三
街のはずれにある、湖の隣に建っている小汚い喫茶店の奥の席に、赤髪の少年が座っていた。その少年は静かな喫茶店の中、奇妙な雰囲気を纏っていた。
真っ黒いコートのような衣服に包まれた細身の体に、一見して少女を思わせる顔立ち。そして何より、彼のトレードマークである赤髪。この国では、赤髪は、ほとんどお目にかかれない、とても珍しい髪の色だった。その赤髪を 彼は肩まで伸ばし、後ろで一つに束ねていた。
喫茶店のマスターや常連客は、彼が男であることを知っている。彼も常連客の一人で、ある目的のためにここによくやってくるのだった。
ただ、彼が常連客であっても素性は全く知れていない。分かっていることと言えば、女ではないこと、便利屋を生業としていること。注文するのはコーヒーのみということ。
たったそれだけだった。
彼は誰かを待っているようで、もう一時間ほど前から、その席に座っていた。コーヒーを既に三杯も飲んでいたが、彼はまたコーヒーを注文した。よほど大切な待ち合わせなのだろう。
喫茶店のドアが開き、首に赤いスカーフを巻き、金属製の鞄を持った屈強そうな男が入ってきた。
彼はコーヒーを飲もうとした手を止め、その男の動作を目で追った。
男はマスターに近づき、コーヒーとフレンチトーストを二つ注文。そして、カウンターには座らずに彼の所へ歩いてきた。
「ここに座ってもよろしいですか?」
男は彼に聞いた。
「いいえ・・・」
彼はそう言ったが、男は無視して彼の正面の椅子に座った。
彼は何も言わず、冷めかけたコーヒーを飲んだ。猫舌のせいで熱いコーヒーが飲めないのだ。
彼がコーヒーを飲み終わる頃に、男のコーヒーとフレンチトーストが運ばれてきた。
彼が席を立とうとすると、男が呼び止めた。
「どうかしましたか?」
少女のようなのは顔立ちだけではなく、声も少女のようであった。何とも可愛らしく、それでいてどこか艶っぽいような声だ。
初対面であれば、必ず女だと思うだろう。
男はじっと彼を見つめた。
「僕の顔に何かついていますか?」
「いいえ、申し訳ありません。珍しいものですから、つい・・・」
「赤髪の事ですか・・・。そうですね、昔は魔女の証だの、魔物との混血の証だのと言って、差別の対象にされてきました。それに、この街では僕以外、赤髪の人を見たことがありませんね」
彼はすっと、目を細めて男を見た。
「すみません。その様なつもりで言ったのではないのです。ええ、本当に」
男は大げさに片手を上げた。
他意はない、と言いたいのだろう。
「ところで・・・」
男が口を開く。
「外の湖にカエルがいたのですが、何匹いたかわかりますか」
「13匹です」
彼はすぐに答えた。そして、席に座りなおした。
男はフレンチトーストを頬張りながら「そうですか」と満足そうに頷いた。
「煙草を吸ってもよろしいですか?」
彼は煙草を吸うマネをしながら男に聞く。
「どうぞ、私のことはお構いなく」
それを聞いた彼は、胸のポケットから煙草を取り出し、ライターで火を点けた。
どう見ても十歳代にしか見えない彼だったが、この国には未成年者の飲酒や喫煙を禁じる法はない。
彼は煙草をうまそうに吸うと、ゆっくりと煙を吐き出した。
「あなたは、サエバさんですか?」
不意に男が口を開いた。
「ええ、そうです。サエバ・ミズキと申します」
サエバ・ミズキと名乗った彼は、男に手を差し出した。男はそれに応じ、二人は握手をした。
「意外です。あなたがサエバさんだとは・・・」
「あなたみたいに屈強な男を想像していましたか?」
「そうですね。まさか、こんなに若い娘だとは・・・。それに背が低いとは聞いていましたが、想像以上に―――」
「歳は18歳。残念ながら僕は男です。それと、身長のことは気にしているので・・・」
ミズキは自分の口の前で指をクロスさせてバツ印を作った。言わないでほしい、と言う意味だ。
「おっと、これは失礼しました」
「いえ、慣れているので」
「どのことが?」
「すべて」
ミズキが若い、女に見られる、背が低いと言われる。これはよくあることなので、さすがに慣れてしまった
「それにしても、よく覚えられましたね?」
男は笑いながら言う。その時、一瞬だが、彼の口の中が見え、ミズキは嫌悪感に駆られた。
「暗号ですか?」
表情に出さずに答える。
「ええ、私がこの店に入ってからの行動。そして貴方との会話。そのすべてを覚えられるとは思っていませんでした」
実は、この男こそ、ミズキが待っていた人物だったのだ。
そして、男の言う通り、男の行動を初めとする、すべては依頼主と請負人がお互いを確認するための暗号だったのだ。
もちろんその中には、男が遅れて店に入ってくる時間、ミズキが煙草を吸うタイミングなども含まれている。
