十六
『ゆらりゆらりと
黒い彼。
煙草の煙
燻らせて。
歩くは一人、
闇の中。
偽の仮面、
外す時。
彼は一体どこへ行く。』
小鳥のさえずる声で、アーネスト・エトワールは目を覚ました。
どうやら、いつの間にか寝ていたらしい・・・。
「――――ミズキっ!」
自ら囮になり、敵を引きつけ、それ以来帰ってこない友人、サエバ・ミズキを探す。
だが、隣のベッドには、すやすやと寝息をたてている、リーンベル・ローズヴェルトの姿しかなかった。その枕は少し濡れている。よく見ると、リーンベルの目元から零れ落ちる雫があった。
アーネストは黙って、涙を拭ってやる。そして、彼女の頭に手を置き、何度か往復させた。
ベッドから立ち上がり、服を着替えた。
顔を冷たい水で洗い、鏡を見た。
なんて顔をしているんだ。一度決めたことだろう。
頭を横に何度も振り。雑念を振り払う。
何度か頭を叩き、何とか頭に浮かんだことを、忘れようとする。だが、できない。ミズキの心配。これからの不安。それらが一気に押し寄せていた。
洗面所から出ると、リーンベルが荷物をまとめていた。背後に視線を感じたリーンベルは、振り向くと、びくりと肩を震わせる。
「あ、あの――――」
「心配しなくていい。俺はあんたに何もしない」
アーネストがそう言うと、彼女は下を向いた。
突然、ドアがノックされた。アーネストは飛び上がりそうになりながらも、何とか平静を装い、ドアに向かった。
覗き穴から誰が来たのかを窺う。それは、少し期待していた待ち人ではなく、意外な人物だった。期待していた自分と、驚いた自分。そして危険がないとわかり、ほっとしている自分に呆れ、溜息が漏れる。
念のため、ドアチェーンはかけておく。
ドアを限界まで開き、部屋の外にいるホテルマンを見た。
「おはようございます。今朝、自治団体から連絡がありました」
「自治団体?」
自治団体―――街の住民たちによる組織。主に、事件等の情報を共有するために、活動しているらしい。
「今朝、いくつか事件があったようです」
「・・・」
アーネストは緊張した様子で、ホテルマンを見た。彼にもその緊張が伝わったのか、表情が強張っていた。
「一つは女性の殺人事件で、銃で胸を撃ち抜かれていたようです」
これは昨日、リーンベルを見つけた時に、殺されていた女性の事だろう。こちらについては、自分にも情報がある。
「もう一つは、被害者が男性か女性かわからないのですが、こちらも殺人事件です。ずいぶんと質が悪いです」
被害者が男性か女性かわからない。その言葉は、アーネストの心を大きく揺さぶった。
ミズキは一見すると、いや、彼の口から「男だ」と語られなければ、女にしか見えない。しかし、アーネストはミズキと長くいたせいで、男性か女性かわからない人物、と認識してしまっていたのだ。
「そんな・・・」
アーネストは一人呟く。その様子をリーンベルは黙って見ていた。
「そして、警備隊は重要視していないようなのですが、複数の女性が、後ろから何者かに襲われ、眠らされる。という事件も起きています。どうか、お気をつけて」
ホテルマンはゆっくりとドアを閉めた。
ドアの閉まる音と同時に、アーネストはその場に座り込む。最後の事件の話など耳に入ってはいなかった。
ミズキが死んだ?
それは彼の肩に大きな塊として、のしかかってきた。
あの時に、もしミズキと一緒にいれば、彼は死なずに済んだのだろうか。
そんな考えが、頭を過った。
後悔しか出てこない。
座り込んだままのアーネストの肩に、リーンベルがそっと手を置く。その手の感触。そして、その暖かさに、癒されていく気がした。
自分が心配をかけてどうする。
アーネストは自分を奮い立たせるように、立ち上がった。
「リーンベル」
「はい。あの、どうして私の名前を?」
「ああ、そのことについて。それと、今後の事に付いて、伝えたいことがある」
アーネストは部屋の中にある椅子に座り、リーンベルはベッドに腰掛けた。
「昨日、君と出会ったとき、俺と一緒にいた男を覚えているか?」
「男? 女の方でしたら――――」
「あいつは男だ。そう言っていた」
「まあ・・・」
「サエバ・ミズキ、それがあいつの名前。あいつは仕事で、君を探していた。俺はその手伝いをしていたんだ」
「いったい何のために?」
「わからない。そこまで詳しいことは聞いていない。ただ、依頼で人探しをしている、としか・・・」
「――――お父様かしら?」
「え?」
「いいえ、こちらの話です」
リーンベルはにっこりと笑う。だが、表面だけの笑みで、どこか寂しさを感じさせる。彼女が、どこかミズキに似ているような気がした。
「ミズキは、自分が朝までに戻らなければ、君を置いて逃げろと言った」
アーネストはリーンベルの目を真っ直ぐに見た。彼女の息を飲む気配が伝わる。服の裾をギュッとつかんでいた。
目を閉じて、一度大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
「だが、俺にはできない。放っておけば殺されるとわかっている人間を、見捨てることなどできない」
リーンベルの顔に光が宿った。
「俺は君を助けたい・・・」
「ありがとう、ございます」
彼女はベッドから立ち上がり、アーネストに抱き着いた。声は聞こえないが、涙を流しているのはアーネストでもわかった。
金色の髪が、ふわりと後から付いて来る。その髪をアーネストは、優しく撫でようとした。
その時、
突然。
本当に突然。
誰が予想など、しているものか。
轟音?
銃声?
鳴り響く、
続けて二発。
鍵とドアチェーンが撃ち抜かれた。
「――――リーンベル!」
アーネストはリーンベルを自分の後ろに隠し、銃を抜く。震える両手で、何とか構え、銃口をドアに向けた。
ゆっくりと、
ゆっくりと、
ドアが開く。
まだ、外にいる人物は見えない。
長い時間をかけて、
ドアが開く。
十秒?
一分?
本当は、
もっと短いかもしれない。
汗が額を伝う。
体内の、
警報が鳴りやまない。
手が、ドアにかかった。
その手は、真っ赤。
心臓が跳ね上がりそうになる。
まだ、撃つには早すぎる。
相手が見えてからトリガを引こう。
それからでも、遅くはないはず。
ドアが開く。
「疲れた・・・」
扉の向こう側にいた人物が、顔を見せる。
「え?」
アーネストとリーンベルは、お互いに顔を見合わせる。そして、扉にもたれかかっている人物を見た。
サエバ・ミズキが、そこにいた。
「アーネスト。なんでまだここでいるんですか?」
体中、血まみれになったミズキが口を開く。
「それより、その血は!?」
「ああ、これですか?」
ミズキは乾いた笑みを浮かべる。疲れ切った笑みだった。
「大丈夫。五パーセント程度しか、僕の血は混ざっていません」
「じゃあ、それは一体・・・」
「聞きたいですか?」
ククク、と喉を鳴らして笑う。
「ドア、壊してしまいましたね。すみません、気が立っていたもので・・・」
「今は、別にどうでもいい。なにか手伝えることはあるか?」
「そうですね。――――いや、今は眠りたい」
意識を失ったかのように、ミズキはその場で眠ってしまった。