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第5話

「そっちのんも、一応とっといて」


「は~い」


 獣道に入って三十分。春菜の予想通り、宏は早くも採取モードに入っていた。


「やっぱ、ここも神域の類やな」


 ある程度まとまった量を回収したところで、宏がそう結論を出す。本来動物も植物も関係なく、生物が生命活動を行うと多少なりとも瘴気が発生する。なのに、普通の島同様の豊かな植生を誇っていながら不自然なまでに瘴気が発生しない時点で、ここが神域の類である事はほぼ確定なのだが、更に駄目押しで採取物からもそれを裏付ける結果が出ている。


 収穫できる内容こそ違えど、ここで採れるものは大霊窟の先にある神域同様、どれもこれも大量の神力を蓄えたミラクル作物だった。こちらは南国フルーツ主体ではあるが、他にもやけに効力の強い薬草やハーブの類も大量に自生している点が違いといえば違いである。


 大霊窟の神域は明らかに作物を育てていると分かる管理の仕方をしているのに対し、この島は一見すると、誰かが管理しているようには見えない。だが、日本の里山のように、一見して自然に任せているように見えながら、実は細かいところで人の手が入っている環境である事は、見る者が見れば一発で分かる。


 恐らくそういう環境だからこそ、採取の技量が中級程度の春菜でも普通に素材収集ができたのだろう。


「素人が見ても分からん程度には、あっちこっち手が入っとるな。誰ぞ管理しとる存在がおるはずや」


「そうなの?」


「思われとるほど、普通は自然任せで理想的な環境にはならんもんや。せやのに、この島の植物は樹の生え方の間隔から下草の種類に組み合わせ、果ては日の当たる角度と背丈の高さまで、全部の植物にとって理想的な状態になっとる。少なくとも、自然任せやとここまではいかんし、っちゅうて人間が頑張ったところで、この規模の島をここまで完璧に管理するんは無理やしな」


 宏の妙に説得力のある説明に納得し、もう一度周囲を観察してみる春菜。言われてみれば確かに、下草の高さが妙に綺麗に揃っている。樹と樹の間隔も一見無造作に見えて、しっかり規則性を持って並んでいる。


 そこまで気がつくと、ランダムに生えているように見える樹の種類も、じっくり観察すればやはりちゃんと規則に従って配置されている事が分かる。それも、恐らくパズルとかそういうものが得意な人間でなければ気がつかないような、非常に手の込んだややこしい規則に従っている。


 人間が植樹した時のように、同じ種類の樹木だけで整然と並んでいる訳ではなく、いろいろ入り混じって配置されているからすぐには気がつかなかったが、この森は間違いなく自然任せではなくきっちり管理された土地だと断言できる。


「……なんというか、手が込んでるよね……」


「恐らく、動物の生態系も大霊窟と同じで、疑似生物による制御やろな。疑似生物っちゅうても瘴気出さんだけでちゃんと生き物ではあるから、死骸はちゃんと栄養になるし食物連鎖も成立させれるしな」


「本当に、手が込んでるよね」


「ここまでやって管理者の存在を隠蔽する、っちゅうんが気になるとこやな。案外、周囲のえらい速い海流も、この島に来た人間を外に出さんようにするためやのうて、入らせんようにするためのシステムなんかもしれんで」


 色々と考察しながら、獣道をたどって奥に踏み入って行く。植生が変わるたびに念のためにあれこれ採取しながら、獣道に誘導されて進む事約三時間。ついにせせらぎの音が聞こえてくる。


「そろそろ、水源が近いかも」


「せやな。歩いた距離とかから考えて、ええ加減そろそろ島の中心ぐらいやろ」


 そろそろ日が落ちる。そんな時間になってまだ島の中心に到着していないのは、間違いなく調査と称して素材集めに走った宏が原因だ。とは言え、それによりいろいろ手がかりが手に入り考察が進んだ面があるので、調査という言い訳もまんざら嘘ではないのだが。


「ただ、そろそろ野営の準備が必要だけど、どこかいい場所あったっけ?」


「ここくるまではなかったな」


「さすがに、今からベースまで飛んで戻るのは、時間が勿体ないよね」


「さすがになあ。せやから、もうちょい進んでコテージ出せそうなスペースなかったら、諦めて適当な所で蚊帳でも吊って寝よか。多分、モンスターの襲撃とかはあらへんやろし」


「そうだね」


 今回に限っては、それしかないかとため息交じりに同意する春菜。仮に宏が採取モードに入らず、素直に島の中心部まで移動できていたとしても、そこでコテージを出せるとは限らない。結局、高確率で野宿になっていただろう。


 もっともそもそもの話、普通冒険者は街中以外では、大抵の場合はテントも張らずに毛布一枚で野宿するものだ。いちいちテントになど入っていると、モンスターなどの襲撃に対して後れを取るので当然だろう。食事にしてもたき火で干し肉などを適当にあぶるか、良くて鍋でスープを煮出す程度で、宏達が食べているほどまともな料理など口にできない。


 例外として護衛任務の時はテントを張り、それなりの調理器具を使ってある程度ちゃんとした料理を作るが、あくまでも例外である。テントを張れるのは大抵護衛の人数が多くて対応に問題が出ないからだし、料理の方はあくまで雇い主の厚意だ。


