第12話
「あっ。このボルシチみたいなシチュー、美味しい」
「外寒いから、ごっつ温まるやんなあ」
レーフィアの神殿を辞したその日の夜、ローレンの北東部に接する小国・クレスター王国。その首都であるクレスタリアの宿で、宏達は夕食の郷土料理に舌鼓を打っていた。芋虫は宏の膝で、こっそり野菜の切れ端をもらって食べている。
宏の台詞にあるように、この国は一年の半分を雪と氷で閉ざされた厳しい土地にある。その関係上、国土はまともに開拓されておらず、辛うじて五つの街に小さな農村をいくつかと港を一つ持っているだけ、滞在人口は国中をかき集めても十万には遠く届かない程度、国民となると人口はさらに少ない、ほとんど都市国家と変わらない本当に小さな国だ。
普通ならとっくの昔にどこかの国に併合されていてしかるべき小国だが、厳しい気候により侵攻が難しく、しかもこの国で戦争を起こすと氷狼と呼ばれている巨大で強力な狼の群れが襲ってくるため、生半可な戦力では勝負にならない。また厳しい土地で暮らしているだけに、国民がやたらと結束力が強くて精強なため、侵略しても割に合わない。
別にどこかへの通り道になっている訳でもなく、のどから手が出るほど重要な産業がある訳でもなく、貧しくはないが取り立てて豊かだという訳でもないこの国を取り込みたい国が存在しないため、結局小国としてかろうじて存続しているような国だ。
この国の主要な産業は極端に寒い土地でしか育たない作物と天然ものの氷晶石、そしてアイスダンジョンと呼ばれる高ランクダンジョンである。滞在人口が多いのも、このダンジョンの存在によるところが大きい。アイスダンジョンがあるが故に、辛うじて貧しくはないが取り立てて豊かでもないという経済環境が成立している。
ついでに言えば、このダンジョンの存在も、クレスターが独立を維持できている理由の一端である。戦争なんぞ仕掛けてダンジョンの管理が狂えば、氷狼以外にも大量のモンスターを相手にする羽目になって、それこそ大国でも下手をすれば存亡の危機に追い込まれる。
そんな国に宏達が何の用なのか。言うまでもなく、アイスダンジョン、もっと正確にいえば、そこにある隠しダンジョンが目当てである。
「それにしても、この国の首都は物騒な所にあるんだな」
「まあ、元々の成り立ちがアイスダンジョンの監視って話なんだから、むしろここにあって当然よね」
アイスダンジョンの入り口をふさぐような立地にあるこの国の首都に対し、達也と真琴がそんな感想を漏らす。ダンジョンによって中のモンスターが外に出てくるかどうかはまちまちだが、アイスダンジョンのモンスターは、恐ろしい事に普通にダンジョンの外まで出てくる。
この仕様はゲームにあったアイスダンジョンも同じである。そのため、ヘルプも出さずに入り口までモンスターに追いかけられて逃げてきたプレイヤーは、大抵入り口で待っていた他のプレイヤーに脱出の邪魔をされて、きっちりモンスターに蹂躙されてデスペナルティを受ける事になる。
余談ながら、モンスターを引き連れて動き回る事をゲームの専門用語でトレインといい、そうやって引き連れたモンスターを他のプレイヤーになすりつけて死亡させる事をモンスター・プレイヤーキル、略してMPKという。正確にいえばMPKは他にもやり方があるが、ほとんどのゲームで代表的なのはトレインによるなすりつけであるため、他のケースは省略する。
当然のことながら、大抵のゲームで忌み嫌われている行為であり、先の例の場合はモンスターをダンジョン内のプレイヤーになすりつけるだけでなく、ダンジョン外である町にいる非戦闘態勢のプレイヤーやNPCにまで被害を出すために、特に厳重に制裁を受ける。それこそ、逃げずにその場で素直にデスペナルティを受けた方が、はるかに被害が少ないほどに。
「てかね、こんな環境だからか、宿の人も結構な実力者ぞろいなのよね」
「せやな。ウルス近郊で遭遇するモンスターやったら、片手でひねれそうな人ばっかりやで」
シチューを持ってきたウェイトレスや厨房にいるコックに視線を向けつつ、従業員の戦闘能力についてそう断じる宏と真琴。それを聞いていたのか、追加の火酒を持ってきた若いウェイトレスが口を挟む。
「この街に住む人間は基本的に、何らかの形でアイスダンジョンのモンスターを一対一で仕留められるように訓練してるからね。それができないのって十歳未満で訓練途中の子供か身体が衰えた年寄り、生まれつき体が弱くて魔法も苦手な一部例外ぐらいさ」
「へえ、そうなんだ」
「ああ。だって、アイスダンジョンがあるんだからね。それができなきゃ、いつ食われて死んでもおかしくないんだよ。もっとも、できない人間はどうやってもできないからね。そういう奴は安全のために違う街に移住するか、直接戦いに関わらない形で防衛に貢献できる方法を身につけるか、どっちかなんだよ」
「凄いね」
「アタシたちなんて、騎士様やダンジョンで稼いでる冒険者に比べりゃ大したことないって。騎士様とかみたいに一人で何体も相手にできる訳じゃないし、国王様みたいに月に二回、アイスダンジョンのボスを潰すなんて真似はとてもとても」
さらっと聞き捨てならない話が出てくる。アイスダンジョンは高ランクに分類されるダンジョンの中では難易度が低いが、それでも出てくるモンスターは十分に強い。少なくとも、単独で複数を相手にできるには最低四級以上の冒険者になれるだけの戦闘能力が必要で、ボスを倒すには三級だと微妙なラインだろう。
幸いにして、オルテム村のダンジョンのように致死性の天然トラップがいたるところに仕込まれている訳ではなく、平均気温が氷点下十五度という寒さ以外に目立った障害はない。ないのだが、防寒対策で動きが鈍りやすいのは下手な罠より厄介で、要求される戦闘能力が更に高くなる。
