十八
『「瑞姫、瑞姫、瑞姫!」
彼は手を伸ばす。
「道流、道流、道流!」
高い声で、彼の名を呼んだ。
「瑞姫・・・!」
「道流・・・!」
お互いに手を伸ばす。
もう少しで、手が届く。
しかし、――――
――――二人の手は、触れ合うことはなかった。
聞こえたのは、男の笑い声。
最後に聞こえたのは、悲鳴と銃声。 』
「おい、あんたたち!」
男性から声を掛けられる。辺りが暗いので、顔がよく見えない。
「俺たちか?」
「僕たち以外に、誰がいますか?」
ミズキは呆れたように言った。確かに、周りには、男性とミズキたちの四人しかいなかった。
男性がミズキたちに近づく。ミズキが警戒していないところを見ると、害のある人物ではないのだろう。
「あなたは、昨日の・・・」
事件の目撃者と言われていた男性だった。
「どうかしましたか?」
「いや、自治団体の方に行ってみると、新しい事件が起きたという情報を手に入れた。帰り道だったんだが、ちょうど君を見つけたものだから」
「よく、僕だとわかりましたね? と言っても、まだ昨日の事でしたか」
「いや、印象的だったからな。その・・・」
「赤髪ですか?」
「ああ、いや。誤解はしないでほしい。ただ、珍しいと思っただけで、差別的な目を持って見ていたわけではない」
男は大袈裟に顔の前で手を振る。
「大丈夫です。珍しい、ということは認識しています」
ミズキは口角を少し上げる。男もほっとした様子で、話を続けた。
「その子は、昨日の写真の?」
男はリーンベルを見ながら言った。リーンベルは男に微笑みかける。
「ええ。そうです。ところで事件があったと言っていませんでしたか?」
「ああ、そうだ。すまない。話が反れていた。・・・昨日の夜中から今日の明け方の間に、男が一人殺された。それはもう残酷な殺され方だった。何しろ体中が穴だらけだったらしいんだ」
ミズキは無言のまま聞いている。アーネストは口を押え、リーンベルは彼の袖を握っていた。
「そう言えば、昨日でまた一週間経っていたんだが、女が血を抜かれて死ぬ事件は、起こらなかったな。あんたたち、解決したのか?」
「いえ、解決はしていません」
ミズキがすぐに答える。「そうか」と男は頷いた。
「そして、もう一つ――――」
それは、アーネストが朝ホテルマンに聞いた話と同じものだった。ミズキは今回聞くのが初めてのはずだ。それに事件の話を聞こうとしたのはミズキ自身である。しかし、アーネストには、ミズキがほとんど興味を持っていないように見えた。
―――――――――――――――――――
はっと目を覚まし、飛び起きる。手に銃を握り辺りを見回す。しかし、そこには規則仇しい寝息を立てるリーンベルとアーネスト以外誰もいない。
「夢か・・・」
額の汗を拭う。
嫌な夢だ。
思い出したくない。
でも、忘れるわけにはいけない。
そんな、過去。
この呪縛から解かれる日は、やってくるのだろうか。
いや、そもそも――――
「――――僕にそんな資格はない」
ミズキはベッドから起き上がり、鞄の中を探る。そして、昨日、夜中に探し回っていたものを取り出した。
それをじっと見つめた後、二人を起こさないようにそっと、リーンベルに近づいた。
何の音だっただろう。
それは最早、確認する術もなく、アーネスト自身、それを確認しようとは思わなかったが、小さな物音で目を覚ました。
目を擦り、リーンベルの方を見る。
真っ暗ではっきりとは見えなかったが、誰かがリーンベルの腕を持ち、何かしているではないか。
アーネストはすぐに銃を手に取り、その誰かに向ける。
「誰だ。何をしている」
静かな声で言った。できるだけ、相手に動揺を悟られないように、言ったつもりだ。実際には心臓が弾けそうになっていた。
黒い影が立ち上がる。
「動くな!」
厳しい口調で言った。相手から溜息が漏れる。
「僕を忘れましたか?」
影の人物は口を開く。聞き覚えのある声だった。
「ミズキ?」
「そうです。警戒するのはいいですが、ちゃんと状況確認もしてほしいものです」
ミズキはふっと息を吐きながら言った。
「何をしていたんだ?」
「・・・リーンベルの体調を確認していました」
「こんなに真っ暗な中で?」
「起こさない方がいいと思ったからです」
そう言うとミズキは、手に持っていた何かを鞄にしまう。
「それは?」
「ウエムラに借りている医療器具です」
すぐにベッドの中に入り、アーネストに背を向けた。
しばらくその姿を見ていたアーネストだが、寝息が聞こえてきたので、彼ももう一度寝ることにした。
―――――――――――――――――――
目を覚ました。
辺りの匂いが変わったからだ。
ミズキはベッドから起き上がる。
既に原因はわかっていた。
彼女はすぐそこに立っていた。
虚ろな目でミズキを見つめている。
ゆっくりと左右に揺れていた。
「足りなかったのか」と舌打ち。
鞄を取るために、素早く床を蹴った。だが、それも遅い。
リーンベルに背を向けた瞬間。ミズキは背に衝撃を受け、壁に弾き飛ばされた。銃を構え、リーンベルに向ける。だがトリガは引けない。そんなことをしては、元も子もなくなってしまう。
威嚇程度に、リーンベルの足元に弾丸を放つ。一瞬灯りともし、彼女の目が妖しく光った。
銃声を聞きアーネストが飛びきる。その時には、ミズキは既に壁に押さえつけられた。首を片手で、銃は膝で押さえられており、身動きが取れていない。
「リーンベル!」
状況を理解したアーネストが、銃口をリーンベルに向ける。だが、それと同時に、「撃つな!」とミズキが苦しそうな表情で叫んだ。その声で、アーネストは危うく引きかけたトリガから指を離す。 ミズキはアーネストを睨み、彼のそれ以上の行動を許さなかった。
仕方なく、銃を構えたまま、固唾を飲んで見守ることにした。
リーンベルの顔がゆっくりとミズキに近づく。ミズキには、首で彼女の荒い呼吸が感じられた。彼女の歯が首筋に当たり、一瞬背筋を何かが伝う。そして、徐々に圧力が加わり、首を噛まれているのがわかった。幸い、まだ血は出ていないらしい。
「僕の血を飲みますか、リーンベル?」
ミズキは僅かに動く首を、リーンベルの耳に近づけて、囁いた。
「君が必要としているのは、女、処女の血ではなかったのですか?」
ピクリと動いたリーンベル。動きが止まっていた。
「そう、ミズキさん。あなた、違うのね」
リーンベルが顔をミズキから放し、首を傾げながら、残念そうににっこりと微笑んだ。
ミズキはその瞬間に、ポケットから素早く何かを取り出し、彼女の首筋に突き立てた。
「何を!?」
アーネストが叫ぶ。
リーンベルはそのまま横に倒れる。ミズキが、床に倒れ込む直前の彼女を抱き留め、ベッドに寝かせてやった。
ミズキが手に持っていたものを、アーネストに見せた。
「注射器?」
「ええ、そうです」
「それで何を?」
「血です。女性の・・・」
アーネストの表情が驚愕に染まる。
「なぜ、そんなことを・・・?」
「今のリーンベルとの会話で、わかりませんでしたか?」
軽く息を整える。
「彼女が、一週間ごとに女性の血を抜いて殺していた犯人です」
ミズキは静かに言った。