 つまり、今までの宏達が特殊すぎるのである。


「丁度いいスペースがあるといいんだけど……」


「まあ、ちょいペース上げて進もか」


 そんな二人の願いもむなしく、この日は星空の屋根の下で眠ることになる。


「二人っきりでテントも張らずに野宿って、久しぶりだよね」


「せやなあ。こっちに飛ばされた時以来か?」


「……そうだね。エルちゃん達を回収した時は、雨が降って素材が濡れたらまずいからってテント張ってたし、達也さん達と合流してからは基本的にコテージ使ってたしね」


 辛うじて火を起こした上で横になれるスペースを発見。念のために蚊帳を広げ、食事の準備をしながら、思い出話に花を咲かせる宏と春菜。こちらに飛ばされてからもう一年以上。飛ばされて来た当初と比べると、色々な事が変わっている。


 一番大きな変化は、春菜が宏に恋をしたことだろう。二人だけで生活していた頃は恋愛対象としては完全に眼中になかったのに、今では人としてかなり駄目な欠点すらも愛おしいと思えるほど惚れ込んでしまっている。


 距離感にしても同様で、来た当初の宏は、春菜と可能な限り二メートル以上離れて行動しようとしていた。それが今では、七十五センチまでは全くプレッシャーを感じずに行動できるようになっている。


 たった一年ほどで、と見るべきか、一年以上経ってもこの程度、と見るべきかは微妙なところだが、もはや来た当初と変わらない要素は、宏と春菜がクラスメイトであるという事実だけであろう。


「今にして思えば、こっち飛ばされてきた直後に蚊とかそんなにおらんでよかったでな。ウルスのあたりには変な病気持っとるんはおらんかったけど、それでも絶対っちゅう訳やあらへんし」


「あ~、そういえば確かに。あの時は蚊帳なんて持ってなかったもんね」


「蚊帳どころか着てるもんとナイフ以外、何も持ってへんかったし」


「そうそう。あの頃からすれば、ずいぶんと持ち物も増えたよね」


「せやなあ……」


 スペースの都合で軽く火を通しただけの各種具材を挟んだサンドイッチを夕食に、思い出話は続く。丸一日以上完全に二人きりで行動したのは、エアリス達を助け出した時以来のことだ。別に何か作業をしている訳でもなく、達也達がいるとなんとなく話しづらいことも遠慮なく話せるからか、さほど長くなかった小さな部屋での暮らしや工房に移ってファム達を受け入れるまでの間にあったことなど、なんだかんだで共有している思い出が多いこともあり、二人の話はいつまでも尽きない。


「見張りしとくから、そろそろ春菜さんは寝た方がええで」


「そうだね。早く寝ないと、十分睡眠時間が取れなくなるもんね」


 体感でおそらく夜九時ごろ。十分な睡眠時間を確保するために、いつまでも話題が尽きる気配を見せぬ会話を、宏が切り上げる。


 宏の提案に素直に従い、遠慮なく先に眠らせてもらう事にする春菜。暗黙の了解で、野営の時の見張りは二分割なら最初を男性陣が、三分割なら最初に真琴、真ん中に宏と達也、最後が春菜と澪の組み合わせで行う事になっている。複数のパーティやチームで行動している時以外に三分割になる事はまずないため、基本は前半を男性陣が、後半を女性陣が担当する事になる。


 本来ならマジックユーザーである達也は最後に回す方がいいのだが、成長期の澪に夜更かしをさせたり夜中に起こしたりするのははばかられ、達也同様マジックユーザーである春菜もできるだけちゃんと睡眠をとらせた方がいい。そうなると必然的に、少々睡眠が怪しくても問題がない宏が前半か真ん中に来るのだが、そうすると今度は女性恐怖症の問題から真琴と組ませるのはどうかと言う事になる。


 結果として、年長者だからという事で自分から進んで貧乏くじを引いてくれた達也と組むことになり、一番睡眠時間的に厄介な真ん中の時間帯をよりにもよってマジックユーザーである達也が担当する形になったのだ。


 もっとも、大抵の場合宿に泊まれない状況では携帯用コテージを使うため、短時間でも質のいい睡眠がとれるのでそれほど問題はないのだが。


「それじゃあ、おやすみなさい」


「おやすみ」


 鎧を脱いだ後適当な野営用の敷物を敷いて、その上で薄手の毛布に包まって横になる春菜。この世界に飛ばされてきた最初の夜は、バーサークベアの毛皮の上で眠った事をなんとなく思い出し、こんなところでも環境の変化を見つけて少し懐かしくなる。


 あの時は性的な意味では宏をそれほど信用できておらず、モンスターに対する過剰な警戒もあってちゃんと眠れなかった。今は逆に、たとえドラゴンが出て来ても大丈夫だと断言できるほど宏を信頼しており、性的な方面に至ってはむしろ手を出してくれるなら大歓迎という心境なのだから、一年ほどで本当に大きく変わったものである。


 寝入る直前にそんな事を考えたからか、とても人様にはお見せできないような夢を見てしまう春菜。恋心を自覚して以来、一度もその手の夢を見なかった訳ではない。ないのだが、いつもより距離が近く、他の人間の気配が一切ないことなどが作用してか、時折見てしまうその手の夢よりもこの日の夢はかなり本格的で激しかった。


 恐らく、自衛のためと言う事で身内からいろんな意味で正確な性教育を受けているのが影響しているのだろう。むっつりスケベと言われて否定できない部分がある春菜だが、実のところ同年代と比較して性的な事に対しての好奇心や欲求は比較的薄い。が、健康で成熟しつつある肉体と若く健全な精神を持つ宗教的な修行を一切していない若者が、性欲と完全に無縁でいられることなどあり得ない。


