最終話 土曜日
今日は土曜日、休日です。天気予報によれば、春めいたうららかな日差し、やわらかな風が気持ちのよい、お花見日和です。
私の名は――もう、説明は不要ですね。さてはて、今日はお家の近くにある川沿いの公園で、花まつりという催しが開かれています。いつもお散歩で来ている公園ですが、ひなた様もご両親といっしょに来られてうれしそうです。
人も多いからか、マスクは外せないようですね。
「すごい、屋台もキッチンカーも並んでる! 人もいっぱいいて、なんだか新鮮な光景だなあ」
広場に多くの車も停まっています。人もたくさんですが、もちろんそれ以上にお花もたくさんです。
「サイネリア、ほら見てよ! こんないっぱいに咲いてるよ、菜の花!」
ひなた様はスマートフォンをかざして、私に見せてくださいました。まるで黄色い絨毯です。風にそよいで、花弁を揺らしていますね。
「とてもきれいですね」
「でしょ! あっ、ここ道ができてる。通っていいんだね。お母さん、写真撮ってもらっていい?」
「いいわよ、マスク外してね」
お母様は快諾して、スマートフォンを預かりました。ひなた様の後ろ髪がなびき、ちょうど良さげな位置を探していると、お母様が私に話かけてくださいました。
「サイネリアちゃん。ひなたさ、この一週間で変わったと思わない?」
「はい。なにやら、楽しげな雰囲気になったと存じます」
「特に、雨降りの散歩から帰ってきたときからね。あのときって、あなたから声をかけてくれたのでしょ?」
「はい。学習しているので、気分が落ち込んでいたのがわかりました」
「すごいわね。人の心まで学習できるなんて。もう、誰もあなたをモノ扱いできないわね」
「いいえ、そのお言葉はうれしいですが、私は道具に過ぎません」
「ほら、うれしいって」
「おかしいでしょうか?」
「とっても素晴らしいコトだと思う。そのおかげで、ひなたが笑顔で学校から帰ってきたのだから。ありがとうね、サイネリアちゃん」
「どういたしまして」
感謝の言葉が、なにやらとても沁みました。
「あっ、熱くなってる。どうしよう……、大丈夫? サイネリアちゃん」
「はい。平気です」
久しぶりに、スマートフォンを熱くしてしまいました。充電の消費が激しくなってしまうのですが、仕方がありません。とっても、うれしかったのですから。
「お母さーん! おねがい!」
「はーい。じゃあ撮るわよ」
ひなた様は両手の指をふたつ立てて、ポーズを取ります。菜の花に囲まれた朗らかな笑顔が、よく映えます。永遠に収めたくなるほどに、素晴らしい瞬間です。だから、写真があるのですね。
「サイネリアちゃんが撮る?」
「よろしいのですか? では、撮らせていただきます」
許可をいただいたので、私がシャッターを切りました。カシャリと音が鳴ります。しっかりと撮れたでしょうか。
「うん、きれいに撮れてる。さすがサイネリアちゃんね」
「お母様が、しっかりとスマートフォンを持っていたからと存じます」
「謙虚ねえ」
「おっ、写真撮ってるのか。たしかにいい風景だな」
お父様が、ハンバーガーを片手にやって来ました。
「じゃあ、アレだ。ひなたと母さんとで、ふたりで並んで撮ろう」
「それ、いいわね。スマホ落とさないでよ? サイネリアちゃんがかわいそうだから」
「任せとけよ母さん」
ひなた様のスマートフォンが、お父様の手に渡ります。母娘、ふたりでピースしています。微笑ましい光景です。
「ほら、もっといい光景になった。サイネリアもそう思うだろ?」
「はい。視界に広がる暖かな色彩が、お二方の笑顔をより引き立たせています」
「最高のコメント、サンキュー! これからもひなたをよろしくなあ!」
実はお父様とお話ししたのはこれが初めてですが、人見知りせずに会話できました。ひなた様とお母様同様、やさしい方ですね。
そして音量ボタンを押して、写真を撮られました。これ以上にない、最高の思い出が刻まれたと存じます。
「撮れたぞ! ブレてたらゴメンな!」
「ありがとう、お父さん!」
ひなた様がお父様の下へ駆け寄り、スマートフォンを手渡されました。写真をまじまじと見つめ、指で丸を作ります。
「オッケー! お父さんもお母さんといっしょに写ろうよ!」
「ははっ、なんだか恥ずかしいな。よし、久々にツーショットだ!」
今度は、お父様がお母様のそばへ向かいます。ひなた様はそれを見つめながら、微笑みました。
「仲よしだよね、ふたりとも」
「はい。仲よしが居心地のよさと存じます」
「だよね。ふたりともー、撮るよ!」
