第12話 天変地異、伸長太平道
今日の2話目は14時すぎになる予定です。
青州 北海国高密侯国
光和5(182)年になった。
今年の冬は厳しい。年末から雪が青州にも降り注いだ。シベリアからかなり強い寒気が流れ込んだようだ。青州は北部の海に接する地域ではよく雪が降るが、高密まで雪が降ることは珍しい。それだけ寒冷な空気が強く上空を覆っているのだろうか。細かいことまではわからない。
とは言え、水分が地上に多めに降ったという事で悪いことばかりでもない。今年は水不足にはならないだろう。
春になるのが少し遅れたが、無事コーリャンやトウモロコシ、レンゲを植えることができた。しかし、青州以外だと幽州の遼東半島周辺、兗州東部、そして徐州北部といった地域以外はまだコーリャンが行き渡っていない。食用としても食べられ始めたので、仕方ない部分もある。
養蜂は一部道具も持参で来てくれていたため、今年から早速作業を開始してくれた。簡雍が養蜂している一族の世話役となり、周辺の人々の生活は大分安定してきたようだ。おかげでオイスターソースの生産も少しずつ進めることができそうだ。試作の延長で生活に困っていた周辺の民を4人ほどソース生産に雇ったのだが、牡蠣を潰して煮詰めるのがなかな重労働だ。本格的に生産するとなったらもう少し人手が必要かもしれない。北海康王様もこのソースを気に入っているらしいし。
孫家に作ったソースを届ける際、数え5歳になった蔡姉妹の妹・文姫に会った。彼女は半年前から突然会話がしっかりして、しかも饒舌になったらしい。
「妹様、お元気そうで何よりです」
「仲厳様もいつも通りですね」
そう言って、屈んで挨拶した俺の頬を持っていた扇でポンポンと軽くたたく。蔡邕様には「気を許した者にしかしないから、何か意味があるのでしょう。不快なら止めさせますよ」と言われたが、別に気にならないのでいつもされるがままになっている。ちなみに、蔡邕様にはやらないらしい。まぁその、ドンマイ!
「そう言えば、斉国から来る石炭と一緒に南陽から独山玉の佩が届いてましたよ」
「私にですか?」
「ええ。蔡先生から、取り寄せてくれと頼まれまして」
「まぁ。父上もたまには役に立ちますね」
辛辣だなぁ。きっと娘を想って用意しただろうに。ちなみに独三玉は宝石の一種で、佩は服の袖につけるアクセサリだ。腰佩だと身分を表すのに使うらしいが、今回のはそういうものではない玉佩と呼ばれる純粋なアクセサリである。そのまま腰の袋に入れておいた佩を彼女に渡す。
「仕方ないので今日はきちんと父上の用意した先生の講義を大人しく聞いてきます」
「そうした方がいいですよ。勉学は出来る時にしておかないと」
「仲厳様も、賢い女子の方が良いですか?」
「うーん、必ずしもそうではないですが、笑顔でいてくれる女性がいいですね」
どうせ政略結婚になるだろうから、顔を合わせている時に仏頂面はやめてほしい。一緒に居て苦労のない相手だといいなぁ。
「そうですか」
そう言った彼女は、その先生の部屋に向かいながら笑顔でこちらに手を振ってくれていた。
♢
雪のおかげで潤沢だった水が、雨期のずれで危うかった夏。
それでも降水量が少なくても育つコーリャンとフリントコーン種のトウモロコシは無事育ち、青州は穏やかな収穫の時期を迎えていた。
しかし、冀州や荊州、兗州西部では小麦が不作だったらしく、各地の食料価格は高騰を続けているらしい。雒陽では10日分の小麦価格が1カ月で倍になったと兄が手紙で言っていた。父上とともに生活しているおかげで生活費には困っていないらしいが、食糧が手に入りにくかったら困るので俺の収穫分からコーリャンを送っておいた。青州では順調に広まっているものの、コーリャンを食べないと食料が足りないからみんなコーリャンを食べるので今までほど栽培地域が広がらないようだ。冀州では来年豊作になる種より目先の食料が求められるようで、いくらか売ろうと鄭玄様のところから買い取っていった商人の張世平が前ほどの利益にならなかったと落ち込んで戻ってきた。
「酷い有様です。荊州の方は旱魃で、冀州は冷夏、烏桓や鮮卑、匈奴の地では夏になっても大地が凍ったままで草の生えない場所もあったとか」
「幽州は大丈夫ですか?」
「幽州の北が酷いようで。いつもはあまり馬を手放さない鮮卑の者が、食料と交換でそこそこ良い馬を何頭か譲ってくれましたからね」