そんなダンジョンのボスを、月二回も仕留めている。ダンジョンを踏破するのだから単独ではないだろうが、それを考慮しても、この世界の王族としては一、二を争う戦闘能力を持ち合わせているのは間違いない。
「……国王陛下が、わざわざダンジョンに潜ってボスを倒してるのか?」
「そうだよ。この国の王族の義務でね、ダンジョンが力を持たないように、定期的にボスを潰してるんだ。冒険者任せだとどうしても安定しないから、国王様が少数精鋭で潰しに行くのが習わしだよ」
クレスター王国が独立を保てている理由の一端を、しっかり肌で感じ取るアズマ工房一行。この土地の気候風土で、決して弱くはないダンジョンのボスを最低でも月二回は討伐しなければならない。そんな国をわざわざ併合したがる国はないだろう。
王家のこの義務、厄介なことに食糧などの理由でクレスター王国が窮地に陥った時、手を差し伸べなければいけない理由にもなっている。放置してダンジョンが暴走した日には、どれほどの被害が出るか分かったものではない。
このダンジョンはモンスターが高確率で氷晶石の上位アイテムである氷霊結晶に化け、それらの需要がそこそこ安定して存在するからまだいいが、そうでなければ支援する側の国も国民を納得させるのに苦労することになっただろう。
氷霊結晶はのどから手が出るほど欲しい産業ではないが、クレスターから買えなくなるとコスト面で困る。併合してダンジョンの管理をしようと考えるほどの利益が得られるものではないが、一時的に支援するだけで産業が維持されるなら、支援を惜しむ理由が無い程度には他所の国にとっても重要な産業である。
「で、あんた達もやっぱり、アイスダンジョンが目当てかい?」
「ん。でも、目当ては氷霊結晶じゃない」
「へえ、珍しいねえ」
「ただ、目当てのものがあるかどうかは、潜ってみないと分からない」
「そうかい。まあ、頑張んな。こいつはサービスだよ」
「ん、ありがとう」
澪の要領を得ない説明に対し、微妙に不思議そうな顔をしつつサービスのホットジンジャードリンクを並べて激励するウェイトレス。アイスダンジョンは高レベルだけあって、学生組のような若い、というよりいっそ幼いといえるような冒険者が訪れる事は滅多にない。その物珍しさと、アイスダンジョンに潜るに足る確かな実力をその歳で身につけている事への敬意を、サービスのドリンクという形で表現したらしい。
「……思ったより、辛い」
「ショウガがかなり効いてるよね、これ」
この世界では、寒い地域では火酒と同じぐらい定番の飲み物であるジンジャードリンク。クレスターの物は、どうやら蜂蜜控えめでショウガをよく効かせるのが主流らしい。そこまで寒い地域ではないウルスだが、それでも冬場はよく飲まれていた。その味を想像していた澪がショウガ以外の味がおまけという風情のクレスター風ドリンクに驚き、春菜も少々面食らった表情を浮かべる。
余談ながら、同じ寒い地域でも、フォーレ北部は体温ぐらいの温度の炭酸で割った上で蜂蜜多め、ファーレーン北部は柑橘類の果汁を混ぜて辛さをマイルドに調整している。作り方は基本同じだが、結構地域差が出る飲み物である。ウルスではショウガはほとんど隠し味と香りつけ、メインはオラジュという体温を上げ血行をよくする効能のある柑橘類の果汁を薄めたものが主となっている。
ウルスのものになるともはやジンジャードリンクとは言わないのでは、と思うのだが、あくまでも呼称はジンジャードリンクである。
「まだまだこの世界の食べ物も、知らない事が多いよね」
「そりゃ当然だろう。日本ほどこだわって魔改造してる地域が無いってだけで、地球ぐらいには多様性があるんだからな」
「そうなんだけど、やっぱりこうして直接見ないと、実感が湧かないというか」
ジンジャードリンクをちびちび飲みながらの春菜の言葉に、頷いて同意する達也と真琴。この世界が地球より広く、地球に無い種類の多様性がある事は理解しているが、実際に見て触れて食べてみて初めて実感することが多い。
ワンボックスカーをはじめとした圧倒的な機動力を活かして、この一年あちらこちらを巡ったものだが、これでまだ、まともに訪れて色々試したのは西半分、それも上で見積もって半分には絶対届いていないであろうことを考えると、しみじみ世界の広さを感じる。
「それはそれとして、明日はいよいよアイスダンジョンなんだが、シークレットに行けそうな気がするか?」
「やってみないと分かんない感じね。条件が確定してる訳じゃないし、そもそもこっちも条件が同じかが分からないし」
達也の確認に、真琴が小さく首を振ってそう答える。ゲーム時代のアイスダンジョンは、数少ない隠しダンジョンが発見されているダンジョンだった。ただし、その進入条件が少々曖昧で、確定条件以外の何がトリガーかがいまいち絞り切れていない。
確定といえる条件は、特定の中ボス一種をあえて残してそれ以外を全て狩る事だけ。それ以外の条件は進入に成功したパーティごとにいくつかバリエーションがあり、安定して入れるパーティでも別の条件を試すと基本入れないという、検証する側からすれば面倒なことこの上ない仕様になっている。
余りに確定以外の条件に統一性が無いため、パーティリーダーのグランドクエストの進行具合やNPCとの人間関係、こなしてきたクエストの内容などから条件が設定されているのではないか、という仮説が立っている。だが、その内容だと幅が広すぎて証明が困難なため、現在の検証作業は安定して侵入できる条件を集めるにとどまっている。
いくら比較的難易度が低いと言っても、高レベルダンジョンには違いない。ノーマルダンジョンボスのアイスタイタンも決して楽な相手ではなく、しかもインスタントダンジョンではないので復活時間の兼ね合いでボスも中ボスも一日に倒せる回数が限られるため、一日にそれほど何度も検証できないのが検証勢にとって辛いところであろう。
