十二
『見渡す限りの銀世界。
誰が為に雪は降る。
雪が解けることはあるだろうか。
解けるとどうなるのだろう。
世界が変わって見えるかな。
寒い、寒い夜の事。
赤い、赤い地面に座る、
泣き疲れた少女が一人。
真っ黒なドレスを身に纏い、
白い雪を見つめてる。
雪なんて、
積もらず溶けてしまえばいいのに。』
ようやく到着した、北の街『ナシェル』。
今まで雪一面で、地面が見えなかった。だが、ナシェルの門をくぐった直後から、地面のタイルがはっきりと露出している。道がはっきりと見えるようになっていたのだ。不思議に思ったミズキはタイルに触った。
仄かに暖かい。それに、今さら気が付いたが、気温も外に比べると少し高い気がする。
「すみません。そこの方」
ミズキは近くを歩いている老人に声をかけた。老人は振り向き笑顔を見せた。寒さのせいで鼻が赤くなっていた。
「どうしたんだい、お嬢ちゃん?」
お嬢ちゃん、という言葉に一瞬反応しかけたが、何とか堪えることに成功した。間違われるたび、訂正していてはキリがない。
「街の外は雪が積もっているのに、中に入ると途端に地面が現れています。それに暖かい。この街の地面はどうなっているのですか?」
「なんだい、あんたたち二人ともナシェルは初めてかい?」
「ええ」
二人は同時に頷いた。
「ここは炭鉱都市でな。ほらあそこ、山が見えるだろう。あそこが炭鉱なんだ」
老人は街の西にある山を指さした。
「それが、何か関係しているんですか?」
「まあまあ、そう急かすな」
老人は笑った。
「あの山は昔から石炭がよく取れる。他の街にもたくさん売ってはいるが、それ以上に余ってしまう。そこでナシェルの長が考え出したのが、この床暖房システムなのだよ」
「床暖房?」
「そう、床暖房」
老人はまるで自分の息子の自慢をするかのように語る。
「各家に石炭を無料で配給して、暖炉で一日中、炊いてもらう。そして、暖まった空気の一部が煙突ではなく、街の地下に張り巡らされている排気管を通るんだ。そして、その空気が地面を温め、雪を溶かす。ついでに気温も少し上がる・・・。いや、まったく。素晴らしいシステムだよ」
ミズキはその話を楽しそうに聞いていたが、アーネストの頭は既にパンクしていた。
「地盤沈下などの心配はないんですか?」
ミズキが聞く。
「地盤沈下? うむ、すまないが私はあまり学がないのでな。その心配に付いては全くわからない」
老人は申し訳なさそうに言った。
「ミズキ、早く飯を食おう」
アーネストが横から割り込んできた。
―――――――――――――――――――
ミズキは猫舌だ。熱いコーヒーが飲めない。この世で二番目ぐらいに好きなものなのに、淹れ立てのコーヒーを飲めないのは、残念で仕方ない。ミズキは煙草を吸いながら、まだ飲める温度にまで下がらないコーヒーを見つめていた。
正面に座っているアーネストは、もう既に店のメニューを二品も平らげていた。
結局、ミズキの反対を「大丈夫」の一言で片づけたアーネストは、近くのレストランに入って行ったのだ。
店の様子はミズキの予想していた通りだった。ナシェルのバウンティ・ハンターたちが大勢いたのだ。掲示板もあり、バウンティ・ハンターの詰所になっていた。
ミズキはこのような場所が嫌いだ。騒がしすぎる。本音を言えば、入りたくもなかった。
そのため店に入ってからミズキは、頻繁に小声で毒づいていた。
とはいっても、店の一番奥の席に座っている男から、視線を感じているからでもあった。
「ミズキ、まだ飲まないのか? 冷めてしまうぞ」
遅れてコーヒーを注文したアーネストは、運ばれてきてすぐにコーヒーを飲んでいた。ミズキはその様子を恨めしそうに見つめる。
「猫舌なんです。熱い物は、僕の天敵です」
「へえ」
アーネストは興味の欠片もなさそうに言った。
しばらくして、コーヒーを飲み始めたミズキ。アーネストは席を立つ。
「どうしました?」
「ちょっと、トイレに行ってくる」
「気を付けてくださいね。さっきから、あの隅にいる男。僕たちを見ています」
アーネストの表情が曇る。
「『匂い』か?」
「違います。単なる洞察力です。とにかく、襲われそうになったら、僕のとこまで逃げてきてください。絶対に面倒は起こさないこと」
「わかった」
そう言って、アーネストが動き出すのと同時に、ミズキたちを見ていた男も動き出した。ミズキは気づかないふりをして、コーヒーを飲む。
気づかれないように目だけで、男の動きを追った。男はアーネストとすれ違う瞬間、横目で彼を見る。だが、アーネストに何かをする気配はなく、真っ直ぐにミズキのいる机に向かって歩いてきた。
どうやら、狙いはミズキのようだ。
ミズキは小さく舌打ちした。
アーネストが襲われても、逃げたり、ミズキが助けに入ったりすることはできる。
だが、ミズキに狙いがあるのなら、トイレに入ってしまったアーネストにはこちらの状況はわからない。つまり、アーネストがこちらに気づくまでは、逃げ出すわけにはいかないのだ。
