二十
『「瑞姫…」
「なに、道流?」
二人は微笑みあった。
続きを喋ろうとした道流を、瑞姫の手が止めた。
「しーっ…」
瑞姫が口の前に人差し指を立てる。
「口に出さなくても、わかってる」
道流が何を言おうとしたのか、
瑞姫にはわかっていた。 』
「その後、他にも数人、血をいただきました」
あれから大人しく寝ているリーンベルの頭を、ミズキはそっと撫でた。
「彼女は僕たちが思っているような子ではなかった」と息を吐きながら言う。
「どうです。納得しましたか?」
肩を震わせながら聞いているアーネストに、ミズキは声をかけた。部屋の電気は点いておらず、彼は俯いているので、表情は読み取れない。アーネストは、リーンベルをちらりと見て、立ち上がった。
「何が、納得しましたか、だ。澄ました顔して。自分が何をやったか、わかっているのか」
厳しい表情でミズキを見下ろす。だが、ミズキは無表情のまま、アーネストを見つめ返していた。
「君は何に怒ってるんですか?」
「罪のない人を、傷つけたことだ」
溜息を吐き、アーネストを見る。
「僕は目的を果たすために手段を選ぶつもりはありません」
「お前・・・!」
「言ったはずです。優先順位を考えろ、と」
アーネストは、ミズキの襟を掴み、壁に押し付けた。初めてであった日のように、ミズキは一切抵抗しなかった。
「突然どうしました?」
いきなりつかみかかったにも関わらず、ミズキは至って冷静だった。まるで、この状況を予想しているかのようだった。
「お前を自治団体に引き渡す」
襟をつかんだ手に力を入れるアーネストだったが、首に当てられた冷たい感触に、動きが止まった。ミズキが、僅かに動く手で、銃を突きつけているのだった。
「いいえ。それはできない相談です」
その声は氷の棘となり、アーネストに刺さった。
「僕の邪魔をするなら、ここで死んでもらいます」
ミズキが本気だということを伝えるには、アーネストの目を見るだけで十分だった。
「言っておきますよ。僕は、君を仲間だとか、友人だとか思ったことは、一度もありません」
「じゃあ、なぜ俺を連れてきた」
苦し紛れに、呟く。
「役に立つと思ったからです。でも、それもこれで終わりです。僕はここで歩みを止めるわけにはいかない。僕の目的、話したことあるでしょう?」
帰ってきた答えは、冷たい答えだった。答え自体も冷たかったが、ミズキの言葉、いや、ミズキ自身が冷たかったのかもしれない。アーネストは、ミズキに対して、これまでに感じたことのない恐怖を感じた。
「どうしてそんなに、復讐にこだわる?」
「答えは簡単だ。僕は君じゃない。ただ、それだけだ」
「そんなの、答えになっていない! ミズキ、そんなに復讐が大切か?」
声を荒げ、アーネストは銃を突きつけられていることも構わず、さらに力を込めミズキを押さえつける。
「君に、僕の何がわかる!」
ミズキは、アーネストの首に突きつけた銃をさらに、押しつけた。
「すべてを奪われた、僕の、なにがわかると言うんだ、アーネスト!」
静かに、しかしこれまでにない怒りのこもった強い口調に、アーネストは一瞬身を引いてしまった。その隙を見逃さず、ミズキは、アーネストの腹を銃で殴りつける。不意を突かれたアーネストは、膝を折り咳き込んだ。
銃をしまったミズキは、アーネストを見下ろした。
「それに、僕が女性を襲って、血を集めておかなければ、リーンベルは一週間に一人、人を殺すんですよ? 僕がした行為は、彼女に人を殺させずに済んだ。十分でしょう」
「どうして、こんな子どもが!」
床を叩き、アーネストは小さくつぶやく。
「さっきの話をちゃんと聞いていましたか? 彼女、子どもなんかじゃありませんよ」
「なに?」
「気になるなら、聞いてみればいい」
ミズキは服の乱れを整えながら続ける。
「ミズキさん?」
二人が声のした方を見ると、リーンベルが眠たそうに目を擦っていた。
「大丈夫です。ゆっくり寝ていなさい」
ミズキがリーンベルに優しく声をかける。すると、彼女はすぐに安らかな寝息を立てて、また眠りについた。アーネストにはどこからどう見ても、彼女が少女にしか見えない。
「アーネスト。君も、早く寝るといい。――――明日になったら、君は家に帰りなさい。やはり、君には向いていない」
そう言うと、ミズキは自分のベッドに潜り込んでしまった。ミズキから言われた、言葉に混乱したまま、アーネストは眠りについた。
―――――――――――――――――――
「おはよう、アーネスト。家に帰る準備はできましたか?」
先に起きて、ベッドに腰掛けていたアーネストに、ミズキは声をかけた。ぴくりと動いたアーネストを鼻で笑う。
「俺は帰らない」
「へぇ…」とミズキは驚いたふりをした。馬鹿にしているようにも見える。だが、アーネストを拒絶しようとはしなかった。まるで、アーネストが、着いて来ようとすることを知っていたかのようだ。
「止めないのか?」とアーネスト。
「止めても、どうせ付いて来るんでしょう?」
ミズキは窓の外を眺めながら言った。煙草でも吸いたそうな表情だ。
「おはよう、リーンベル」
「おはよう、ミズキさん」
二人はお互いに笑顔で挨拶を交わした。二人の笑顔はどこか似たところがある。それが一体なんなのか、アーネストにはわからなかった。
「リーンベル、少し事情が変わりました。僕たちには猶予があまり残されていません。わかりますね?」
「ええ、昨日の事でしょう」
黙ったままミズキは頷いた。
「あと、十日分しか残っていません」
「十分だわ。帰りは一瞬ですもの」
その言葉に、ミズキとアーネストはお互いに顔を見合わせる。リーンベルの言葉の意味が全くわからなかったのだ。それに気が付いたリーンベルは、くすりと悪戯っぽく笑う。
「また、後でお話しします」
「あ、ええ、わかりました」
ミズキは戸惑いながらも返事をした。
「リーンベル…」
「どうしましたか、アーネストさん。後でお話しする、と言いましたよ?」
「そのことではないんだ」と一度、口を噤んだ。
「歳は、いくつなんだ?」
「まぁ…!」
口に手を当て、リーンベルは大袈裟に驚いて見せる。それを見たアーネストは、一瞬どきりとした。
「女性に年齢を聞くなんて、マナー違反じゃなくって?」
「いや、俺じゃない。ミズキが聞けと」
「そうなんですか?」
口を膨らませながら、ミズキを睨んだ。
「僕は、気になるなら、と言っただけです。僕が、聞け、と言ったわけではありません。アーネストの意思ですよ」
「ああ、やっぱり」
くるりとアーネストの方を向いた。
「別にかまいませんけどね」
ほっと息をついたアーネスト。
「私、52歳です」
「え、今なんて…?」
アーネストは、驚いてリーンベルに詰め寄る。その様子を笑いながらミズキは眺めていた。
「私、52歳です」
まるで録音したテープの様に、リーンベルは同じ調子で繰り返した。
「俺より年上。三十以上も…?」
「ええ」
彼女は頬に手を当て、首を傾げた。




