八
「アーネスト。この家に電話はありますか?」
「ああ、向こうの部屋にある」
アーネストは涙を拭いながら、奥の部屋を指さした。
「借りますよ」
ミズキは足早に部屋を移動し、電話を見つけるとすぐに番号を入力した。国際電話であることを確認するアナウンスが流れ、呼び出し音が鳴る。
どこに電話をしているのか気になったアーネストが、ミズキの顔を覗き込む。ミズキは口の前に人差し指を立てて、ウインクした。
「・・・カナコさん? お久しぶりです。はい、サエバです。・・・ええ、ドクタ・ウエムラに繋いで頂けますか?」
ミズキはどこか異国の言葉を話している。そのため、アーネストにはどのような会話をしているのかわからない。かろうじて、「カナコ」と「ウエムラ」という人物の名前が聞き取れる程度だった。
受話器を耳に当てたままミズキはアーネストの方へ向いた。
「僕の手術を担当した医者です。あまり雰囲気はよろしくないのですが、僕が最も信頼――――ウエムラ? サエバです」
突然、アーネストとの会話を切り上げたミズキは、異国語を話し始めた。
「そちらではもう夜でしたか・・・。いいえ、僕ではありません。是非、ドクタに診てもらいたい患者がいます。・・・え? できない? ドクタ、それは約束が違います。本人の同意なしにあんな手術をしておいて、今度は契約まで破るつもりですか?」
時々、受話器から相手の声が漏れておりその声から、ミズキが電話している相手が男だとわかる。かすれた声で、ずいぶんと低音である。
「・・・ええ、別に僕はかまいませんよ。ですが、断ると言うのなら、それなりの手段は取らせて―――、さすがはドクタ。呑み込みが早い。では、一日以内に僕の所へ来てください。・・・場所ですか? どうせ、あの『手術』の時に発信器ぐらい埋め込んでいるのではないですか? ・・・ええ、それぐらいわかりますよ。ドクタにとって僕は、大事な被験者なんですから・・・。それでは、一日以内に来てくださいね。くれぐれも時間に遅れないように。遅れたら・・・わかっていますね?」
ミズキは、まだ電話の向こう側で叫んでいる声を無視して、受話器を置いた。どうやら電話が終わったらしい。
終始笑顔で話していたミズキだが、ところどころ脅迫めいたことを言っていたのは雰囲気でわかった。そして、途中、一瞬だけ見せた寂しそうな顔がアーネストの脳裏に焼き付いていた。
「ミズキ。ウエムラというのは?」
「僕の手術を担当した医者です」
「その手術とは?」
「それは、あなたの依頼を達成する上で、何の関係もありません」
ミズキは険しい顔つきで言った。つまり、聞くな、ということだろう。
「心配しなくても、ウエムラの腕は確かです。彼に任せましょう」
―――――――――――――――――――
アーネストの家の前に、一組の男女が立っていた。
男は、まだ40代だというのに、髪がすべて白髪だ。縁の広い眼鏡をかけて、薄汚れた白衣を着ていた。
女は、黒髪のショートヘアー。そして、男と同じように白衣を着ている。化粧も薄く、肌の感じからそれほど歳をとっていないということが予想される。恐らく20代後半だろう。
「ここか・・・?」
眠そうに眼を擦りながら、男が聞いた。
彼との電話が終わり、今が18時間23分54秒。時間には余裕で間に合った。ただ、ここに来るまでの間、一睡もしていないせいで、眠気が脅威と思えるほどに眠かった。
「ええ、この家の中でしょう」
「それにしても、カナコ君。どうしてばれてしまったのだろうね? 発信器?」
カナコと呼ばれた女は、溜息をついた。そして、男を睨む。
「彼を、実験動物を見るような目で見ていたのは誰ですか? 失礼ですが。彼が『手術』の後、目覚めてから生命活動が自身で維持できるとわかるまでの間、あなたは間違いなくそんな目で彼を見ていました。彼はそれに気づいていたのですよ」
「わかった。わかったから、そんな怖い顔をしないでくれ」
彼は両手を上げてひらひらとさせた。彼とカナコの間でよく使われる、彼の降参の意を表すポーズだ。
「しっかりしてください。ドクタ・ウエムラ」
「私は至って冷静。常にいつも通りだよ」
ウエムラと呼ばれた男は笑いながら答えた。
「最後の言葉、意味が重複しています」
カナコはもう一度、溜息をついた。
「それでは、お邪魔させてもらおうか・・・」
―――――――――――――――――――
玄関の扉が開く音がした。席を立ち玄関へと向かったアーネストの後をミズキは付いて行った。
玄関で、男と女が立っていた。
「カナコさん、それにウエムラ。よく来てくれました。まさか、これほど早く来られるとは思っていませんでしたよ」
ミズキが二人に駆け寄った。
「こら、用があるのは私だろう。なぜ、ついでのような言い方をする」
顔をしかめるウエムラを無視して、ミズキはアーネストに二人を紹介する。
