6。
弾む胸の鼓動そのままに、足取り軽くガイルの部屋から出てきた所で声を掛けられた。
「アーマニ殿下、大将はまだ本調子には遠いんで、寝てるの邪魔しちゃ駄目ですよ?」
その声に、アーマニは目を半眼にして振り向く。
「なんすか、その目。散々、俺から大将の情報を抜いてた時はあんなにきらっきらした瞳で見上げてた癖に。搾り取る情報がもうないって判ったら、その扱い。あ、でも美少女の冷たい瞳、これはこれで、ありか?」
あれだけ浮かれた様子を隠しもしないで廊下を歩いていたアーマニの周囲に冷気とでもいうような冷え冷えとしたものが漂い出したが、大きく息を吐きだすとにっこりと笑って見せた。
「あぁいい所に。文法でわからないことがあるんです。あとで教えて戴いてもよろしいでしょうか」
今はガイル達トリントン王国の人達が、アーマニ達フォルト王国の言葉を習得し、会話してくれているからこそこうして意思の疎通が適っているだけだ。
アーマニは、「自分でトリントン王国の言葉を話せるようになって、ガイルへの感謝を伝えたい」のだと父であるフォルト王に願い出て、外交団の一員であるショーンから教えを乞うている最中である。
とはいえ、勉強中である筈の時間に、ガイルに関する私事について訊かれ続ければその意味する所など一目瞭然だ。
「ほんっと、あからさまですねぇ。くくっ。じゃあ、もう一つだけ」
ショーンはそういうと、ぐいっと顔をアーマニに近づけた。
そうして指を1本前に突き出す。
「初恋は実らないっていいいますけど、そんなことはないです」
その言葉に、ハッとする。
「ショーン。それって…わたくしを応援してくれるの?」
大きな瞳を更に大きく見開いて、アーマニはショーンを見上げた。
味方を得たかもしれないという興奮に頬は紅潮し、普段より沢山の光を取り込んだ虹彩が瞳を一層輝かせた。
そんなアーマニに向かってにやりと笑ったショーンは
「だって。大将と奥様は初恋を叶えた幼馴染カップルでしたからね! ずっと一緒に育って、ずっと一緒だって約束して、それを神の前で誓ったんです。そんで今でも大将にとっての唯一は奥様なんすよ。すっげぇですよねぇ!」
いや~、憧れちゃうなーと両掌を上へと向けて肩を竦めたショーンは、ぽかんと口を広げたまま動かなくなったアーマニを残してそのまま立ち去っていった。
どれくらいその場で顔を俯かせ立ち尽くしていたのだろうか。
アーマニの恋を応援してくれるものなど誰もいないのだと思うとそれだけでとても悲しく涙が溢れそうだった。
ぽろり。
思っただけではなかった。視界の先で、ぽろぽろと涙が粒になって床へと吸い込まれていく。
いつの間に自分は下を向いて立っていたのだろう。
ぽろぽろぽろぽろ。
まるい水滴が、次から次へと生まれ出ては床に落ちていく。
いつしかそれは、ちいさな水たまりを作っていた。
(そうか。もっと膨らんだスカートだったら、そこに吸われていったのに)
動きにくいからと最近はずっと膨らみを押さえたどちらかというと動きの邪魔をしにくい軽いスカートのものを知らず選んでいた。
狼藉者に追い掛け回され逃げ惑ったあの日から。
ガイル様と出会ったあの日。
アーマニは、自分に恥じない、誇れる自分になると決めたのだ。
隠しポケットからちいさなハンカチを取り出すと、アーマニは自分の目元を押さえて涙を吸い取る。擦ってしまったら赤くなってしまって侍女達を心配させてしまうだろう。
そうしておいてから、ゆっくりとしゃがんで、床の水滴もそれで吸い取った。
ちいさなハンカチはアーマニの涙を吸い取った時点でとっくにぐしょぐしょで、床を拭いてもちっとも綺麗にならなかった。
涙で出来た水たまりは大理石の床の上で、悪戯にその形を変えるだけだ。