「とりあえず、中ボス一種残して全部仕留める、ってのは難しいと思うわ。他の冒険者もいるし、復活するのを待つって訳にもいかないし。ゲームの時も、そこが一番難しかったからね」
「確認だが、中ボス一種残すってのは、俺達が倒さなけりゃいい、ってことか?」
「そ。一度入ってから出るまでの間、チャレンジする人間がその中ボスを倒さなければいいの。それでチェインがつながるし、他の誰かが残した中ボス倒してもチェインはつながったままよ」
「で、ミスったら外に出ればリセットされる、って事か」
「そそ」
余り意味はなさそうだと思いつつも、一応隠しダンジョンへの入り方を確認する達也に、分かっている限りのことを告げる真琴。一応彼女もトップクラスの戦闘廃人だけあって、アイスダンジョンの隠しダンジョンへは何度も入った事がある。
「とりあえず、一週間ほどはトライアンドエラーね。上手く入れたらそれで良し、駄目だったら駄目だったで素直にマルクトに行けばいいし」
「そうだな」
結局それしかない、という種類の結論を告げる真琴に同意し、酒の残りを飲み干す達也。既に料理は全て胃袋に収まっている。
ただ似ているだけの世界ゆえにゲームでの情報はさほど当てにならないが、幸いにしてアイスダンジョンの広さ自体は大して違わないらしい。慣れれば半日でボスまで突破できる、高レベルダンジョンとしてはかなり小さなダンジョンだからこそ、国王が定期的にボスを潰しに行くことができるのだろう。
無論、小さいと言っても高レベルダンジョン、下手な城よりは広い。全部探索しつくすとなると、余程慣れていないと一日では厳しい。今回は宝箱の類は大半をスルーの予定なので問題ないが、サーチアンドデストロイの上で空いていない宝箱を全部開封となると、どうしても時間がかかるのだ。
「さて、小さめっつってもダンジョンはダンジョンだ。明日は早起きだし、さっさと寝るか」
「賛成。春姉、真琴姉、お風呂どうする?」
「お湯沸かすの大変そうだし、今日は清浄化の魔法だけにして、明日帰る前にコテージのか船のを使おうよ」
「そうね、あたしはそれでかまわないわよ」
「なんやったら、部屋からコテージの風呂に行けるよう、細工しよか? それぐらいやったらすぐやし」
「もしかして宏君、今日入れる?」
「十分ぐらいの作業やからな。終わったら入り口そっちの部屋持って行くから、出たら返してくれたらええで。ついでに、水の属性耐性強化する関係のん、適当に揃えとくわ」
などと言いながら、取った部屋に上がって行く一行。ちゃんと入浴も済ませ、心身ともにリフレッシュした状態で翌朝を迎えるのであった。
「単刀直入に言う。ファーレーンは、あなた達に対する対処を決めかねている」
宏達が就寝に入った少し後。セーフハウスの一つにウォルディス一行を連れ込んだレイニーは、真っ向勝負でファーレーンの状況を告げていた。
なお、連れ込んだセーフハウスは今回の件でマルクトが提供してくれたものであり、場所が割れてもファーレーンには一切痛手は無い。無論、マルクトにしたところで、他に使い道が無い建物を提供しているので、襲撃されようがどうしようが特に困らない。
要するに、ウォルディス一行にどう対処するか決めかねていたのは、マルクトも同じだったのだ。
「ほう? つまり、場合によっては某達を始末する、という事ですかな?」
「状況や事情によっては」
タオ・ヨルジャの問いかけに、馬鹿正直に答えるレイニー。誤魔化したところで無意味だし、そもそもレイニーにそんな高度な交渉はできない。
その様子を見ていたマルクトの暗殺者、自称お兄様が口を挟む。
「ファーレーンもか」
「やっぱりマルクトも?」
「まあな。お兄ちゃんは単純に、そっちの将来楽しみな王女様とか、お付きのきっつい姉ちゃんとかを変質者の魔の手から守りつつ、こっそり着替えの手伝いとかしてた訳だが」
「変質者?」
「お兄ちゃんじゃないぞ?」
レイニーの胡散臭げな視線に、手をパタパタと左右に振る自称お兄様。もっとも、一般常識に欠けるレイニーの場合、お兄ちゃんが口にしている行動は、世間一般では変質者扱いされるんじゃないかとうっすら感じている程度で、本気で変質者だと思っている訳ではない。
何しろ、レイニー当人も、宏に対して限定ではあるが、やっている事が大して変わらないのだから。
「何にしても、判断するのに情報がなさすぎる。ファーレーンに渡りをつけたいのであれば、洗いざらいここで事情を言う」
「……まあ、仕方がありませんかな……」
淡々としたレイニーの言葉に、深々とため息をつくタオ・ヨルジャ。ファーレーンの密偵とマルクトの暗殺者。双方が目の前にいる時点で、抵抗しても無駄であろう。
根本的な話、タオ・ヨルジャの力量では、リーファを守りながらとなるとどちらか一方だけでも少々手に余る。二人同時にとなると、リーファがいなくても勝ち目はない。目の前の二人は、その程度には強い。
この状況になった時点で、既に詰んでいるのだ。ならば、無駄な抵抗をして心証を損ねるのは馬鹿のすることだろう。
幸い、それをしそうな馬鹿はここに来る前の襲撃で意識を失っている。正直な話、できる事ならそのまま捨ててきたかったのだが、自称お兄様が許してくれなかった。それを捨てるなんてとんでもない、だそうだ。
「もっとも、話としては大したことではありませんがな。単に、某とリーファ王女が、王太子殿下が現ウォルディス王を魔物に食わせて入れ替わらせたところを目撃し、反逆者として追い回されている、というだけの事ですな」
「ふーん」
「あまり驚かれないのですな。ここ半年ほど、ウォルディス内部からは西部に情報がいかないよう、あれこれ強引な工作をしておったようですが」
「まだ国王様達とわたしみたいなごく一部の特殊な諜報員だけで止まってるけど、先月ぐらいにエアリス様がアルフェミナ様からの神託を受けている。ただ、その結果ウォルディスがどういう状況になっているか、それを探る手段が無くて動けなかった」
