第7話 蔡邕、来たる
青州 北海国高密侯国
蔡邕様は宦官について霊帝に直接諫言した結果、宦官の曹節らに讒言されて流刑になったそうだ。大赦のおかげで流刑はなんとか回避できたそうだが、今度は地元の陳留郡で宦官・王甫の弟と揉めて、地元に居づらくなったそうだ。
鄭玄様から許可をもらい孫乾に案内されて彼の家に出向くと、まだ足元が覚束ない女の子と、10歳くらいに見える女の子を連れた蔡邕様がいた。彼は彫りの深い鷲鼻と、とてもきれいに整ったカイゼル風の髭で落ち着いた表情を称えながら俺を出迎えてくれた。
「地元では腫れ物扱いになったところで子幹殿からの手紙が来てな。旋殿の手紙が添えられていた。貴殿に政務や軍学を教えてくれないか、とね」
「それで、こちらに?」
「それもある。それと、泰山の羊氏から援助は受けたのだが、泰山では雒陽に近すぎてね」
「宦官の影響が残るかもしれない、と」
「そういう話だ。北海は康王様がいるおかげで、中常侍でも易々と手は出せない」
中常侍は宦官の中でも特に権力を保持する12人だ。三国志演義では十常侍として登場する立場の面々である。
「そして、ここは清流派の鄭玄様の御膝元。不埒な輩も近寄らないしね」
「それは、良かったです」
「良かったか。旋殿は子幹が言っていた通り、真に善の人だな」
生活するのに必要な資金は自分で用意するから、時折ここに来て政務と軍学の勉強をしにくるよう言われた。
「紹介しておこう。娘の貞姫と文姫だ。貞姫は羊氏の嫡子と婚約している」
「ていきです。よろしくおねがいします」
「ぶんきー」
10歳くらいの子が貞姫。足元が覚束ない子が文姫だ。蔡文姫ってお姉ちゃんいたんだ。
「よろしくお願いいたします。旋です」
「お父さまとなかがいい、ろ大海さまの子どもなのでしょう?」
「そうです。盧大海は私の父です」
貞姫は結構しっかりした話し方だった。一方、文姫はほとんど話す様子がない。
「ろたいあい」
「そうです。盧大海の子です。旋です」
「せん」
腰を落として目線を下ろし、文姫にも挨拶をした。文姫はまだ少し舌足らずだ。まぁ、数えでもまだ3歳だし。そんなものよね。
「旋殿を文姫も気に入ったようだ。たまにでいい、勉強の合間に相手をしてくれるかな?」
「もちろんです」
妹ができたみたいな話だ。蔡邕様との縁も手に入ったし、中央にせよ地方にせよ政治に関わる上で大事なことを教えてもらえる絶好の機会だ。父にはグッジョブと言いたい。意味通じないだろうけれど。
♢
孫家を通じて高密侯国一帯の農家と話をし、コーリャンとトウモロコシを配る仕事をした。鄭玄様の名と孫乾、そして孫家の一族で鄭玄様に学んでいる孫邵もこの役目に加わっていた。孫邵、字を長緒という彼は自分より2つ年上だが、同じ年に鄭玄様の門下に入った人物だ。身長が自分より高い人にはめったにお目にかかれないが、彼はかなり背が高い。自分が北海国まで来る時には鄭玄様に師事していたので、年齢的にも門下に入った年度的にも上である。馬で移動中、孫乾と家柄の話になった。
「2人は孫家の中では本家筋ではないんですね」
「ええ。高密侯国ではもう200年ほど封地を守っていますが、お互いの両親が本家の弟筋になりますね」
「では、今後は雒陽に?」
「それも考えておりますが、まずは鄭玄様のところでしっかり学んでからかな、と。旋様のように2人の師を持つなど、とても」
場合によっては地元で役人になるのも考えているらしい。とは言え、史実では呉の丞相となる孫邵と劉備を外交で支えた孫乾だ。出来れば早期に仲間にしたいところではある。孫邵は儒学の議論でもないとあまり口を開かないため、この会話でも口を閉じたままだ。
「孫家の封地では麦を育てていましたが、なかなか育ちが悪うございました。邵も家が預かっている土地で近年不作が続いて困っていました。これでかなり感謝しているんですよ」
孫乾がそう言うと、孫邵が頷いていた。まぁ、喜ばれるならいいか。
孫家の邑でかなり大規模に種を配り、その分彼らの収穫した小麦などを受け取った。孫家の庇護下にある人々は収穫までの間に何度か俺たちが育てている様子を見学に来ていたので、いざその種がもらえると大喜びだった。当然、多少こちらの分の良い交換レートもノリノリだった。
「これで高密は救われます」
「そうですね。まず高密が救えます」
「……旋殿は、高密だけでなく北海をこれで救うつもりで?」
そんな狭い範囲だけじゃ100万の黄巾賊の誕生は防げない。
「いいえ。青州を救わねばなりません。そして、漢朝の臣民全てを」
曹操ならカリスマと才覚で救えただろう。劉備なら人望で人々をまとめただろう。でも俺にはそれらがない。代わりにあるのはこの2種類の作物と三国志の時代の知識だけだ。ならば、これで曹操が、劉備がいない分を補わなきゃならない。難しい話だ。
