第一部 誕生と別離 ― 海南島の青い空 第一章 焦土の港
第一部 誕生と別離 ― 海南島の青い空(1945年~1946年)
第一章 焦土の港
敗戦翌年、1946年の晩春。私は、中国の最南端、海南島の楡林港で生まれた。楡生と名付けられた。後に育ての父となる張洪正から聞いた話では、それは、大変な時分であったという。
戦争は終わったはずだった。しかし、その余燼はアジアの至る所で燻り続けていた。多くの日本人が、いまだ東南アジアの各地に散らばり、先の見えない日々を送っていた。徐々に帰国の途に就く者もいたが、一方で、十数年に及ぶ移住生活ですでにその土地に根を張り、慣れ親しんだ生活環境を捨てるに捨てられない者も少なくなかったという。彼らにとって日本は、もはや遠い記憶の中の故郷でしかなかったのかもしれない。
私の母、青木美佐子もまた、そんな時代の奔流に翻弄された一人だった。彼女がどのような思いで、生まれたばかりの私を見つめていたのか。その心の内を、私は長い間知ることがなかった。これから語るのは、私の半生ではない。私という存在が生まれるに至った、一人の女性の、あまりにも切ない心の闘いの物語である。
1946年、海南島・楡林。日本の敗戦からすでに半年以上が過ぎていたが、港に漂う空気は敗戦国のそれとは少し違っていた。亜熱帯の太陽が容赦なく照りつけ、むせ返るような湿気と、得体の知れない花々の甘い香りが混じり合い、人々の心を奇妙に弛緩させる。だがその弛緩は、いつ断ち切られるかわからない緊張の糸の上で、かろうじて保たれているに過ぎなかった。
青木美佐子は、粗末な木造家屋の窓から、そんな港の様子をぼんやりと眺めていた。窓の外には、大きな楡の木が青々とした葉を茂らせている。その向こうには、どこまでも青い、吸い込まれそうな南シナの海が広がっていた。かつて、夫の信一と共にこの島に来た時、この抜けるような青さに心を奪われたものだ。日本の空とは違う、異国の開放的な空。ここでなら、全ての過去を振り切り、新しい人生を始められる。そう信じていた。
腕の中では、生まれてまだひと月も経たない赤子が、すやすやと寝息を立てている。この子の名は、まだない。夫が生きていれば、きっと立派な名前を考えてくれただろう。青木家の跡継ぎとして、未来を託せるような名を。
「青木先生……」
夫の信一は、軍医だった。東京の由緒ある医者の家の跡取り息子でありながら、家の決めた許嫁を嫌い、奉公に来ていた自分のような女と恋に落ちた。彼の両親の猛反対を押し切り、私たちは駆け落ち同然にこの南の島へ渡ってきた。軍属という立場は、親の干渉から逃れるための、彼なりの精一杯の抵抗だったのだ。
『美佐子、戦争が終わったら、この子を連れて堂々と実家へ帰ろう。父さんも母さんも、孫の顔を見ればきっと許してくれる』
大きくなり始めたお腹を愛おしそうに撫でながら、信一はそう笑っていた。だが、その約束が果たされることはなかった。終戦直前の混乱の中、彼はマラリアに罹り、あっけなく逝ってしまった。他の兵士たちを懸命に治療しながら、自らの体は蝕まれていたのだ。彼の亡骸は、この島の土になった。
腕の中の赤子が、ふにゃ、と小さな声を出した。その温もりと重みが、美佐子を現実に引き戻す。この子がいる。信一さんの、忘れ形見が。この子だけは、私が守らなければ。
引き揚げの話は、日に日に現実味を帯びていた。港には、いつ出るとも知れぬ船を待つ日本人たちが、張り詰めた顔で溢れている。彼らの会話の断片が、風に乗って聞こえてくる。
「日本の食糧事情は、ひどいらしいぞ」
「東京は、一面の焼け野原だとか……」
「帰ったところで、住む家も仕事もない」
不安を煽る言葉ばかりが、美佐子の耳に突き刺さる。信一との駆け落ちの際、彼女は故郷の福島にも、奉公先の青木家にも、何の連絡もしていなかった。東京大空襲の噂は、この島にも届いている。青木本家は、今も無事なのだろうか。たとえ無事だったとして、跡取り息子を「たぶらかした」奉公人の女が、その子供を連れてのこのこと戻ったところで、一体どんな扱いをされるというのか。侮蔑の視線、冷たい仕打ち。想像するだけで、身がすくむ。
跡継ぎを連れて帰りたい。信一さんの血を、青木家の血を、絶やしてはならない。それは、夫への、そして彼を奪ったこの戦争への、自分なりの責任の取り方だ。だが、その一方で、全く逆の思いが鎌首をもたげる。
――この子を、不幸にしてはいけない。
もし、日本に帰って食べるものもなく、親子で路頭に迷うことになったら? もし、青木家で肩身の狭い思いをしながら、日陰者として生きることになったら? それは、この子が本当に幸せな生涯を送れる道なのだろうか。信一さんは、それを望むだろうか。
美佐子の心は、二つの矛盾した感情の間で、引き裂かれそうになっていた。日本へ帰るべきか、それとも……。
その時だった。家の戸が、コン、コン、と控えめに叩かれた。
「美佐子さん、入ってもいいか? 張だ」
