第八章 文化大革命の兆し
時計の針は、時に冷酷なほど正確に、しかし人間の体感とは全く異なる速度で進む。大躍進という名の国家的な狂気がもたらした大飢饉の爪痕は、人々の記憶と肉体に深く刻み込まれたまま、歳月だけが静かに流れていった。毛沢東はその失策の責任を取る形で国家主席の座を劉少奇に譲り、表舞台から一歩退いた。中国大陸には、束の間の、しかしどこか不気味なほどの平穏が訪れていた。人々は、悪夢から覚めたばかりのように、まだ呆然としながらも、配給がわずかに改善された日々の暮らしを、必死に立て直そうとしていた。
張家にも、世代交代の波は、抗いようもなく訪れた。
一家の長であった張守仁は、結局、長年の栄養失調がたたり、六十歳を目前にして、静かにこの世を去った。彼の最期は、意外なほど穏やかだった。最初はあれほど楡生を疎んじていた彼が、晩年には、その利発で物怖じしない孫を、目に入れても痛くないほど可愛がるようになっていたのだ。香港の弟から届く貴重な缶詰を、彼は真っ先に楡生の口に運び、「張家の跡取りだ、しっかり食え」と、ぶっきらぼうな愛情を示すのが常だった。守仁は、息を引き取る間際、傍らにいた洪正の手を弱々しく握り、「楡生を……この家を、頼んだぞ」と、それだけを言い遺した。それは、旧社会の職人としての意地と、一族の長としての責任を、息子に託す、最後の言葉だった。
守仁の死と共に、虹口の路地裏で細々と続いていた私営の「張記洋服店」も、その歴史に幕を下ろした。新しい社会では、私有財産や個人経営は、封建主義や資本主義の残滓として、次第にその居場所を失いつつあったのだ。工房はたたまれ、国に閉鎖された。しかし、洪正の卓越した仕立ての腕は、新しい体制下でも高く評価された。彼は、虹口区の堤籃橋地区にある、国営の「東風西装店」に、職人として召し上げられることになった。
それは、身分の大きな変化を意味した。かつての「小資産階級」の息子から、社会主義国家の基盤を支える、栄光ある「労働者階級」への転身。毎月の給金は、わずか十八元。決して多くはないが、それは金銭以上の価値を持っていた。社会主義国家においては、あらゆるものが配給制度の下にあり、人々は給金と共に支給される様々な「票」――糧票(食糧券)、布票(布地券)、糖票(砂糖券)、そして煙票(タバコ券)といったチケットを使い、決められた量の商品と交換して生活を営んでいた。金だけがあっても、票がなければ何も買えない。つまり、国営工場で働くことは、この社会で生きていくための生命線を確保することを意味した。洪正は、この新しい身分に安堵し、同時に、もはや自分の腕一つで自由に商売のできない時代になったのだという、一抹の寂しさを感じていた。
時は流れ、1955年の春。楡生は、九つになっていた。
すっかり上海の少年に育った彼は、この街の複雑な路地を、まるで自分の庭のように駆け回っていた。彼の世界は、かつての飢饉の記憶など微塵も感じさせないほど、活気に満ち、無邪気な喜びに溢れていた。
三年前、彼には妹ができた。慧文と名付けられたその子は、父の静かな思慮深さと、母の快活な芯の強さを受け継いだ、利発な少女だった。楡生にとって、慧文は、守るべき大切な存在であり、同時に一番の遊び相手でもあった。
「兄ちゃん、待ってよ!」
その日も、楡生は慧文の手を引っ張り、石庫門の家を飛び出した。今日の彼の重要な任務は、おばあちゃん、玉蘭のために、煙票を使って「大前門」という銘柄のタバコを買ってくることだった。阿片を手に入れることができなくなった玉蘭は、その代わりとして、強い紙巻きタバコを手放せなくなっていたのだ。
弄堂の入り口にある「合作社」と呼ばれる国営の雑貨店は、子供たちの社交場でもあった。店の前では、幼馴染たちが、ビー玉を弾いたり、ゴム跳びをしたりして遊んでいる。店の軒先では、井戸端会議に興じる主婦たちが、甲高い上海語で噂話に花を咲かせている。
「聞いたかい、三軒先の趙さんのところの嫁さん、また男と浮気を起こしたらしいよ!」
「まったく、伊個浮屍(あの売女めが!)作溪(死)啊(死に遅れが)、見てらんないわね!」
そんな罵声さえ、子供たちの耳には、日常のBGMのようにしか聞こえなかった。
「張楡生! 今日はどっちが勝つか、勝負だ!」
一番のガキ大将である李明虎が、ビー玉を片手に挑戦的な声を上げる。
「上等だ! 小赤佬(このガキめ)、昨日負けたのがそんなに悔しいか!」
楡生は、慧文に「ここで待ってな」 と言い聞かせると、勇んでその輪に加わった。地面に引かれた円の中に、色とりどりのビー玉が並べられる。子供たちの指先から弾き出されるガラスの玉が、カチン、カチンと小気味よい音を立てる。勝てば相手のビー玉をぶん取れる。負ければ自分の宝物が減る。それは、社会主義国家の配給制度とは全く異なる、実力と運だけが支配する、子供たちだけの原始的な市場経済だった。
ひとしきり遊び、ポケットを戦利品のビー玉で膨らませた楡生は、ようやく本来の任務を思い出した。雑貨店の中は、薄暗く、醤油と石鹸と、そして漢方薬のような独特の匂いが混じり合っていた。カウンターの向こうでは、眠そうな顔をした店主が、客の差し出す様々な色の票と、配給手帳を突き合わせながら、商品を渡している。楡生は、おばあちゃんから預かった煙票と、わずかな几角(小銭)を差し出し、無事に「大前門」を手に入れた。
