二十八
「よく私の元へ帰ってきた」
久しぶりに聞く父の声。すべてを手中に収めようとする威圧感を持った声だった。ただその声は、彼女がこの男に命じられ屋敷から出る前より、掠れておりどこか弱々しい印象を与えた。昔の王の声ではなかった。
「はい、お父様」
リーンベルはその場に跪き深く頭を下げる。
玉座の前には薄いカーテンのような物がかかっており、王の顔はよく見えない。いつもそうだった。彼女が王と会う時は必ずこの玉座の前で、そしてカーテンが掛かっていた。王子や王女、ジョセフたちには素顔を見せるというのに、王は彼女にだけは絶対に顔を見せようとはしなかった。
一度、リーンベルが屋敷の廊下でばったり王と出くわし、顔を見てしまったことがある。そのとき、王は逃げるようにどこかへ行き。すぐに屋敷の者たちが彼女を捕らえにきた。それから数日間、彼女は地下にある牢獄に監禁され、毎日のように暴行を加えられた。
しかし、それももう何十年も前のこと。王の顔は霞がかかったようにぼやけて思い出すことはできなかった。
自分は愛されていなかったのだろうか。彼の子どもより、自分の方が早く彼のことをお父様と呼んでいたはずなのに。
三年前のあの事件の時、魔女の村を一つ滅ぼしてまで自分を救った王。目覚めたとき、自分は愛されているのだと確信した。いや、そう考えるようにした。
そして、回復後すぐに王から命じられた封印書の素材集め。集める物が非常に多く、何年もかかることはわかっていた。実際、三年越しのことになってしまったが果たすことができた。
王の考えが分からなくなったときは、いつも三年前のことを思い出すようにしている。そう、自分は愛されているのだから大丈夫だ、と。
「サエバと言ったか、あの者は」
リーンベルは下げた頭を上げ、返事をした。
「どうやら、私の息子が気に入ったようでな。地下の研究所に連れて生かせた後は好きにさせている」
息子とは恐らく、第二王子のことだろう。彼はやはりミズキのことを覚えていたようだ。ただ、リーンベルにとってそれはどうでもいいことだった。
「もう一人の男は牢獄に監禁してある。数日中に処刑する予定だ」
「ええ、かまいません。私はあの者たちがどうなろうと関係ありません」一呼吸おいて続ける。「お父様、ついに成し遂げました」
無言。カーテンのせいで、彼がどのような表情をしているのかもわからない。
「封印書のことです。三年越しになってしまいましたが、成し遂げたのです」
まだ無言。
「お父様?」
「リーンベル。どうやら、お前に真実を告げる時がきたらしい」咳払いが聞こえた。「すべて嘘だ」
「え、それは、どういう……?」
「言葉の通りだ。封印書のことは嘘だと言ったのだ」
全身に衝撃が走る。
「そんな! どういうことですか、いったいなぜそんな嘘を!」
リーンベルは立ち上がり、王に詰め寄ろうとする。しかし、玉座の両隣にいた衛兵が、槍で彼女の進行を妨げた。
「それでは、あのことも嘘だったのですか」
自分の声が震えているのがわかる。今、自分が思っている言葉を、口に出すのを恐れていた。それでも、問いつめずにはいられなかった。
「封印が成功したら、私はこの国の外に出られると言ったことも!」
「嘘だ。封印書自体、作り物だ。そんなものどこにも存在しない」
「そんな……」
糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちるリーンベル。
「どうしてそのようなことを」
「お前の姿の元となったのは、この国が戦争で滅ぼしたローズヴェルト一族の末の娘だ。ローズヴェルトの生き残りが復讐と称し、私の娘を連れ去っていった。元々人造人間の研究をしていた私は、お前を作り出し実験も兼ねて恨みを晴らすためにお前を飼い殺すことにしたのだ」
「では、なぜ三年前、私を助けたのですか」
「あれも実験の一環だ。あの時、一般人の半分ほどの年数生きていたお前だったが、身体に異常が現れだした。私は海外の友人に事情を話し、彼の手を借りた。魔女の血を身体に入れることで、ホムンクルスがどう変化するかを知りたかったからだ。結局、失敗だった。お前は週に一度、処女の血を求めるようになった。屋敷の中だけでは手に負えなくなり、封印書という嘘を使って屋敷ではなく国の中で飼うことにした」
「私は、リーンベル・ローズヴェルトですらなかったというのですか?」
両手で顔を覆った。信じていたものがすべて崩れさる音がした。