レイニーの返事に、がっくり肩を落とすタオ・ヨルジャ。
実のところ、エアリスが神託として告げたのは、ウォルディスが邪神教団の手に落ちたというそれだけ。タオ・ヨルジャが語ったような細かい内容は一切ないのだが、予想の範囲を超えない内容だったため、驚くに値しないのは変わらない。
「お兄ちゃん下っ端だからそのへん初耳なんだけど、ウォルディスそんなにやばい事になってたんだ」
「でなきゃ、ファーレーンが動くはずが無い」
「そりゃまあ、ごもっともで」
レイニーの身も蓋もない言葉に、あっさり納得してのける自称お兄様。言動は単なる変態だが、一応国際感覚と呼べるものはあるらしい。少なくとも、言葉通り下っ端だとしても、かつてのレイニーのような使い捨てではなさそうだ。
「それで、逃げてくる前のウォルディスの内部情勢は?」
「そうですな。王太子と第三王子の派閥が水膨れしたような形で勢力を伸ばし、ほぼ内戦手前の権力闘争をしておりましたな。もっとも、おかげで第二王位継承者であるはずのリーファ殿下が目立たなくなったため、直前三カ月ほどは珍しく安全でしたが」
「第二王位継承者なのに、放置されてたの?」
「殿下には申し訳ありませんが、所詮は子供で、しかも棚ぼたのような形で転がり込んできた継承権ですからな。某のようないつ裏切るか分からぬ人間を腹心として押し付けられていたこともあって、どうとでも始末できると思われて後回しにされておったようです」
タオ・ヨルジャのいまいち納得しづらい説明を聞き、小さく首をかしげるレイニー。政治関係の事は良く分からないが、それでも簡単に始末できるなら先手を打ってさっさと始末するのではないか、そう思うのだ。
そんなレイニーの疑念を察したか、黙っていたリーファ王女が口を開く。
「タオの説明は、理由の一端。元々ウォルディスの国王なんてただの飾り。担ぎやすく操りやすければ、誰でもいい」
「つまり、王太子と第三王子の闘争が終わった後で、二人を排除する御輿にするために温存させた一派が居た?」
「実際、面と向かってそれを言ってきた有力貴族もいた」
なかなかに病んだ面を見せつけるウォルディス。そんな事を繰り返しているのだから、国内はいい感じに瘴気が蔓延していそうである。
「お兄ちゃん、すごく気になるんだけどさ。王女様を御輿にしたがってた一派って、今存続してるのかね?」
「さあ? ただ、存続してるなら、近いうちに恐らく内乱がはじまる」
「存続してなかったら?」
「王太子と第三王子が、競って周辺諸国を蹂躙し始める」
さらっと他人事のように、かなり致命的な結論を告げるリーファ。そのリーファの態度に、タオ・ヨルジャが深々とため息をつく。
「そういう事を他人事のように軽く言うのは、感心しませんな」
「じゃあ、私に何ができたのか、教えて?」
「……」
「……」
リーファの質問に対する、タオ・ヨルジャの沈黙。それが、リーファを取り巻く現実であった。
「結局、私は我が身かわいさに見て見ぬふりをして、何の行動も起こさなかった卑怯者。どうせ何もしないしできないのだから、悲劇のヒロインぶって心を痛める振りをするような偽善は、止めることにしたの」
温度の感じられぬ声で、淡々と告げるリーファ。何かを見ているようで何も見ていない王女にかける言葉が見つからず、己の不明を恥じるように沈黙するタオ・ヨルジャ。
別に忠誠を誓っている訳ではなく、己が目的に必要だからこそリーファ王女を守り続けてきたタオ・ヨルジャだが、まだ年齢が二桁にも満たぬ子供を使い潰そうとしている事には、ほんの少しだけ残った良心がそれなりに痛むらしい。
そもそも、少しでも何かしようとしていれば、今頃リーファは生きてはいまい。見て見ぬふりと言うが、止めようとしていれば屍が一つ増えただけで、まだ十歳にもなっていないリーファにその覚悟を求めるのは酷というものだろう。
「それで、あなた達は、ファーレーンに何を求めるの?」
「大したことではございません。我が祖国・ミンハオの仇を取るために、どうしてもリーファ殿下には生き延びていただかなくてはなりませんでな。つきましては、殿下だけでも保護していただけたら、と思いまして」
「何故、リーファ王女が生き延びる必要が?」
「何、簡単な事でございます。殿下は唯一残ったミンハオ王家の血筋です。もはや遠すぎて残っているとも言えませんが、それでも死なれては困ります故に」
「それで仇を取ることになるの?」
「内情を見ていれば、近いうちにウォルディスという国家が崩壊するのは確実ですからな。その時にミンハオの最後の血筋が残っておれば、仇を取れたと思いこむ事ぐらいはできます故。無論、某も持てる全てを駆使して、ウォルディスの崩壊を後押しする所存ではありますが」
かなり自分勝手な事を言い張るタオ・ヨルジャに、どうしたものかと眉を寄せるレイニー。正直、彼女の権限で判断できることではなく、また、タオ・ヨルジャの目論見は無謀に過ぎるため、ファーレーンを深入りさせていいのかと疑問に思わざるを得ない。
これが宏達であれば、恐らくタオ・ヨルジャの勝手な言い分に腹を立てつつも、リーファの様子に結局は保護することを決めるだろう。
今のリーファは、はっきり言って生きているとは言い難い。我が身かわいさに見て見ぬふりを続けてきた、と本人は主張するが、どうにもそうではなく何かが呪縛となって、生ける屍のような状態のまま生きることにだけ固執している感じである。
そのあたりに鈍いレイニーがそれを察することができるほどなのだから、情が深く他人の事をよく見ている春菜が見捨てる選択をできるかと言われると難しいだろう。
「……ひゃっ!?」
