三十
「いいんですか?」
出口を目指し走っている最中、ミズキがリーンベルに聞いた。
リーンベルは先頭を走っている。歩幅が小さいため、速いスピードではないが彼女は普段と変わらぬ様子だ。予想通り追手が何人もやってはきたが、それでも焦っている様子はなかった。それは、追手が視界に入るたびに、リーンベルの作り出した炎で無力化されるからであった。
「なんのことかしら?」
リーンベルはただ前だけを見て走る。
死体の横を通り過ぎるたびに、アーネストが眉間に皺を寄せていた。
「君はここに残るつもりなのでは?」
「いいえ、そんなつもりないわ。もともと、お父様に命じられて探していたものだって、私がこの国の外に出るために必要だと言われていたものだし」
「言われていた?」
アーネストが口をはさむ。
「ええ、つまり、嘘だったのよ。私がこの国を出るのに、封印なんて必要なかったの」
「国を出るのですか?」
「私の唯一の望みです。この国の外を見てみたいの」
しばらくリーンベルを先頭に屋敷の出口を探していた三人だったが、王の対応は想像していたより早く、出口まで後少しの広間で兵士たちに取り囲まれた。銃を三人に突きつけたままぴくりとも動かない。窮地に立たされているというのに、意外にもミズキは無表情のままで焦っている様子はない。リーンベルにいたっては口角が少しあがっているようにも見える。一人だけ不安定になっているのが馬鹿らしく思えてきたアーネストだった。
兵士たちの後ろからジョセフと仮面をかぶった人物が姿を現す。
「あら、お父様」
リーンベルが微笑みながら言った。その言葉で、仮面の人物が王だと認識できた。
ただそれは仮面といえる様なものではなかった。目のところに穴が二つ開いている意外は、何を象っているわけでもなく、装飾も施されていない。ただ素顔と表情を隠している点だけで仮面と表現するしかなかった。
「ローズヴェルトの亡霊よ、一度ならず二度も私に仇をなすか」
顔は仮面で隠れていたが、そこから覗く目は確実に怒りを宿していた。リーンベルは軽く鼻で笑い返す。
「いいえ、先に私を敵に回したのはお父様、貴方自身よ。これは、それに対する私からの返事と思っていただければいいわ」
「もういい、話しても無駄だ。三人とも殺せ」
感情を表に出した声で王が兵士たちに命令する。ジョセフが何かを言おうとしたが、すぐに口をつぐんだ。
「そう、それが答えなのね」
突然真上に上げられたリーンベルの手に、そこにいたすべての人間が注目した。
赤く小さな火が彼女の手の平から生み出された。誰もが王の命令を忘れ、その光景に目を奪われる。見る見るうちに小さかった火は、炎へ、そして天井に届くほどの炎の柱へと変化した。
兵士たちは狼狽し、口々に魔女が出たと叫び、逃げ出すものまで現れる。
我に返った王は、大声で兵士たちの統率を取ろうとするが誰も聞こうとはしない。
手がゆっくりと降ろされた。それと同時に炎は広がり、ミズキたちを取り囲んでいた兵士たちに降り かかる。逃げまどう兵士たちは炎に身を焼かれ、広間は瞬く間に地獄絵図とかした。悲鳴が耳を、人の焼ける臭いが鼻を突く。
その中で、ミズキたち以外に、王とジョセフの二人だけが炎に身を焼かれていなかった。リーンベルの炎は、敢えてこの二人を避けたのであった。
もう邪魔をする者は誰もいない。王ですら意気消沈した様子で、ジョセフの手を借りなければ立つこともままならない。そのような状態で命令を出せるはずもなく、例え命令が出せたとしても、それを遂行できる兵士は誰一人として残ってはいなかった。
リーンベルの視線を受け取ったミズキは、鼻と口を押さえうなだれているアーネストを引き連れ、扉から屋敷の外へ出る。
「それではごきげんよう」
リーンベルは無邪気な微笑みを浮かべ、屋敷の外へ出ようとする。外へ出る直前、ジョセフの視線に気づき、リーンベルは微笑みを返した。
扉が閉まる瞬間、何かが割れる様な音がした。
―――――――――――――――――――
「そろそろ話してくれないか」一度言葉を切る。「その、お前の身体について、何で嘘をついていたのか」
屋敷から無事に脱出しミズキの家の前で、無言で佇んでいた三人だったが、周りに誰もいないことを確認してアーネストが沈黙を破った。
「嘘? 僕がいつ嘘を?」
「男と、言っていたはずだ」
「ええ、僕は男ですよ。嘘などついていない」
わざと、僕、の部分を強調して言った。
「説明して差し上げたら?」
ミズキは眉をひそめながらも、リーンベルの言葉に頷いた。そして、懐から一枚の写真を取り出した。その写真はミズキと黒髪の少年が写った物で、アーネストも何度か見たことのある写真だった。
「この写真の黒髪の方、誰だと思いますか?」
その問いの意図がつかめずアーネストは首を傾げる。
「それが僕なんですよ。僕は元々、セナ・ミチルという男だった」
「それじゃあ、隣にいるミズキは?」
「サエバ・ミズキ本人です」
ミズキは無表情のまま、アーネストの言葉を遮るように言った。リーンベルはまるで、すべてを把握していると言うように、黙ってミズキの話を聞いていた。そして、ミズキの視線がリーンベルの方へ向けられるとふっと微笑んで空を見上げた。微笑みに特に意味はないように思える。