「愉快だった。お前が私を父親と慕い、ありもしない封印書の為に奔走する姿は実に愉快だったぞ」王が喉を鳴らすように笑う。「実験はもう十分だ。お前のような欠陥品に用はない。どこへなり消えるがいい」
床に座り込んでいたリーンベルは、力なく立ち上がると玉座に背を向け歩きだした。その背中を王の笑い声が執拗に攻める。リーンベルが去った後も、王は狂ったように笑い続けていた。
―――――――――――――――――――
謁見室を出てすぐのところで、ジョセフが立っていた。リーンベルは彼の顔も見ずに、横を通り過ぎる。
「リーンベル……」
ジョセフの声。彼女は足を止めた。だが、振り向こうとはせず、ジョセフがこちらを向いていないのもわかっていた。
「どうしましたか?」
「王は……」
「ええ、お父様はすべて教えてくれたわ」
眉をひそめ悲しげな表情を作っているリーンベルだったが、その声は意外にもいつもより弾んでいるように聞こえた。
「私がこの国から出る為に、封印なんて必要なかったそうです」
「そうか」
「私は愛されてなどいなかったのね。ええ、いいわ。私が、私自身が愛されていると思いこみたかっただけ」
ジョセフは無言でリーンベルの言葉を聞いていた。
「今、やっとのことで気がついた。だって、お父様に真実を告げられても、何のダメージもなかった。でも、なんでそう思いたかったのか、それはわからないの。不思議で仕方ない。たぶん、拠り所がほしかったのね」
「強がることはない」
「強がっていません。それどころか、私、今とっても嬉しいの」リーンベルは振り返り、満面の笑みを浮かべた。「だって、ずっとずっと夢にまで見ていた国の外の世界を見に行けるのよ。これって、素晴らしいことだわ」
普段の作った笑みではなく、自然とこぼれた笑みだった。何より、弾んだ声がそのことを証明していた。
「すぐに国の外に出るのか?」
ジョセフが振り返りながら言った。
「ええ、そのつもりです。でも、先にあの人との約束を果たさなければならないわ。本当は約束を守るつもりはなかったのだけど。そちらの準備はできているの?」
「ああ、特に何をしたわけでもないが、電話で告げられたようにしておいた」
そう、と呟く。
「ああ、そうだ。あなた、お父様の近くにいた方がいいかもいれないわ」ジョセフに向かって微笑む。「あの人、もう壊れているもの」
そう言うと、リーンベルは軽やかなステップで去っていった。
―――――――――――――――――――
「アーネストさん」
自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。眠りから目が覚めたアーネストは、重い瞼を気力で何とかこじ開けた。自分が薄暗い牢屋の中に入れられていると気がついた。手錠と足枷をされており、思うように動くことができなかったが、鉄格子の近くまで歩み寄る。
すると、目の前で小さな火が灯った。指先から出ているそれで、火の周囲だけ少し明るくなる。
「リーンベル?」
にっこりと微笑み、手に持っていた鍵で扉を開け、牢屋の中に入ってくる。そしてアーネストの手錠と足枷もはずしてやった。
「これはどういうことだ! 説明しろ! ミズキはどこだ!」
一気に頭に浮かんだ言葉をまくし立てる。
「そんなに一気に質問しないでください」
「なんだと!」
アーネストは彼女の胸倉をつかむ。
「よく聞いてください。今からミズキさんを助けに行きます。こんなことをしている時間はないわ」
リーンベルはアーネストの手を払いのけると、銃を彼に差しだした。
「これは俺の?」
「ええ、取り返しておきました。さあ、行きましょう」
「裏切り者を信じろと?」
彼女を睨む。
「信じたくなければ、信じなければいいわ。でも、こうして貴方を助けたのは事実だし、貴方一人でミズキさんを救えるかしら? 私はミズキさんがどこにいるか知っているわ。あなたはどう? どこにいるかもわからない。そうでしょう?」
笑顔で諭すように言った彼女から顔を背ける。悔しいがリーンベルの手を借りなければいけないことは、すでに理解していた。
リーンベルの手を取り立ち上がる。
牢屋から出ると、すぐに何かが焦げたような異臭が鼻を突いた。黒い塊が視界の隅に入る。はっきり見ずとも、それがもともと何であったかは想像できた。
彼女を見たが変わらずに笑みを浮かべているだけだった。
「さあ、行きましょう」
彼女の危機感のない声色に、アーネストは小さく舌を打った。