第十一章 技術者への道と我が子義成
星火農場の塩辛い風は、楡生の頬を青年らしい精悍な輪郭へと削り上げていった。方文博という人生の師との出会いは、彼の魂に、過酷な労働にも決して摩耗しない硬質な核を植え付けた。彼の頭の中では、夜ごと、元素記号が舞い踊り、分子構造が美しい幾何学模様を描いていた。それは、灰色の現実に抗うための、彼だけの秘密の王国だった。
そんな彼の単調な日常に、ある日、思いがけない形で縁談が舞い込んできた。それは、月に一度の貴重な帰省日のことだった。
「あら、楡生じゃないの! ますますいい男になったじゃないか!」
家の石庫門の前で、井戸端会議をしていた近所の王おばさん――世話焼きで、おしゃべりで、この界隈のあらゆる情報に通じていることで有名な女性――が、楡生を見つけるなり、甲高い声を上げた。そして、何かを思い出したように、しわくちゃのポケットから一枚の、少し黄ばんだ写真を取り出した。
「ちょうどよかった! あんたに、いい娘さんを紹介してあげようと思ってたんだよ。ほら、見てごらん!」
写真には、二人の若い女性が、少しぎこちない笑顔で写っていた。
「右の子は、おとなしくて家庭的だ。でもねえ、あたしが見たところ、あんたみたいな男には、こっちの左の子がいいと思うね!」
王おばさんが、太い指で指差した先には、肩までの短い髪を切りそろえ、大きな瞳を真っ直ぐにレンズに向けた、聡明そうな顔立ちの女性がいた。その瞳には、強い意志の光が宿っており、見る者を惹きつけて離さない、不思議な魅力があった。
「彼女は、あんたと同じ星火農場の第二生産隊にいる、兪京海ちゃんさ。働き者で、しっかり者で、それに美人だろう? あんた、もう二十八だ。そろそろ身を固めなきゃ、お父さんやお母さんだって心配するよ」
その夜、張家の食卓は、その一枚の写真を巡って、にわかに活気づいた。
「まあ、綺麗な子じゃないか」
母の珍蓮は、写真を見て、素直に顔をほころばせた。息子に、ようやく春が来たのかという、母親としての喜びが滲んでいた。
父の洪正は、黙って写真を眺めていたが、その目には、安堵と、一抹の寂しさが混じった複雑な色が浮かんでいた。息子が家庭を持つ。それは喜ばしいことだが、同時に、彼が自分たちの知らない世界へ、また一歩踏み出していくことをも意味していた。
一番反応したのは、妹の慧文だった。
「わあ、兄さん、この人、美人だね! 目が大きくて、賢そう! 絶対に会ってみるべきだよ!」
彼女は、自分のことのように興奮していた。
楡生は、家族のそんな反応に戸惑いながらも、写真の女性から目が離せなくなっていた。兪京海。彼女の、全てを見透かすような、それでいてどこか挑戦的な眼差しに、彼は心を射抜かれた。この人に、会ってみたい。
王おばさんの世話焼きのおかげで、二人は、農場の集会所の裏手にあるポプラ並木で、初めて顔を合わせることになった。写真で見た通りの、凛とした美しさ。だが、実際に会った彼女は、写真よりもずっと快活で、よく笑った。公的な戸籍上、楡生は彼女より二つ年上だったが、彼は目の前の女性が、自分よりもずっと大人びて、完成された人間に見えた。
初デートは、月に一度の帰省日に、上海の街で、と決まった。楡生は、その日のために、涙金のようなわずかな給金を何か月も貯めた。そして、デート当日、彼は当時まだ非常に珍しく、若者たちの憧れの的だった「氷磚」――レンガの形をした、濃厚なバニラアイスのブロックを二つ買った。
公園のベンチに並んで座り、二人でその冷たくて甘い塊をかじる。銀紙を剥がすと現れる、乳白色のアイス。一口食べると、ひんやりとした甘さが口いっぱいに広がり、労働で疲れた体に染み渡っていく。