「一度、この暗号よりもっと大変な暗号がありましたからね。13個の質問の答えをすべて覚えさせられました」
ミズキは笑いながら言った。
煙草が短くなったことに気が付き、火を揉み消した。
「手紙が送られてきたときは驚きました。まさか、僕にこんな高額な依頼が舞い込んでくるとは思ってもいなかったので」
「ええ、サエバさんは、この町のバウンティハンターの方で一番成功率が高いと聞きました」
「バウンティハンターだなんて、大層な者ではありませんよ。ただ、町の人から依頼を受けたり、モブに指定された魔物や犯罪者を狩ったりして生活しているだけです」
モブとは、人や町になどに危害を加える危険な魔物や犯罪者のことで、バウンティハンターが集まる場所―――酒場や喫茶店―――の掲示板に依頼が書き込まれる。
そういった掲示板がある店は、国からの指定を受けている店であり、その店の従業員たちはすべて公務員が経営している。
ミズキはあまりそういった場所が好きではなく、依頼は基本個人的に受けるか、借家のボロアパートに手紙を届けてもらうようにしている。そして、依頼を受けに行くことはあっても、そこで飲み食いすることはほとんどなかった。
「謙遜なさらなくても大丈夫です」
「いいえ、謙遜などではありません。見た目通り僕は力も体力もありません。ただ、舞い込んでくる依頼が簡単なだけです。つまり―――」
「運がいい?」
「その通り」
ミズキは指を鳴らしながら言った。
「一つ質問をよろしいですか?」
男はコーヒーを飲み干すと、そう言った。
「ええ、どうぞ」
「あなたにとって金とはなんですか?」
唐突な質問に、ミズキは困った顔をする。
「神、ではありませんね。それほどの価値はありません・・・。僕にとってですか、・・・ああ、難しいなぁ」
しばらく考えた後、ミズキは言った。
「金は力であり、正義です。少なくとも僕にとって、そしてこの国で生きていくためには、それ以上でもそれ以下でもありません・・・」
「なるほど。サエバさん、あなたは分かっていらっしゃるようだ」
その言葉に、ミズキは自分の眉がピクリと動くのがわかった。
「では、依頼の話に入りましょうか」
男は自分の持ってきた鞄の中を探り始めた。
「その前に、僕から質問です」
「え?」
男が鞄を探るのを止めて、ミズキを見た。正確にはミズキのいた場所を・・・。
いつの間にか男の後ろに回っていたミズキは、大口径の拳銃を男の後頭部に付きつけていた。
男の震えが、銃を通してミズキに伝わる。
「本物の依頼主はどこですか?」
今まで明るく話していた声とは一転して、氷の様に冷たい声音だった。その声から、いつでも引き金は引けるという意思まで伝わる。
「今までの行動が演技だということは、既にわかっていました」
「いったい、どこから・・・!?」
「あなたがカエルの質問をした時です。その後、僕は言いましたよね?13個の質問の答えをすべて覚えさせられたことがある、と」
ミズキは冷たい声のまま続けた。
店の中で騒ぎが起こっているというのに、マスターや他の客は止めようともしない。
この店の中で、いや、バウンティハンターの集まる店での争い事は日常茶飯事のため、たとえケンカが起きようと死者が出ようと誰も動じはしないのだ。
「それ、今日ここで、この時間に会う予定の依頼主だったんですよ」
「もう一つ質問です」
ミズキは震える男の耳元でそっと囁いた。
「その震えも、演技ですか?」
ミズキが言い終わらないうちに、男は銃を払いのけ、ミズキにつかみかかろうとした。
ミズキはバックステップでそれを躱し、男の顎を蹴り上げた。
カウンターを見事に喰らった男は床に倒れる。
その額にもう一度、拳銃を突きつけた。
「これが最後です。本物の依頼主をどこにやった?」
男は勝てないとわかったのか、今度は演技ではなく恐怖で震えだしていた。
どこからか拍手が鳴り響く。
不審に思ったミズキは音の主を探した。
「実に見事な判断だった。申し訳ないが、その銃を下ろしていやってくれないか・・・」
そこには、灰色のスーツを着た初老の男性が立っていた。
「その頼みに、僕が応える理由がありません」
ミズキは銃を男に突きつけたまま、顔だけを老人に向けて言った。
「置かれた状況を正確に判断してほしい。お願いではないんだ。これは、命令だ」
静かに言った老人。その手には、いつの間にか銃が握られていた。
ミズキは銃を下ろす。
男はミズキを睨みながら立ち上がったが、彼には何もせず、老人の隣に立った。
まだ、老人の銃はミズキを向いたままだ。
「あなたは誰ですか?」
ミズキは老人に聞いた。
「君の、本物の依頼主だ」
老人は静かに言った。