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7。

 


「アーマニ」

 父王の声掛けにもアーマニは顔を上げようとしなかった。

 ただ、姉姫に問い詰められていた時と同じ様子で座ったまま俯き、ドレスのスカートを両手でしっかりと握りしめていた。

「可愛いアーマニ。お前の気持ちが贋物だなんて誰も思っていない。ガイル殿は素晴らしい御仁だ。心惹かれて当然だろう。しかし──」

「しかし?!」

 喧嘩腰で顔を上げたアーマニの頬は、流れた涙で汚れていた。

 その横に立つアマーリエも困り顔をしていた。

「あの御仁は、他国の外交官で、すでに孫も2人いる。私より年上なのだよ?」

 腰を落として、愛する娘と視線を合わせた賢王の顔は、今はただ、普通の父親の表情を見せていた。

「知っているわ。フォルト王国で、ガイル様について一番詳しいのはわたくしだもの」

 大きな瞳に涙をいっぱい溜め下唇を噛んだ妹姫の頭を、父王はそっと抱き寄せた。

「あぁ、そうだね。だからこそ、彼の御仁がお前のものには決してならないことも、判っている筈だ」

 その言葉に、アーマニの顔がいっそう歪んだ。

 再び大粒の涙がアーマニの滑らかで白い頬を伝わり流れていく。

「でもっ! でも、ガイル様に奥様はいなくて、結婚は、してなくてっ」

 アーマニの唇を、アルフォンス王はそっと抑えた。

「それ以上口にしてはいけない。ガイル殿の奥様は亡くなられて現世には存在していない。しかし、彼の御仁の心の中では今も一番傍に居られるのだから」

(──そんなこと、お父様に言われるまでもなく、アーマニだって知っている)

 ガイル様のお心には今でも奥様がいることくらい判っている。

 アーマニはそれを知っていて、口に出したのだ。

 口にすることで、それが現実味を帯びる気がしたのだ。

「でも、諦めたくないの…。諦められないぃぃ」

 勝手だけれど。

 顔をぐしゃぐしゃに歪めてそう呟く間も、アーマニの涙は流れ続けていた。 

「うむ。素晴らしい御仁だ。父さまもそう思う」

 だからこそ、息子の嫁に、この国の国母にその血が欲しいと願ったのだ。

 しかし、さすがに王である自分よりずっと年上の息子を善とは思えない。

「恋は一人でもできる。だからアーマニは自分の心と頭が納得するまで、その恋を大事にするがいい。でも、権力を笠にきて相手にそれを強要することはできないんだ。それをしても表向き従わせるだけで心は手に入らない。心に誰かを住まわせている相手に大して強引な手法で割って入ったとしても、傷つくのはお前自身だ」

「…知ってるもの。判っているもの。お姉さまとおんなじこと言わないでよ、おとうさまのばかーー」

 うわーんと抱き着かれた父王は、罵倒されながらもその腕の中に愛しい我が子を抱き寄せて頭を撫で続けた。




 泣き疲れて眠ってしまったアーマニをベッドへと寝かせると、アルフォンス王とアマーリエは静かに廊下へと出る。

 そうしてそこに、肩を落とした武骨な後ろ姿を見つけて顔を見合わせて親娘は苦笑する。

「アーマニは大丈夫です。もう寝つきましたよ」

 そう声を掛けると大きな身体がびくんと小さく跳ねた。

 その様に再び苦笑する。

(本当に、憎めない御仁だ)

 本当なら娘を誑かしたと問い詰めてもいい筈だとアルフォンスは思う。

 しかし、それは八つ当たりでしかないということも知っている。

 何故なら彼は、ただ庇護者としてアーマニを明るく照らし守っただけなのだから。

 感謝こそすれ、八つ当たりで当たり散らすなどしてはならない。

 アルフォンスはアマーリエに頷いて部屋に戻らせると、廊下の隅で大きな身体を懸命に縮こまらせているガイルに「酒でも付き合ってください」と声を掛けた。




「なにかお好みの酒でもありますかな」

 軽く問われてガイルは少し悩んだ。

「ブレンヴィンという酒が、この国の特産だとお聞きしました」

 味を確かめる前に騒動に巻き込まれてしまっただけでなく、大怪我を負ったガイルは今日まで医師よりアルコールを禁止されていたのだった。軽めのものは目零されていたのだが、さすがにアルコール度が40近くあるというそれは許可されることは無かった。

