エピソード 1
まだ、世界が新種の病原体と死闘を繰り広げる前。
地獄のような天国のような、幻想的な平和を享受していた頃。
まだ僕たちは、何も知らない、高校生だった。
校舎の中には、帰宅するものや、部活動に向かうものなど、まばらであった。
教室で居残りの補修を受けているのは、僕を含めいつものメンバーだった。
補修を受けている。ときくと、僕が勉強もせずに遊んでばかりいる人のように思う人がほとんどだろう。そんなことはなく、純粋に今日の補修は、寝坊した。昨夜、両親の仕事の手伝いをしていたら、寝たのが午前5時になっていて、朝起きれなかっただけである。
僕の名前は、安倍勝守。安倍清明の末裔であるとされている。僕の親は、陰陽師ということになっている。しかし、陰陽師の仕事だけでは、まったくもって家計が大変なので、父親は、占い師として活動しており、かなり人気があるらしい。また、母親は、陰陽師として父が使っている神社の様な建物で、古民家カフェのようなものを細々と運営している。
話を学校生活にもどそう。補修といっても、名ばかりだった。授業で配られたプリントを解き直し、職員室の先生に渡すだけ。補修担当の先生も、プリントを配ったらどこかへ行ってしまった。担当の先生がいないから、まじめに受けようとする人なんて、この教室にはいなかった。
問題集の答えを見つつ、答えらしきものを探していると、紙をひらひらさせながら、近づいてきた人がいた。彼は、高田海星。僕とは、小学校からの腐れ縁で、今も交流が続いている親友だ。親友といえば、聞こえはいいが、悪友であるといった方が、正しいのかもしれない。
「なぁ、この答え写して、遊びにいこうぜ。勝人が待ってる。」
そういって、一枚紙を渡してくれた。
さすが、海星である。「遅刻」「提出物の不提出」「授業中の隅率の高さ」これら、教師泣かせの行動すべてで、海星の上をいくものはいない。というか、海星のみに与えられた特権の様なものであった。そんな海星とともに、書き写して、提出した。
職員室を出ようとすると、進路担当の祥子先生が声をかけてきた。
「進路希望調査を、ちゃんと提出してね、勝守君」
という言葉に、生返事を返して、海星とともに、昇降口に走った。
「てかさ、どうやって授業中にしか配られない、プリントを手に入れたんだよ」
「勝人がくれた。今日、話があるんだってさ」
「勝人のやつ、どうしたんだろう」
「修学旅行のことだろ、どうせ。」
海星は、さっぱりしているなぁって、思いながら、階段を下りた。
昇降口には、勝人がいた。
小川青空。高校からの知り合いだが、僕と海星とよくつるむ、友人だ。のんびりしているようで、ノリがいいのが面白い。親が、定食屋を営んでおり、家族でよく食事をしに行くことがあった。地元では、名の知れた定食屋だ。そんな家で、愛情いっぱいに育ったのだろう。どこか、抜け策なところが面白いやつである。
「俺の答えがあったのに、遅かったな」
「うるせえ、先公がいなくなるのが遅かったんだよ」
「普段から、勉強してない証拠ですな」
などと、軽口をいいながら、三人で歩き始めた。
「安倍君!! 明日。ちゃんと、進路希望調査書。だしてね。」
という声が聞こえ、ぎょっと振り返ると、祥子先生がいた。
不意の言葉に、生返事しかできなかった。祥子先生は、返事を聞いたのか聞こえなかったのか、満足したように学校に消えた。
不意すぎる出来事に唖然としていると、
「カッツーさ。祥子先生とできているだろ」
「え? 勝ちゃんは、結衣のことが好きなんだろ?」
二人からも、藪からな発言が飛んできた。
「まず、祥子先生はタイプじゃないし。結衣さんは、幼馴染なんです」
と、早口でまくし立てた。幼馴染である結衣のことを意識してないわけではない。
ただ、年頃の男子高校生というか、僕の中のなにかが、好意を寄せているという事実を認めることを拒んでいた。
一方で、海星が祥子先生とできていると冷やかすのには、心当たりがあった。
祥子先生が、最近何かと、自分に声をかけてくるのである。そして、自分自身祥子先生に監視されているような印象を受けるのは事実だった。進路希望調査書だけではない。提出プリントの提出期限の一週間前くらいになると、きまって個別に提出するように声をかけてくる。
「僕のことは、どうでもいいだろ。青空が、話したかった話ってなんだよ」
と、青空の方を見る。海星もまた、青空の方をみた。
青空は、少しばつの悪そうな顔をしていた。どこか、言葉を選んでいるような様子だった。
ぽつりぽつりと、話す彼の話の内容は、やはり修学旅行の話だった。
「俺たち、高校三年生じゃん。たぶん、人生最後の修学旅行だと思うんだよ。でさ、ホテルの部屋割りとか、バスの座席とか、基本的に、二人一組になると思うんだよ。だからさ、ボクさ、あぶれると思うと、修学旅行を純粋に楽しみになれないんだよね。でも、二人は、古くからの仲だから、必然的に、僕が他の人と組むことになるからさ、なんか悲しいというか、複雑な気持ちになるんだよね。」
このことを聞いて思わず、海星と二人で笑ってしまった。正直、ペア決めは、じゃんけんでいいや、くらいの気持ちでいたからだ。別に、自由行動の時には一緒に行動できるだろうし、部屋も抜け出すこと前提で、考えていた。
しかし、青空は、違ったようだった。
そんな、青空をみて、あきれたのだろうか。海星がいった。
「そんなもん。なるように、なるよ。
なんだったら、カッツ―が、結衣と同じ部屋になるかもだろ」
「まだそれで、いじるのかよ。もういいだろ」
「あれだろ、進路希望調査には、結衣の旦那さんとか、書くんだろ」
などという、海星の冷やかしを、いつものように受け流していると、青空の気持ちも晴れてきたのだろう。ぶつくさと何か言った後にいつもの調子にもどっていた。
「でもさ、僕は進路希望調査書には、調理師専門学校への進学って書いたけどさ。
二人は、なんて書いたのさ」
という言葉に、海星が即答していた。
「オレは、進学。とりあえず、国公立大学進学って書いたよ。
勝守は?」
「僕も、大学進学かな。易学を勉強したいけど、勉強できそうな大学がないから。日本史とかの勉強が
できるところがいいかな。父親の仕事の陰陽師は、継がなきゃいけないだろうけど、そのためには歴
史とかは、知っておいて損はないと思うし。」
「やっぱり、みんなバラバラになっちゃうのかぁ。」
最後の青空の言葉に、三人とも黙ってしまった。しかし、僕らにとって、心地のいい沈黙だった。
ふと、風が吹くと、道の先に二つの人影が見えた。
遠くからでもわかる。二つの影は、幼馴染の佐々木結衣とその親友、小野咲菜だ。
海星は、二人に追いつこうぜ、といいながら走り出した。