つられてミズキとアーネストも空を見上げる。青く澄み切った空だった。こんな話には全く似合わない空だとミズキは思う。
「この身体はミズキのものです。ただ、この身体を、女性の身体を支配している脳は、ミチルという男のもの」
別人同士の脳と身体の組み合わせ、アーネストにもそれが理解できたのだろう。彼はミズキの言葉に目を見開き、驚きを隠せずにいた。
「精神はセナ・ミチルのものなんです。外見がどうであれ、たとえ他人がその外見になにを言おうと、僕自身は、『僕』と言う存在は男だ」少し間を空け、反応がないことがわかるとまた口を開いた。「これが、僕が男と言い続けた理由」
そしてため息。
言ったことに嘘はなかったが、言わなかったことももちろんあった。
「どうしてそんなことを?」
「僕が望んだことだと思いますか? 」
少し怒りの混じった声で答える。
「大切な場所を奪われ、目の前で恋人を陵辱されているのを、四肢を切断され為すすべもなく見せつけられた。次に目が覚めたときに、恋人の身体になっていた僕の気持ちが、君にはわかるのか?」
アーネストは押し黙ったが、その表情から次の質問を読みとることができた。
「ウエムラですよ。彼もあの時、襲撃した連中の中にいたらしい。実験にちょうどいい献体が見つかったんだ。さぞ嬉しかったでしょうね」
自嘲気味に笑うミズキの、あまりにも痛々しい語りにアーネストは顔を背ける。
「さて、ついに知られてしまったわけですが――――」
あまりにも抑揚のない声にアーネストは驚き、ミズキを見る。ミズキは銃をアーネストの額へ向けていた。心臓が大きく脈打つ。なぜ、という言葉がアーネストの脳内を支配した。
アーネストは、リーンベルを自分の背に隠すようにしてミズキを睨む。
「なんのつもりだ」
彼の絞り出すような声に、ミズキは目を細めた。
「知られたからには、二人とも生かしてはおけない」
感情が込められていない、目を見ればそれがわかった。
「生きたければ銃を抜け。アーネスト」
挑発するようにミズキは言った。
「撃ちたければ撃てばいいだろう」
動こうとしないアーネストを見て、ミズキは唇を噛んだ。
沈黙。
汗が額を伝う。
トリガーかけた指に少しずつ力を込める。
手が震えているのがわかった。
アーネストを睨む。
彼もミズキを睨み返した。
「お別れだ」
ミズキが呟く。
リーンベルが動いた。
自身の身体をアーネストにぶつけ、よろめいたところで彼のホルスターから銃を抜く。
銃口の先はミズキ。
すかさずミズキが銃をリーンベルに向ける。
トリガーを引く。
三つの乾いた銃声。
「ミズキ!」
アーネストの叫び声が聞こえた。
音を立てて地面に倒れるミズキ。アーネストはすぐに駆け寄り、ミズキの上半身を抱き起こす。
ミズキの銃から、弾は発射されていない。三つともリーンベルが放ったものだった。
リーンベルは銃をおろし、ミズキを見つめていた。その瞳は揺れていて、どこか悲しそうな表情を浮かべている。アーネストがリーンベルを睨む。怒りの色を宿した視線が彼女を捉えていた。ミズキの銃を手に取ろうとしる。だが彼の行動をミズキが遮った。
「いいんだ、アーネスト。僕が頼んだ」
今にも消えてしまいそうな小さな声でミズキは言った。呼吸する度に口からは血が流れ出て顔を汚す。アーネストは傷口を圧迫し、止血しようとしたが、またミズキの手がそれを止めようとした。
「やめろ」ミズキが叫ぶ。「そんなことをしても無駄だ」
「何でそんなことを・・・!」
「僕はね。復讐にとらわれていた。サエバ・ミズキの名を語って、ミズキを、僕の恋人を殺したあの男に同じ苦しみを味わわせる為だけに生きてきたんだ。それも、もう、ここでおしまい」
ふう、と息を吐く。それと同時にまた口から血があふれた。
「僕の、セナ・ミチルの生きる目的はなくなった。だから、もう十分なんだ。十分生きて、苦しんだ」
アーネストがミズキの胸に顔を埋める。彼の身体は小刻みに震えていた。弱々しい手つきでミズキが、アーネストの顔を上げさせた。手に着いた血が、アーネストを汚す。
彼の表情を見て、ミズキは目を丸くした。そして、優しく微笑む。アーネストは顔をくしゃくしゃにして目に涙を浮かべていた。
「そんな顔しないでください」
ミズキがアーネストの顔をなでた。
「ねえ、一つお願いしてもいいかい?」
アーネストは声に出せなかった代わりに何度も頷いた。
「アーネスト。僕を抱きしめて」
ミズキを支えていた身体に力を込め抱きしめる。
徐々に冷えていく身体で、彼の体温を感じた。
温かい。
あの感覚に似ている。
すべてを許容し、包み込んでくれる。
彼女が自分に与えてくれた、あの感覚。
ああ、本当に良かった。
彼に出会えて。
この腕の中でゆっくりと死ねる。
満足そうに笑みを浮かべた。
「ありがとう。大好きだよ、アーネスト」
ミズキの身体から力が一気に抜ける。
アーネストの押し殺していた声が、せき止めていた涙が一気に溢れ出した。