第1話 盧植の息子
新作です。よろしくお願いいたします。
幽州 涿郡涿県
騒がしい声に意識が急速に上っていくのを感じた。
目を開くと顔を覗きこむように数人の大人たちが騒いでいた。
「良かった!」
「旋様が目を覚ましたぞ!」
意識がはっきりして、起き上がる。そうか、早朝に突然起きた日食を見に外へ出たら突然意識が飛んだんだった。
衝撃のせいか、記憶が混濁している。急速に脳内の情報が整理されていき、眩暈が明滅して思わず吐きそうになった。
顔色が悪いのに気づいたのか、大人たちが医者を呼ぼうとしている。
「平気。平気だから」
若干クラクラしながらもそう言って起き上がった。建寧4年4月。夏が近づいているはずなのにやや肌寒いその日の朝。
俺は前世の記憶の一部を突然思いだした。どうやって死んだかは覚えていないが、確かに21世紀に生きていた記憶があった。
俺の名は旋。父の名は盧植。その次男。
建寧4年。西暦で言えば171年。黄巾の乱まで13年。数え6歳の自分は、未来からの転生を果たしていたのだった。
♢
その日から夢で前世を思いだすようになった。大好きだった三国志。演義と史実の違いに探求心を刺激され、英雄たちが干戈を交える描写に興奮したものだ。
だが、今はそれが現実である。現実としか思えない。だって今の今まで何も疑問に思わずに生きてきたのだ。思考のベースは中国語(多分父の影響でそこまで方言は強くない。長安とかの言葉だから周囲によく褒められるのだ)だし、文字だって少しずつ習い始めている。
ただ、明確におかしいなと思う部分もある。家を出入りする土地の有力者に劉子敬という人物がいる。彼は自分の知識ではあの劉備の叔父なのだが、劉備の父は既に亡くなっているという。そして、彼の一族には同じ劉備の叔父であり琢県では役人一家として知られる名士・劉元起の子の劉徳然以外子どもがいないという。
「兄には子が出来ず、兄の妻は先日再婚したのですよ」
「そうなんですか」
「子なしで未亡人のままにするのも可哀想なので、元起殿が相手を探してくれまして」
「それは良かったですね」
「旋様も、親や妻を残して死ぬような不孝者にならぬよう、お気をつけくだされ」
おかしい。劉備がいない?とりあえず、近隣に張飛と簡雍がいるはず。そこさえ違うなら、ここは自分の知らないファンタジーだ。
♢
張飛らしき幼子も、簡雍らしき子ども(姓が違うから確信はない)もいた。色々あって知り合いにはなれたのだが、士大夫でない者もいるからあまり過度に付き合うなと家人から言われた。父は兗州陳留郡緱氏県で私塾を開いている。こちらにはあまり顔を出さないのでそうした部分で細かいことを言ってくるタイプではない。涿郡から中原へ運ばれる柏の丸太を目にしながら、勉学と鍛錬に励む日々。秋の寒さに氷河期の影響を感じとりながら、父が九江太守として九江蛮と呼ばれる越族などの水賊討伐に向かうという一報を聞いた。
♢
思ったより早く水賊討伐を終えた父は、さっさと帰郷して久しぶりに長く逗留し母に弟か妹を仕込みながら儒学に関する研究成果をまとめていた。自分は文官という意識が強いからか、槍働きは必要がなければやりたくないらしい。病気に罹りましたと報告したらしいが、帰宅前の15日間、日中は馬を休ませずに九江から帰って来たのだ。嘘松。緱氏県の私塾と琢県の私塾を行ったり来たりしながら父は生徒を教えていた。数え11歳になった自分も、聡明だからという理由で父が琢県にいる間だけ私塾に参加するようになった。そして、そこに公孫瓚が遼西郡からやってきた。
「公孫伯珪と申す。盧家の子は皆優秀でありますなぁ!」
良く通る声でそう言われた。がっしりした体と顔。この時代風のイケメンらしい。講義中も静かだからと気に入られ、馬の乗り方を教えてもらった。
そして、いつまでたっても劉備が父の私塾に現れることはなかった。
♢
劉元起の子である劉徳然が学びに私塾に入った。やはり劉備とは別人だ。何度調べても『劉備はいない』という結論が出た。
この劉徳然さん、先に私塾に入っていた公孫瓚とは馬が合わないようで、公孫瓚からよく愚痴を聞かされた。
「名家とは何か?己の父祖に感謝すれど、父祖の偉業を己の物が如く振舞うは違うのではないか!?」
「確かに、父祖の偉業は父祖の物。然れど父祖と我らの命は脈々と繋がっているので、父祖の魂を継いだ我らが、そのおこぼれに預かるは忠孝の対価と言えるのでしょうね」
「あれはおこぼれ程度の増長には見えぬがな。しかし、旋は未だ11歳で良く弁が立つ。いずれは司空か司馬かもしれぬな!」
「兄上ならまだしも、私は無理でしょう」
とは言え、兄はどちらかと言えば学者肌。武でも活躍というタイプではない。父である盧植の子として伝わっていたのは3人以上いるはずだが、末っ子の盧毓以外は名が伝わっていない。今は2人兄弟で母は妊娠中なので、こうやって増えるんだろう。母は結構若いからね。学者としてそこそこ有名になってからの相手らしく、父と6歳差である。兄を産んだのが19歳の時だとか。まぁこの時代なら普通なのか?