それを見ているだけで、アーマニはまた泣けてきた。
うわーん、とついには声を上げて泣き出す。
がちゃっ。
「うぉっ?! 誰の泣き声かと思えば。アーマニ殿下? どうしました」
アーマニの後で扉が開き、そこから焦った顔をしたガイルが慌てて目線を合わせるようにアーマニの前にしゃがんだ。
「どうしました? お腹が痛いとか? どこか怪我でも?」
おろおろとアーマニを気遣ってくれる武骨な手に、アーマニの涙は更に溢れた。
「がいるさま。ゆ、ゆかが。床が」
「床? 床で滑りましたかな?」
そうしてようやくそこで、アーマニの足元が水で濡れていることに気が付いた。
「あぁ、誰かが水を零した所で足を取られたのですね。足を捻りましたかな。失礼します」
ぐいっ。
「きゃあ」
アーマニの視線が急に高くなる。
そうして振り向けば間近には、ガイルの顔があった。
「救護室に向かいます。少々我慢して下さい」
「え? え?」
足早にガイルはそこから歩き出し、すっかり通い慣れた救護室へと足を向けた。
その後ろからショーンが走り寄って何か叫んでいた。
「大将!? なんで全部台無しにするんです? 酷いじゃないですか!」
「何を言っている? 怪我をされて泣いている女性を放置する方がずっと酷いことだろう」
「あーー、もうっ!! くそ大将。無自覚女たらしっ! いや、人たらし!!」
なにやら突然現れて上司を罵る部下に呆れたガイルは「あとでたっぷり聞いてやる」とだけ返すと、怒り狂うショーンを無視する事にする。
腕の中に抱え込んだアーマニに負担を掛けないように気を付けながら廊下を足早に進んだ。
「捻挫という程のことも無いですね。滑って転んで、足を捻ったことに吃驚された、という辺りじゃないんですかね」
アーマニ殿下もまだまだ子供ですね、と宮廷医師から笑われてアーマニは恥ずかしさに顔が熱くなった。
恥ずかしさから俯いて動けなくなっているアーマニに「失礼しました。私が焦り過ぎてしまったんですね」とガイルが慰めた。そこへ、
「ガイル殿、貴方はまだ重傷なんですからね? なんで人を抱えて走ってくるんですか。馬鹿ですか」
がみがみと怒られるガイルを見て、ようやくアーマニは自分がまたしてもガイルへ負担を掛けてしまった事に思い至った。
「ご、ごめんなさいガイル様。わたくしったら、また」
焦り謝罪するアーマニに向かって、ガイルは目を眇めて頷いてみせる。
そうして心行くまで説教を続けた医師に「気を付けます」と頭を下げてからアーマニに
「アーマニ殿下が怪我をされたのではなくて安心しましたが、恥ずかしい思いをさせてしまったようですね。申し訳ない」
そう労わるように声を掛けて、ガイルは自分の部屋へと戻っていった。
ガイルが部屋に戻ると、そこには憮然とした表情のショーンが待っていた。
ぶすくれた顔をした部下のその表情に、ガイルは「はて?」と思案する。
廊下を一人戻ってくる間もずっと考えていたのだが、ショーンにあれほど罵られる筋合いがどこにあるのか、今もってまったく判らなかったのだ。
「どうした。腹でも減っているのか?」
腹が減ると不機嫌になる。そんな当たり前のこと位しか、ガイルには目の前の部下が不機嫌になる理由を思いつけなかった。
勿論、それが当たっているなどと思ってはいなかったが。
「旨い物は好きです! 出されりゃ幾らだって食べますけど! 俺が怒ってる理由はそんなんじゃないですからね?!」
食べるのか、と思わなくもなかったが、部屋付き侍従に声を掛けて軽食を持ってきて貰うことにする。と、横から
「軽食というより、がっつりとした肉と塩っ辛いつまみと、強い酒を下さい。もうすんごい量で!!」
支払いは大将がしますんで! と付け加えた部下に呆れてちいさく息を吐いた。
