はじまりのはじまり
この世界に、「神」は存在する。
伊邪那岐命と伊邪那美命の二神が、この世界を創造した。
これが、国土創生または国生みである。
この国生みの前後、さまざまな神が生まれるが、火之迦具土神(火の神)の誕生で事件は起こる。
イザナミが、命を落としたのだ。
この事件後イザナミは、黄泉の国に君臨することになる。
一方で、イザナギは、黄泉の国から戻り、禊により、多くの神々を再び生み出した。
この事件で、死ぬ人間と生まれてくる人間の数が決まった。
イザナミとイザナギが、現世において生まれる人間と死ぬ人間の人数を決めたためである。
これは、日本神話で知られている物語である。
この物語の他にも、多くの神々のエピソードが語られている。
われわれ多くの人間が、気づかないだけで、多くの神が、私たちの周りにいる。
そして、たしかに私たちの生活に影響を与えている。
夜になると、漠然とした不安に襲われることがあるだろう。
これは、鵺が駆け巡るためである。
台風などの水害の背景には、八岐大蛇の存在がある。
折々の日本の四季を回しているのは、土公神がいるからである。
このように、人が意識しないだけで、神々は我々に干渉している。
神々は、人間生活に干渉し、この国や世界のバランスを保っていた。
しかし、科学の進歩により、神々の力を無下にするのが人間だ。
人間は、神々が生み出したこの国にいながら、神々を信仰しようとしなくなる。
信仰がなくなれば、神々の力は弱まる。
神々の力が弱まると、神々のパワーバランスもまた、乱れる。
葦原中国(地上界)や高天原(天上界)での神々は、誕生した順や信仰の多さなどに従ってパワーバランスが決められている。
そのため、信仰が減ることは、神々のパワーバランスを脅かすことに、直結しているのである。
神もまた、信仰がなくなれば、存在できなくなる。
人は死んだら、黄泉の国へ渡る。神も同様である。
死後、忘れられた人間は、輪廻天性の輪に入り、黄泉の国から、葦原中国に生まれてくる。
しかし、神々は違う。
忘れられたら、消えるだけである。存在がなかったことになるのである。
過去に幾度も、多くの神々が消失したことがあった。
戦争や仏教の伝来により、神々の存在を記した文章が失われ、信仰の対象が失われ、語り部が消えた。
神々でも、人の心までは、操れない。
そのため、神々にとって人間の信仰は、死活問題なのである。
今や神々が消失することは、滅多にない。
一年に幾度か、天皇による祝詞により、神々の存在を再認識するためである。
この物語は、現在の日本における、神々と人間の物語である。