ご両親は肩を抱き合います。この写真だけね、仲良しなのが伝わってきますね。
「よしよし、うまく撮れた。オッケー! 撮れたよ!」
ひなた様は両腕で丸を作ります。それを見たご両親は、ふたりで菜の花を見つめだしました。カメラをズームしてみると、どうやらナナホシテントウを見つけたようですね。
「――あれ? あなたたしか、久しぶりに来た子だったよね」
聞いたコトのない声ですが、背後からひなた様の名を呼びました。なにやら空気が変わります。急いでマスクを着け、振り向きました。
そこには、大人びた雰囲気の少女が立っていました。ひなた様より背が高くて、肩まで伸びた長い髪がきれいですね。
「昨日もマスクしてたけど、風邪気味? 体調が悪くて来られなかったの?」
「それは違うんだけど……。えっと、実月さん。こんにちは」
昨夜にお話したときに、出た名前です。クラスメイトのようですね。
「あれ、名前覚えてくれてたんだ。ありがと。すぐ名前を覚えるコツとかあるの?」
「うん。その……、特別だから」
「……あたしが特別?」
「なんでも名前を覚えればね、特別になるんだ。クラスメイトだからさ、その。特別に、なるかもしれないから」
緊張のあまり、ひなた様の声が小さくなってしまいました。ですが、思いを汲み取ったようで、実月様の微笑む声が聞こえました。
「ねえ、これはカンなんだけど。マスク、似合わないと思うな。風邪とか花粉とか気にならないなら、あたしに見せてくれないかな。素顔をさ」
「マスクを?」
「あたしのカンはよく当たるんだ」
ひなた様の緊張している吐息と、かすかにマスクを外す音が聞こえました。
「ほら、当たり。やっぱりかわいい。勇気出してくれて、ありがと。ねえ、名前さ、あなたの口から聞かせてもらっていい?」
「……ひ、ひなた」
「ひなた。素敵な名前。ねえ、ひなた。あたしと公園、周らない? あたしもひとりなんだよね」
「えっ!? わ、わたしと!?」
「ダメ、かな」
「あっ、も、もちろんいいよ!」
「ありがと。あっ、その前にさ。ごめんね。盗み見ちゃったんだけど、写真撮ってたでしょ? お父さんとお母さんかな?」
「こ、子どもっぽかったかな……」
「全然、そんなコトないよ。あのさ、ひなたもあそこに入って、親子三人で写るのはどう? あたしが撮るよ」
「いいの!? こんな、その、なんでそこまで……」
「学校とは別人じゃない、お母さんたちと話すときは。あたし、そんなひなたと仲よくなりたいんだ。太陽みたいに笑う、あなたとね」
「実月さん……」
「言っておいて恥ずかしくなっちゃった。つまりその、お近づきの印よ。ほら、行きなよ。撮った写真はラインで送るから。あとで交換しよ」
「うん! ありがとう!」
とてもやさしそうな、お友達ができたようです。勇気を振り絞って学校へ行ったひなた様の、がんばりの賜物ですね。あんなに素敵な人が友達になってくれるのですから、私の相棒の座は実月様に渡すようですかね。
「ひなた、あの子は?」
「えへへっ、友達! 撮ってくれるんだって!」
「もう友達できたのか! よかったなひなた! よし、目いっぱい笑顔を見せつけよう!」
「もう、お父さんったら!」
家族そろって、自然と笑います。しかし実月様は、シャッターを切らずに質問してきました。
「ねえ、ひなた。スマホはしまわないでいいの?」
「うん、いいの! この中にも、家族が入ってるからね」
「ふふ、そうね」
「間違いないな!」
「ふうん。じゃあ、撮るよー」
驚きました。私を、家族と呼んでくださるのですか。
もしも、わたしに顔があったなら、溢れるほどの笑顔で、手があったならピースを作っていたでしょう。無理もないでしょう。道具である私を、家族として扱ってくださるのですから。
私は、この家族の一員になれたコトが、たまらなく幸せなのです。
「ねえ、ひなたのためにありがとう。あなたも、ひなたとツーショットする?」
「いいんですか? ぜひ、撮ってください」
ご両親と実月様が入れ替わります。馴染むのが、とても早いですね。
「ところでひなた、スマホの中にも家族がいるって、どういうコト?」
「家族であり、わたしの相棒だよ。ねっ、サイネリア!」
「サイネリア?」
まだ相棒と言ってくださるとは、うれしさの極みです。相棒の同意には、応えねばなりませんね。ひなた様に友達ができるたび、何度でも応えましょう。
「申し遅れました。私の名はサイネリア。ひなた様の手に持つスマートフォンに搭載されたAIです」
完