1。
いつも読みに来て下さってありがとうございますです。
「初めまして。ジャオユ国第一王子リニア・ジャオユです。先日立太子したばかりで自分が王太子だということがまだ馴染んでないんです。でも、いつかくるその日の為に、日々研鑽に勤めている、つもりです」
生まれてすぐに船に乗る、それがジャオユに生まれた男だというが王太子でもそれは変わりがないらしい。
どんなに激しい波で揺れる甲板の上であろうとも自由に歩き回れる筋力と体幹を備えた身体の動きは平地では更にしなやかで、元は赤毛だったと笑うその髪は日に焼けて色が抜け少女の目には金に近い色に見えていた。
そんな女性にとって好ましい見た目より何よりも、日に焼けた浅黒い肌をした背の高い少年がはにかんだ様子で語る表情とその言葉は、なにより少女には好感が持てた。
「はじめまして。フォルト王国第二王女アーマニ・イル・フォルトです。この度はジャオユ国王太子殿下に遠路足をお運び戴いて光栄です。お会いできて嬉しいです」
優しい王子様と相対した少女は緊張した面持ちで、この日の為に練習をしてきた口上を正式な礼を以って頭を下げながら述べた。
つるりとしたハート形の小さな顔を恥ずかしそうに朱く染め、緊張した心を必死で押し隠して王女らしい穏やかな笑顔を形作る。
このフォルト王国での淑女の礼は、後に引いた爪先の方向とスカートを摘まんだ残りの指先の角度をきちんと揃えるのがとても難しい。
アーマニも、何度やっても上手くいかなくてついには転んでしまい『スカートの裾に隠れて見えないんだからいいじゃないの』と癇癪をおこしたほどだ。しかし『見えないところまで綺麗に揃えてこそ、その所作に本当の美しさが宿るのです』と教育係でもある乳母から諭されてぐうの音も出なかった。
そうして今日というは、その日頃の成果をお披露目する、本番中の本番だった。
国内で開かれる式典で国内の貴族たちに披露するのではない。この場にいる人数が少なかろうとも関係はなかった。
今日は、国外から迎えた賓客、アーマニの未来の夫になるかもしれない隣国ジャオユ国王太子リニア・ジャオユ殿下との顔合わせなのだ。
アーマニはとても緊張していたしきちんとできるか不安もあったけれど、なんとか及第点はとれたようだった。ちらりと視線を送った先で、アーマニの父の顔が自慢げに綻んでいた。
アーマニの自慢の父。偉大なるフォルト王国第13代目国王アルフォンス・デル・フォルト陛下。フォルト王国という国の民の顔に笑顔が多いことが自慢だと嬉しそうに笑うこの王は、国民からは広く慕われており賢王として名高い。アーマニの金色の髪も碧の瞳も母である王妃譲りであるが、国王は意思の強さを表すように青み掛かった黒髪で、その瞳も聡明さを表わすように深い輝きを秘めた黒だった。その瞳が今、嬉しそうでありながら少しだけ寂しそうに潤んでもいる。
側近たちにだけは、王妃そっくりの第二王女が他国へと嫁入りするということが現実味を帯びてきて、その何物にも揺るがぬとされていた瞳を揺らしていることが判った。
しかし、それ以上面に出すことはなく、アルフォンス王はそっと初々しく意識し合うふたりに声を掛けた。
「これから長く共に暮らす相手だ。少し二人で一緒に庭を散策してくるといい」
そういって、秋咲きの薔薇が咲く庭へとふたりを送り出した。
今日の日の為に作って貰った秋の薔薇の色をイメージした柔らかなローズピンクのドレスはその裾や袖口にオフホワイトのチュールレースがあしらわれ、ほっそりとしたアーマニが歩みを進める度にふわふわ揺れる。
そのドレスを着た姿は、アーマニという金色の薔薇を包んだ花束のようで、この薔薇の花の咲く庭の中に立つと薔薇の妖精がそこにいるようだ。
1、2歩離れてその姿を後から追っていく背の高い貴公子は、その妖精が薔薇の中で嬉しそうに歩く姿を見つめている。
──そんな風に、遠目で二人の様子を窺っていた大人の目にはとても好感の持てる様子に目に映っていた。
春の、視界がすべて薔薇の花で埋まるような咲き方ではないが、ひとつひとつの花がよく判る秋咲きの薔薇もアーマニは好きだった。
特に、この先にある薔薇の蔓が絡まるガゼボは、花だけでなく美しい葉の緑とピンクの薔薇の色が相俟ってより美しく感じられる。だから、そこへこの美しい未来の婚約者と一緒にそこへ座ってゆっくりとその美しさを話すことが出来たらと、緊張の中に小さな興奮を胸にして弾むような足取りで庭園の中を進んでいく。
不意にぐいっと後ろに引かれる感触があって、その痛みにアーマニは振り向いた。
薔薇の蔓に引っかかってしまったのかと振り返ると、そこには今朝、侍女の手によって綺麗にハーフアップして貰ったアーマニ自慢の金色の髪が、日に焼けた長い指に掴まれていた。
「ふん。この豪奢な髪は悪くないな。顔もまあ合格にしてやろう。しかし、俺の前を歩くな。女たるもの、後ろからついてくるのが当たり前だろう? 王女だからといって許されると思うな」
その指は、先ほどまで初々しい態度をとり王子様然としていた筈の、アーマニの婚約者候補リニアのものだった。
アーマニを馬鹿にしたように見つめている濃い琥珀色の瞳は冷酷な色をしていた。
