない場所があるという問題。
それについては、完全に割り切った運用をすることにしたようだ。
実際問題、海外で活動することもある自衛隊はともかく、それ以外のほとんどの組織は国内から出て活動する機会などない。
現段階では、別に国内限定でもそれほど困らないのだ。
「で、実は忙しくて最終的な仕様がどこに落ち着いたのか把握できてないんだけど、どういう感じに落ち着いたの?」
「とりあえずは、パソコンの拡張ユニットにした関係上、そんなべらぼうな仕様にはなってません。風については一番負荷がきつい条件で風速十五メートルは風に逆らって歩ける程度で、その場合は連続使用九十分が限界ですわ」
「それを超えるとどんな感じ?」
「だいたい風速換算で十二メートル引いた感じの圧力がかかって、バッテリーの減りが一気に早なります。それに風速三十メートルぐらいになるとフィールドが持たんので、使えたとしてもリスク承知で二十五メートルぐらいまでちゃうかな、と」
「そっか。まあ、フィールドが持たないような強さの風だと何飛んでくるか分かんないから、バッテリーの持ちとか関係ないよね。で、風に逆らって歩けるって、楽々歩ける感じ?」
「そこまでやないですね。具体的何度ぐらいの勾配とはよう言いませんけど、軽めの坂を上るぐらいの負荷っちゅう感じです」
「へえ~。値段とサイズとバッテリーの問題が解決したら、自分用に一個欲しいなあ」
宏から風に対する基本的な仕様を聞いて、正直にそう感想を漏らす美優。
今や雨風にさらされる機会は大きく減ったとはいえ、車の乗り降りや野外のイベントなど、濡れたり強風にさらされたりする機会はそれなりにあるのだ。
そういう時でも雨に関しては割とどうとでもなる、というより野外でやる式典やイベントは、よほどの理由がない限り雨天中止になることが多いのでさほど問題はない。
が、風に関しては割とシャレにならない強風でも、それが理由で中止となることは意外と少ない。
そういう式典はできるがシャレにはならないぐらいの強風というのは、髪や服が乱れるし目にゴミが入りそうになるし前を見るのもなかなかつらいしと厄介な問題なのだ。
なので、そこそこ以上の強風を防ぐことができる、というのは、手に入るなら大枚はたいてでも手に入れる価値がある。
「で、雨のほうは?」
「雨に関しては百ミリの豪雨でも問題なしで、こっちはフル充電で六時間ぐらい保ちます。風速十メートルぐらいまでは同じぐらいの保ちですね」
「範囲は?」
「大体直径五メートルですね。人一人背負って、両隣に人が荷物持って並んで確実に濡れんですむ広さです。バッテリーの消耗と救助のしやすい広さとの兼ね合いで決まりました」
「なるほど。使う人の意見を聞いて設定してるんだったら、間違いないね」
宏の言葉に納得する美優。
なお、直径五メートルというのは、具体的には人を寝かせて応急処置などをする際に、それだけあれば複数の要救助者の処置や担架などの機材の準備をしてやや余裕がある、という広さで決めている。
もう少し狭くてもよかったようだが、直径三メートルを超えてからは総合的に最もバッテリー効率がよかったのが五メートルだったので、五メートルという数値に決まったのだ。
なお、バッテリー効率だけで言えば最高である直径三メートル未満は、最大値でやっても複数になるとやや手狭だという理由で却下されている。
「っと、そろそろお店につくよ」
「店っちゅうか、ホテルに見えるんですけど……」
「うちの系列ホテル。今日はそこの、会員制のバーを使うからね」
「……服、これでよかったんですか?」
「大丈夫大丈夫。私と一緒で、ドレスコードだマナーだでうるさいこと言う人はいないから」
美優の言葉に、少しばかり顔が引きつってしまう宏。
美優は軽く言うが、それは言ってしまえば、小川美優という経済界の女王の信用と実績を担保に、服装の無礼を許してもらっているということである。
念のためにと春菜に勧められて着替えてはきたが、着ているのは未来特製のフォーマルでファッショナブルな作業着。
式典などに出てもあまり浮かないとはいえ、しょせんは作業着なので、宏としては不安が和らぐことなど一切ない。