支払いも何も、ここでの滞在においてきっと何も請求などされはしない。
それなのに遠慮容赦のない注文を出す部下を、少し〆た方がいいかとガイルは考えていた。
「だーかーらぁ! 大将は、これ以上アーマニ殿下にぃ、あんまり優しくしちゃ駄目なんすよー?」
何かを言いたそうな目で睨む癖になかなかそれを話し出そうとしなかったショーンだったが、浴びるように酒を飲んだ後、いきなりそう話し出した。
しかも説教っぽい。そして内容はガイルからしたら下世話のひと言で済むものだった。
「馬鹿をいうんじゃない。アーマニ殿下はこの国の王位継承権第二位の王女だ。優しくするも何も、敬うのが当然だろう?」
ぐいっ、とガイルは怪我をしているにも関わらず、出された盃を飲み干した。
「そこが間違ってるんれす! いいでふか? 敬うーのとぉ、優しくするーのはぁ、違うんれふよぅ。ごっちゃにしちゃ駄目なんれすっ」
ガイルにはそれを混同しているつもりはないし、そもそもお前の心配は下衆の勘繰りだろうとガイルとしては言いたかったが、今のショーンにそれを納得させるのは至難の業だろう。
それでも。なんにせよ傍から見てこのような誤解を受ける状況は宜しくない。
自分はともかくアーマニ殿下の未来という可能性を潰してしまう瑕疵に自分がなり果てるのはごめんだとガイルは思った。
ガイルがすっかりベッドから出れるようになったという報告を受けたアルフォンス王は、その夜の晩餐を共にしたいと申し入れてきた。
「どんな褒美を貰えるんでしょうね」と軽口をきくショーンを窘めながら、ガイルはそろそろ本格的に国交について願い出ねばと考えていた。
「骨折や火傷に伴う腫れも随分引いてきた。そろそろ帰国も含めて段取りをつけねばいかんな」
寝たきりで硬くなった身体を解すように動かすガイルを呆れた様子で目を眇めてみる文官たちの視線をものともせずガイルが同意を求める。
「そうですね。トリントン王国へは連絡を入れておりますが、遠いですからね。指示を仰いでもそれが届くころには機を逸した後なほどに」
違いないとガイルは笑ってそれに答えた。
すでに予定よりずっと長い滞在になってしまっている。
それでも、予定になかった事件に巻き込まれたことでフォルト王国とは親交を深める事は出来たと思う。
アルフォンス王の覚えもめでたく、国交については何の心配もしていなかった。
それでも。出来る限り多くの利益をトリントン王国に齎せるような条約を結べるように。
それこそが外交官たるガイルの本当の勤めなのだから。
「失礼した。恩人をお待たせしてしまった」
そういって晩餐室へと入ってきたアルフォンス王の後には文官と思われる側近が何人もついて歩いていて、その手には何枚もの書類が握られている。
どうやら何かあったようだとガイルは目端に映るそれから読み取る。が、それを表情に表すことはせず、
「いえ。まだ動きが遅いので早めにこちらに伺うことにしたのですが、どうやら思った以上に身体の状態は良いようで心づもりより早くこちらに着いてしまったのです」と言って、王宮での処置が適切で治療の成果が出ていると礼を述べる。
医療技術が高い事、きちんとした処置を受けられて満足しているという事を伝えられて不快に思うことはない。アルフォンス王はガイルの言葉に満足して、中央の席へと着いた。
配られた赤ワインは注がれただけで芳醇な香りを立ち昇らせている。
その香りをゆっくりと確かめると、王は手に持ったグラスを掲げて「善き出会いに」と乾杯の声を掛けた。
宴の開始だ。
テーブルの上には所狭しと馳走が並べられていく。
冷たい物は冷たく。温かいものはより温かく。氷の器や焼いた石でできた器など、それぞれ意匠を凝らして盛りつけられた異国の料理はどれもガイルの口にあった。