 無意識のうちに色々とため込んでいた所に一切邪魔が入らない形で二人きりになり、しかも一日以上抱きしめられていたという情報などが加わった結果、自身にとっていろんな意味で都合がいい夢を見てしまった春菜は、夢の中で徹底的に欲求を満たしてしまったのである。


 春菜に寝言の癖がなかったのは、ありとあらゆる意味で幸いだったとしか言いようがない。澪の妄想と比べればはるかに大人しいとはいえ、それほど彼女が見た夢は外に漏らせない内容だった。


「春菜さん、春菜さん」


 どんな夢を見ていたかなど一切知らず、時間が来たからといつものように綺麗な寝相ですやすやと眠っていた春菜を揺り起こす宏。宏の声に、春菜の意識が夢の中にいながらゆっくり浮上する。


「……宏君……」


 現実との区別がつかないほど夢に浸り切っていた春菜が、とろんとした瞳のまま様子でゆっくり体を起こす。珍しく寝ぼけた様子の春菜に首をかしげながらも、念のために完全に目が覚めるのを待つ宏。二人の目があった時、事件は起こった。


 いまだに半ば夢の中にいる春菜が、ゾクリとするほど色っぽい表情で正面から宏を抱きしめ、唇を重ねようとしてきたのだ。エチケットだのデリカシーだのの問題で半ば無意識のうちに遮断していた嗅覚が、春菜の身体から立ち上るフェロモンたっぷりとしか表現できない香りを拾い、宏の本能を刺激する。


「ちょっ、春菜さん!!」


 とっさの判断で片腕を振りほどき、唇をブロックしながら必死になって春菜を起こそうとする宏。女性恐怖症による本能に根ざした条件反射に加え、寝ぼけて口付けを交わしたと知った時の春菜の反応とその後の人間関係の変化に対する恐れが、火事場の馬鹿力的に宏の反応速度を大きくかさ上げしたようだ。


 おそらく、春菜が宏を責める事はあり得ないだろうし、それで嫌いになることも無いだろう。だが、正気でない状況でこんな重大な行為を交わした日には、ぎくしゃくせずに済むことなどあり得ない。第一、宏の側には春菜とそっち方向で関係を深めるような覚悟も無ければ、春菜相手といえども現実に関係を進められるほど劇的な状況の改善も起こっていない。


 もう一歩。そう、もう一歩、何か過去を振り払うための切っ掛けが必要だ。それも、今までのような甘やかされた形ではない、今まで直視するのを避けてきた過去と正面から向き合う、その覚悟を決めさせるだけの切っ掛けが。


 それなしでまだ過去を乗り越えた訳でもない宏が、寝ぼけた春菜の行為に対して責任を取る形で関係を進めれば、まず間違いなくどこかで破綻する。その事を本能的に理解しているが故に、宏は今の寝ぼけて正気を失っている春菜を必死になって拒絶しているのだ。


「ん~、宏君……?」


 とはいえ、所詮寝ぼけているだけなので、きっかけさえあれば正気に戻るのはすぐだ。本来、春菜の寝起きはこんなに悪くはない。宏に拒絶された時点で、寝ぼけて霞がかっていた春菜の頭は、急速にクリアになり始めていた。


「……えっ? ……えっと?」


「やっとちゃんと起きたか……」


 何故か自分が宏を抱きしめようとしている事に、戸惑いの声を上げる春菜。どうやら、どこまでが夢で何処からが現実かが理解できず、混乱しているようだ。その様子にやっとちゃんと起きたと判断し、ため息を漏らす宏。女体に長時間接触されている事に加え、状況の際どさから全身に鳥肌が立っているが、こればかりはどうしようもないだろう。


 恐らく宏でなければ、そのまま状況に流されていたであろう。普通のギャルゲーや恋愛系の小説、漫画などであれば間違いなくキスシーンが、十八歳未満御断りの作品ならその先まで進んでいたに違いない。


 寝ぼけた女に迫られてそこまで進むのはいろんな意味で問題がある事や、そこまで関係が進んでしまった場合の責任がどちらにあるかに関しては、この際横に置いておく。


「……あの、もしかして私……」


「……未遂やから安心し……」


「えっと、ごめんなさい……」


 未遂と聞き、色々と複雑な表情で謝罪する春菜。申し訳なさ七に残念さが約三、その他に自身に対する情けなさや呆れといったものが少々といったところか。


 必死になって拒絶した宏に対する不満は、とりあえず現時点では浮かんでいない。


「ほな、今から寝るから……」


「あ、うん。おやすみなさい」


「おやすみ」


 努めて平常運転に戻る宏に反射的にあいさつし、昨日に続きそのままどん底までへこむ春菜。何がへこむと言って、身体の方には夢を見ていた時の痕跡がばっちり残っている事に対してだ。痕跡どころか、夢の余韻が熱としてあちらこちらにくすぶっているあたり、恐ろしいまでの自分の欲求不満ぶりが明らかになって泣きたくなる。各種エンチャントのおかげか、服は寝る前と何一つ変わらないのだが、その事実に救われた事が更にへこむ。


「どんな夢見てたか、絶対にばれてるよ……」


 服に助けられたとはいえ、寝ぼけて宏を襲ったのだ。程度はともかく、どんな夢を見ていたのかなど間違いなく筒抜けであろう。その事が恥ずかしくて情けなくて、何より間違いなく夢だとはっきり分かる手がかりがいくらでもあったのに、そうと気づかずどっぷり溺れ切ってしまった事実に自己嫌悪が止まらない。