「……ええんかいな、ほんまに……」
「いいっていいって」
あまりに露骨に不安そうにする宏に対し、笑いながらあっさりそう言い切る美優。
あえて言ってはいないが、現場のトラブルを解決したその足で愚痴りに来ている大企業の社長などもいるので、作業服姿自体がさほど珍しくもなかったりする。
それにそもそも今回使うバー自体、そういう面倒なドレスコードを無視するために会員制にしているのだから、最低限の清潔さを保ったうえで逮捕されない格好であれば、それこそコスプレしていても誰も文句を言わないのだ。
「さあ、楽しいお酒にレッツゴー!」
「なんっちゅうか、小川社長って立場の割にはノリが若いっちゅうか軽いっちゅうか……」
「おっ、言うねえ」
宏のなかなかに無礼な言葉に、実に嬉しそうに食いつく美優。
その様子に、しまったと思う宏だが後の祭り。
そのまま散々いじられつつ、抵抗する余地もなくバーに連れ込まれるのであった。
「さて、改めて乾杯と行きたいところだけど、東君はもうお酒は飲んでる?」
静かで落ち着いた雰囲気の、どことなく高級感に包まれた会員制のバー。そのカウンター席で、美優が真っ先にそのあたりを確認する。
なお、この店にはすでに数組の客が来ているが、入ってきたときに若干の視線を感じた以外は、特に注意を集めることもない。
他の客の服装にしても清潔であること以外にこれと言って統一性はなく、スーツもいれば宏のように作業服の人間も、それどころかTシャツにジーパン、スニーカーという人物すらいる。
それで問題ないあたり、なんだかんだ言ってこの手の高そうな店で服やマナーにうるさく言われることについて、面倒だと思っている富裕層や上流階級の人間も結構いるようだ。
とはいえ、悪酔いしたり騒いだりは誰もしていないので、そのあたりの節度を守ることが暗黙のルールとなっているのは間違いない。
「二、三回、っちゅうところですね。誕生日当日に向こうで贈り物としてもらったやつ何杯かと、真琴さんが珍しい焼酎とか日本酒とか調達してきたからって夕飯の最中に分けてくれた時だけですわ」
「へえ、ビールは飲んでない?」
「今んところ、飲んだんは誕生日の時の一回だけですね。正直、美味いかどうかはよう分かりませんでした」
「日本のビール、特に大手メーカーの一般流通品って、基本的には味わって飲むお酒っていうより、喉が渇いたときにぐっと行ってのど越しを楽しむ感じのお酒だからね。美味しいから飲んでるわけじゃなくて、酔っぱらえるから飲んでる、とか、無難なお酒だから飲んでる、とかいう人も実は多いんだよね」
「そういうもんですか?」
「うん。そういうもん」
微妙に納得がいかない感じの宏に対し、力強く断言する美優。
宏たちの日本では、若者の酒離れはある程度歯止めがかかったものの、ビール離れは結構進んでいる。
このあたりの事実が、美優にそんな言葉を断言させる根拠となっているのは間違いない。
実際、宏たちの関係者でビールを好んで飲むのは達也ぐらいで、それも営業の立場だから慣れ親しんでいるだけ、というのが実態だ。
あれば喜んで飲むが、なくても他の酒があれば別に気にならない、というのが、達也と真琴のビールに対する感覚である。
ちなみに、宏の両親は焼酎や酎ハイを好んで飲む。
「まあ、日本だと乾杯はほぼビールだから、ビールに慣れておくに越したことはないのは確かだけどね。好きならともかく別にそうでもないんだったら、わざわざここで飲む必要もないよ」
そう言い切ってから少し考え、バーテンダーにお酒を注文する美優。
注文したのは、
「潮見メロンのリキュール、在庫ある? 後、おつまみの盛り合わせ」
であった。
「あれ、市販されとるんですか……」
「うん。去年仕込んだ奴がね。いい機会だから、自分たちの作物で作ったお酒を味わうといいよ」
美優の言葉が終わるのを待っていたかのように、二人の前に潮見メロンリキュールを出すバーテンダー。
ほんのり桃色がかったその液体は、事前に聞いていなければメロンのリキュールだとは思わないだろう。
