五
間借りしているボロアパートに帰ったミズキは、ジョセフ老人に言われた通り仕事の準備を始めていた。
現金、寝袋、着替えを数着、飲料水、お世辞にも美味しいとは言えない携帯食料を次々と鞄の中へ詰め込む。
そして、これは使わずに済んだ方がありがたいが、愛用の巨大な拳銃と予備のマガジン。それを腰に巻いたホルスターに納めた。
前金を受け取ったはいいが、正直、こんな大金はこの仕事に使う必要がない。持ち歩いている所を見られ、強盗に襲われても困る。そう思いミズキはベッドの上に金の入った袋を放り投げた。
ミズキは胸のポケットから、ジョセフ老人に渡された一枚の写真を取り出した。
リーンベル・ローズヴェルト。
それが、写真に写っている少女の名前だ。
見た目は16歳前後。
しかし、写真はモノクロ。モノクロ写真からカラー写真に移り変わったのが、約20年前。となると、この少女は普通であれば、36歳以上ということになる。20年以上もの間、容姿が変わらない、ということはまず考えられない。
この少女が普通ではないと考えるのが、普通だった。
ミズキは溜息をついた。
この少女(少女と言ってよいのかわからないが・・・)を三か月以内に探し出し、ジョセフ老人の下へ連れて行く。
簡単に見えて、意外と骨の折れる仕事になりそうだ。
第一、彼女が大人しくミズキに付いてくるかどうかもわからない。
必ず国内にいるということが、せめてもの救いと言うべきか。
ただ、この国は近隣諸国と比べ、非常に大きい。
最初は小さな国だった。それが、戦争の末、他の小国を次々に吸収し、今ではこの周辺では類稀な大国となったのだ。
しかし、短い期間で領土を数倍に広げてしまったせいか、物価も全く安定しておらず、治安は非常に悪い。
その国内を三か月で回らなければならない。
どう考えても、期限ぎりぎりになるだろう。
ミズキはリーンベル・ローズヴェルトの写真を胸ポケットにしまい。テーブルの上に置いてある写真を手に取った。
それは三年前に撮った写真だ。
ミズキと黒髪の少年の二人が笑顔で写っていた。写真のミズキは今よりもっと髪が長く、背中の辺りまで伸ばしていた。どこからどう見ても、少女と少年の微笑ましいツーショット写真にしか見えない。
だが、写真を持つミズキの手は徐々に力が入り、震えていた。
「この仕事が終われば、とんでもない大金が手に入る。それまで待っていてね。僕は必ず帰ってくる。そして、今度こそあいつを見つけ出すんだ・・・」
ミズキは小さな声で、写真に語りかけていた。
―――――――――――――――――――
自分の部屋を出たミズキは、アパートの正面に停めてあるバイクに跨り、エンジンをかけた。
通りかかった人が珍しそうにバイクとミズキの両方を見る。
この国で車は貴族や王族の交通手段であり、庶民は乗ることができない。車を買うことはできるのだが、その日に食べるパンに困っている庶民には、車を買うなどということは夢のまた夢だった。
バイクも例外ではなく、非常に高価な物だ。給料のいい仕事(バウンティハンター等がそれに当たる)に就いていたとしても、かなりの金を払わないと買えない物だった。
そんなバイクに赤毛の美少女(本来は少年である)が乗っているのだ。
ミズキはそのどちらともが、珍しく見える庶民の好奇の目に晒されることになった。
「これだからバイクに乗るのは嫌なんだ・・・」
ミズキは小さく舌打ちして、バイクを発進させようとした。
その瞬間、爆音とともに背中から強い衝撃を受け、ミズキはバイク共々吹き飛ばされてしまった。
バイクの下敷きになってしまったミズキは、何とか顔を、衝撃を受けた方に向ける。
そして、その光景を見て自分の目を疑った。
ミズキの住んでいたボロアパートが炎上しているのだ。
通行人に自分の体の上に乗ったバイクを退かしてもらい、立ち上がる。
なんとか軽傷で済んだミズキは、ジョセフの言葉を思い出していた。
―――この後まっすぐ家に帰って、準備をしたら、すぐに仕事にかかってください。―――
そして、ミズキが喫茶店を出るときに見せた、あの笑み。
なるほど、そういうことだったのか・・・。
火事を聞きつけ、時間とともに集まってくる野次馬たちの喧騒の中、ミズキは一人で納得していた。
前金だけで、あれほどの大金をもらえたのだ。別にリーンベル・ローズヴェルトを探さなくとも、生活していくことはできるし、ジョセフ老人には見つからなかったと言えば働かなくて済む。
しかし、それではジョセフ老人が困る。
それなら、嫌でも仕事をさせるために家をなくしてしまえばいい。ジョセフ老人は仕事をするための理由を与えたのだ。
もちろん、ジョセフ老人の言う通り、すぐ仕事に取り掛からなければ、依頼を受けた人間は死んでしまう。
恐らく、それも計算の内。
思っていたより、ジョセフ老人はかなりのやり手のようである。
感情をコントロールする術は身に着けている。アパートを爆破されたことは、ミズキにとって何の問題でもなかったし、二万ユニットが、今こうしてアパートを燃やす火を見ている間にも、どんどん灰に変わっていることでさえ、些細なことでしかなかった。
―――そうであるはずだった。
ミズキは雷に打たれたような感覚に襲われた。何か大切なものを忘れている。
それは何だ?
金?
鞄?
カレンダー?
日記?
地図?
どれも違う・・・!
写真、そう写真だ。
ミズキは野次馬を掻き分けながら、燃え盛るアパートに向かって走り出した。途中、野次馬たちが叫び、喚き、ミズキを止めようとする。
邪魔をするものには容赦なく、蹴りを喰らわせながら走った。
焼け焦げたドアを蹴破る。部屋の中は煙が充満していて、中に入るのは自殺行為にしか思えなかったが、ミズキは躊躇わず部屋の中に入った。
机の上に置かれた写真を見つける。幸い、端が少し焼けている程度で済んだ。
ミズキは写真を大事そうに胸ポケットにしまい。部屋の窓から飛び降りた。
着地の衝撃を、受け身を取り相殺させる。
野次馬たちから歓声が上がり、ミズキの周りに人が集まる。声をかけられたりもしたがすべて無視した。
「お姉ちゃん・・・」
「・・・?」
小さな女の子がミズキの袖を引っ張っていた。その手にはハンカチが握られている。
ミズキが女の子の目線に合わせるように、その場にしゃがむと、女の子は持っていたハンカチでミズキの顔を拭いた。ミズキを拭いたところが黒く汚れたていた。どうやら、煤が顔についていたらしい。
「ごめんね。僕はお姉ちゃんじゃなくて、お兄ちゃんなんだ。でも、ありがとう」
目をきょとんとさせた女の子の頭を撫出た後、ミズキは倒れたままのバイクに近づいた。
バイクを起こし、エンジンを掛けてみる。しかし、何度試してもエンジンが掛かる気配はなかった。
爆風で吹き飛ばされたときに、どこか壊れてしまったらしい。
仕方なく、ミズキはバイクをその場に捨て置き、リーンベル・ローズヴェルトを探す旅に出ることにした。
「待っていて、と言ったのに。一緒に旅をすることになってしまったね」
ミズキは少し嬉しそうに、胸ポケットにしまってある写真に語りかけていた。