帰り道は、決まって、母の働く場所へ寄り道することになっていた。
「行くぞ、慧文」
「うん!」
二人が手を繋いで向かうのは、大きな発電設備を作る国営工場の、片隅にある幼稚園だった。母の珍蓮は、そこで雑用係として働いていた。新しい社会では、「働かざる者食うべからず」が絶対の真理だった。たとえ家庭の主婦であっても、何らかの形で社会に貢献し、労働に従事することが求められた。纏足のせいで立ち仕事もままならない玉蘭のような旧時代の人間は例外だったが、珍蓮のように健康な者は、近所の主婦たちと共に、このような場所で働くのが当然とされていた。彼女の仕事は、子供たちの世話をし、給食を作り、掃除をすること。給金は雀の涙ほどだったが、それでも彼女は、自分が社会の一員として認められていることに、確かな誇りを感じていた。
工場の巨大な門をくぐると、機械の唸る轟音と、金属の焼ける匂いがした。幼稚園の庭では、工員たちの子供たちが、滑り台や砂場で元気に遊んでいる。その光景は、楡生の小さな心に、ある種の刷り込みのような印象を残していた。働くことは、立派なことだ。父さんも、母さんも、国のために働いている。そして、そのおかげで、自分たちはご飯を食べ、遊ぶことができるのだ。働かない人間は、恥ずべき存在なのだ――。それは、この社会が子供たちに教え込む、最もシンプルで、最も強力なイデオロギーだった。
「お母さん!」
慧文が、厨房の窓から顔を覗かせている珍蓮を見つけ、駆け寄っていく。
珍蓮は、汗で額に張り付いた髪をかき上げ、二人を優しい笑顔で迎えた。
「あら、楡生、慧文。お使いは済んだのかい?」
彼女は、子供たちに内緒だよ、と言って、給食の残りだという甘い蒸しパンを一つずつ手渡してくれた。その温かく、ほんのり甘いパンの味は、楡生にとって、この世で一番のご馳走だった。
家に帰ると、洪正が仕事から戻っていた。彼は、作業台に向かい、国営工場から持ち帰った仕事の続きをしていた。それは、党の幹部が着るための、特別な仕立て服だった。彼の腕は、たとえ国営の工場という枠にはめられても、決して鈍ることはなかった。
「父さん、ただいま」
「おお、おかえり」
洪正は、楡生の頭を撫でながら、机の引き出しから一通の、少し古びた手紙を取り出した。それは、数年前に海南島の奥田先生から届いた、最後の便りだった。
上海に戻ってから最初の六年間、洪正と奥田老夫婦の間では、年に一度の書簡のやり取りが続いていた。奥田先生の手紙は、いつも、島の変わらぬ様子と、洪正たちの健康を気遣う言葉で満たされていた。そして、手紙の最後は、必ずこう結ばれていた。
『青木様は、まだお見えになりません。ですが、ご安心ください。あなた様との約束、この命ある限り、必ずお守りいたします』
その一文を読むたびに、洪正の胸には、美佐子への申し訳なさと、果たさねばならぬ約束の重みが、ずしりとのしかかるのだった。
だが、その便りは、三年前にぷっつりと途絶えた。
洪正が送った手紙は、宛先不明で返送されてきた。老夫婦の身に、何かがあったのだろう。高齢だったことを考えれば、亡くなったのかもしれない。あるいは、遅ればせながら、帰国の船に乗ることができたのかもしれない。共産党の統治下の現世では確かめる術は、もはやなかった。美佐子との、最後の繋がりが、完全に断ち切れてしまったのだ。
以来、洪正は、美佐子のことを心の奥底に封印するようになった。日々の労働、家族を養う責任、そして息苦しい社会の空気。それらが、遠い過去の感傷に浸る余裕を、彼から奪っていった。だが、時折、楡生のふとした横顔に、あの夜の美佐子の面影がよぎることがあった。そのたびに、彼の心は、チクリと痛んだ。
彼は、この息子の本当の母親のことを、いつ、どのように話すべきなのだろうか。あるいは、このまま、すべてを秘密にしたまま、墓場まで持っていくべきなのだろうか。答えは、見つからない。彼はただ、目の前の息子と娘を、この混沌とした時代の中で、精一杯守り、育てていくことしかできなかった。
1955年の上海は、そんな、嵐の前の静けさに満ちていた。
人々は、過去の傷を癒し、ささやかな日常の幸せを噛みしめていた。子供たちは、イデオロギーの雨水を吸って、知らず知らずのうちに社会の求める若木へと育っていた。だが、水面下では、巨大な権力闘争のマグマが、不気味なエネルギーを蓄え、沸々と煮えたぎっていた。
北京の政治の中枢では、毛沢東が、再び権力の座に返り咲くための、恐るべき計画を練り上げていた。それは、「文化大革命」という名の、若者たちの純粋な情熱を利用した、空前絶後の権力闘争であり、社会破壊運動だった。
楡生や慧文のような、何も知らない子供たちが、ビー玉遊びに興じ、甘い蒸しパンに微笑む、そんなありふれた日常。そのすぐ向こう側で、歴史の巨大な嵐が、唸りを上げて、まさに吹き荒れようとしていた。やがてその嵐は、張家のような無数の家族を、個人の尊厳を、そして国そのものを、根こそぎ飲み込んでいくことになる。だが、今はまだ、誰もそのことに気づいてはいなかった。ただ、空が、いつもより少しだけ、暗く見えただけだった。