「じゃあ、東君が無事にお酒を飲める年になったことに感謝して、乾杯」
「乾杯」
美優の言葉に合わせ、軽くグラスを掲げる宏。そのまま、軽く口をつける。
「酒になると、こんな味になるんや……」
「イメージほど、甘くないでしょ?」
「はい」
すっきりとした甘さのメロンリキュールに目を丸くする宏に、そんなコメントを告げる美優。
潮見メロンリキュールは、料理を邪魔しない程度のすっきりした甘さの中に程よい渋みや酸味が溶け込み、全体のバランスを崩さぬ範囲で控え目に、だがしっかり酒であることを主張している、素晴らしい味わいの酒であった。
「酒としてうまいかどうかはよう分かりませんけど、個人的には飲みやすくて好きな味です」
「意外と、男の人にも人気あるんだよね、これ」
「そうなんですか?」
「うん。一部の酎ハイほど甘くないし、飲みやすい割にしっかりお酒の味もするからね」
「ああ、酎ハイ云々は何とも言えませんけど、男にも人気あるっちゅうんは分かる気ぃしますわ」
美優の言葉に納得し、もう一口飲んでみる宏。
酒のことは分からないが、ビールよりは飲みやすく、だが意外と奥行きがあるような気がする味に、もう一度うなずく。
「今思ったんですけど、これ、合う料理ものすごい選びそうですね」
「うん。まあ、お酒って多かれ少なかれそういう面があるけど、これは特にそうかもね」
宏の感想に同意する美優。
ジュースのように甘い、という種類の甘さではないが、それでも十人飲めば十人が甘いと言い切るぐらいの甘味は感じる酒である。
料理の邪魔こそしないが、やはり味に個性があるだけに、合う合わないは明確に現れそうだ。
「後、結構しっかりお酒の味がするから何となくわかるとは思うけど、度数は結構高いから注意してね。多分大丈夫じゃないかな、とは思うけど」
「気ぃ付けます」
美優の注意に対し、素直にうなずく宏。
別に、神々が全員酒に強いわけでも酔わないわけでもない。
宏にその類の権能があるかどうかも分からないし、仮に宏が酒を飲んで一切酔わないタイプの神だったとしても、春菜がどうか分からない。
また、あと五年ちょっとでエアリスや澪が成人するため、当然彼女たちと飲む機会もいくらでもある。
そのほかにもいろいろヤバそうな話は思いつくので、この種のレディーキラーと呼ばれる酒は、いろんな意味で取り扱い注意である。
「さて、おつまみも出てきたし、いろんな種類の初心者向けのお酒、試していこっか」
「はい」
美優にすすめられるまま、カナッペや生ハム、野菜スティックなどをつまみつついろんな酒を試していく宏。
バーテンダーも心得たもので、どれも味見や試飲といったほうが正しいぐらいの量で出してくれる。
赤と白のワインから始まりウィスキーにブランデー、ウォッカやテキーラのような強い酒に果ては中央アジアでよく飲まれている羊乳酒の類まで一通り試した結果、宏が一番気に入ったのは日本酒と国産のウィスキーであった。
「あ~、そこが気に入ったんだ」
「美味いかどうかはともかく、何となく性に合う感じです」
「なるほど。じゃあさ……」
宏の感想を聞き、美優がワインと日本酒でいくつかの銘柄を追加で注文する。
それを進められるがままに飲んだ宏が、
「……どれもええなあ」
そうぽつりとつぶやく。
初めて飲む酒だというのに、妙に懐かしい感じがするというか、足りなかったものが何となく埋まるというか、そんな感じがする酒なのだ。
「なるほど、やっぱり?」
「こいつらに、なんぞ共通点があるんですか?」
宏の反応に、何やら得心が行ったという感じでうなずく美優。
その美優の態度に、不思議そうに質問をぶつける宏。
「東君にとってはちょっと不愉快なことかもしれないけど、君が気に入ったお酒、全部生駒山系のきれいな湧き水使って作ってるお酒なんだよ」
「ああ、なるほど」
少し気を使いながら美優が告げたその事実を聞き、得心が行ったとうなずく宏。
生まれてから中学卒業まで飲んで育った水、およびそれに近いところの水で作った酒、ということに、妙に納得してしまったのだ。
