視える令嬢
「まったく、この役立たずが!」
叔父であるダウズウェル伯爵の不機嫌な声が執務室に響く。
エレナは彼の前に立ち尽くしたまま、身を縮めることしかできない。
「離縁を言い渡され、のこのこと戻ってきたわけか」
「申し訳ありません」
エレナも好きで戻ってきたわけではない。だが、夫であるライナスに『愛人が妊娠した。出て行ってくれ』と追い出されたのだから、仕方がない。
「まさか、お前の気味悪い能力を知られたのではないな」
「私は話していません。彼は私に関心がありませんでしたので、会話すらまともにしたことがありません」
もともとエレナとライナスの間に愛情はなかった。事業不振が続くダウズウェル伯爵に命じられ、爵位はないが資産家の長男のライナスともとに嫁いだ。
政略結婚とはいえ、もしかしたらライナスと幸せな結婚生活を送れるかしれないと淡い期待をして、ライナスのもとへ向かったのは一年前。
しかし、ライナスはエレナの灰色の髪を見るなり、冷ややかな視線を送った。
『父の命令で仕方なくお前と結婚するが、夫婦としてやっていくつもりはない。お前も期待しないでくれ』
その言葉の通り、エレナはお飾りの妻として生活してきた。ライナスと言葉を交わすこともなく、食事も寝室も別々。当然、夫婦の営みがあるわけでもなく、いわゆる白い結婚生活を送ってきた。
使用人たちもエレナに特別敬意を払うわけでもなく、必要最低限にしか接してこなかった。ライナスの支持なのかはわからないが、これまで叔父一家に虐げられてきたエレナにとって、この一年間はとても穏やかだった。
しかし、先日、初めてライナスに部屋に呼ばれた。特に期待もせず向かうと、そこには彼以外に、やたらと着飾った派手な女性がいた。そして、彼はエレナのこう告げたのである。
『恋人のジョスリンだ。お腹には俺の子がいる。だから、お前とは離縁して彼女をこの家に迎える』
エレナはその言葉を落ち着いて聞いていた。結婚前から彼には、親の許しが出ずに一緒になれない女性がいる、というのは何となく知っていた。
『……わかりました』
エレナは静かに言うと、踵を返して退室しようとした。
『こういう時も、お前は無表情なんだな。俺はそれが気味が悪い』
背中に向かって投げられた言葉に振り向くことなく、エレナは部屋を出た。
無表情。
これが相手に不快な感情を抱かせることは分かっている。だが、エレナも自ら望んでそういう体質になったのではない。
幼い頃、大病を患い、生還したものの、それ以降表情を上手く操れなくなってしまったのだ。
それだけではない。ストロベリーブロンドの美しい髪も、目が覚めたら艶のない灰色に変貌してしまっていたのだ。
さらにエレナを苦しめたのは──この世のものではない者が視えるようになったことである。
「叔父様、私はどこに行っても気に入られることはありません。これからは修道院に入り、慎ましく暮らそうと思います」
エレナは以前から思っていたことを口にした。きっと叔父一家も、こんな気味の悪い姪を家に置いておこうとは思わないはず。
だが、伯爵はエレナの意見など聞いていないかのように、淡々と言った。
「お前には新しい嫁ぎ先を用意してやる。それまで部屋に籠っていろ」
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