 ようやくこうして許可は出たものの解禁された途端、飲みまくりで大丈夫かと聞かれたら正直ガイル自身にも判らない。

 しかし、今夜はどうしても強い酒が必要だった。

 燃えるワインという意味を持つというその酒こそ、今夜のガイルに相応しい。

熟成ブラウン非熟成ホワイトどちらがお好みですか?」

 熟成させて色が付いたものは独特な香りがついて地元の人間ならこちらしか認めないという者も多いが、観光客やアルコールに不慣れな初心者には熟成させていないホワイトリキュールを好むものも多い。

 ガイルは悩むことなく「お薦めをお願いします」と願い出た。

 その答えに、王は「本当に。さすが外交官だな」と苦笑した。


 2オンスの小さなショットグラスに琥珀色のそれが注がれている。

 綺麗なカッティングが施されたそれが燭台の蝋燭の火の揺らめきを受けてやわらかく煌めく様子を見つめながら、ガイルは両手でそれを恭しく受け取った。

 しばらく琥珀色の酒が煌めく様を見遣り、その独特な香りが掌の熱を受けて立ち昇るそれを受けて楽しむ。

 そうしておいてから、ゆっくりと口の中に少しだけそれを含んで、広がっていくアルコールの味わいを愉しんだ。

「そういえば、サリーナが無事領地へ帰っていったよ。ガイル殿に御礼を伝えておいて欲しいと言っていた。会ったことがないのにお別れの挨拶をする訳にいかないしね。伝言で済ますことを許して欲しいと言っていた」

「そうですか。旅に出る事ができるほど復調されたならなによりです。お大事にとお伝えください」

 ガイルがアーマニを助けたのは、サリーナの声が届いたからだ。

 王として表立って褒賞を与える事はできないが、サリーナには感謝をしていた。

 そうしてなにより、目の前の御仁に対して感謝を捧げていた。

 その御仁にまたしても迷惑を掛けるのかと思うと王は憂鬱だった。

 再び沈黙が戻る。どれくらいそうしていただろうか。

「これは、旨いですな」

 沈黙の中で、ぽつりと呟くようにいわれたその言葉に、偽りにはない本物の感嘆を感じてアルフォンスは自慢げに頷いて同じものが注がれているグラスを掲げてみせた。

 ゆっくりとした時間が流れる。

 忙しない日常の中で、ひとりの男としての時間を持てるのはほんの少しだけだ。

 しかもその時間を共有して黙って過ごしていても心地好いと感じることができる相手というのも稀有な存在である。

 そうしてどれくら二人で黙って酒を舐めていただろうか。

 ガイルが語りだした。

「妻を見送って、もう20年以上の月日が経ちました」

 傍で同じ酒を味わう王は何も言わない。ただガイルが口にする言葉を聞いているだけだ。

「でも、まだ20年です。彼女との思い出を忘れるには時間がまだ足りない」

(知っている。熱に浮かされた御仁が何度も呼ぶ女性の名前について部下に確認したのだから)

 知られていないと思っているからこそなのか。

 しかし、普段誰にも語ったことのない言葉がガイルの口から洩れていくのは、多分それだけでなく今ここを流れる稀有で心安くて心地よい時間のせいもあるのだろう。

「でも忘れたいわけではないんです。外交官という仕事を続けているのも、こうして異国にいる間は、あれがまだ家で待っていてくれているような気がするからなのです」

 国の為でないのは内密に、とへらりと笑う。

「幼馴染でしたが生来身体が弱くてね。子供は娘が一人です。お陰様で、娘が恋をした相手が二男でしたので婿に迎え入れることも出来ました。孫は…彼女にみせられなかったですけどね」

 ぽつり、ぽつりと呟かれる一人の男と彼が望んだ女性との歩んできた道。

 それは目の前にいる男の人生には、いまだ伴侶がいるのだと如実に表す言葉だった。

「熱に浮かされていた時、目が覚めると何故かいつもアーマニ殿下の泣きそうな顔があって。それがどうしても、妻が寝込んでいる時に傍で心配そうに息を詰め見つめている娘の顔と重なってしまって。『大丈夫だ』と笑い掛け、頬を撫でた記憶があります」