そう思っていたら、珍しく孫邵が口を開いた。
「旋殿は、本物の救い主になるやもしれんな」
「長緒殿?」
「大賢良師を名乗る宗教家が暴れている。だが、あれは偽物だ」
そう。最近の日食の頻発や匈奴との戦乱、そして冷夏などで人々の生活が荒れたため、新興宗教が台頭しつつあった。太平道。その教祖は大賢良師を名乗る張角だ。
既に黄巾の乱が発生するフラグは着々と進んでいるのだ。
「旋殿のように民草を本当の意味で救おうとしているとは思えぬ」
「邵がここまで話すのは珍しいですね。余程感銘を受けましたか?」
孫乾のその言葉に孫邵は答えなかった。孫邵が目を向けた先には目的地の邑があったからだ。彼は仕事だぞといった目線を向けてきた。孫乾はやれやれといった表情で馬を降り、種の入った麻袋を用意し始めた。
千里の道も一歩から。ひとまず目の前の困っている民衆を救わないと、その先は答えてくれないようだ。
♢
幽州の張飛・簡雍から手紙が届いた。張飛も読み書きができるようになっているようだ。書館の10歳の中では普通の成績らしい。頑張っているようで何よりだ。
手紙を届けてくれた商人の張世平殿がやけに上機嫌だったので話を聞くと、彼は俺の名前を上手く使っているようだった。
「旋様をここに送り届けたのは自分だって話すだけで、高密の新麦を買ってきてくれって北海中で頼まれるんですよ。高密侯国の中では良く連れてきてくれたって言いながら馬を買ってくれる方もいて、いやぁありがたい話ですよ」
そう言いながらこちらに御礼金と称して金の入った袋を渡してきた。こちらとしてはCM出演料みたいなものだと思って受け取るしかないわけだが、自分に資金援助もしたと彼はまた話のネタにしていくのだろう。実に商人らしい商人だ。
「そう言えば、道中面白い話を聞きましたよ」
「面白い話?」
「済南国の高相が、弾劾を受けて罷免されたとか」
「それは、中々ないことですね」
済南国は諸侯王の1人、劉庾様が治める地だ。その宰相にあたるのが高進だった。この人物は中常侍の1人・高望の養子であり、宦官の父を笠に着て諸侯国相として専横を極めていた。劉庾様でも軽々しく注意しにくいその立場の人間が、どうやって弾劾されたのか。
「で、その弾劾したのが高祖様の子孫である劉繇様なのですよ」
「劉繇様って、劉岱様の弟君で盗賊から叔父を取り戻したという」
「そう。その劉繇様ですよ。今は済南国の都尉なんですがね」
都尉は警察兼地方軍の将軍みたいな役職だ。この頃は資金不足もあってほとんどの地域で廃止されている(だから黄巾賊に最初対応できなかった)。諸侯王の場合は都尉がまだいる地域も多い。その1つに劉繇がいたわけだ。
劉繇。三国志では孫策の前に立ち塞がり、敗れる人というイメージが強い。相手が悪かっただけで、本来は優秀なのだろう。
「都尉として専横極める相を許すまじと弾劾したそうで、正面から弾劾されると宦官と言えど防げなかったのでしょう。済南国では民衆が大喝采をしているとか」
ちなみに済南国は地理的には北海国の西に斉国があり、斉国の西に楽安郡と済南国がある関係だ。諸侯王このあたりに多すぎない?
「こういう風に雒陽から離れた場所だと宦官の威勢もあまり及ばないのですが、雒陽は酷いようですな」
「宦官、か」
中華の皇帝はどうしたって外戚か宦官のどちらかが強い力を持ってしまう。これは構造的に不可避な問題だ。儒教の考え方によって、この時代は「同姓の結婚は血縁が深まって危険」という思想が根付きつつある。法にも一部明記されつつあり、それが血縁による皇族の団結力が存在しない現在を招いている。そのため、外戚の影響力が排除できないか、外戚に対抗するために宦官を重用するかの二択になってしまうのだ。そして現在は宦官の時代で、これに何皇后を嫁がせた外戚の何進様が対抗しようとしている構図だ。この構造的問題からは魏も晋も逃れることはできず、結果三国時代の覇者である晋も八王の乱で滅亡することになる。
そこまで考える必要が生まれるかはわからない。だが、頭の片隅にはこの問題を入れておかないといけないだろう。
蔡文姫は秀才ですが、本作ではむしろ言葉を話すのに時間がかかる設定にしています。たまにいる「色々話し始めずに脳内でしっかり処理をして、会話するようになったらいきなり正確に会話できるようになる」タイプということにしています。もうちょっと後から話に絡んでいきます。
蔡邕は戦場でも何度か活躍しています。ゲームの三国志では統率微妙ですが、人並みには理解していると思います。髭については讒言で罰を受けた時に髭を切り落とす刑に処されたので、現在はまだそこまで長くないためカイゼル風の髭になっています。