「……美味しい」
京海が、子供のように目を細めて呟いた。その無邪気な表情に、楡生の心は、これまで感じたことのない温かい感情で満たされた。二人は、多くを語らなかった。だが、同じ時代、同じ理不尽の中で生きる者同士の、言葉にならない共感が、静かに流れていた。この人と一緒なら、どんな困難も乗り越えていけるかもしれない。楡生は、漠然と、しかし確信に近い思いを抱いた。
そんな彼に、人生の大きな転機が訪れた。
師である方文博のもとに、かつての研究所の同僚から、極秘の報せが届いたのだ。上海の南、金山区の沿岸地帯で、国家の一大プロジェクトが始動するという。それは、西側からの技術導入に頼らない、中国独自の力で、巨大な石油化学コンビナートを建設するという、壮大な計画だった。その中核となるのが、ポリエステル繊維の大量生産。まさしく、方文博が長年夢見てきた、人工繊維による「衣」の革命だった。
「楡生君、これは千載一遇の機会だ」方文博は、楡生の手を固く握った。「私は、この農場から出ることはできん。だが、君なら行ける。私の持てる全ての人脈を使って、君をこのプロジェクトに推薦する。まずは、上海市内にある試験的なポリエステル繊維の縫製工場で下積みをし、技術を磨くんだ。そして、ゆくゆくは、金山の心臓部へ乗り込むんだ。私の夢を、君が叶えてくれ」
その言葉は、まるで天啓のようだった。下放されてから五年。ついに、この泥と汗にまみれた生活から抜け出せる日が来たのだ。奇跡にも、二十八歳にして、彼は上海へ戻れることになった。
農場を去る前日、楡生は京海に会った。
「京海、俺は上海に帰る。そして、必ず、君をこの農場から救い出す。結婚して、一緒に暮らしてほしい」
それは、不器用だが、彼の心の底からのプロポーズだった。
京海は、驚きに目を見開いた。そして、その大きな瞳に、みるみるうちに涙が溜まっていく。彼女は、黙って、しかし力強く、頷いた。
上海に戻って一ヶ月後、楡生と京海は、質素な手続きを経て、正式に夫婦となった。だが、それは、離れ離れの結婚生活の始まりでもあった。
上海のポリエステル繊維工場での楡生は、まさに水を得た魚だった。方文博から授かった化学の知識と、父から受け継いだ仕立ての技術。その二つが、彼の頭の中で奇跡的な化学反応を起こした。新しい繊維の特性を誰よりも早く理解し、その素材に最も適した裁断方法や縫製技術を、次々と考案していく。彼の仕事ぶりは、神が掛かっているとさえ言われた。工場の古い技術者たちは、最初こそ若造と侮っていたが、すぐに彼の非凡な才能を認めざるを得なくなった。楡生の名は、上海の繊維業界で、瞬く間に「若き天才技術者」として知れ渡っていった。
だが、輝かしいキャリアとは裏腹に、私生活では大きな壁が立ちはだかっていた。妻である京海を、星火農場から上海へ転出させることが、絶望的なまでに困難だったのだ。
問題は、京海の側にもあった。彼女は、ただの農場労働者ではなかった。星火農場において、彼女は誰よりも熱心な共産党員であり、その模範的な働きぶりから、若きリーダーとして頭角を現していた。彼女が率いる生産隊は、常に最高の成績を収め、彼女自身も、党組織の幹部候補として、将来を嘱望される存在となっていたのだ。
「向雷鋒同志学習(雷鋒同志に学べ)」というスローガンの下、彼女は、質素な生活を送り、貯めたなけなしの金を、面識もない辺境の貧しい人々へ匿名で寄付するような、純粋で、筋金入りの理想主義者だった。
