びょうが
窓の向こう、びゅうびゅうと木枯らしの吹き荒ぶ外で、一匹の虫が翅を煽られながら、必死にガラス窓にしがみついている。
それを病院の一室から眺め、刻々と記憶が抜け落ちていく脳内で、今なお消えてくれない一抹の不安に煽られる。
どうにもこうにも動かせない黒い塊を内側に飼っているような感覚に苛まれて、私は今起きている間、何度目かになるエンディングノートにまたしても手を伸ばした。
私は生来、不安や心配に駆り立てられやすい性格をしていたと思う。
それは進学や就職、結婚や葬式、出産などの、いわゆる人生における一大イベントに限らず、平日休日昼夜、いつ何時でも日々習慣のように抱いてきた気がする。
例えば年齢について、私は自分の人生の中で一度たりとて自分の誕生日を嬉しく迎えたことはない。寧ろ、忌避していた。毎年、自分は後何年生きられるだろうかと指折り数えては心を沈ませる日をわざわざ設け、それを他人が笑顔で祝福してくるのだから、誕生日とは嫌味ったらしくて吐き気がすることこの上ない。人生に数ある不安の種の中でも、特に未来や将来に関する種に人一倍臆病だった私からすれば、本当に嫌いで嫌いで仕方ない行事だった。
だから、頭に霧が掛かって耄碌している現在、不便でかつ更なる不安も増えたには増えたけれど、自分の誕生日と齢を忘れられたのは怪我の功名だったと言える。私が一生付き合っていくのだろうと決めていた過度な心配性も、加齢による脳の衰えには勝てなかったらしい。今でも病的なまでの不安がりは変わらないけれど、不安の種を記憶から消し飛ばすという荒療治によって私は一つ不安を抹消したわけだ。
そう考えると、性格を無理矢理捻じ曲げて改変しているようで、存外老いというものは恐ろしい。本当に、歳を取ることそのものに、恐怖と不安が付き纏う。その真っ只中にいることに背筋が凍りつく。
私は身震いする元気も無くなった体で徐に腕を摩り、目線をそれらへ持っていく。
随分と細くなったものだ よく頑張ってくれた
病院の敷地内にある枯木のように、自重でぽっきりとへし折れてしまいそうな腕を眺めてしばし耽る。以前までは、骨と皮だけになった他人の四肢を見て心底疑っていた。筋肉なんて微塵も覗けない、本気で骨に皮が張り付いただけのような、皮膚に浮き出た血管の影から全ての血管が分かるような、そんな肉体になっても生物は生きていけるのかと思っていた。ずっと、信じ難い気持ちでいた。
けれど、老いてしまえばその答えはあっさりと出て、経験してしまったら考えるまでもなく私は生きていた。
有り得ない細さで、生きながらえていた。
既に出た解答を納得できないからと認めないほど、私は老耄ていない。気に食わないことがあると直ぐに癇癪を起こすような老人でもない。
というか、その時期はとうの昔に過ぎ去った。
昨日まで出来ていたことが今日突然出来なくなる。今日だけでなく、今日以降ずっと無理になる。そんな出来事が日に日に増えていく。
それが、どうしても耐えられない。屈辱的で、平然とこなしている周りの人達から侮辱を受けているような気さえしてくる。
前は事もなげにしていたというプライドは、辛い。
何より、日常生活に意固地になっている自分が痛々しい。
でも、出来ていた まだ、出来るはず
ここは譲ってもいいけど、ここだけはまだ出来る
今はまだ、周囲に迷惑をかけるような歳じゃない
そんな風にずるずると昔の自分に縋っては、他人に負担を強いていた。
その事実を受け入れて、全部を他人任せにするのに何年かかったことか。人生が本当の下り坂に入った実感は、当時の自分では如何ともし難く、絶望の階を踏んでいくような、そんな気分だった。
今ではそれすらも過去の事となり、あの頃に迷惑をかけた子供達や恐らくは施設の人々に申し訳なく思う。私は、もう少し自分の変化に寛容になるべきだった。そして、彼等をもっと早く信用するべきだった。
私はかろうじて生きてはいる腕で引き寄せて、未だ開かずにいるエンディングノートの表紙を撫でる。私はエンディングノートの存在を知った時、これは自分の為に作られたんじゃないかと真っ先に思った。その時のことは薄れゆく記憶の中でも、まだまだ剥がれ落ちずに鮮明に覚えている。
出会ったのは10代の頃。本屋の文房具コーナーで、『自分の人生を豊かにする為に』というポップと共にこれを見かけた。ポップの下には、終活の一環として書かれるエンディングノートだが若者が人生計画を立てる為に買うこともある、と短く説明書きがされていた。当時、生きている間のことだけでなく死後の不安感にも追われていた私にとってそれは、とてもとてもお誂え向きの代物だった。まさかこんな物があるなんてと、人生で数える程度の衝動買いをした。