レイニーが黙考している間下りていた、微妙な沈黙。それを破ったのは、リーファ王女の素っ頓狂な声であった。今までの何の感情もこもっていない生ける屍のような声ではなく、歳相応の子供らしいかわいい声。その声に、何故だか微妙にほっとするものを感じるレイニー。見ると、タオ・ヨルジャも同じらしい。
だが、それはそれとして、なぜ突然リーファがそんな声を上げたのかは気になる。一瞬だけタオ・ヨルジャの顔を見た後、すぐにリーファ王女に視線を向けるレイニー。そこには
「ふむ。肉体的な疲労に加え、極度のストレス。しかも、ちゃんとしたものも食ってない、と。余りいい状態じゃないなあ」
リーファの腰や尻を撫でまわし、胸や太ももをさすっている自称お兄様の姿が。
「貴様、何をしている!?」
「何って、女性の身体をメンテナンスするための触診だが?」
「ふざけるな!」
「お兄ちゃんは大真面目だ!」
猛り狂うタオ・ヨルジャに対し、本当に大真面目に言い切るお兄様。その目はいろんな意味でマジだ。性的な要素が抜け落ちているあたり、かなり本気である。
もっとも、どれだけ大真面目だろうが、どれだけ善意の行動であろうが、やっている事は紛れもなく変質者であるが。
「命狙われてる時点でストレスかかるのはしょうがねえし、逃げてるんだから疲れもたまるだろうが、な。せめてちゃんとしたものは食わせてやれよ!」
どこかふざけた様子があったお兄様が、初めて大真面目に真剣に正論を吐く。一種の殺気が伴った気迫の前に、思わずタオ・ヨルジャがひるむ。
「まあ、そうは言っても、どうせおっさんにはどうにもできないことだろうからな」
などと言いながら、あっさり殺気を引っ込めて何処からともなく食材をあれこれ取り出すお兄様。ご丁寧に、魔道具タイプのコンロまである。
「ちょっと待ってな、王女様。お兄ちゃんが美味いもん食わせてやる」
何故かカタール、それもウォルディス一行を助け出した時に使っていたものとは違うものを取り出しながら、そんな風に大口をたたく。
「料理、できるの?」
「おう! お兄ちゃんは女性の美の追求のためには、一切手を抜かない主義なんだ!」
そんな事を言いながら、器用にカタールで手際よく料理を進めていくお兄様。左右のカタールで高速カットしたとは思えないほど、肉も野菜も美しく仕上げられていく。
「まずい飯は心を殺すからな。美味いものを食えば、人間ある程度はストレスから解放されるもんだ」
「それは同意」
変態の癖に実に正しい事を言うお兄様の言葉に、心から同意するレイニー。傍から見ればカタール装備のままフライパンを振るうその姿は突っ込みどころ満載だが、タオ・ヨルジャ以外にそのあたりの常識を指摘できる人間はこの場にいない。
そのタオ・ヨルジャはお兄様に気迫で負けた事で落ち込んでおり、残念なことにそこに突っ込める精神状態ではないようだ。おかげで、お兄様はやりたい放題である。
「そういう訳で王女ちゃん、覚悟しておけ! お兄ちゃんが三食エステ付きで魅惑のロリぷにボディを作り上げてやるからな」
「やっぱり変質者」
「何を言うんだ! ロリータはプニプニしてて初めて魅力的なんだ! こんな絶望しきって鳥ガラ一歩手前のロリータなんて、お兄ちゃん認めませんよ!」
そのまま、調理を続行しつつロリぷにボディの魅力だのそこから健全に育つことの重要性だのを熱く、というより暑苦しく語るお兄様。途中までいい事を言っていた風情だったのに、結局最後まで変質者は変質者だという事を証明してしまうお兄様であった。
アイスダンジョン初挑戦から三日目。
「何や、様子がおかしいで」
アイスタイタンの頭部をモールで粉砕した宏が、ダンジョンに対する違和感を口にする。それを聞いた真琴が、真剣な表情を浮かべてある方向に視線を向け、一つ頷く。
「どうやら、隠しダンジョンへの条件を満たしたようね」
「そうなのか?」
「今回に限って様子がおかしいんだったら、他にないと思うわ。それに、向こうでシークレットの条件を成立させた時も、あんな感じだったはずなのよ」
そう言って真琴が指さした先を見て、無言で頷く一行。最初は気がつかなかったが、徐々に壁が消えて穴が出てきている。その穴がはっきりしてくるにつれ、ボスルームの気配とか雰囲気とか、そういったものが様変わりしていく。
恐らく、宏が最初に感じ取った違和感は、この気配や雰囲気の変化だったのだろう。
余談ながら、芋虫は寒さに弱いため、宏のポシェットの中でジズの羽毛に埋もれて半分冬眠している。
「こっから先、煉獄の入り口ぐらいまで難易度が跳ね上がるから、気を引き締めていくわよ」
「了解」
真琴の警告を受け、真剣な顔で頷く達也。他のメンバーもそれなりに緊張感を持っているようだ。
いつものように宏が先頭に立ち、その横に澪が並ぶ。中央を達也と春菜が陣取り、殿を真琴が担当する。いわゆる、本気のフォーメーションだ。
「ここから初めて氷狼が出てくるし、ホワイトウルフも今までのとは桁違いよ」
「なるほど。属性耐性は用意したレベルで足るん?」
「多分大丈夫だと思うけど、絶対とは言い切れないわね」
やけに広い通路を進みながら、この先の事を確認する。氷結系の攻撃は水属性に分類されるため、事前準備として水に対する属性耐性は上げられるだけ上げており、一応これまでは十分な効果を発揮していた。だが、ここから先は一気に敵の強さが跳ね上がるので、当てにできるかどうかは分からない。
何しろ、特定の属性に特化したダンジョンの場合、生半可な属性耐性は余り役に立たない事が多い。対策が分かりやすいという事は、要するにそれだけその属性に関して強力な攻撃を備えている、という事でもある。しかも、今回は更に難易度が跳ね上がる隠しダンジョンだ。