「こちらが、ウエムラ・キヨタカ。僕の手術を担当した医者です。そして隣の方が、カナコさん。ウエムラの助手です。・・・ええっと、二人はもう籍は・・・」
「ええ。おかげさまで」
ウエムラとカナコは夫婦だ。しかし、仕事の時はお互いの私情を挟まないために、ウエムラは「カナコ君」と、カナコは「ウエムラ」。または「ドクタ」とお互いのことを呼ぶ。
「サエバ。その後、体の調子はどうだ?」
ウエムラが問う。
「ええ、今のところ何ともありません」
「そうか、そうか」
ウエムラは満足そうに何度も頷く。それを見たカナコがウエムラの頬を抓った。
「それが駄目だと言ったのです」
「? どうかしましたか?」
「いいえ。こちらの話」
カナコはウエムラの頬を放すと、ミズキに向かって微笑む。ミズキは小さな顔を横に傾けた。
―――――――――――――――――――
「かなり病気が進行している様だな」
アーネストの母に事情を説明して、ウエムラの診察を受けてもらった。
アーネストの友人であるミズキが便利屋で、ウエムラを紹介した、ということだけを彼女に伝えた。
現在は診察を終え、彼女を除いた四人で話し合っている。
「それで、助かるのか?」
恐る恐る、アーネストが口を開く。ウエムラは突然笑い出した。
「助かるのか? 青年よ。それは誰に対して言っているのだ?」
突然一人で笑い出したウエムラにアーネストは驚き、ミズキとカナコは呆れかえっていた。
「いや、失礼。あまりにも答えが簡単すぎる質問だったのでつい・・・」
ウエムラは目の端ににじみ出る涙を拭った。
「君の母は助かるよ。但し、少し言葉が違うな。・・・正確には、私が助ける、だな」
アーネストの顔には安堵の色が浮かぶ。ウエムラは得意げに頷いている。
「ところで、煙草は―――」
ウエムラがポケットから煙草とライタを取り出しながら言った。
「ここは禁煙だ」
即答したアーネストに、肩を落とすウエムラ。その二人を見て笑う、ミズキとカナコであった。
ミズキとウエムラは一度外に出て、煙草を吸っていた。
「ところで、ドクタ」
ミズキが口を開いた。
「この国の医療設備を使うつもりですか?」
「いや、残念ながらこの国ではできない。私はこの国に友人はいないからね。どこの設備も借りられないだろう。となると―――」
「日本国へ連れて帰る?」
「そうだ。あちらの方がどう考えても設備も整っている」
「アーネストには説明したのですか?」
「ああ、この後、すぐにするよ。急ではあるが、今日の晩には出発したい」
日本国―――ウエムラ、カナコ、そしてミズキの出身国である。周りを海で囲まれた島国で、この国と比べると物価もある程度安定している。この国で言うところの警備隊である警察の働きもそれなりに評価できる。それもあって、治安も割といい方だ。
何より、医療設備が整っており、医療技術においても恐らく世界トップクラスだということは日本国が他国に誇れることでもあった。
「ところで、サエバ。一度、お前も戻ってくる気はないのか?」
「いえ、僕にはやるべきことが残っていますので。それにまだ、ドクタに体を輪切りにされるのはごめんです」
ミズキは煙草の火を揉み消しながら言った。
「まだ、続けているのか?」
「ええ、あいつを見つけて殺すまでは・・・」
「そのための『サエバ・ミズキ』か?」
ミズキの表情が変わった。
「それは、あなたには関係ないことだ!」
ミズキは大声を出した。話を切り上げるためだ。しかし、ウエムラは表情一つ変えずに続ける。
「虚しいとは思わんかね?」
「思いません。僕はそのために生きている」
「それが虚しいと、私は言ったのだが」
二人はお互いを睨み合う。
「まあ、君がいいと言うのなら、それでいいよ」
ウエムラはまだ少し残っている煙草をその場に捨て、靴底で火を消した。
「悲しいね。そんなことをさせるために、あの手術をしたわけではないのだが」
「誰がそうしてくれと、頼みましたか!」
ミズキはウエムラの胸倉をつかむ。ミズキの方が、大分身長が低いので見上げるような形になる。
「あなたのせいで、僕は・・・!」
ミズキの頬を涙が伝う。ウエムラはその涙の行先を見つめていた。
頬を伝った涙は、顎にたどり着き、そして地面に落ちた。小さな染みを地面に作った。
「悪かった。落ち着け、サエバ」
その言葉でミズキは、はっとする。
自分の頬に触れた。
指が水で濡れた。
涙が流れている。
涙を流している。
何故?
感情をコントロールすることは簡単なはずなのに、なぜか止まらない。一度大きく息を吸って、肺に留める。その間に思考を切り替え、感情をコントロールする。
簡単なはずなのに、できない。
自分らしくない、と思いながらも、流れる涙を止めることはできなかった。
一人、涙を流し続けるミズキをその場に置いて、ウエムラは家の中に入って行った。