以来、ノートを買い換えることなく、優しい暖色系の色合いの一冊と人生を共にしてきた。何十年来の友達という言葉があるけれど、友人も知人も死んだか、忘れ去ったかでいなくなった私には、このエンディングノートがその言葉で表す間柄ということになるかもしれない。少なくとも、思い入れは十二分にある。
私は、たった一つの大きな心残りをかき消すかのようにノートの表紙に指を引っ掛ける。あのような触れ込みがあったが、普通は年寄りが買うような品だ。長く使うようには作られておらず、大切に扱ってきたとは言え、表紙が所々禿げたり角が折れ曲がったりして経年劣化している方が珍しいだろう。
私は骨董品でも触るかのようにエンディングノートを開いて、一番最初の記入事項、自分のプロフィール欄に目を通す。名前や住所、血液型、家系図、免許証、保険証、マイナンバーなどなど。目が霞み、それらが文字であること以外分からないが、きっと多分記入漏れやミスは無いだろう。まだ識字の可能なうちに書いておいて良かったと、開く度に感じることを繰り返し感じて、次の事項へとページを進める。
次は、所有財産と資産価値のある物と、それらに関する物についてだ。まあ、ここら辺も恐らくは大丈夫だろう。遺産の希望については書いた筈だし、デジタル遺産についても入院前に解約と引き継ぎを済ませてあったと思う。私物で換金できそうな物も、確かいくつか箇条書きにしてあった気がする。配分・分割方法についても細かく記載していたと思うが、それが無くとも子供達で上手くやるだろう。
以降も同じように、医療や介護、葬式、お墓、友人・知人といった事項ごとに自分の希望や事実がまとめられたページを見ていく。読めないので、見ていくよりも眺めるといった方が正しいが。
読解不能な文字の羅列を眺め、安心する作業をその後も続ける。
本当に、この本には若年時代からこんな風にして助けられてきた。
ただ眺めて、心を落ち着かせる。それだけで未来に対する漠然とした大きな不安は、容易く安らいだ。
どこまでも不定形で、どこまでも不明瞭な、深さも大きさも絶無の、五感以外の何かでしか感じ取れないような不安感を、明るく柔らかい外観の本は僅かにでも散らしてくれた。
これから終える今までの人生で一番大切な物は、紛れもなくこのエンディングノートである。
大切な物、言い換えれば相棒。なんて言ってしまったら聞いた誰かは笑うかもしれない。たった一冊のノートが、しかも終活に使うノートが生涯のパートナーだったなんて。
そう考えてしまうと、胸を張って言うことは出来ないけれど、しかしそんな相棒を一人丁寧に撫でることはする。
命よりも大事なノートを。
命を支えてきてくれた友人を。
命を終えてからが本番かもしれない親友を。
命絶えた後に唯一残った、大きな心配事に想いを馳せながら――――。
私が慈しみを持って宝ものに触れていると、病室の入り口から二人、人が入ってきた。
「お母さん、起きてる?」
そう言って近付いてきたのは娘と孫娘だろう。と、口調と態度、背格好から判断する。
二人は窓とベッドの隙間にある丸椅子に腰掛ける。それと同時に私の中の、棘が喉に引っ掛かったが如き不安感が疼き出した。
「良かった、ちょうど起きてて。寝てたら起こすのも悪いしさ。どう? 体の調子は」
ゆっくりと、はっきりと、大き過ぎない声量で娘が尋ねる。
それに、呼吸を乱さないよう静かに答える。
「まあ、大丈夫よ。この前よりはいい感じよ」
こんなことを喋ったつもりだが、果たして届いているだろうか。この前まで伝わっていた喋り方も、今日は通用しないかもしれない。
「そう。なら安心ね。お医者さんも言ってたけど、あんまり長くはないらしいから、無理はしないでね」
どうやら通じたようだ。まだ人と会話が出来るという喜びと一緒に、その安心を噛み締める。
私の病状や余命に関して、例え私が理解していなくとも逐一私に報告して欲しいと、子供達や医者には前々から伝えてある。し、エンディングノートにもそう書き込んである。生前だとしても、私の事で困ったら読んで欲しいとも伝達済みだ。
「あ、そうだ。ここ来る前に飲み物買おうと思ってたんだった。ごめんねお母さん、私ちょっと、下の売店で、飲み物、買ってくるね」
と娘が言い、孫娘に何かいるかと訊く。孫娘が首を振って小さく応え、それから娘は立ち上がり病室を出て行った。
孫娘と二人きり。
それにより、抱えていた心配事がその身を露わにする。
孫娘との気まずさは無い。私の記憶では、孫娘は幼少期はよく懐いてくれていたからだ。が、現在の孫娘はどうだろうか。
私は口を開きかけて、孫娘の名前が一文字も浮かばないことに気づく。一度固まり、慣れたように代名詞を用いて話し出す。
「あんたは、最近、調子はどうだい?」
しわくちゃな声が喉から出る。