「別に不愉快やっちゅう訳やないんで、気にせんといてください。問題なんはごくごく一部のアホだけやし、向こうがいやになって逃げてきた訳やないし」
「うん、なんか蒸し返すようなこと言って、ごめんね」
宏の言葉に、あえて軽い感じの謝罪をして、話を終わらせる美優。
宏自身は克服しているとはいえ、こういう問題はどうしても周囲が話題にする際気を使ってしまう部分である。
特に美優は一部始終を詳細に知っているうえ、宏とはそこまで親しいとは言い難い間柄だ。
このあたりの内容が絡む話題について、どう触れればいいのかの距離感がまだつかめていないのだから、普通以上に気を使うのも当然であろう。
「なんか、このへんの酒飲んだら、久しぶりにおばちゃんのたこ焼きとお好み焼き食べたなってきたなあ……」
「前に東工作所を引き抜きに行ったとき、近くにあったたこ焼き屋さん?」
「そうです。あそこ、たこ焼きは百円分とかでも売ってくれたから、小遣いやりくりしてよう買いに行ったんです。まあ、百円やと二個ぐらいやったけど」
「へえ、それはいいね。美味しかった?」
「思い出補正抜いたら、多分味は普通やったと思います」
「へえ。お好み焼きは食べたんだけど、たこ焼きはタコが品切れで食べられなかったんだ。お好み焼きは美味しかったから、たこ焼きも結構美味しいんじゃないかな?」
「っちゅうたかて、すごい美味しい、っちゅうことはないとは思いますけどね」
懐かしそうに語る宏を、どことなく優しい笑顔で見守る美優。
故郷のことをこうして語れるというのは、本当に吹っ切れたということである。
「いろいろ忙しいからすぐには無理だろうけど、卒業したら春菜ちゃんと一緒に行ってきたらいいんじゃない?」
「あの店、まだやってんのかなあ?」
「先月にあのあたりに行ったら、まだ普通に営業してたよ。娘さんらしき人が手伝ってたし、話した感じあと十年ぐらいは普通にやってるんじゃないかな?」
「そうですか。ほな、ほとぼり冷めたら行ってみるか」
「うん。そうするといいよ」
そこで、少し会話が途切れる。
微妙に探るような沈黙が続くことしばし。二杯目を飲み終わったあたりで、美優が口を開く。
「次、行く?」
「はい」
「どれがいい?」
「ウィスキー、お願いします」
宏のその注文に、注文し慣れていないであろう宏の代わりに美優に視線で問うバーテンダー。
美優が一任するという感じでうなずいたのを見て、無言でそっとシングルをオンザロックで出す。
様子を見る限りダブルでも問題なさそうだが、初心者という事でとりあえず加減したのだ。
美優にも同じものが、こちらはダブルである。
「……あの。……相談乗ってもろて、いいですか?」
「そりゃもちろん」
出てきたウィスキーに軽く口をつけ、遠慮がちに美優に話を切り出す宏。
その言葉に軽く微笑んで、目で軽く先を促す美優。
美優に促されて、宏が重い口を開く。
「最近、何っちゅうかこのままでええんかな、っちゅう話が多くて……」
「というと?」
「向こうで面倒見とった、ライムっちゅう女の子がおるんですけど……」
そう切り出してから、これまでのことをかいつまんで説明する宏。
それを聞いた美優が、少し考えてから思うところを告げる。
「確かに難しい話だよね、それ」
「正直、今の状況で何言うても、どの口が、みたいなところがあるし、っちゅうたかて……」
「うん、分かるよ。俊和も神楽ちゃんのことで、東君に近い悩みを持ってたからね」
「そうなんですか?」
「東君とライムちゃんほどじゃないけど、俊和と神楽ちゃんもかなり年が離れてるからさ」
「……ああ」
美優の言葉に、思わず納得する宏。
日本に戻ってきた際に肉体年齢や暦が巻き戻ったことで年齢差が縮まってしまったが、本来なら宏とエアリスは俊和と神楽のケースと同じぐらい年が離れている。
もともとエアリスは発育がよく、初対面の時点で高校生ぐらいの年齢に見えていたために俊和ほど深刻に意識してはいないが、それでも他人ごとではないと思う程度には、宏も元と現在の年齢差を気にしている。
「まあ、俊和は幸か不幸か、東君みたいにのっぴきならない状況になる前に神楽ちゃんにつかまった感じだから、同じとは口が裂けても言えないんだけど」