「それは……なんとも」
「しかし、本当に良い馬は手放してません。あれは何か企んでるかもしれません」
「漢土に侵略してくるでしょうか?」
「いや、そこまで愚かじゃないでしょう。特に匈奴の当代である羌渠単于は漢朝と友好的ですし」
寒波がここら一帯まで影響を及ぼすという事は、ここより北はさらに酷いという事だ。そして、漢の支配地域より北に住む匈奴・鮮卑・烏桓の異民族が一番影響を受ける。とはいえ、匈奴の指導者にあたる単于は今友好的な人物らしい。三国志では於夫羅と呼廚泉くらいしか知らないぞ。
「とは言え、烏桓の丘力居は油断なりません。あれは一度幽州を脅かしたことがありますからね」
「丘力居、か」
公孫瓚の逸話でその名前、あったような気がする。
「北の者たちにも、警戒しないといけませんか」
「そうですね。かつて青州でも平原あたりまで丘力居は攻めこんできたことがありますから」
青州でも冀州や兗州と接する北西の端っこにある平原国。そのあたりまでは勢いに乗ると異民族が攻めてくるらしい。そうなると、劉備がいなければ北方で黄巾討伐の手が足りなくなって食料豊かな青州に攻めこんでくる可能性はある。3つの異民族はどれも騎馬民族か、騎馬を使える民族なので、それに備えないといけないだろうか。
「くれぐれもお気を付けください。青州の食料が、辛うじて周辺一帯の食料を支えているのですから」
「そうですね。暴徒が出たり、食料を求めて難民が来る可能性もありますし」
各地から納められるコーリャンとトウモロコシはその半分を売りさばき、半分を専用の食糧庫に入れて保管している。これは大飢饉になった時や難民が青州に流れて来た時に施す用の分だ。北海国などの行政側もこうした準備はあるはずだが、俺個人を頼ってきたらそれに応える必要はあると思っている。
ただ、それだけではダメだ。ある程度の自衛手段は固めないと。
「では、幸福の証たる的盧はいつもの厩舎に繋いでおきましたので、今日はこれで」
「世平殿はなんで的盧ばかり連れてくるので?」
「いや、決して各地で嫌がられる的盧を安値で引き取る代わりに良い馬も仕入れてそっちで儲けつつ的盧を仲厳様にお礼と称して押し付けてるなんて事はございませんよ!?」
「自白してるじゃないか」
まぁ、おかげでうちの自衛部隊は100人とも的盧で動けるようになったけれどね。でも、騎射とかはとてもじゃないが出来ないんだ。練度が違いすぎる。
やはり、黄巾の乱の段階で用意しておく必要がありそうだ。鐙を。そうしないと、騎馬民族と戦えない。
張世平が帰った後、孫乾が冀州からの手紙を見せてくれた。
「孫家に届いたものです。どうやら、冀州や荊州、豫州で太平道の伝道者が捕縛され、民衆と役人が揉めているようです」
「広い範囲で揉めている。冀州は特に酷いのか」
「高粱がなければ、青州もこうなっていたかもしれませぬ」
最近は太平道の信者が凄まじい人数になっており、霊帝はこれを危険視し始めているらしい。各地で布教が禁止され、それでも信者は増え続けている。今回の天災も民衆の支持に繋がっているようだ。
「青州の太平道信者はどれくらいいるか孫家は調べているの?」
「はっはっは。青州には盧北海という救い主がいますから!」
渋い顔になる。
「まぁ二割ほど冗談ですが」
「二割だけ?」
「ええ。民衆は盧北海が青州を救ったと思っておりますから」
そういう狂信者みたいなのは御免こうむりたいが。
「実際、5年前ならそれなりに信者も動いていましたがね。最近は太平道から抜けた者もいるくらい、この地域で太平道は流行っていませんよ」
どうやら、青州黄巾の発生はこのままだと防げそうだ。
「みな日々祈っていますよ。ここに納められる高粱は、まず捧げるためにお祈りしてから孫家に持ってくる者もいるそうですから」
「なんか怖いから止めさせて」
なんかそういう風に仕組まれているようで鳥肌が立つ。宗教家ってすごいわ。悪いけれど自分にはとてもできそうにない。コーリャンだってトウモロコシだって超常的な何かにもらったからこうして用意できているだけなのに。
ニュージーランド・タウポ火山の噴火による影響で、この時期は特に寒波などが酷かったことが記録されています。
黄巾の乱の理由の一端はこの寒波による不作のためと思われています。
この頃から太平道は皇帝から危険視されているので、揉め事も増えていたようです。