 恐らく、阻止に失敗した後、出会った直後であれば起こりえたかもしれない最悪の事態を夢で見ているのだろう。呼吸から明らかに寝入っている宏が、険しい顔でガクガク震えているのが実に申し訳ない。そんな事には絶対なりえない、とか、そこまで信用ないの? とか言うのは簡単だ。だが、宏が過去をまだ完全には乗り越えられていないと分かっているため、最悪の事態を連想するなと言うのは単なる無理強いだとこの期に及んですら頭と感情双方で納得できてしまう程度には、春菜は理性的な女の子である。


 故に、宏が目覚めるまでの間、器用にも警戒を一切怠らずにへこみつづける春菜であった。








 時間は少しさかのぼり、宏と春菜が野営を始めた頃。中間の寄港地であるリジャール港、そのうち最も高級な宿のもっとも高価な一室にて、珍しくエアリスがいまだに怒りを抑えられない様子を見せていた。


「まったく、あの方にもレーフィア様にも困ったものです……」


「もしかしてあのイカ、眷族か何かなのか?」


「眷族なら、まだ少しはマシです。その気になればレーフィア様が完全にコントロールできるのですから」


 達也と真琴、澪の三人に割と聞き捨てならない愚痴をこぼしながら、少しでも心を落ち着けようと膝の上にいる芋虫に神キャベツを与えるエアリス。普段は宏の背中から離れない芋虫だが、巨大イカが現れた時点でいそいそと甲板の上に降りていたため、今回の海難事故には巻き込まれずに済んだのだ。


 その後、慌ただしく船員が走り回る甲板をのたのたと這いまわり、踏まれそうになっていた所をエアリスに救助されて今に至る。


「眷族じゃないの?」


「はい。あの方は……」


「ちょっと待って。聞くと凄く後悔しそうなんだけど」


「それは、私の方からは何とも。ただ、今回の事については、レーフィア様も予想外だったそうで……」


「予想外ってどう言う事よ……」


 エアリスの口から飛び出す、物騒な単語。それに、嫌な予感が膨れ上がり、突っ込みを入れつつエアリスからの情報を遮断する真琴。神様レベルで動いている事に対し、下手に口を挟むと面倒なことになりそうだと途中から口をつぐむ達也。何か思いつく事があるようで、澪も少々態度が不審だ。


「それでも、悪意も無くあんな真似をするのも、それを防げなかったことも、許されていい事ではありません。一歩間違えれば船が沈み、全員の命がなかったのですから」


「そりゃまあ、まったくもってその通りではあるんだけど……」


「ですので、その事について厳重に抗議を行っていますが、とことん絞る必要がある当人がリンクを切っていて捕まらないそうで、しかもレーフィア様自身が少々開き直り気味です」


 エアリスの不機嫌の理由がほぼ判明し、自分達ではどうしようもないと判断せざるを得なくなる達也達。助けを求めるようにアヴィンとドーガに視線を向けるが、アヴィンやドーガにもどうしようも無いらしく、渋い顔で首を左右に振る。


「まあ、そのあたりの神様の事情は、神様自身に任せるとして、だ。ヒロと春菜は、今日はもう調査を切り上げて野営するんだと」


「こっちと時差がないならそろそろ日が落ちる時間だし、それはしょうがないわよね」


「結構広い島みたいで、今日一日では外周の調査ぐらいしか終わらなかったらしい。獣道に入って島の中心に向かって歩いてるそうだが、恐らく、行ってても全体の七割程度じゃないか、とのことだ」


「どうせ宏の事だし、時間の大半は素材集めに気を取られてたんじゃないの?」


「だろうな」


 宏と春菜の今日一日の報告を聞き、大体の状況を悟って苦笑する達也と真琴。未知の環境に宏を放り込んで、素材収集に走らない訳がないのだ。


 なお、状況報告に関しては、今回は達也に一括で伝えている。エアリスやアヴィン、ドーガなどにも伝言する必要がある上、面倒だからと詳細は省略しているため、達也の口から全員に伝達してもらっても変わらないとの判断である。


 精神的に割とそれどころではない気分だったため、単なる生存報告だからと手を抜いたのだ。


「でも、師匠の肩を持つ訳じゃないけど、素材を集めて調べないと、環境とか判断する材料が少ない」


「まあ、な。実際、それで色々分かってるみたいだしな」


 二回ほど前の定時連絡、その内容を思い出しながら澪の言い分にも理解を示す達也。調査と素材集めのどちらに重点を置いているかだけの問題で、必要な行動だったのは事実である。


 ただ、恐らく当初の目的を忘れて余分な時間を素材集めに回しただろう、と予想がつき、その結果いろいろと遅れが出ているとなると、少々釘を刺した方がいいのではないかと思わないでもない達也。


 なまじ年齢が成人に近く判断能力がある分、叱ろうにものらりくらりとかわされたり、言い訳と切り捨てきれない反論が飛んできたり、無駄に行動に正当性があったり、結果論では自分達の利益につながっていたり、と上手く行かないのが難儀なところだろう。


 今回も十中八九は目的が入れ替わっているだろうとは思うが、それだけの素材収集が調査のために必要だったと言われると、現地にいない達也では言い訳かどうかの判断ができない。


「とりあえず、早いところ調査を済ませて脱出手段見つけて合流してもらいたいとは思うが、ここで安全にのうのうと待ってるだけの俺達が現地の二人に文句言うのはなあ……」


「本当、毎度毎度突っ込みを入れる以上の事がしづらい状況にばかりなるわよね……」


「師匠と春姉が一緒に行動してるから、しょうがない」


 年長組の愚痴をばっさり切り捨てる澪。ダルジャンの話を聞く限り、宏と春菜は特殊と言うか特別な立ち位置にいるようなので、二人揃って行動すると何処に責任を追及すればいいのか分かりづらい状況になるのはしょうがない。そんな風に澪はある種の悟りを開いている。


