風に舞う花
「……ブルーノ」
ようやく彼が口を開いた。
「ただのブルーノだ」
唇の端に、かすかな笑みが浮かぶ。
「会えてうれしいよ、ブルーノ!」
彼女はぱっと手を上げ、掌を差し出した。
「えっ……あ、こちらこそ……?」
戸惑いながらも、彼はその手を取り、しっかりと握り返す。
その頭上で、霊が大げさに鼻をすする真似をした。
「見ろよ、俺の坊やが友達を作ってる……あぁ、胸が熱いぜ」
「黙れ」
彼は低くつぶやき、横目で霊をにらんだ。
ティラは首をかしげ、何も気づかぬ様子で、彼が地面に散った花々を見下ろすのを見つめていた。
「これを集めてたのか。心を落ち着かせる効果がある花だな。……だから俺、ここで寝ちまったのかもな」
花びらについた土を指で払いつつ、彼はつぶやく。
その一言に、ティラは動きを止めた。
頬に薄紅が差し、まるで心の内を見透かされたように。
指先がドレスの布をつまみ、尻尾が一度だけ、ぱたんと揺れた。
「旦那様……あなた、花のこともご存じなんですか?」
驚きの光を宿した金色の瞳が、彼に向けられる。
「また出たな、“旦那様”ってやつ」
彼は鼻で笑い、肩をすくめた。
「そんなに意外か?」
「だって――」
ティラは言葉を詰まらせ、それから小さく笑った。
「すみません。でも……どう見ても戦士さんにしか見えなくて」
彼は少し首を傾けた。
その言葉は、まるで彼の耳をすり抜けていったかのように。
彼の視線は、遠くの地平線へと移ろう。
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太陽はすでに傾き、空を橙と黄金に染め上げていた。
木々の影は長く伸び、花々は静かにティラの傍らの籠に収まっている。
さっきまでの慌ただしさはどこへやら、
世界はやわらかく、ゆるやかに息づいていた。
まるで時そのものが、二人のために足を止めたかのように。
彼は、昼に眠っていたあの石に腰を下ろした。
肘を膝に預け、光と影が踊る丘を静かに見つめている。
その隣で、ティラは目を輝かせながら語った。
西の断崖の向こうにあるという大滝。
祖母が昔語った、光る洞窟。
そして世界中の香辛料と色彩が集まる市場。
彼はただ黙って聞いていた。
けれどその沈黙には、拒絶ではなく穏やかな静けさがあった。
――何年ぶりだろう。
こんなにも、急がなくていいと思えたのは。
「……もう日が暮れるな」
静かな声が空気を揺らす。
「そろそろ帰った方がいい、ティラ」
彼の唇に、また小さな笑みが灯る。
「えぇ~、やっと話が盛り上がってきたのに……」
ティラは耳をぴくりと動かし、不満げに唇を尖らせた。
彼は彼女を見つめる。
彼女も負けじと見返す。
――気づけば、もう四時間が経っていた。
「じゃあ、最後に!」
ティラは勢いよく振り返り、カールした髪を揺らして彼の胸を指さした。
「次にここへ来たとき、今度はあなたのことを教えてもらうからね!」
その自信満々な笑みは、二秒と持たなかった。
頬がみるみる赤く染まり、指先を慌てて引っ込める。
「す、すみません! その……もし、よければで……!」
彼は一瞬、目を瞬かせた。
出会ってから初めて見せる、ほんの少しの驚き。
そして――
そっと彼女の指を取ると、自分の指先で軽く押し下げた。
「……あぁ」
低く穏やかな声が返る。
「いいだろ。ただし――お茶を持ってくるならな」
ティラの瞳がぱっと見開かれる。
そして次の瞬間、彼女は勢いよく頷いた。
籠が今にも落ちそうなほどに。
「約束です!」
その声は風に溶け、黄金の夕暮れに染まっていった。