もりもりと口へと運んでいく姿に、アルフォンス王だけでなくその隣にちんまりと座っていたアーマニも視線を外せなくなっていた。
「ははは。ガイル殿は健啖家であられるようだ。我が国の料理が口に合ったようでなによりだ」
その言葉に、にやりと笑ってみせたガイルは、
「これでも一国の外交官ですので、例え口に合わなくとも出された料理はすべて食べきる気概を持って食事の席にはついておりますが、フォルト王国にはその悲壮な覚悟なしで食卓に向かえる素晴らしい国ですな。どの料理も本当に美味しい」
下げて上げる。話術の基本である。
基本とされるだけあって、綺麗に決まるとその効果は絶大だった。
「ガイル殿は本当に口が上手いな。なにしろアーマニはガイル殿に言われた言葉を誰よりも信じているようだ」
突然話を振られたアーマニが、吃驚した様子で父王を見上げた。
「あの? お父様、それはどういう意味でしょうか」
言葉とは裏腹に、父王の言葉に身におぼえがあり過ぎるアーマニは、自然とその顔を朱に染めた。
姉姫が抱えていたものを自分が背負うのだと気概を込めて宣言したあの日から、周りがどんなに心配しても一切それを受け入れず、ただ帝王学に勉め張りつめていた王女から、その頑なさが失せ、それでも真面目に真摯に授業を受けるようになったと報告を受けた父王は安堵しつつも、どうして変わったのか変われたのかが不思議でならなかったのだ。しかし、侍女や教師たちからあっさりとその理由を聞かされることになった。
『ガイル様に言われたそうです。”自分に恥じない自分でいること。それだけを素直に考えなさい”、と』
自分が感銘を受けた相手について幾らでも喋りたくなる年頃でもあるアーマニは滔々と、自分を危機から救い、心の在り方に悩んだ時に救ってくれた救い主の言葉を誰かれ構わず伝えたくなったのだろう。皆が微笑ましそうに教えてくれた。
「子供は失敗していいとアーマニに伝えたそうだな。しかし、その割に同じく未成年であるリニア王太子殿下に対しては辛辣だったようだが?」
目を眇めてアルフォンスはガイルに向かって問い掛けた。
言外に込められた、『それはダブルスタンダードではないのか』というアルフォンスからの問い掛けに、ガイルはこれもまたあっさりと答えた。
「リニア殿下におかれましては、その自らの行いについては一切の反省はしていないでしょう? 失態だとすら考えていない筈です」
そうして、ごくりとグラスに残ったワインを飲み干すと続けていった。
「彼が『失敗した』と感じているとしてもそれは刃を避けきれなかったことに対して、もしくは令嬢が不満に思ったことに対してです。令嬢に対して不誠実な行いをしでかしたことについて彼は失敗だなんて思っていない筈です。令嬢を騙しその愛情を詐取できたこと。それ自体は成功体験とさえ思っているでしょう」
そう吐き出すように言うと一旦言葉を切る。
注いで貰ったばかりのワインを再び一気に飲み干して、
「積木を積み上げようとして崩してしまうのが子供の失敗です。他人が積み上げた積木を蹴飛ばして廻ることはそれと全く違う別次元の罪です。その罪に気が付くことが出来なかったことを幼さ故の過ちとしたとしても、それが許されるのは1回限りだ。何度繰り返しても理解できないなど。本当に胸糞悪いったら」
そう愚痴る。
その言葉に、アルフォンス王は目を瞬いた。ガイルの答えに胸がすく思いがする。
「なるほど」
そうして自分もワインを口にしながら、目の前でワインのお替りを要求している武骨な男を見つめていた。
その後の食事は和やかに進んだ。
その場にいるものは大いに食べ、飲み、作り物ではない本当の笑顔になって会話を交わした。
「ガイル殿には、この度の件について褒賞を考えている」