そんな彼女が、なぜ「ブルジョワの息子」である楡生と結ばれたのか。それは、周囲にとって、大きな謎だった。
実は、楡生と結婚する直前、京海は、彼女の上官である党の指導員に呼び出されていた。
「兪京海同志」指導員は、冷徹な口調で言った。「君の将来を思うからこそ、忠告しておく。張楡生という男の家柄は、問題が多い。父親は元私営工房の主、叔父は香港にいる。そんな『歴史的に清白でない』男と結婚すれば、君の党員としての未来は閉ざされるだろう。君たちの間に生まれる子供は、人民解放軍に入ることも、党の重要な役職に就くことも、決してできなくなる。よく考えるんだな」
それは、紛れもない脅しだった。だが、京海は、怯まなかった。彼女の強さの源は、その数奇な生い立ちにあった。
京海は、戦争孤児だった。1949年、国民党が台湾へ逃げる直前の上海。人民解放軍の兵士が、もぬけの殻となった高級ホテルのスイートルームで、泣き叫ぶ一人の赤ん坊を発見した。その赤子は、真っ赤で、気品のある真綿の絹布に包まれ、その小さな手首と足首には、金の腕輪と足輪が嵌められていた。明らかに、裕福な家の、置き去りにされた子供だった。
彼女は孤児院に送られ、三歳の時、子供のいない共産党員の夫婦に引き取られた。夫婦は、彼女を「六歳になる、今まで田舎に置いてきた娘」として戸籍を偽り、上海市民として育てた。二年後、夫婦はさらに、ほぼ同い年の男の子を孤児院から引き取り、姉弟とした。それは、古い慣習である「童養媳(幼い頃から嫁として育てる)」の、男女逆の形――将来の婿として男の子を育てるという、貧困時代のこれまた貧困な夫婦の思惑があった。
だが、京海は、そんな運命に甘んじる少女ではなかった。彼女は、美しく、聡明で、そして何よりも気が強かった。踊りも歌も得意で、常に人々の輪の中心にいるような、活発な少女に育った。一方、弟として、そして婿として大事に育てられた男の子は、わがままで陰湿な性格に歪んでいった。
共産党員の養父母から、幼い頃から共産主義の理念を徹底的に叩きこまれた京海は、心の底から、この新しい国家の建設に身を捧げたいと願う、純粋な小革命思想家となった。ベトナム戦争時、中国共産党が北ベトナム政権へ援助派兵した時を「祖国を守る聖なる戦い」と信じ、十代の半ばには、女友達と二人で、慰問団として人民解放軍に入るのだと、歌い踊りながら雲南省を目指して家出し、途中で親に連れ戻されたことさえあった。
そんな彼女にとって、党の指導員の脅しは、むしろ彼女の反骨精神に火をつけた。なぜ、個人の愛や結婚が、家柄や政治的な背景で決められなければならないのか。それは、彼女が信じる「全ての人間は平等である」という社会主義の理念に反するではないか。彼女は、楡生という人間そのものを愛し、彼の才能を信じ、そして、彼と共に、家柄の壁を乗り越えてみせると、固く誓ったのだ。
こうして、楡生の日々は、上海の工場と、星火農場を往復する生活となった。月に数度、彼は、仕事が終わると、父の洪正から金を借りて、奮発して買った中古の「永久牌」自転車にまたがり、何時間もかけて農場へと向かった。暗い夜道を、ペダルを漕ぎ続ける。その先に、愛する妻が待っている。その思いだけが、彼の疲れた体を突き動かした。
結婚して一年も経たないうちに、京海に懐妊の兆しが見えた。二人は、手を取り合って喜んだ。だが、その喜びは、長くは続かなかった。
党の模範である京海は、妊娠中も、人一倍、率先して過酷な農作業に従事した。それが、仇となった。ある日、畑で働いている最中に、彼女は激しい腹痛に襲われ、大出血を起こした。最初の子供は、二人の腕に抱かれることなく、静かに流れてしまった。