 ガタン、頬を撫でたという言葉を聞いた途端、傍観者から父の顔が覗いて椅子から立ち上がってしまった。

「……失礼。むしろそれは、アーマニの失態ですな。怪我で寝込んでいる殿方の寝室に入り込んで見つめるなど。不作法を謝罪する」

 さっと頭を下げられてガイルの方が慌てた。

 ここには懺悔に来たのだ。謝られるのは不本意だ。

「少し前に、ショーン、…部下からアーマニ殿下について諫められたんです。その時は何を馬鹿なと笑ったんです。笑って、放置してしまった。申し訳ありません」

 なにか対処をと考えはしたけれど、何もできない内に先ほどの事態を引き起こしてしまった。つまりは放置したのと同罪だと己の判断の甘さを悔やむ。

 ガイルは、がばりと頭を下げた。

 その下げられた頭をじぃっとアルフォンスは見つめた。

(誠実な御仁だ。だからこそ厄介なことになった訳だが。しかし、相手がこの男で良かったとも言える)

 付け入られてよからぬ企てにいいように扱われる可能性とてあったのだ。

 こうして話し合える相手で良かったと思うべきだとアルフォンスは思い直した。

「そろそろ、国へ帰ろうと思うのです」

 それについてはアルフォンスも考えた。国元へ返し、いまは距離を持たせるべきではないかと。しかし、それをこちらから告げるのはあまりに情がない。恩を受けた相手に対して、後ろ足で砂を掛ける様な選択だけはこの王にはできなかった。

「…まだ、この国との国交についての条件の草案すらできてないぞ?」

 これは嘘だった。実際のところ叩き台としての草案は今日の会食が始まる前に作らせてある。元々が直接大口の貿易ができるような距離ではないのだ。決める事など大したものはない。

 ミスリル銀について既に知られているとは思わなかったが、それについても国交を結ぶ前に知らせるつもりだった。

 だが今できる事といえば、有事の際の協力や希少金属であるミスリル銀の産出についての情報の保護と、いつかの話としての一番最初に輸出するならという夢の様な話しかできない。

 ただ、アルフォンスが王として、ガイル・リーディアルの住まう国としてのトリントン王国に縁を繋ぎたいと思っただけだ。ある意味言葉としてだけの友好国だ。

「そこは、王の特別なご配慮を期待しております」

 にやりと笑ってガイルがグラスを掲げる。 

 だが、それが心地よかった。

「ふふ。愛娘の想い人の言葉だ。深く受け止めよう」

 そう軽く言えば、その男は「申し訳ございません。お許しを」と深く頭を下げた。




「えっと、そう。続きは、こうだわ」

 こっそりと起き出した夜にひとり。

 かりかりと、アーマニは懸命に長い手紙を書いていた。

 できるだけ丁寧な文字を心掛け、自分の真心が伝わるよう、誠心誠意心を込めて一文字一文字記していく。


『私はガイル様を心よりお慕いしております。ガイル様の妻になりたいのです。

 確かに私はまだ13歳です。それでも、この心は本物だと言い切れます。

 ガイル様のお傍で、その生涯を共にしたいのです。私には婚約者候補がおりました。しかし直接お会いしてもどうしても彼の方を支え生涯を共にしたいと思えなかった。

 それなのに、ガイル様を一目見た瞬間から心が浮き立つのを止められなかったのです。

 そうして、その強き心と優しい御心に触れて、ガイル様の在り方を知れば知るほど、私は自分に嘘が吐けなくなりました。

 婚約は、ガイル様の件がなくとも破棄になりました。お陰で今の私はもう嘘を吐く必要もなくなりました。

 ですから、ガイル様に告白をしたのです。けれど、受け入れては戴けなかった。私が、まだ子供だからでしょう。

 けれど、この心は本物なのです。私はリィン様の母になる決意だってあります。勿論、いきなり母と呼んで欲しいなどと図々しい事は申しません。でも、私は貴女の母になりたい。

 どうか私をガイル様の妻として受け入れて戴けないでしょうか』



「…よし、できた!」

 満足のいく手紙を書き上げられたのは、日が昇る最中の事だった。

 もうすぐ侍女がアーマニを起こしに来るはずだ。

 その前にベッドに潜り込み、一晩中手紙を書いていたことがバレないように気を付けねばいけない。

 そうして、侍女に頼んでこの手紙を、トリントン王国リーディアル侯爵家のリィン様宛に届けて貰うのだ。


 


夜中に手紙を書いたらあかん

それを出したらもっとあかん。


酒とか食べ物は、作者が飲みたい物や食べたいものを適当に並べているので、時代がオカシイとか国すらバラバラやんけとかいう辺りについてはお目溢し戴けると嬉しいなー(目逸らし


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[気になる点] 誤字:べきでは それについてはアルフォンスも考えた。国元へ返し、いまは距離を持たせるべきだはないかと。
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