食事が終ろうとしている時、王がさりげなく口にした。
それを受けて、ガイルはすかさず願い出る。
「では、トリントン王国と末永い国交を。是非」
その言葉に、少しだけ面白そうな顔をした王は、先手を打とうと言葉を掛けた。
「言っておくが、我がフォルトからはオリハ・リコンは産出せぬぞ?」
くくく、と笑った王に向かって、ガイルはさらりと答えた。
「存じております。オリハ・リコンではなくミスリル銀でございますね」
誰も知らない筈のそれを言い当てられて、今度こそアルフォンス王が取り乱した。
「何故。どこでそれを?」
ゆったりと微笑んだガイルが答えを告げた。
「あの外套には、金属が織り込まれていました。驚くほど軽くてしなやかで織物にできるほどの加工が可能なのに剣が通らない。素晴らしい性能に感嘆致しました」
どこで見たかは勿論ガイルは口にしない。
それでも、どの外套かはすぐに伝わった。
刺客の短剣からアーマニを救ったあの時、あの刺客は2本の短剣を扱っていた。
一本はガイルの剣で避けられた。だがもう一本、アーマニの背中に向けてそれが突き立とうとされるのを、守り切れなかった口惜しさの中でガイルは見ていた。
しかし、それは布にしか見えない外套に阻まれ、滑るようにガイルの太腿へと突き刺さったのだった。
オリハ・リコンはその強度故、加工はほとんどできない。
ただオリハ・リコン同士を使って鍛造するのみである。
それに対してミスリル銀ならどこまでも細くしなやかな糸にすることもできると言われている。
それを密に織ってしなやかな布地とできるほどまで仕上げたのはフォルト王国の技術だろう。
「さすがだ、ガイル殿。目端の利き方が半端ないな」
「お褒めに預かり光栄です」
にやりと笑ってガイルは王の言葉を受け取った。
「しかし、残念ながら輸出できるほどの産出量はないのだ」
あの女性用の外套1枚分のミスリル銀を手にするのに10年掛かる。
それが輸出できるようになればフォルト王国は世界を取れるだろう。
「今は叶わなくとも、いつかの可能性は秘めている、かと」
その言葉に、今度こそアルフォンス王は頷いてみせた。
「国交については前向きに検討しよう。明日、閣議に乗せ条約についてたたき台となるものを制作するよう手配しよう」
「有り難き幸せ」と席を立ち、片膝をついて礼を述べるガイル達に向かって王はすぐにそれを制して席に戻るよう指示を与えた。
「国交云々もいいが、それはトリントン王国外交官としてのガイル・リーディアル殿に対するものでしかない。私はガイル殿個人に報いたい。いや、違うな。頼みがあるのだ」
褒賞の話がいつの間に頼みごとになったのか。
ガイルだけでなくその場にいた王以外のすべての者が、王の言葉に頭を捻る。
「ガイル殿の近しいご親族にご令嬢はおられまいか。血が近く、ガイル殿の傍で成長することになるなら最高だ。更に歳が若ければ若いだけいい」
その言葉に、再び王以外のすべての者が頭を捻る。中にはあられもない想像をして顔を顰めたものまでいたが、王は構わず続けてこう言った。
「先月、我が待望の第一王子がこの世に生を受けた。その子を支えてくれる未来の王妃として、ガイル殿の血縁に相応しい年齢のご令嬢はいないだろうか」
その言葉に、さすがのガイルもすぐに反応することはできなかった。
ただ、アルフォンス王の言葉に耳を澄ませる。
「旅の途中で死にかけた女性の願いを、命を賭けて叶えてみせるその武勇、その度量。得た情報を最大限に活かした戦略と指示を出す判断力。献上品だとここまで運び入れる機転と繊細なその配慮。どれもが好ましく、この国へその血を受け入れたいと思う。優れた資質だ」
べた褒めである。そうして、答えに悩んでいたガイルの横から声が上がった。