「それよりも、師匠と春姉、二人っきりになってるけど、進展すると思う?」


「微妙なところだな。春菜の自制心が限界を超えてヒロを押し倒しに行きでもしない限り、ヒロの側からは絶対にアクションを起こさないからなあ」


「そうねえ。春菜も割とムッツリなくせにそういう部分は慎重っていうか臆病で奥手だし、誰が教えたのか変にしっかりした知識持ってるから、余程でないと自分からは行かないと思うわよ」


 いろんな意味で空気を変えるために、二人っきりで無人島生活をしている宏と春菜の男女関係に話題を移す。もっとも、仮に女性恐怖症がなかろうとも自分に自信がなく臆病な宏と、とことん好き好きオーラを発散してる癖に奥手でそういう面ではヘタレな春菜の組み合わせでは、まともな進展など望めなかろうと言う点は、日本人三人だけでなくアヴィンやドーガ、エアリスまで意見が一致する部分ではある。


「ただ、春姉は天然ボケの部分があるから、油断するとたまにとんでもない事する」


「あ~、そうね。あと、自覚してから初めて邪魔が入らない形で二人っきりになってる訳だから、テンパって普段なら絶対しない事しちゃいそうね」


「まあ、仮にそうなったとしてもヒロの方が必死になって逃げるだろうから、春菜の方から夜這いかけて寝てる所を襲わない限り、進展はないだろうな」


 冷静に色々分析し、万に一つも間違いが起こる可能性はないと断定する日本人チーム。恋に恋している感じがあるとはいえ、一応宏に気があるはずの澪が、宏と春菜が進展する事を望んでいるような発言をしているのが趣深いところである。


「どうせあったとして春菜が自爆してへこむぐらいだろうけど、澪はあの二人が進展しちゃってもいいの?」


「こっちでなら重婚OK」


「凄い駄目な発言してる自覚ある?」


「むしろ、あれとかこれとかハーレム状態じゃないとできないシチュエーションが好み」


「達也、この娘どうにかしないと」


「できる限り説教して矯正してこれだから、俺に言われても困る。ってか、何処でそんなディープなのに手を出したんだか……」


 またしても手遅れな所を見せる澪に、頭を抱える達也と真琴。帰ったら澪をここまで引きずり込んだ犯人をつるし上げねば、と心の中で誓いを新たにする。


「とりあえずミオ、妹の前であまりそういう生々しい事を言うのは控えてほしいんだが」


「でも、ベッドの上であんな事やこんな事されて攻められてる春姉を、ボクとか別の女があれとかこれとかやって性的な方向でいじめるシチュエーションって凄く燃えない?」


「ノーコメントと言うか、そういう露骨な事をエアリスに聞かせるのはやめてほしいといったのだけど?」


 何処までもダメな事を口にする澪に、処置なしと言う顔で首を左右に振るアヴィン。そんなアヴィンに、非常に申し訳ない気持ちになる達也と真琴。空気を読んでか、エアリスは完全に発言内容を聞かなかった事にしている。


「しかし、二股三股を否定してるのが、当事者の中だと春菜だけってのも凄いわよね」


「ヒロシ様ほどのお方なら、必然的に傍にいる女性が増えるものですから」


「まあ、エルはこっちの人間だし王族だから、側室いるの当たり前って考えに馴染んでるし仕方ないんだろうけど、アルチェムもあんまり独占欲を見せないと言うか……」


「あら、マコト様。私達に独占欲がない訳ではないのですが?」


「え゛っ……?」


 この場で最年少のエアリスに、女である所をまざまざと見せつけられて絶句する真琴。達也も完全に凍りついている。逆に、アヴィンとドーガが当然という態度でどっしり構えているのが印象的だ。


「現在は色々な意味でそれ以前の問題だから考えないようにしているだけで、やはりヒロシ様とハルナ様の仲睦まじい所を見ると、心の中で嫉妬の一つや二つはしています。それ以上にお二人の事が好きで仲睦まじい所を見るのが嬉しくて、仮に自分ではダメだったとしてもハルナ様なら納得も祝福もできるから、折り合いがつけられているだけですよ」


「うわあ……」


「それに、嫉妬していると言うなら、ライムさんには凄くやきもちを焼いてしまいます。だって、あんなに無邪気に無防備にヒロシ様の膝に座れて、しかもヒロシ様も一切おびえた様子も我慢する様子も見せずに笑顔で受け入れるのですよ? いくら相手が幼い子供だからこその奇跡であっても、やきもちを焼くななんて無理な要求です」


「確かにあれは羨ましい。物凄く羨ましい」


「……澪ならともかく、エルの口からそれは聞きたくなかったわ……」


 非常に生々しい女心を聞かされ、頭を抱える真琴。まだ十一歳なのに今からこれとか、今までの聖女ぶりに対するものとは違う意味で色々不安になる話である。


「なあ、エル。もしかして、だが……」


「何でしょうか?」


「レーフィア様に対して無茶苦茶怒ってたの、ヒロと春菜が二人っきりで無人島生活をするきっかけを作った事に対しての怒りも、かなり含まれてたりするか?」


「私も人間ですので、まったくないとはとても申し上げられません。もしかしたら上手く行って、ヒロシ様が私達を受け入れられるようになるかも、という期待が無いとは言いませんが、それとこれとは別問題です」