体格や身なりから判断すると、男はバウンティ・ハンターのようだ。とはいっても、こういった飲食店などに来る客自体、貴族やバウンティ・ハンターのように、生活に困っていない物しかいない。
男はミズキより三十センチ近く背の高い大男で、筋肉は服の上から確認できるほど発達している。着ている服もそれなりに高そうな物で、腰には彼の武器であろう剣が吊るされていた。
まともな力比べでは、ミズキの負けが見えていた。ミズキにはスピードはあっても、力と体力はない。それを補うための銃である。
「変わった髪の色をしているな。赤髪って言うんだろ? 確か、魔女か魔物との混血だっていう噂が昔あった・・・。ところで今、暇かい?」
「いいえ、連れがいます・・・」
ミズキは声をかけられたが、そっけなく返した。今回も性別についての訂正はやめておいた。
「もしかして、さっきの冴えない顔をした兄ちゃん?」
「ええ・・・」
「そんなやつ放っておいて俺と一緒に来ないかい?」
男は品のない笑みを浮かべる。一瞬、ミズキはどうして、この男の笑みに品がないのかを考えた。
男はゆっくりと、ミズキの顔に手を伸ばした。
「遠慮しておきます」
ミズキは男の手を払う。
気が付くと今まであれほど騒がしかったはずの店が、今は静まりかえっている。食器の触れ合う音しか聞こえない。全員がミズキと男に注目していた。
それも、ほとんどの者が、男と同じ笑みを浮かべていた。残りの者は、ミズキに哀れみの目を向けている。どうも気に食わない目だ。
「おい、見ろよ。あいつまた、女に手を出そうとしているぞ」
「あの女、変わった髪の色をしているな」
「そういえば先週は何人だった?」
「三人だ。そのうち死んだのが二人」
「毎回のように殺すな? いつ殺しているんだ?」
「行為に勤しんでいる最中」
「もったいねえ・・・」
「かわいそうに、あの娘も同じことをされるのか」
そんな会話が聞こえてきた。
なるほど、この男の目的はミズキの身体のようだ。ミズキは吐き気を覚えた。そして、理解した。この男の笑みに品がない訳を・・・。
ミズキの追い求めている『あの男』に似ているのだ。
「意外に気が強いんだな。だが、そういう方が俺の好みだ。・・・あの男、ハンターか? 貧弱そうだな。おまけに身なりも悪い。あまり稼げていないんだろう? 俺はナシェルでは名の知れたハンターでね。何が欲しい? 服? 食い物? 宝石? 欲しい物何だって買ってやる。もちろん、その後の事も満足させてやる。だから、俺と一緒に来い」
「ええ、間に合ってます。だから、結構です」
ミズキは答えた。何が間に合っているのか。自分で言っておいて笑いそうになってしまった。
「断った。あの女、断ったぞ」
「あいつ、またキレだすんじゃないか?」
「かわいそうに、二度目の奴の誘いを断った女で、生きていたやつはいないと言うのに」
その言葉に交じって、ミズキと男に対しての笑いが起こった。
「連れが来るので」
そう言ってミズキは席を立ち、男の真横を通り過ぎる。ミズキのあまりにもそっけない態度に、また笑いが起こる。
「貴様・・・!」
男がミズキの肩をつかんだ。
ミズキの目が見開かれる。一瞬反応が遅れた。
肩をつかまれたせいだ。
力いっぱい、男に引き寄せられる。
「今、この場で犯ってもいいんだせ!」
男がミズキの胸倉をつかみながら怒鳴る。ミズキは力なく俯いていた。
「・・・・・るな」
ミズキが口を開く。小さな声で聞き取れない。笑いが包んでいた店の中は、また静寂に包まれた。
「ん?」
男が不思議そうにミズキの顔を覗き込む。
「汚い手で僕の体に触るな!」
ミズキは男に怒鳴り、同時にコートの袖口に隠していたナイフで、男の腕を斬りつけた。
血が迸り、男はたまらずミズキを放した。
ミズキはさらに一歩踏み込み、後退した男の頸動脈に、ナイフの切っ先をピタリと当てた。
男の首にナイフの切っ先が徐々に埋まる。血が少し流れていた。男は恐怖に顔を歪めた。
「ミズキ!」
アーネストが、ミズキに駆け寄る。
ミズキはアーネストの姿を見ると、無言でナイフを袖口に納めた。カウンターに適当な額の金を置き、ミズキは出口へと向かう。
「どうした? 面倒を起こすなと言ったのはお前の方だろう?」
心配そうに肩に手を置いたアーネストだったが、すぐに振り払われた。
ミズキは脈拍と息が上がっていることに気づいた。
怒ったせいだと自覚する。あれは完全に自分の不注意だった。そのせいであんな結果を招いた。ごめんなさい、と何度も謝罪の言葉を胸の内で呟いた。もちろんそれは、アーネストに向けた謝罪の言葉ではなかった。
アーネストは横目でミズキの様子を窺った。ミズキと出会って、まだ一週間もたっていない。だが、ミズキが表情を変えるときはあっても、感情をあまり表に出さないことは既に知っていた。
そのミズキが今、とても憂いに満ちた表情を浮かべていた。
ミズキは雪の降る空を見上げた。
白い雪はこの空の下にいる、誰の意志も関係なく振り続けていた。