声の主は、近くに住む洋服仕立て職人の張洪正だった。滬(上海)の洋服仕立屋の父を持ち、家の工房で職人技術を磨き、成人になってから単身で南のほうへ親族の工房へ修行の旅出るも、戦火に押され、広州の親族に結局出会えず、海南島へ流れてきた素朴の青年。日本統治下でもよく仕事を請負、勤勉のゆえ日本語をも少し習得でき、多少の通訳としても日本人の軍民問わず接してきた。夫が亡くなり、一人きりになった美佐子を、彼は何かと気遣ってくれていた。食糧を分けてくれたり、治安の悪い夜には家の周りを見回ってくれたり。その瞳の奥に、自分への淡い恋慕の色が浮かんでいることには、気づかないふりをしていた。
「どうぞ」
洪正は、小さな包みを手に、静かに入ってきた。彼の後ろには、いつも彼と行動を共にしている広東出身の女性、陳珍蓮の姿もあった。彼女は、洪正とは対照的に、カラリとした気性で思ったことをすぐに口にするが、根は優しい女性だった。
「赤ん坊の顔を見に来た。これは、珍蓮が市場で手に入れてきた鶏の卵だ。栄養をつけないと」
洪正が差し出した包みを、美佐子はためらいながら受け取った。卵など、今の日本人にとっては金塊にも等しい貴重品だ。
「まあ、なんて可愛い子だろうね」。珍蓮が、赤子の顔を覗き込み、目を細めた。「名前はもう決めたのかい?」
その言葉に、美佐子の胸がちくりと痛んだ。
「……いえ、まだ」
「そうかい。こんなに綺麗な子だ。いい名前をつけてやらないとね」
珍蓮の屈託のない言葉が、逆に美佐子の孤独を浮き彫りにする。この人たちには家族がいて、帰る場所がある。自分には何もない。あるのは、腕の中のこの小さな命と、先の見えない未来だけだ。
洪正が、心配そうな顔で美佐子を見つめた。
「美佐子さん、顔色が悪い。日本のことが、心配か?」
「……ええ、少し」
「無理もない。でも、きっと大丈夫だ。日本は強い国だから、すぐに立ち直る」
その慰めの言葉が、美佐子には空々しく聞こえた。あなたは何も知らない。私が抱えている、このどうしようもない矛盾と不安を。
その夜、美佐子は眠れずにいた。赤子は隣で健やかに眠っている。その寝顔を見ていると、愛しさと同時に、恐怖がこみ上げてきた。この無垢な寝顔を、自分が守りきれるのか。
ふと、窓の外の楡の木に目をやった。風にそよぐ葉が、月光を浴びて銀色にきらめいている。この木は、この島で何年も、何十年も、生き続けてきたのだろう。戦争も、統治者の交代も、全てを見てきたに違いない。
この子も、この楡の木のように、どんな環境でも強く、しなやかに、生き抜いていってほしい。
その時、一つの名前が、雷に打たれたように心に浮かんだ。
――楡生。
この楡の木のように、この楡林港の地で生まれて、生きる。その名前に、自分の願いを託そう。
そして、その名前を思いついた瞬間、美佐子の心の中に、恐ろしい考えが芽生えた。それは、ほんの数日前までなら、狂気の沙汰だと一蹴したであろう考えだった。
この子を、日本へ連れて帰らない。
この、海南島に、置いていく。
一度そう思うと、その考えは猛毒のように心を蝕み始めた。
そうだ、その方がいい。日本に帰れば、待っているのは飢えと差別かもしれない。でも、ここにいれば? 張洪正は、この子をきっと大切にしてくれるだろう。彼は善良な人間だ。彼と、あの気のいい陳珍蓮が一緒になれば、きっといい親になる。彼らになら、この子を託せるかもしれない。
自分は一人で日本へ帰る。そして、必死で働き、生活の基盤を築く。青木家がどうなっていようと構わない。自分の力で、この子を迎えに来られるだけの安定した生活を手に入れるのだ。何年かかってもいい。必ず、必ず迎えに来る。それまでの間だけ、この子に、安全な場所で生きていてほしい。
それは、母親としてあるまじき裏切り行為だ。我が子を捨てるのと同じことだ。
いや、違う。これは捨てるのではない。守るためだ。この子の幸福な生涯のための一時的な、最善の選択なのだ。
美佐子の心の中で、二人の自分が激しく言い争う。一人は母としての本能で泣き叫び、もう一人は冷徹な理性で未来を計算している。
彼女は、箪笥の奥から、小さな桐の箱を取り出した。中には、信一から贈られた二つのロケットペンダントが入っている。そのなかのひとつそっと蓋を開けると、中には自分の、まだ少女の面影を残す写真が収められていた。信一が、海南島に着いた初日にこっそり美佐子を撮ってくれたものだ。
これだ。これを、この子に残していこう。私が母親であるという、唯一の証として。そして、私が必ず迎えに来るという、約束の印として。
決心が、固まった。
それは、愛ゆえの決断であり、同時に、あまりにも身勝手なエゴイズムでもあった。我が子に、自らの出自を知らぬまま異国で生きるという、過酷な運命を背負わせる決断。それでも、これが最善だと、彼女は自分に言い聞かせた。信一さんも、きっと許してくれるはずだ。私たちの子の、未来のために。
窓の外では、楡の葉が、まるで何もかもお見通しだと言わんばかりに、ざわざわと音を立てて揺れていた。それは、後に「楡生」と名付けられる赤子の、運命が大きく変わる瞬間の、始まりの音だった。