「マジかよ……」


 ある意味非常に正しく恋をし、ある意味健全に大人への階段を上がっているエアリスに、思わず遠い目をする達也。そんな達也の、正確には達也と真琴の葛藤など知った事ではないとばかりに、マイペースにキャベツを食みつづける芋虫。宏と春菜の不在は、年少組が色々厄介なことになっているのを浮き彫りにするのであった。








 翌日。朝食前からこっち、宏と春菜の間を、非常に気まずい空気が支配していた。


「……」


「……」


 色々申し訳なさそうな、それでいてとても切なそうな春菜に対し、どう反応していいか分からず沈黙する宏。


 怒ってはいないようだが、寝ぼけてやってしまった行動に対してどう思っているのかが分からない宏に対し、声をかけるにかけられない春菜。


 お互い気を悪くした訳でも嫌いになった訳でもないのに、起こった出来事のデリケートさゆえに気を使い過ぎ、完全に動くに動けなくなっていた。


「……」


「……」


 だが、そんな状況でも周囲に対する警戒や観察は怠らず、気になったものはさりげなく回収している。気まずさでやるべき事を見失うには、二人とも理性が勝ちすぎているようだ。


 そんな風に、二人の間の空気が変わらぬまま二時間。お互い腫れ物に触るようにおっかなびっくり、必要最小限の会話だけを交わしながら調査を続け、ついに島の中心にあると思われる池に到着した。


「……多分、これがあの川の水源だよね?」


「せやろうな。ちょっとした湧水とかがあっちこっちから合流して、っちゅうケースもあるけど、今回はここがメインの水源やろう」


 そこそこの大きさの非常に綺麗な水をなみなみとたたえた池を前に、お互いの見解を確認し合う宏と春菜。言葉を発するときにいまだ身構えてしまうようだが、それでも朝食の席に比べれば、少しはぎこちなさが取れている。


 このまま事務的な会話を続け、昨日の事はなかった事にするべし。お互いにそんな暗黙の了解を取りつけ、そのまま話し合いで考察を重ねる事に。


「結構大きな池で、下から見上げる分には普通に空間が開いてるように見えるけど、どうして空から見た時に見つからなかったんだろうね?」


「せやなあ……。上からやと池が見えるほど開いてへんっちゅうとこやない? 空から見降ろすんと下から見上げるんでは結構ちゃうし」


「あ~、確かに」


 最初に出てきた疑問について考察しながら、手分けして周囲を調べて回る二人。一周百メートルほどの池を宏は時計回りに、春菜は反時計回りにチェックする。


 植生などを調べ、水辺の状況を観察し、三十分ほど簡単な調査を進め、スタート地点から丁度対岸になるあたりで合流したところで、宏が水質の調査に移る。


 途中、宏が担当したルート上に川があったが、深さはともかく幅は五十センチ程度だったため、普通にまたいで越えている。


「……このまま飲んでも大丈夫な水質やな。日本の水道水より綺麗な水や」


「そうなんだ」


「性質としては、聖属性がのっとる。浄化効果ありやから、アンデッドとかやと強さ次第では、バケツでぶっかけるだけで消滅しかねん」


「そんなに強い属性が乗ってるの?」


「一見して分からんけど、な。多分、この池がこの島を神域にしとるんやと思う」


 てきぱきと成分や性質を調べ、念のために樽一杯分ほどを汲み上げながら、分かっている事を春菜に告げる宏。一通りの作業を終え、深さを調べるために棒を突っ込んで行く。


「……また、えらい深いな。五十メートル以上は余裕であるわ」


 透明で綺麗な水だと言うのに、底がまったく見えないあたり相当深いのだろう。そう考え、ただの十フィート棒ではなく無限伸長十フィート棒を突っ込んでいた宏が、予想外の深さに少し眉をひそめる。


「こら、潜って調べなあかんかもな」


「潜るのはいいけど、生身で?」


「潜地艇出せるんやったらええんやけど、出せんかったら生身で潜るしかないやろな」


 島全土をくまなく調査した訳ではないとはいえ、他に調べる当てもないため、とりあえず潜ってみる前提で話を進める宏と春菜。だんだんいつもの調子に戻ってきたようで、微妙な空気もそろそろ落ち着きつつある。


「……やっぱり、潜地艇は出せんなあ」


「じゃあ、生身で潜るしかないかあ……」


「せやなあ。鎧だけ外して、このまま……」


 と、行動指針を決めかけた所で、スタート地点である獣道のすぐ傍、よく注意してみないと死角になるあたりに不自然に転がっている板状の石が目に入る。


 何となく嫌な予感がし、小走りに石のある場所へ移動、正体を確認する。


「……石板やな」


「石板だね……」


「何ぞ書いてあるな。……この池は神聖なる水源なり。水に入るための姿以外で入ることを禁ずる、やって」


「……つまり、このままの格好では入れないってことだよね」


「……そうなるな」


 こんな目立たない地味な場所に警告を残すこの島の管理者に嫌な予感がしながらも、素直に水に入るための姿を検討する二人。恐らくこの警告を無視すると、色々ろくでもない事が起こるのだろう。それが分かるだけに、迂闊な真似は出来ない。