脳内の霞がかった領域がまた一つ増えたことに自分で失望し、動揺しながら世間話に興じようと試みる。
「大学は、ぼちぼちだよ。楽しいこともあるけど、大変なこともあって。勉強も、今までとは何から何まで違うから、大変っちゃ大変でさ」
娘には通じたが孫娘には通じないかもと不安があったが、ちゃんと通じたらしい。
しかしそうか、大学に通う歳だったか。記憶違いも甚だしい年齢を予測していた。
「そうかそうか。大学…………。何か不安なことはあるかい?」
遂に、私は永遠に取れない巨大な心の突っ掛かりに両手を伸ばす。
きっと、こんなことは不安解消の為の自己満足に過ぎない。
孫娘は微かに俯く。
「不安なこと………………。私ね、夢が無いんだ。将来何になりたいってものが具体的に決まってなくて。なんとなく、生きていればいいなぁとは思うんだけどね。大学の友達は皆んな大なり小なり夢を持って入学した人達ばっかりだから、相談し難くて。大学に入れてもらった手前、お母さんとお父さんにも相談出来ないし。で、取り敢えず入った学部っぽい展望は伝えてあるんだけど……本気でなりたいって感じじゃないし、その職に数年後に就けてる気もしないし。そんな事を一回考えて以来、夢ってどうすれば良いんだろうなって。未来について考えてるうちに、漠然とした何か大きな不安に漬け込まれてるような感覚になっちゃったんだ。強いて挙げるなら、それが不安かな」
……漠然とした不安――――――私がこの人生で常に闘ってきた相手だ。
踠いても 踠いても
全てに気を配っていても、何かを見落としているような
大切な何かを見失ってしまったような
あっちを見て こっちを見て
全方向を見渡してみても、物陰に隠れた何かに足元を掬われかねないような
心許ない足取りで
覚束ない視界で
人生の底知れない不安感を一度に味わい、そしてずっと続いていく感覚。
私の心のわだかまりはそれだ。孫娘に留まらず、子々孫々に至るまで続くであろう『子孫達が抱く未来への不安』だ。
それを、私はできることなら消し去りたい。もっと言うなら、長生きして彼女らの未来を知りたい。知って安堵したい。心の奥底からてっぺんまで安心に浸かりたい。
けれど、そんなことは肉体的に不可能だし、何よりも近々死ぬ人間がこの世に未練を残していては別の不安が過ってくる。
だから、そういう思いから、私はこう言った。
「ばあちゃんはね。死んだら虫になるんだよ」
孫娘の、幼い頃にした不思議そうな顔が朧げに思い浮かぶ。
「虫の知らせって聞いたことあるかい? 悪いことが起こる前に、虫が教えてくれるっていう昔の言葉。私がこの世からいなくなったら、その虫になって、悪いことの前にはちゃあんと知らせてあげる。だから、必要以上に人生に怯えないでいいんだよ」
と、あやすように話す。本当ならもっと伝えたいことがあったのだけれど、体力の無い体では短くそこで切るのが出来る限界だった。
自分のしたいことがあれば果敢に挑戦すべきだし、したいことがなくともそれ自体を不安がることはない。ましてや、私みたいな思い過ごしで人生を満たすような生涯は送って欲しくない。貴重な一生を、杞憂だけして棒に振るような真似などして欲しくないのだ。
孫娘が、私の言葉を染み込ませるように深く頷く。
「ありがとう。ちょっと、楽になった」
遠くなった耳で、孫娘の小さい言葉が聞こえた気がした。
あれから娘がペットボトル片手に戻ってきた後、少し話してから二人はまたねと帰っていった。
私は二人が座っていた場所をぼんやりと眺め、窓の外に虫がしがみついているのを見つける。
それをまた、やり遂げた余韻で見やって、頭の中を空っぽにする。
大きなしこりのように心の中心にあった一つの不安は、今やその姿を潜めている。
私が死んだ後の、不安。知ることの出来ない、不安。
不安が不安を呼ぶ負の螺旋を、今は断ち切ることが出来ている。
虫を見つめる今の私の様子は、まるで窓の汚れや雨粒を凝視する子供みたいだな、と思い立ち、ゆっくりと目を瞑る。
これは長い人生のどこかで聞き齧ったことなのだが、子供と年寄り、もっと言うなら幼児と老耄は魂の世界に近い為似たような行動をとるらしい。人間の原点回帰、とでも言うのだろうか。
この考え方に則るのならば、所作の一つ一つから私は着実に死へと歩み寄っているのだろう。
自分の側から、一歩一歩。
けれど、今の私は死の恐怖よりも満足感で一杯だ。やりたいことを成し得た為だろう。ここ最近で最大の不安を安心に変えることが出来た為だろう。
今は、私の人生とは正反対なまでに心が安穏だ。
これ以上なく、安堵している。
私はそのまま、安らかに眠りに着いた。
お読みいただきありがとうございます。
一応、世界観は未来の設定だったのですが、匂わせることすら叶いませんでした。普通に能力不足です。
次こそは家族の話が書きたい