「自虐込みで言わせてもらうんやったら、僕とおんなじやったらとんだ外道の女たらしやないですか」
「こらこら、そういうこと言わない。君たちの場合はみんながみんな真面目に一生懸命頑張った結果みたいなものだし、単にこれ以上進展させるのは社会通念上も当事者の精神衛生上も厳しいから時期を待ってるだけなんだし」
「いやまあ、そうなんですけど……」
「本物の外道ってのは、やり捨て目当てで片っ端から口説いたりとかからかって遊ぶために口説いたりしてそのまま囲って、貢がせるだけ貢がせて放置プレイしてる連中のことを言うんだよ」
「手ぇ出してないからやり捨てはない、っちゅうだけで、はたから見たら囲って貢がせて放置プレイしてるっちゅうんは大差ないような気ぃするんですけど……」
「どっちかっていうと東君は、一夫多妻制が合法でかつやや女性の立場が強い地域でよく見られる、どんな大家族でも養える甲斐性はあるけど女性に対してヘタレ気味な男性の状況だからね。良くも悪くも、外道とは思われないよ」
宏の後ろ向きな言葉を、違う意味できつい言葉でバッサリ切り捨てる美優。
「あと、そのライムちゃんだっけ? その娘については、現時点で東君が考える必要はないんじゃないかなって」
「っちゅうと?」
「東君が『俺は幼女だって性的な意味で食っちまうんだぜ』ってタイプならともかく、平均的な嗜好だったらさすがに年齢一桁は対象外でしょ? それに、春菜ちゃんたちとすら澪ちゃんが成人するまで保留なのに、まだ第二次性徴が始まったかどうか、ってぐらいの子を今の段階から無理に意識する必要はないよね?」
「いやまあ、それはそうなんですけど……」
「こう言っちゃあ何だけど、うちの俊和だって妹扱いとか恋愛対象としてアウトオブ眼中じゃないってだけで、まだ神楽ちゃんをそういう対象だっていう意識まではしてないんだしさ。それよりもっと幼い子供ってなるとね」
究極的にはそこに行きつくのではないか、という問題点を指摘する美優。
その指摘内容に納得しつつも、それで済むなら話はこじれてないのでは、と、ちらりと考える宏。
そんな宏の考えを読んだのか、美優が更に言葉を続ける。
「ライムちゃん本人については、別のしっかりとした大人の人が諭すのが一番角が立たないと思うよ。できれば女の人で結婚して子供産んでて、かつライムちゃんが尊敬してて懐いてる人物がいいかな」
「その心は?」
「結婚して子供産んでるっていうのは、東君のことでライバル的な意味で対立する相手じゃないって分かりやすくするため。尊敬してるっていうのは言うまでもないだろうけど、春菜ちゃんだとちょっと素直に聞けないだろうしね」
「なるほど、そういうもんですか」
「絶対とは言えないけど、ね。私の経験上、今回みたいなケースは恋愛関連に限らず、当事者である東君や春菜ちゃんたちが直接動くよりは、丸く収まる可能性は高いよ」
そこまで言い切ってからグラスを軽く傾けたのち、美優はもう一つの注意事項を告げる。
「あとさ、多分東君自身も多少は覚えがあるだろうけど、こういう時って実の親に頼るのはダメだよ。話を聞いてる限りではライムちゃんは精神的に相当早熟みたいだし、そういう子ってまだ早いとかいう話を親がするとまず反発してこじれるからね」
「ああ、ありますねえ……」
「まあ、そういう態度に出る時点で親離れとかが始まってる上、本人的には間違いなく本気なのが頭痛いところなんだけどね」
色々覚えがある話に、そろってため息をつく美優と宏。
度合いはあれど誰もが通る道だけに、必要以上にこじれない対処方法というのはなかなか難しい。
「ごめんね、あんまりちゃんとしたアドバイスできなくて」
「いや、助かりましたわ。後は春菜さんらとも話して、頼めそうな人考えますわ」
「うん、そうするといいよ。春菜ちゃんには、私からも話しておくから」
そう言って、残りを飲み干す美優。
そのまま周囲を軽く見渡し、目が合った一人の老紳士に声をかける。
「岩ちゃん、ちょっといい?」
「おや、美優ちゃん。ようやくその若い子を紹介してくれるのかい?」