とにかく、聡明と評判の自分には色々声がかかるものの、自分から前世の知識をひけらかすようなことはほぼしなかった。俺は知っているのだ。この後漢では生まれ故郷の役人としては大成できないと。ここはいずれ公孫瓚か袁紹の基盤になる。今からそれを支援してやる必要はない。劉備はいなくても、曹操の臣下になれば盧植の息子として相応に待遇されるはずなのだから。そんな彼の邪魔になるようなことは今の段階からするわけがない。父が私塾のパトロンにしている地元の有力者との話し合いとかにはよく連れて行かれるが、逆に言えばそうした縁結びは頑張るようにしている。上手くいけば曹操に人材紹介とかできるし。
しかし、そんな自分の安全に出世してやろうという魂胆は、父から聞いた本当にふとした話で全て壊されることになった。
「そう言えば、曹巨高殿に子が産まれたと長安から知らせが来たな」
「曹家に?それはめでたいですね」
曹巨高は年齢的に曹操の父である曹徳かな?以前1度だけ父に曹家について聞いた時のことを覚えていたらしい。賄賂で成り上がったと個人的に嫌いらしい。宦官の養子だから血は繋がっていないのに、宦官の中では比較的儒者とも関係が良く曹操の義理の祖父にあたる曹騰の積み上げた功績を浪費しているのも理由だとか。まぁ賄賂で成り上がったエピソードは後世にも伝わっているくらいだし、父からすれば微妙な相手なのだろう。
「詳しくは知らぬが、せっかく孝廉に推挙された長子が亡くなったとかで、巨高殿も塞ぎこんでいたらしいからな。新たな子が産まれて何よりだ」
「……はい?」
長子…長男が、死んだ?曹操って長男じゃ、なか、ったか?
「そなたの兄も太学入学を前に雒陽で勉学に励んでいる。書館での学びを生かし、旋が学ぶべき道を見つけなさい」
「は、はい……」
熹平5年(西暦176年)7月、俺は自分の計画が音を立てて崩れていくのを感じた。
あれ?曹操いなくね?劉備だけじゃなくて、曹操もいなくて、それで……どうやって三国志の時代になるの?
私塾の位置は『後漢書』公孫瓚伝と盧植伝で微妙に違うので、両方にあったということにしています。
陳留郡の私塾は中央政界との繋がりを維持するためのものだったようなので、あまりそこに長居したかはわかりません。ただ、公孫瓚は明確にそちらでも学んでいるので、時期によって生徒も移動していたという解釈にしています。
太学:首都にある高等教育機関。東大みたいなもの。18歳にならないと入れない
書館:いわゆる小学校。主人公である旋はここと父の私塾両方に通っている。旋には6歳から父親が家庭教師をつけているが、士大夫でも8歳から通う場合が多く、卒業は15歳になってから。そのため、主人公はかなり先まで勉強が進んでいるため、卒業は12~13歳。
兄(盧欽):名前は創作。本作では5歳年上の160年生まれ。数えで18歳になり、太学入学が許可されたため1話終了時点で雒陽で1人暮らし中。
本日は4話投稿します。