「ガイル・リーディアル侯爵は昨年の冬、孫が増えたとはしゃいでおりました。世界で一番可愛い女の子だそうです」
同席していた文官ラルフ・ノールトからさらりと爺馬鹿を暴露されてガイルは慌てた。
「こ、こら。勝手に何を伝えている」
慌てて叱るも後の祭りである。すでに王への答えは成ってしまっていた。
「そうか。一つ上とはまさに重畳。きっと我が王子を正しき道へと導いてくれる女性となるに違いない」
嬉しそうな王に対して、すかさず異論が上がる。
誰もがそれに虚を突かれた。その声はアーマニによるものだった。
「お父様、いえ、フォルト王国国王陛下に奏上したき件がございます。その婚約には異議があります」
すくりと立ち上がったアーマニは、その目をらんらんと光らせて、尊敬する父王に向けてこれまで一度もしたことのないような口応えをした。
「ほう。それは何故だ、アーマニ? お前が一番、ガイル殿を買っていると思っていたが」
子供の言葉だと切る事はしなかった。
あの日から、アーマニは王位継承権第二位の存在として立つことを心に決め、熱心にそれに対して努めてきたのだ。
だから、発言を許したのだったが、それがこれほどの混乱を生むことになるとは賢王として名高いアルフォンス王にも想像つかなかった。
「リーディアル家の血をフォルトに迎えるというなら、わたくしこそがその器になりたいと存じます」
リーディアル家にはもう一人孫がいる。現在3歳のその孫はリーディアル家の嫡男だ。王族の婚姻としては10歳程度の歳の差は許容範囲ではある。
が、歳の差よりもなによりも、その孫はリーディアル侯爵家の後継ぎである。フォルト王国へ婿に出す事は難しい。また、フォルト王家の姫を遠いトリントン王国の侯爵家程度が嫁に取るということも受け入れ難いことだろう。
確かに打診程度ではあったが婚約話が立ち消えになったアーマニからすればここで婚約者を決めてしまいたいと思う気持ちも判らなくない。しかし。
そこまで考えて、ガイルはどう断るのがいいか思案した。
「確かに、歳の差はあります。でも、どうしても、わたくしが、リーディアル侯爵のお嫁になりたいのです。どうぞ、わたくしを妻にして下さい、ガイル様」
しかし、続けられたこのアーマニの言葉に、それまで考えていたすべての言葉が吹き飛んだ。
「は?」
呆気に取られたガイルだけではない。
アルフォンス王も、ずっと黙って一緒に食事をしていた姉姫アマーリエも、ガイルの部下である文官ラルフ・ノールトも、給仕に徹していた侍女や侍従たちもすべて。
全員が時が止まったように口と目を大きく開いたまま、まるで時が止まったかのように動けなくなっていた。
「最愛の奥様を亡くされてからずっと後添えの話にはすべてお断りされていることも存じております。愛して下さいとは申しません。ただ愛させて下さい。愛しています、ガイル様」
一気に告げられたその言葉は、外交官として交渉ごとについては百戦錬磨と言われたガイルにしてもすぐに言葉を選ぶことができないほど衝撃的なものだった。
そうして、一番最初に動けるようになったのは、歳の近い姉姫アマーリエだった。
「アーマニ。話があります。今すぐ部屋に戻りましょう」
引き摺られるように姉姫から連れ出されるアーマニを、その場にいる誰もが黙って見送ると、
「…そうか。ガイル殿にはアルベールより一つ年上の孫娘殿が居られるのだな。是非、我が王太子の婚約者として迎え入れる事を許してくれないだろうか」
「……ありがたき、しあわせ。光栄にございます」
30以上も年下の姫君を嫁として押し付けられるよりよほどましだと思ったのか、あれだけ躊躇していた筈のガイルは素直にアルフォンス王の要請に応える。
そうして何事もなかったように婚約の取り決めが交されていったのだった。




