おくりもの
我儘なお姫様に振り回されるかわいそうなお姫様
「今夜から迎えに来なくていいわ」
甘いだけの声が凶器のように鋭かった。痛みに唾を飲み込んでいるうちに、泥のような男の声がわずかに乗せられて通話が切れた。今夜はよく冷えて、あの子は薄着で出て行った。おろしたてのコートをこれみよがしにハンガーに掛けて行ったまま。
目眩がしたから水を飲んで、吐き気を催したから残りを顔面いっぱいに浴びた。冷たくて、潤って、喉は渇いたまま。
あたしだって今夜は久方ぶりに大勢で飲んでいた。ああ、何も許されなかった。時たまのお暇さえあの子の電話一つで壊されてしまう。だったら壊し返してやりたいと思う。コップ一杯の水を浴びてその場に横たわる。とうとう酔っ払ったかと喧しいがやを受け流しながら、通話をかけ直した。上々の甘い声が耳の奥で弾けた。
「今からって時になあに」
「あたしも今夜から迎えに来てくれる人がいるの。だからちょうどよかった。どうか気にしないで」
通話を切った。聞こえていたらしい友人が数回瞬きをしてあたしに詰め寄ったけれど無視をした。察したのか諦めたのか、ずぶ濡れのあたしの頭の下にタオルを敷いてくれた。永遠を過ごすような気分だった。夢なら早く醒めたかった。もうこれ以上酒は飲めない。眠気にもとうとう愛想を尽かされた。
あたしも一人で出て行きたい。あの子が一人でどこへでも行けるように。
永遠を過ごしたつもりだった。大層荒っぽく扉を開ける音がして、運命が迫り来るような足音が近付いてきた。お店にご迷惑がかかるでしょう。そんな足音が止まったかと思えば、あの子がなんとまあ汗を流して立ち尽くしていた。よく発光する桃色のチークが意味を失くして、小さな顔全体が真っ赤に染まっている。
ああ、来るんだ。来てくれたの。意外だったけど、あたし、ようやく貴女の気持ちがわかった。
「わたしがっ、一番だったでしょう。誰よりも何よりも早く、貴女を迎えに来たでしょう。残念だったわね、後から迎えに来る男は、だってわたしが攫って行ってしまうんですもの」
長く整ったまつ毛がぱさぱさと、大きな瞳がさらに大きくゆらゆらと。ああ、今にも涙がぽろぽろとこぼれ落ちそう。そんな強気に見栄を張ったって、貴女は可愛いままなのに。
「あたしを迎えに来る男なんていない。来ても一人で追い返せる。でも今貴女が迎えに来たから、もう一人じゃ帰れない。早く攫ってくれる」
顔も見ずに両腕を伸ばすと、数拍置いて大きなため息が降ってきた。仕方なく顔を上げると、これはこれは、良いものを見たと思った。抱き上げられて体の落ち着いた場所に、ちょうど柔く赤い耳が触れたから優しくキスをした。小さく聞こえた声が、今夜で一番甘かった。外はやはりよく冷えた。抱き抱える両手が可哀想にも震えていることに気が付いたけれど、鳥肌はなかった。まさか重いだなんて失礼なこと、言わないでしょうね。
「ああ、重い」
「なんて失礼な」
「違う、違うわ。貴女はこんなにも軽いのに、わたしの腕ってとっても重たい。貴女一人抱き上げて歩くことすらできないのね。今夜みたいに何かあったら、逃げて行っちゃうのね…」
そのままわんわん泣き始めた。なんて我儘な。なんて、どうしようもないお姫様。今夜くらいはあたしがお姫様だと思ったのに。
仕方なく足を着いて代わって抱き上げた。首にしがみつく細い腕がいつになく愛おしくて不気味だった。冷蔵庫の中身を思い出しながら、この子が泣き止むまで土砂降りのキスをした。