悲しみと絶望の中で、楡生は誓った。次に授かる命は、絶対に守り抜く、と。当時は、すでに「一人っ子政策」の風が吹き始めていた。次が、最後のチャンスになるかもしれない。彼は、ありとあらゆる文献を読み漁り、有名な漢方医を訪ね、妻の体を保つための様々な中薬を買い集めた。そして、京海に、絶対に無理をしないよう、固く約束させた。
その甲斐あってか、翌年、京海は再び身ごもった。そして、1977年11月末の、凍えるように寒い日。彼女は、上海で最も有名な産婦人科「紅房子医院」で、陣痛の時を迎えた。
その日は、奇妙な日だった。朝から、生まれるのは女の子ばかり。次から次へと、十二人の女の赤ん坊が産声を上げた。そして、日付が変わる、深夜零時の直前。ようやく、その日初めての男の子が、力強い産声を上げた。2500グラムの、小さな、しかし生命力に満ちた男の子だった。
取り上げた看護婦たちは、疲れ切った顔の中に、祝いの笑みを浮かべた。
「おめでとう! この子は、きっと立派な人間になるよ。だって、今日生まれた十二人の女の子たちを、みんな船に乗せて三途の川を渡り切り、運んできた、最後の船頭さんだもの!」
その言葉は、迷信だと分かっていても、楡生の胸に温かく響いた。
息子を抱いた時、楡生は、これまでの人生の全てが、この瞬間のためにあったのだと感じた。家族のこと、方文博の化学式、そして京海との出会い。その全てが、この小さな命へと繋がっていた。
彼は、息子に「義成」と名付けた。
「義」は、人として踏み行うべき正しい道、そして、自分が受けてきた数々の恩義を忘れない、という誓い。
「成」は、父や師の夢を成就させること、そして何よりも、この子が、自分らしい人生を、自分の力で成り立たせる人間になってほしい、という心底からの願い。
だが、幸せな日々は、またしても離れ離れだった。産後、京海は義成を連れて、農場へ戻らねばならなかった。楡生は、今度は、妻と、生まれたばかりの我が子に会うために、週末ごとに自転車を飛ばした。
その後の生活も、平坦ではなかった。京海は、農作業中に無理がたたり、もう一度、未熟児を流産した。二度の辛い経験を経て、彼女は、ついに国家が打ち出した「一人っ子政策」に応じる決意をした。党の模範として、彼女は誰よりも先に、避妊リングをその身に着けた。義成が、二人の、最初で最後の子供となったのだ。
時代は、大きく変わろうとしていた。
毛沢東が死に、文化大革命の狂乱は、ようやく終わりを告げた。鄧小平が実権を握り、「改革開放」という、新しい時代の扉を開けようとしていた。
楡生もまた、金山の巨大プロジェクトへの異動が、目前に迫っていた。それは、彼自身の夢が、そして師である方文博の夢が、現実になる瞬間だった。
上海の小さな家で、父の洪正は、孫の義成をあやしながら、目を細めていた。彼の脳裏には、遠い海南島の記憶と、果たせなかった約束が、静かに蘇っていた。
「楡生」彼は、仕事から帰ってきた息子に言った。「お前は、立派な父親になったな。だが、忘れるな。お前の命は、お前だけのものじゃない。たくさんの人の思いが、繋がって、ここにあるんだ」
楡生は、父の言葉を、そして胸に仕舞ったあのロケットペンダントを、固く握りしめた。
技術者としての道。夫として、そして父としての道。彼の前には、新しい時代の、広大な荒野が広がっていた。だが、彼にはもう、迷いはなかった。愛する妻と、我が子義成と共に、彼は、その荒野を、一歩一歩、力強く歩いていくのだ。
壮大な第三部への幕は、今、静かに、しかし確かな希望の響きと共に、上がろうとしていた。




