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第4話 三将は種に、己は戦場に

本日分最後です。

 青州 北海国高密侯国


 臨菑りんし県で張世平殿が商売をする間都市に滞在した。とは言え喪に服す者も多くて商売はイマイチだったようだ。

 年が明けて熹平7(178)年になってから目的地である北海国に入り、そこからさらに移動して高密侯国に辿り着いた。鄭玄ていげん様の屋敷の前まで送ってもらったところで、張世平殿とお別れとなった。彼は泰山たいざんで連れてきた馬の残りを売りさばいてから幽州に戻るそうだ。幽州の更に北で匈奴や鮮卑から馬を買いつけて南で売るのが商売のスタイルらしい。


「この御恩は忘れませぬ」

「そうですか。では雒陽らくようで三公になった貴方様にまた馬を贈りたいですな」

「ははは。では三公になった兄に口添えをしましょう」

「それならばもう少し早く恩をお返し頂けそうだ」


 こういう時に兄を立てると孝行者扱いされるのが儒教スタイル。兄より優れた弟など存在しないのが儒教思想なのだ。


 別れの挨拶を高誘殿と的盧と一緒にしたら、鄭玄様の屋敷に向かう。紹介状は門番の生徒に効果抜群だった。


「あの盧大海の御子息でしたか!」

「すぐに先生に届けますので、中でお待ちください!」


 まさに下にも置かないと呼ばれる状態。高誘も「ここまでされると、逆に……」と呟いている。

 そのまま中に案内されると、野良仕事を終えたらしい老人が部屋に入ってきた。持っていた農具を若い学生に「頼む」と言って渡している。おそらくこの人が鄭玄様だろう。


「ふむ。若いな」

「旋と申します。父・盧植よりこちらを預かっております」

てい康成こうせいだ。歓迎するぞ、子幹しかんの次男坊よ」


 やはり、鄭玄様だった。少し腰は曲がっているが、足腰はしっかりしている様子だ。髪を縛ってまとめているのは農作業の邪魔だからだろう。話には聞いていたが本当に自分で畑を耕しつつ学問を修めるという生活をしているらしい。父をあざなの子幹で呼ぶ人は最近あまりいないので、少し新鮮である。


「奴の新しい書か。『礼記らいき』の解詁かいことは、やはりあの男は古典を大事にしているな」


 父が前に言っていた話だが、鄭玄様は儒学に関わる書物を一冊一冊、一字一句正確に読み取ろうとするらしい。一方、父は大意、つまり大まかな意図を読み取りながら他の書物との整合性を重視するらしい。そのあたりで考え方が少し違うのだと言っていた。大学の同じ研究テーマで派閥がちょっと違うみたいな話と俺は理解している。解詁とは大雑把に言えば注釈本・解説本みたいなものだ。こういう本を書いているから、父は大海と言われているのだ。


「漢朝は近年五経をどう体系化するかが本流だ。だが私も子幹も、古今折衷を馬先生から習った」


 馬先生とは俺が産まれた頃に亡くなった馬融ばゆうという儒学者だ。父の盧植と鄭玄様の師匠にあたり、高誘は馬融の学問に興味があると常々言っていた。


「私は生涯をかけて『礼記』を解き明かすつもりだ。子幹の解詁はありがたく使わせてもらうとしよう。それで、お前さんはそれだけで来たわけではないな?」


 おそらく紹介状は読んだのだろうが、それでもあえて聞いてくるのは自分の意思で言えという意味なのだろう。


「はい。実は私、鄭先生に学びたく」

「山は頂にいると隣の山が高く見えるものだが、己が登った山の方が高いものだぞ」


 これは一種のことわざで、隣の芝生は青く見える的なものだ。


「2つの山に登って、より遠くを見てみたいと思いまして」

「ふむ。弁は立つな」

「父はいずれまた師事しますが、父より年長の鄭先生には今学ばねば後悔しますので」

「ま、良かろう。ただ、子幹の子でも特別扱いはしないからな」

「無論です。学と農をともに学ばせていただきたく」


 続いて高誘も挨拶をする。こちらはとにかく熱い思いをぶつけているかんじ。


「特に馬先生の『淮南子えなんじ』と『礼記』に関する指摘には大変感じ入るものがありまして!」

「わかった。その歳でそこまで学んでいるなら学に身を捧げる気十分と言ってよかろう」

「では!」

「励むと良い」


 こんなにテンション高いやつだったっけ?というくらい幽州にいた頃より生き生きとした様子の高誘に、一歩ひいてしまったのも無理はないだろう。でも父と話している時はちょっと早口だったような気もする。儒学オタクということか。


 ♢


 他の門下生たちと同じ部屋で一夜を過ごした。少し遅くなるまで彼らに父のことを聞かれた。仲良くなるとっかかりとして父の話題は使わせてもらった。


 翌朝。

 農作業のために朝の早い時間に寝室を出た。的盧に水を飲ませるべく厩舎に向かうと、的盧は何か袋を咥えていた。

 あっさりと自分に渡してくれたその麻袋の中には2つの袋が入っており、それぞれ植物の種が入っていた。


「これは……コーリャン?この辺りの原産じゃないはずなのに」


 コーリャン。モロコシの一種で、粥や家畜の肥料、そして白酒の原料になる。乾燥に強いイネ科の植物だ。現代品種かは不明だが、本来この時代に中国に存在するものではないはずだ。


「しかももう1つはトウモロコシだし……流石にこれはおかしすぎる」


 トウモロコシはアメリカ大陸原産だ。当然。1300年は後にならないと手に入らないはずのものだ。

 2つの袋には「曹魏」の文字と「蜀漢」の文字が書かれていた。これは、どういうことだ?

 普通に考えれば曹操は死んでこの世界にもういない。劉備はそもそも生まれてすらいない。となるとこの文字の意味は何だ?

 考えられるのはこれが曹操と劉備の代わりになる「物」であるということ。これを使ってこの時代を何とかしろ、という超常的な何かのメッセージだ。


「これで孫呉でも誰かいないとかなったら……冗談じゃないぞ」


 それはもう三国志の時代ではない。別の何かだ。いくら自分が三国志を好きでも、先読みなんてまともにできない。官渡の戦いも、赤壁の戦いも、夷陵の戦いも起きない。曹操もいない、劉備もいない、そんなの三国志じゃない。


 それでも、自分はこの時代を生きていくしかない。黄巾党の乱も、董卓の専横も、呂布の討伐も。全部全部、俺がなんとかするしかないんだ。

 そうしないと、家族も漢王朝もどうなるかわからないんだ。


「的盧と本来ないはずの作物で乱世をなんとかしろと……わかったよ」


 どうして俺なのか、どうしてこんなものが手に入ったのか、どうして曹操が、劉備がいないのか。

 答えてくれる人は誰もいないが、だからこそ自分で決めるんだ。

 三国志じゃない三国志で、俺は乱世を勝ち抜いてみせる。

明日も2話投稿します。0時すぎに1話、12時に1話です。


どうでもいい話

この時代の米は稬で、米は粟のことらしく、黄河流域は寒すぎて稲作はほぼできていないようです。

江南地域の人口がこの頃から爆増するのもなるほどと思えますね。

一応三将不在の分を補填する何者かからの贈り物です。それでも、曹操がいない影響の方がまだ大きいのですが。

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― 新着の感想 ―
まさかの英傑二人の国名が種もみに! 今日よりも明日の糧を取り戻すニ世紀末救世主伝説の始まり!?
[良い点] モロコシ三国志、始まりましたね。
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