「水に入るための姿、っちゅうと……」


「ぱっと思いつくのは裸と水着、だよね」


「せやなあ。他には宗教によっては沐浴のための服装っちゅうんもあるけど……」


「同じようなパターンで、湯浴み着っていうのもあるよね」


「他にはウェットスーツ系やけど、これはまあ、水着枠でええとして……」


 水に入るための姿、で思いつくパターンをざっと挙げる宏と春菜。他に思いつかなくなったので、出てきた分だけで話を進める。


「確実なのは裸だけど……」


「流石にそれはあかんやろ……」


「うん。私もちょっと、抵抗があるかな……」


「せやろ?」


「宏君に見られるのはいいんだけど……」


「勘弁してや……」


「うん。だから、抵抗があるの」


 見られる事よりも、その結果宏が見せるであろう反応の問題で抵抗があるらしい春菜。昨夜の夢や見張り交代の時の失態などで色々開き直ったらしく、自分の側は全面的に一切問題ないとオープンに伝える方針に切り替えたようだ。


 もっとも、宏的には春菜の全裸をリアルタイムで見る事だけでなく、自分の全裸を見せつける方にも抵抗があるのだが、どうも見られる事にばかり意識が行って、自分が見る側に回る事を意識していない様子の春菜に微妙に危機感を覚えてしまう。


「湯浴み着は風呂やないからあかんとして、沐浴のための服装はどんなんが該当するか分からんのと、デザイン次第では深く潜るんに向かんから、これも今はパスやな」


「となると、消去法で水着になるんだけど、水着だと微妙にはじかれる可能性があるんだよね……」


「せやなあ。後、僕は自前の水着持ってへんから、水着となるとここで作らんとあかん」


 海水浴に行かなかった宏は、水着を持っていない。いくらなんでも達也のものを流用する訳にはいかないので、水着でとなるとこの場で作るしかない。


「とりあえず、水着に着替えて入ってみるから、宏君は一応作ってて。もしここで水着が駄目だったとしても、作っておけば何かに使えるかもしれないし」


「せやな。ほな、そっちは頼むわ」


 宏の言葉に頷き、調査途中で見つけた蚊帳を広げるのにちょうどいいスペースまで移動。蚊帳の上からタオルをかけて簡単なブラインドにし、中でごそごそ着替え始める。


 そっちに視線を向けないように岸に杭を打ち込んでロープをくくった後、鞄の中をあさり、春菜達が水着に使った生地の残りを発見して加工を始める。男物の水着は形状と言う意味では加工も簡単で、割り切ればさほど生地を消費しないため、いい感じに生地が余る。


「鞄は持ちこめんかもしれんから、水中用のポシェットも作っとくか」


 水に入るための姿という条件から、ガチガチに防水や耐圧はしてあっても本来水の中に持ちこむ事を考えていない宏の鞄は、置いていかなければいけない可能性が高い。そう考えて、ダイバーなどが使うタイプのポシェットを作ることにしたのだ。鞄はポシェットの中に収納すれば、置き去りにせずに済む。


 そうやってポシェットを作り始めて十分、水着を作り始めてからのカウントなら二十分。ポシェットもほぼ完成し、後は各種エンチャントを、と言うあたりで、ようやく着替えを終えた春菜が蚊帳の中から出てきた。


「あ、あの、宏君……」


「ん?」


 傍まで歩み寄ってきた春菜の声に、視線を上げる宏。そこには、腰にパレオを巻き、バスタオルを羽織った春菜の姿があった。着替えに二十分もかかった上にわざわざそうやって露出面積を減らしているあたりに、彼女の葛藤が現れている。


「い、今から潜ろうかと思うんだけど……」


「あ、うん。頼むわ……」


 羽織っているバスタオルを取ろうとしてはやめる、を繰り返しながらの春菜の言葉に、宏も妙に緊張してくる。パレオとバスタオルでほぼ隠れているとはいえ、ちらちらと見える太ももやへそから春菜の水着がかなり露出の激しいものなのは間違いなく、女性がらみには色々と難を抱えている宏は複数の意味で身構えざるを得ない。


 そして、そんな宏の態度に、さらに春菜が逡巡してしまうと言う負のスパイラルが発生し、なかなか状況が前に進まない。


 宏の緊張の種類と春菜がためらう理由を横におけば、お前らは付き合い始めの中学生か、と言いたくなるような光景である。


「そういえば、春菜さんの水着は、水中行動とかのエンチャントは大丈夫なん?」


「う、うん。澪ちゃんに教わって、ちゃんとかけておいたから」


「ほなええんやけど……」


 春菜の回答に、少しばかり安堵のため息を漏らす宏。少なくとも、この場で春菜の水着にエンチャントをかけるという最悪の事態は免れる事ができたのだから、当然の反応であろう。


「……ええい、女は度胸!」


 その後も一分ほど、ほぼ無意味なやりとりで浪費してから、口の中で小さくそう呟いて、思い切って羽織っていたタオルを取る春菜。タオルの下から現れたのは、やや大人しい白のビキニに包まれた、見事な肢体であった。明るい金の髪と青い瞳が、そのビキニの白と鮮やかな対比になって、妙に映える。そのままの勢いで、泳ぐのに邪魔になるパレオも外す。


 ビキニだけあって、確かに露出面積は大きい。だが、過度に扇情的にならぬよう、トップスもボトムも隙なくかっちり胸と尻を覆い尽くしており、背中もビキニと言う単語から連想するほどは露出面積は大きくない。もっとも、現在は髪をおろしているため、後ろに回ってもほとんど水着は見えないのだが。


 だが、あくまでもビキニとしては大人しいと言うだけだ。トップは横や下から乳房がはみ出るようなデザインではないが、その分美しい形をした乳房のラインを強調し、更にくっきりはっきり深い谷間を見せることで下手に露出するよりその大きさを強調している。