実際のところ、過去に作って仕舞いこんでいた耐属性リングだけでは、アイスダンジョンのモンスターが繰り出す属性攻撃を完封するには至らなかった。初日に達也が流れ弾を受けた時にそれを確認した宏が、更に強力なものをいくつも作り足したために、現状ノーマルダンジョンはボスまで含めて全て無力化できているが、逆にいえば、ノーマルダンジョンですら、そのレベルの事前準備が必要だったのである。
耐性を抜かれたと言っても、所詮自然回復で消える程度のダメージ。そこまでして完封しなくても、ガーディアンフィールドが後わずかに強化されれば無傷で行ける範囲なのだが、世の中にはクリティカルヒットというものがある。幸いにして、クリティカルヒットには防御無効とかそういった効果のない、単純に偶然発生した強威力攻撃でしかないが、完封できるなら完封しておきたい、そう考えるのも自然なことだ。
それらの事情を考えると、真琴が絶対だと言い切れないのも当然といえば当然だろう。
「師匠、真琴姉、早速来た」
なおも色々確認を続けようとする宏と真琴に、澪がモンスターの襲来を告げる。
その数秒後、十数メートルの巨大な氷の狼が、目に殺意を浮かべながら駆け寄ってきた。
「来いやあ!!」
現れた三頭の氷狼に、宏がアウトフェースによる威圧を行う。濃密な威圧感に一瞬気押され、そのまま殺意を恐怖に入れかえて宏に襲いかかる氷狼。
先頭の一頭をスマッシュで弾き、後続を巻き込むように吹っ飛ばす。二頭のうち一頭は距離が近すぎて完全に巻き込まれるが、残り一頭は素晴らしい反射神経を見せてサイドステップで巻き込まれるのを回避し、そのまま宏を食いちぎらんと大きく口を開いて飛びかかる。
「ふん!!」
その口を無理やり閉じさせるように、ポールアックスを振りおろして地面に叩きつける。スマイトの乗ったその一撃を受けた氷狼は、見事に地面にめり込まされる。
「アーススパイク!」
宏の前で地面に叩きつけられた氷狼を、達也が大地系の中級攻撃魔法で仕留める。更に、杖の機能で同時発動した二発のアーススパイクが、後ろで団子になっている氷狼を串刺しにする。
ゲームのフェアクロでもこの世界でも、水属性を持つモンスターは、総じて大地系の属性攻撃に弱い。流石に上級ダンジョン、それも隠しダンジョンに出てくるモンスターが初級魔法で即死する事はまずないが、それでも達也が使ったような中級攻撃魔法なら、術者の魔法攻撃力や使っている装備、発動した時点で受けていたダメージによっては一回の魔法詠唱で落とせる可能性はある。
「ロックフォール!」
続いて、春菜が追い打ちで小範囲の大地系中級攻撃魔法を発動させ、大地の槍で貫かれ瀕死だった二体を岩石で押し潰して止めを刺す。結局、遭遇してわずか一詠唱の間に、大したコストも支払わずに三体の氷狼は叩き潰されてしまった。
殿ゆえに元より前に出る気はなかった真琴はともかく、澪まで出番が無いのは本人も予想外だったようで、どうにも拍子抜けした顔をしている。
装備もスキルも充実している今の宏達にとって、どうやらシークレットといえどアイスダンジョンのモンスターは敵ではないらしい。弱点をきっちりつけば秒殺できるあたり、本人達が思っている以上に能力値が伸び、火力が上がっているのだろう。
「しまったな……」
「うん。失敗したよね」
勢いで仕留めてから、達也と春菜がミスに気がつく。検証しなければいけない事柄を、一切確認できていない。
「次のモンスターは、範囲攻撃や魔法の同時展開なしでやるか」
「そうだね。今の感じだと多分、倒すだけならすぐ倒せると思うし、やっぱり一度は攻撃させないと」
検証項目である、現時点での耐性の効果。あまりに順調に、簡単に仕留め切れたせいで、そのあたりが一切検証できていない。
雑魚からの攻撃をわざと受けた所で、分かることなど大して無いのだが、それでも一応の指標にはなる。少なくとも、真琴や澪が雑魚からの属性攻撃でダメージを受けるようであれば、ボスの属性攻撃を無力化する事は出来ない。
どうせ宏が九割以上防ぐのだから大した問題にならない、というのは思っても誰も口にしないお約束である。
「おかわりが来た」
ドロップである氷霊結晶、それも片手で持てないほどの大きさのものを拾い集めながら、澪が新手の存在を告げる。それを聞き、再び前に出る宏。もっとも、今度は最低一体を真琴か澪に任せる予定なので、最初はアウトフェースを発動させる気はない。
新たに現れたのはアイスゴーレムと氷狼の混成部隊。足の速い氷狼を挑発して抱え込み、アイスゴーレムを澪に任せる。思い切って手を抜き、わざと攻撃を受けること数回。調べたい事を大体調べ終え、さっくり仕留める。
先ほど同様、死体を残さずに氷霊結晶を残すモンスター達。アイスダンジョンのモンスターは基本、死体が消えてほぼ確実に何らかのドロップアイテムを残す。そこが冒険者たちに人気なのだが、宏のように死体をとことんまで利用し尽くすタイプからすると、あまり有難味の無い仕様と言えよう。
「とりあえず、雑魚の属性攻撃は効かんみたいやな」
「通常物理攻撃も微妙に属性が乗ってるから、何割かは軽減されてる感じだったよ」
「種類が変わってもそんなに変わらねえだろうから、正直雑魚は脅威にゃならねえな」
調べるべき事を調べ終え、ざくっと評価を済ませる一同。大幅に威力が強い属性攻撃が無効化される以上、威力が落ちる通常物理攻撃が通じる事はない。それが耐性による軽減を受けるとなれば、なおのことであろう。
そして、この種のダンジョンの雑魚が、完全な無属性の大技を使ってくる事はない。極端に単一属性に特化することにより、同等レベルの他のモンスターよりはるかに高い攻撃力と防御力を得ているのだ。いかに切り札になりうるといえど、たかがひと山いくらの雑魚モンスターにそこに割くリソースなどあるはずがない。
「さて、雑魚が問題ないっちゅうことは、中ボスと大ボスが問題やな」
解体する手間がかからない事に若干の寂しさを感じつつ、この先にあるであろう問題を提議する宏。事前準備が見事にはまったとはいえ、無力化できているのは雑魚だからにすぎない。