「うん。東宏君って言って、天音ちゃんとこの期待のホープでね。今その筋で話題の耐候フィールド開発したり、春菜ちゃんと一緒に潮見メロンを作ったりって感じで、すでにのっぴきならない実績作ってる子なんだ」
「ほう、彼が例の」
「そそ」
岩ちゃんと呼ばれた老紳士が、美優の紹介を聞いて興味深そうに目を光らせる。
「東君、こっちは岩田光也さんって言って、あっちこっちに顔が利く元商社マン」
「はじめまして、東です。お会いできて光栄です」
美優に紹介されて、何となく裏に透けて見える凄みや強力な縁のつながりなどを見て即座に下手に出る宏。
正直な話、この岩田氏から商売だの人脈だので勝負を仕掛けられたら、手も足も出ずに徹底的に叩き潰されて身ぐるみはがれて再起もできないようにされる未来しか見えない。
実際には同じ土俵でけんかする理由も必要もないので宏が負けることはないし、仕掛けられたら天罰でも与え返せば済む話なのだろうが、少なくとも日本に住むことにこだわって世間体などを気にしているうちは、間違いなく勝ち目がない。
そのあたりを言い出せば、正直天音や美優、未来などにしてもそうなのだが、春菜からの前情報の有無も含めて彼女たちに関してはある種の慣れのようなものがあった。
ファーレーン王家をはじめとした各国の上層部についても似たようなものだが、そちらは早々に先制パンチに成功してマウントをとれているのと、権能を使うのにさほど制約がないのでそこまで気にはならない。
岩田氏に関しては不意打ちに近かったこともあり、それらとは比較にならぬ衝撃を感じるのだ。
「よろしく、東君。そんなにかたくならないでくれたまえ。……ん~、そうだな。美優ちゃんみたいに、気軽に岩ちゃんと呼んでくれるといい」
「そ、そ、そそそ、そんな、めっそうもない!」
「いやいや、東君。そう呼んであげないと、岩ちゃんはものすごく面倒くさくなるからね」
「そうそう。気に入った子に他人行儀にされると、何をしてでも懐かせたくなる性分でねえ」
そんな感じに冗談交じりに脅されて、しばらく酒に付き合わされ、何があったか締めのラーメンまでおごられ、最終的にはあっさり岩ちゃん呼びをさせられる宏。
帰ってからその件についての不安を、いつものチャットルームで春菜や達也に漏らすと
「岩ちゃんならしょうがないよ。というか、ああいう関係者以外立ち入り禁止的な店で遭遇した時に岩ちゃん呼びをしないと、本当に後が面倒くさいんだよね……」
「そうそう。さすがに潰しにかかってくるような大人げない真似はしないけど、どうやってかこっちの空き時間を調べ上げては突撃してくるからなあ」
という、あきらめろとしか言いようのない回答が。
「まっ、逆の話、初回が岩ちゃんでよかったじゃないか」
「うんうん。で、宏君。人生初の高級なバーはどうだった?」
「大人の酒の飲み方っちゅんが、分かった気ぃするわ」
「一応言っとくが、大人の飲み方っつっても、毎回あんなに静かに上品にってわけじゃないからな」
「いや、そら言われんでもわかっとるがな」
達也のツッコミに、苦笑しながらそう返す宏。
「とりあえず、春菜さん」
「なに?」
「来年度早々に連れて行くから、覚悟しとくように、やって」
「それ、当然宏君も一緒だよね」
宏から受けた死の宣告的なものに対し、非常に嬉しそうにそう返す春菜。
こうして、宏の外飲みデビューはつつがなく終了するのであった。
作者はお酒が飲めないため、お酒の味の評価とかって非常に難しいです。
二十代前半にえげつない風邪ひいた際に、処方された抗生物質にあたって肝臓やられたのが痛い。
ただ、発泡酒とかも含めたビール類の売り上げ下がってるの見るに、酒税云々以外にも本文で美優さんが言ったような理由で積極的に飲まない人も実際に多いんだろうなあ、と思わなくもない。
さいころの結果がなかなか素敵なことになった先輩も登場したN-STAR作品
「ウィザードプリンセス」
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もよろしくお願いします。