 ボトムも同様で、ビキニのショーツとしては切り込み角度が浅く、脚を長く見せるハイレグの効果は薄いが、そもそも春菜はそんなものに頼らなくても十分に足が長い体型バランスをしている。むしろ、しっかり覆って隠す事で、細いウェストと腰から尻、太ももにかけての見事な曲線美と足全体の脚線美を印象付けることに成功していた。


 察するに、体型的にワンピースは色々と問題がある春菜が、いろんな事に対して葛藤した末の妥協点としてできるだけ大人しいデザインのビキニにしたのが今回の水着の真相ではあろうが、結果として単に際どいだけのものよりも色っぽく、また健康的なエロスを強調している。


 恐らく、最後まで海水浴で着たダサいが露出面積がほとんど無く、宏にプレッシャーを与えずに済む水着と迷ったのだろう。二十分で済んだのは、悩んでいる間も服を脱いだりアンダーショーツなどの水着のタイプに限らず必要なものを身につけたりと、無意識に普段の習慣に従って時間を無駄にしないよう動いていたからに違いない。


 悩んで覚悟を決めてから着替える、なんて普通の女性にありがちな真似をしていたら、倍の時間がかかっても不思議はなかった。それぐらい春菜にとって、ビキニを着て宏の前に出ると言うのは、いろんな意味で勇気が必要だったのだ。


 余談ながら、白ではあるが透ける素材ではないため、見えてはまずい所が透けて見えるなんてトラブルは起こらない。生地を作った澪も、最低限そのあたりの良識はあるようだ。もっとも、自分の水着にも白のラインが入っており、場所によっては割と危険な事になるから透けないようにした可能性もあるのだが。


「ど、どうかな……」


「どない、っちゅうても……」


 大人しい、と言ってもあくまで水着のデザイン全体の中では比較的、であって、普段の春菜の服装からすれば大胆極まりない水着姿。その姿に、全くゼロではない健康で健全な青年男子としての本能と余計な方向に無駄に学習機能が発達した自己保存本能、更に随分ましになったといっても完治した訳ではない女性恐怖症の三つがせめぎ合い、宏の言葉を奪う。


 もっとも、この時点でフリーズする程度で済み、それが恐怖心に由来するものだけではなくなっただけでも、宏の症状は随分改善されたといえるだろう。身内の集団と一緒でかつ少々無理をすれば、と前置きこそ付けど、今なら海水浴ぐらいは普通に可能である。


 別に声をかけた訳でもないのにナンパ男扱いされたり、普通にしてるのに痴漢扱いされたりした揚句に吊るしあげを食らったりすればアウトだが、そもそもその状況に陥った時点で、恐らく宏でなくても二度と海水浴に行きたくなくなるであろう。第一、理由も切っ掛けもなく女子のグループがわざわざ他所のグループの男一人に因縁をつけに行くなどまずない事なので、そういう意味では問題ない。


 とは言え、リスクがゼロになる訳ではないのだから、まだ時期尚早といえば時期尚早なのかもしれない。


「えっと、うん、そうそう。ちょっと、水に入ってみるね」


「あ、頼むわ」


 宏がコメントを口にする前に、緊張感に耐えきれなくなった春菜がそう言って、宏が事前に杭にくくりつけておいたロープを腰に巻き、ゆっくり慎重に水の中に入って行く。


 完全に水中に潜っても特に何事も無かったため、更に十メートルほど潜って水中を観察してから岸に戻る春菜。


「大丈夫みたい。十メートルぐらいまでは、ものすごく水が綺麗な事を除けば特にこれと言っておかしなところはない感じ」


「了解。ほな、僕も水着に着替えて潜る準備するわ」


「うん」


 春菜の結論を聞き、覚悟を決めて着替える事にする宏。宏が着替えている間ずっと水の中はどうかと思い、とりあえず岸に上がる春菜。


 岸に上がって体を拭き、ついでに他に何か変化がなかったかを観察すること五分。着替えて蚊帳やら何やらを全てポシェットに収納した宏が、春菜のもとへ戻ってきた。


「ほな、そこの道具も片付けて潜ろか」


 どうやら、自分も着替えて色々覚悟が定まったようで、春菜の水着姿、それも一度水に入って濡れ、更に色気が増幅されたそれを見ても特に動揺することなく、堂々と宏が声をかける。


 残っていた生地を適当にパッチワークした水着、というのもあって、ダサいのはどうしてもダサい。染みついたヘタレっぽい雰囲気など服装に関係ないので、水着だから何が変わる訳ではない。が、驚くべき事に、脱ぐと意外にすごい身体のおかげで、普段着よりダサいデザインの水着なのに、普段よりダサさが薄まって見える。


 正直な話、海やプールに行かざるを得なくなっても、こうやって堂々としていれば、知り合いで元からそういう対象として見ている場合でもない限り、いくら性格の悪い女でもわざわざ宏を攻撃しないだろう。海水浴の場に限って言えば、基本視線レベルで女子を避ける宏よりも、攻撃すべき対象はいくらでもいるのだから。


「う、うん」


 宏の、常日頃の服装や雰囲気からは想像もつかないほどがっしりした意外な肉体美にどぎまぎし、真っ赤になりながら再び水に入る準備をする春菜。


 この期に及んでようやく、自分が見られるだけでなく見る立場にもなる事に思い至り、全裸限定でなくて良かったとルール設定の温情に何故か感謝しながら、頭を冷やすために思い切り池に飛び込む春菜。


 そもそも、ルール設定がなければ普段着で水中に侵入できたことには、最後まで気がつかないのであった。

春菜さんはムッツリスケベというより、初恋とか処女をこじらせてるっていうほうが正しい気がしてきた今日この頃。

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