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ANOTHER SKY  作者: 沖田コウ
第一章
7/31

 結果から先に言うと、青年アーネスト・エトワールの言葉に嘘はなかった。



 彼の母は、病の床に臥していた。

 ミズキがそっと近づくと目だけをうっすらと開けた。

「すみません。起こしてしまいました」

 頭を下げる。

「どなたかしら?」

 弱々しい声で彼女は言った。

「アーネスト君の友人です」

 隣のアーネストが険しい表情をする。それを横目で見たミズキは、彼女に見えないようにアーネストの腿を抓った。

「何を!?」

「話を僕に合わせてください」

 小声で言った。

「まあ、アーネストにこんなに可愛らしいお友達が・・・。アーネスト、なぜ今まで紹介してくれなかったの?」

「母さん。こいつこんな顔はしているけど男だよ」

 彼女は「まあ・・・」、と目を見開く。

 ミズキは笑顔で返した。

「初めまして、サエバ・ミズキと申します」

「アーネストの母です。すみません、ベッドの上からで・・・。今、飲み物を」

 彼女はベッドから起き上がろうとするが、苦痛で顔をしかめる。そして、大きく咳き込む。アーネストが駆け寄った。

「大丈夫です。どうぞ、お構いなく」

「すみません・・・。アーネスト、何か飲み物をお出ししなさい」

 アーネストは無言で、隣の部屋に向かった。

 ミズキは煙草が吸いたくなってきた。普段なら、そこにいる人に断りを入れてから吸うのだが、今は病人の前。さすがに我慢することにした。

 それに、吸いたいときに吸えなくても、何の問題もなかった。

「あの子が、迷惑を掛けたりはしていませんか?」

「ええ、何も。それどころか、彼にはいつもお世話になっています」

 ミズキは微笑んだ。

 もちろん、会ったのが今日初めてで、突然襲ってきたことは伏せておく。

「私が言うのも何ですが、あの子は口が悪いからよく誤解されがちですが、根はとてもいい子なんです。私も――――――」

 話している途中で彼女は、また大きくせき込んだ。その様子をミズキはじっと見ている。咳が止んでから、ミズキは口を開いた。

「失礼ですが。病気の方は・・・」

「数週間前にかかったのだと思います。熱と、咳が少しあるだけです。放っておけば治ると思います」

 苦しそうにしながらも、彼女は笑顔で答えた。

「少し?それにしては、ずいぶん苦しそうに見えます。それに、彼も気付いていますよ」

 ミズキの言葉に、彼女の顔が伏せられる。しまった、と思った時には、既に遅かった。

 ある程度の自覚は彼女にもあるようだ。恐らく、息子に迷惑をかけまいとしているのだろう。

「すみません。余計な口を利いてしまいました。アーネスト君を手伝ってきます」

 そう言って、ミズキは隣の部屋へ移動した。



―――――――――――――――――――



「ずいぶん酷いようですね・・・」

 後ろから声を掛けられたアーネストが振り返る。ミズキが壁にもたれていた。煙草を指先で弄んでいる。

「ここでは吸うなよ」

「別に、吸おうと思って持っているわけではありません」

 ミズキはポケットに煙草を戻した。実はほんの少しだけ、裁縫針で紙を刺した時にできる穴ほど僅かな気持ちだったが、煙草を吸いたいと思っていた。

「それで、酷いって?」

「病気の進行が酷いということです。放っておけば、一か月も経たずに死んでしまうでしょう」

 アーネストの顔に絶望の色が浮かぶ。ミズキはそれを視界に入れないように、わざと顔を背けた。

 他人のネガティブな顔を見ても気持ちの良い物ではない。

 思ったことをすぐに言ってしまうこの癖のせいで、後悔したことは何度もある。そろそろ直すように努力しようか、と考えミズキだった。

「とりあえず、あなたの言っていたことが嘘ではないことがわかりました。公園での一件は見逃します」

 壁から離れながら、ミズキは言った。

「よくもこの状況でそんなことを!」

 アーネストはミズキに掴み掛った。ミズキは何の抵抗もなく、アーネストに捕らえられる。そして、そのままの勢いで壁に叩きつけられた。

 普段のミズキには、あまり見られない行動だ。体も小さく、力もないミズキにとって、戦闘時に体の大きな相手に捕らえられるということは、即ち死を意味する。そうならないため、相手の行動を逸速く読み、常に先手を取る。それが、ミズキの戦闘スタイルのはずだった。

アーネストが憤怒の形相でミズキを睨んでいた。対するミズキは焦りも何も感じさせない、全くの無表情だった。

「アーネスト。君は自分がやっていることの意味を理解していますか?」

「五月蝿い。今からでも遅くはないんだ。お前を殺して、金を奪う」

「僕を殺して、お母さんにはなんと説明するつもりですか?」

「そんなこと、後からでも考えられる」

 襟を掴んでいたアーネストの手が素早くミズキの首に当てられた。今回も避けようと思えば避けられる速さだったが、ミズキは何の抵抗もしない。

 アーネストの行動をただ冷静に見つめていた。

 首を絞める力が強くなり、息ができなくなる。徐々に苦しくなり始めた。目の前は暗くなって、意識が朦朧とする。


 人生で二度目に味わう死の淵だった。


 一度目は、それが『死』である、という認識さえできなかった。

 痛いという感覚すら消え失せ、考えることを放棄した。

 ただただ目の前で起こっている惨劇を見つめ、受け入れることしかできなかった。

 そう、あの頃は力がなかったのだ。

 力さえあれば、あの状況を覆せたかもしれない。

 過去に対する不確定な希望的観測。

 では、今は力がある?

 今もない?

 必要ない?

 仕方ない?

 そんなはずはない。

 だとしても、この状況を回避したところで、いったい何になる?

 どうせ、一度死んでいる。

 二度目に死んだって、どうってことはないのではないか?

 ようやく死ねるのだ。

 ようやく彼女の下へ行けるのだ。

 馬鹿げた、愚かな、つまらない目的のために生きなくてすむ。

 喜ばしいことではないのか。

 彼女は怒るだろうか?

 いや、きっと笑って許してくれるだろう。

 彼女はそういう子だった。


 完全に意識がなくなる直前、アーネストが首を絞めていた手を放した。

 ミズキはその場に倒れこみ、盛大に咳き込みながら、体が求めるままに酸素を吸った。

「やはり、君には無理だった」

 ミズキは独り言のように呟いた。

「でも、僕は殺してほしかったかもしれない」

 寂しそうに続けたミズキは、呼吸を整えてから立ち上がった。

 アーネストはその場に手で顔を覆い、泣き崩れてしまった。

 ミズキは無言のまま、服の乱れを正す。その間もずっと目だけはアーネストを見ていた。

「母親を助けたいですか?」

 ミズキは優しく問いかけた。

 アーネストは泣きながら頷く。

「ならば、僕に依頼しなさい。知っている医者の中で、一番腕のいい医者を紹介しろと」

 アーネストの顔が上げられた。

 その目がミズキに問いかける。「できるのか」と・・・。

「僕は便利屋です」

 ミズキは静かに微笑んだ。


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