中ボスクラスになると完全な無属性攻撃も繰り出してくるだろうし、大ボスになると本当に単一属性かは断言できなくなる。百パーセント自分のところで攻撃を止め切れる、なんて自信を持っていない宏にとって、ボスの強さは結構重要な要素である。
「そうね。ゲームの時の大ボスは二段階目のバルドよりちょっと上ぐらいがせいぜいだったから、それより上だったとしても今のあんたなら問題はないと思うわよ。間違っても、タワーゴーレムまではいかないでしょうし」
「せやったらええんやけど……」
記憶を思い起こしながらの真琴の言葉に、微妙に不安の色をにじませつつも頷く宏。ゲームの時とはいろいろ条件が違いすぎるため、どうしても真琴の記憶も当てにならないのだ。
「まあ、やってみないと分からないし、最悪エクストラスキルを連打して仕留めればいいんだし、ね」
「それもそうやな。兄貴のエクストラスキル、まだ実験してへん事やし、見た目にやばそうやったらそれで行くか」
春菜の言い分に少しばかり緊張を緩める宏。前評判とは裏腹に余りに敵が雑魚すぎて、何か落とし穴があるのではないかと過度に警戒して余計な不安を抱いてしまっていたらしい。
実際のところ、真琴が最初に告げたダンジョンの評価自体は間違っていない。アイスダンジョンの隠しダンジョンが、煉獄の表層と変わらぬ危険度合いなのは事実である。単に属性がはっきりしているが故に対策が取りやすく、また真琴が煉獄に挑戦していた時より本人を含めたメンバーの装備・実力が段違いであるために、相対的に温く感じてしまうだけなのだ。
結局、この後大ボスのボスルームまで特にピンチになる事はなく、エクストラスキルどころか上級スキルすら使わずにボス戦に到着する一行。ボスルームにいたのは……。
「真琴さん、シークレットのボスって、あれであっとる?」
「……おかしいわね。ボスは狼系じゃなかったはずなんだけど……」
大霊窟にいたのと大差ないサイズの、巨大な青い狼であった。発散している瘴気の量と濃度が、なかなか素敵な感じである。
もっとも、感じるプレッシャーはタワーゴーレムほどではない。あの頃から成長している分を差し引いても、間違いなくタワーゴーレムより弱いと断言できる。強さだけで言うならオルテム村のイビルエントより上だが、あれと違い一手ミスれば宏以外全滅する、という種類の厄介さを持っている様子もない。
だが逆に、素材を気にして戦えるほど温い相手でもない。そもそも今までのダンジョンの仕様上、死体が残るのかどうかという問題はあるが、仮に死体が残ったとして、まともにはげる素材を残して仕留めるとなるとかなり命がけになる。
「まあ、強さの評価自体は真琴のであってるだろうし、後はどうするかだな」
「せやな。今回はお試しみたいなもんやし、死体が残らへん前提でさっくりエクストラスキル連打で一気に仕留めるか、前の亀みたいに魔力圧縮のオキサイドサークルで勝負かけてみるか、っちゅう所やけど……」
「ここまで一回も使ってねえし、そろそろエナジーライアットの試射はしておいた方がいいんじゃねえか?」
「せやな。進入条件も分かったし、ここまで来るだけやったら大したことあらへん。仮に死体残るんやったら、オキサイドサークルはもっぺん来て実験すればええし」
宏と達也が出した結論に誰も異を唱えず、とりあえずアウトレンジからエナジーライアットをぶつけてみることにする一行。物語ではあるまいし、不意打ちを受けた訳でもないのにわざわざ巨大な相手に最初から白兵戦を挑むなど、ただの愚か者のする事である。
初めて撃つエクストラスキルという事で、念入りに準備をする達也。分かっている仕様を考えると、杖の機能で四分の一までコストを絞っても、残念ながら達也の魔力では一発勝負だ。恐らく達也よりはるかにレベルが高い廃人連中でも、コストカット系の装備なしに生身で撃てるような魔法では無い。
コストだけでなく、一分以上かかる詠唱時間に十二時間以上のクールタイムの存在と、実にエクストラスキルらしい要素が山盛りだ。特にクールタイムが厳しく、もう一発追撃したいとなると強制冷却の裏技は必須となる。
それらの要素を考えると、真っ先にやるべき事はただ一つ。地脈接続だ。
「行くぞ! エナジーライアット!!」
一分半ほどの詠唱を終え、トリガーとともに術を解きはなつ達也。ありとあらゆる属性相性を超越した純粋なエネルギーの塊が、巨大な狼を飲み込み蹂躙せんと突き進む。金剛不壊で特性を打ち消さない限り、魔法抵抗以外のありとあらゆる防御を無効化する破壊光は、見事に巨大狼の半身を粉砕して消えた。
威力確認のために標準性能で放ったというのに、予想以上の攻撃力を見せたエナジーライアット。その威力に、魔法のノックバックと地脈接続によるダメージでへたり込んでいた達也が、疲労も忘れて唖然とした表情を見せる。
確かに詠唱時間が長く膨大なコストを要求され、その癖効果範囲がほぼ単体だったのだから絶大な威力があってしかるべきだが、ここまでくると生身の人間が扱っていい魔法ではない。しかも厄介なことに、この魔法は魔力をつぎ込めばつぎ込むほど、天井知らずに威力が上昇していく。
ゲームバランスはどうしたのかと、小一時間ほど問い詰めたくなる。
「さすがに、一撃では無理やったか」
着弾の瞬間に急所を避けたらしく、下半身が消滅しながらもなお生存は維持している狼。それを見た宏が、止めを刺すべくポールアックスを構えて突っ込んで行く。
「往生せいやあ!!」
明らかに瀕死だが、素直に死んでくれる気がしないため、オーバーキル確定でありながらわざわざタイタニックロアを発動させる宏。たまには使わないと使える事を忘れる、というのが一番の理由だが、確実に仕留められる攻撃がこれしかなかったというのも大きい。
ほぼ神になってしまって基礎スペックが跳ね上がっているからか、それとも武器の性能が良くなっているからか、今まで放ったどの時よりも大きな威力で解き放たれるタイタニックロア。洞窟全体を揺らし、フロア全体を陥没させ、天井を数メートル高くした上で狼を完全に粉砕する。
「……ここまで威力あったか?」
「……宏君、スペック上がってるの忘れてたでしょ?」
「……言われてみればせやな」
春菜に突っ込まれて、自身のミスを自覚する宏。とりあえず崩れるとやばい、という事で天井を確認すると、一体どんな変化があったのか、岩肌だった洞窟の天井がまるでクリスタルのようなものに変質している。亀裂の類が一切ないので、恐らく崩れる事はないだろう。
「師匠、春姉、もう一周確定」
「……あっ、死体が残ってる」
「こいつだけ、仕様がちゃうんやな」
澪の指摘に、ほとんど破片となっている狼の死体を確認する宏と春菜。真琴は既に、回収できる大きさのものを回収し始めている。
「……あれ?」
「どうしたの、春姉?」
「この先、やけに瘴気が薄いんだけど……」
「……ん。これだと、ほとんど神殿?」
「……実際に、神殿、もしくは神域なのかも」
春菜が発見した通路。その先は、ダンジョンの中とは思えないほど清浄な空間であった。
「……どないする?」
「達也が万全とはいえないし、今日はやめておいて明日もう一周した時に確認した方がいいんじゃないかしら」
「せやな。明日、オキサイドサークルあたりで実験してからやな」
真琴の提案に宏が同意する。結局、他に誰も異議を唱えず、折角発見した神殿、もしくは神域は翌日に回され、寒いのでベヒモスの時のように復活を待ったりせずにとっとと引き上げる一行であった。
「殿下、ハニーはいつマルクトに?」
『さあな。今はクレスターのアイスダンジョンに通っているという話だから、連中が求めている素材が集まったら移動だろう』
「それが終わったらマルクト?」
『そう断言できないのが厄介なところだ。恐らくはダンジョンを巡っているのだろうが、次にどこに向かうかは連中の気分次第だからな。それに、そもそも思いつきで動く連中だから、アイスダンジョンが終わったから息抜きにベリルあたりで屋台、なんてことをやっていても驚くに値しないしな』
宏達がアイスダンジョンの隠しダンジョンに侵入したその日。定時連絡でのレイニーの確認に、レイオットが答えにならぬ答えを返していた。
なおベリルとは、マルクトとローレンに加え、さらにいくつかの国の国境が接する交点に存在する都市国家で、地政学的な理由から何処の国にも併合されずに済んだ国である。交通の要所にあるため、地味にクレスターより人口が多いのが趣深いところだ。
『ヒロシ達がマルクトに来ないと、何かまずいのか?』
「別にそういう訳じゃない。ただ、ウォルディスの王女様、ハニーにあわせちゃっていいの?」
『そっちの問題か……』
宏達の動向が読めないため、出たとこ勝負にするつもりで棚上げしていた問題を突きつけられ、少し考え込む。
『そうだな。マルクトとも相談が必要になるが、時間の猶予を作るなら、陸路でローレンか、海路でダールのどちらかだな。ただ、いっそ連中にぶつけて判断を任せる、という手もない訳ではないが……』
「ハニー達、子供には甘いから情に流されそう」
『ファムやライムの事を考えると、否定はできんな。リーファ王女は、どんな人物だ?』
「凄くまとも。お付きの二人がいなきゃ、ファーレーン亡命で問題ないと思う」
レイニーの正直な評価に、そんなところだろうな、と内心で頷くレイオット。本人はかなり高レベルな変態のレイニーだが、今までいろんな国の重鎮と接してきたからか、人を見る眼はかなり磨かれてきている。そのレイニーが、今までウォルディス一行を排除しなくていいのかと聞いてこなかったのだから、リーファ王女自身がそこそこまともであることは疑う余地はない。
結局のところ、お付きの二人が問題なのだろう。特にお付きの女性は攻撃的で庶民を見下す事を何とも思わない高圧的な女という、宏と致命的に相性が悪い生き物だ。それが逃亡生活でストレスをため込んでいるとなると、絶対に碌なことにならない。
『いっそ、リーファ王女だけを隔離して、アルフェミナ神殿かウルス城で預かる事も考えた方がいいか……』
国際情勢その他を踏まえ、そんな案も考えるレイオット。現時点で確定している事は、遅かれ早かれウォルディスは世界に戦争を仕掛けてくる事、恐らくその時の軍勢はモンスターが中心になるであろう事、そしてどう転んでもリーファ王女に死なれては困る事。
そう、どう転んでもリーファ王女に死なれては困るのだ。彼女を何らかの形で保護しなければならない、それは断言できるのである。
『リーファ王女は、ファーレーンに保護されたとして、何か野心的な行動を起こすタイプか?』
「むしろ、その方がまだ安心できる」
『と、言うと?』
「なまじまともだから、色々余計なものを見てきたみたい。今の王女は、精神的にはほとんど死んでるのと変わらない」
『なるほどな』
レイニーの説明を受け、何かを決めるレイオット。
『よし。リーファ王女だけを隔離、ウルス城で保護する。最終的に巻き込まれるのはどうにもならんだろうが、今の段階でヒロシ達がウォルディス組の余計な事情に巻き込まれて利用されるのはよろしくない。マルクトと協力して、一両日中に王女を転移陣でウルスへ送り込んでくれ』
「了解」
ようやく、リーファ王女に対する対応について腹をくくり、方針を指示するレイオット。宏達がのんきにダンジョン巡りをしている間も、世界情勢は動き続けるのであった。
なんとなく忘れがちですが、リーファ王女はまだ年齢一桁です。
エアリスとかファムとかライムとか特殊事例ばかりなので勘違いしがちですが
この世界でも年齢一桁だとこれで早熟なぐらいです。