優しげに見えた表情はすっかり消え失せ、いまはひどく醜いものへと変わっている。
そうして呆然とするアーマニを追い抜くと、勝手に奥まで進んでいく。
背の高い婚約者候補の足は、13になったばかりのアーマニよりずっと長くて、その一歩が広い。普段履いているものよりずっと華奢な靴に爪先を虐められながらも、アーマニは懸命に小走りで先を行く姿を追いかけた。
そんなアーマニの顔を一切見ることなく、婚約者候補は講釈を垂れるように次々と『ジャオユ国の未来の王妃としてあるべき姿』を述べていく。
曰く、誰より賢く美しくあれ。黙って俺に従うのがイイ女。
曰く、男の甲斐性は何人の女にモテるかだ。浮気は本気ではない。文句は言うな。
曰く、子供は男が2人。女は何人いてもいなくてもいいが男2人は最低でも産め。
馬鹿か阿呆かと罵声を浴びせ掛ける事すら馬鹿馬鹿しいと思わされるジャオユ国王太子の言葉だったが、なによりムカついたのはアーマニの大好きな秋咲きの薔薇に向かって「しょぼいな」と馬鹿にしたように吐き捨てた事だった。
確かに、春の薔薇の様に大輪でもないし数も少ない。
それでも、丁寧に手入れをしたからこそ咲く秋の薔薇をアーマニは愛しく貴いと思う。
それを「薔薇などに金と手間を掛ける意味が判らない」などというリニアの頭の中身の方が残念で、もっと意味が判らない、そうアーマニは叫んでやりたかったが、丁度、庭園を一周して戻ったところだったので、父王や付き添いのジャオス国外交官の前で叫ぶことを躊躇してしまったのだ。
この時我慢してしまった事を、後になってアーマニはどれほど後悔したことだろう。
何故なら、父王たちのところに戻ってきたのだと気が付いた途端、それまで傲岸な態度で傍若無人な事をアーマニに向かって突きつけ続けていたリニアが、すっとアーマニの手を掴んで自分の腕に巻き付けたのだ。
いきなりそんな風に触られたことに抗議しようと弾かれたように顔を上げたアーマニが見たものは、蕩けそうに甘い視線をアーマニに向かって注ぐ綺麗な王子様の顔だった。
その落差についていけず、混乱したアーマニはエスコートされるまま父王の待つサロンに戻る。
「どうでしたかな、我が国の庭園は。秋の薔薇もなかなか趣がってよいものでしょう」
王太子の付き添いとしてフォルト王国へとやってきた外交官と共に紅茶を飲んでいた父王は、二人が寄り添うように歩いてきた様を見つけると、一瞬だけ身体をこわばらせたものの意識して息を抜くとひときわ鷹揚な様子で声を掛けた。
その言葉を受けたリニアは、
「素晴らしい庭園でした。でも、どんな綺麗な薔薇の花も、私の腕の中で咲く花の愛らしさには敵いません」
「?!」
頬を薄っすら赤く染めて初々しい様子でそう答えた。
乙女が夢に見る様な理想の王子様然としたリニアの言葉と表情に、アーマニは信じられないものを見たと目を見開いて愕然としてしまったのだった。先ほどの酷い扱いについて抗議しようと開いた薔薇の花弁の様な朱い唇からは言葉が出ず、ただ悪戯に、はくはくと動くばかりになり、終にそのタイミングを失ってしまった。
下がってしまった視界に映ったドレスが、アーマニの動揺そのままに不安に揺れる。
あれほど袖を通すことが楽しみだったこの美しいドレスすらもう見たくないと思うほど、アーマニは自身の心が沈んでいく中ただその場で立ち尽くした。
そこから先、アーマニはどう王太子を見送ったのかもよく覚えていなかった。
婚約者候補の男のあまりの身の替わりの早さについていけず茫然と流されるままで、気が付いた時には自室で乳母であるサリーに髪を丁寧に梳られている所だった。
「…サリー?」
気の抜けた声に、乳母であり教育係でもあるサリーナ・ブロスは諫めるような声で返事をした。
「ひめさま、ようやく浮足立っていたお心が戻られたようですね? ひめさまの婚約者候補の方は見目麗しいだけでなく気持ちの良い好感の持てる素晴らしい方だったとお聞きしております。しかし、一国の王女たる御方が、そのように今日初めてお会いした殿方に心奪われて上の空になってしまうなど端なさ過ぎるのではありませんか?」
教育係のその言葉に、思わず激高したように早口でアーマニは反論した。
「ち、違うわよ。何言ってるのよ、サリー! あの方は…あの王太子もどきはね、最低で最悪で醜悪な男だったのよ?」
焦って振り返り、完全否定するアーマニに、サリーナは訳知り顔で頷いた。
「うふふ。ひめさまもお年頃ですね。でも、駄目ですよ? 殿方というものは、それが乙女の照れからくるものであっても否定された時は額面通りどころか場合によってはそれ以上に受け取るものです。プライドもありますからね。いくら恥ずかしかったとしても、悪口をいうのを聴かれてしまったら二度と許してくれなくなり事だってあるんですから不用意に口にしてはいけませんよ」
大切に思う相手ならなおさらです、と言われてサリーナは余りの事に憤死するところだった。
「冗談じゃないわ。冗談じゃないのよ、洒落にならない嫌な奴だったんだから! あのクソ王太子と結婚なんて冗談じゃないわよ。あんな奴と結婚するくらいなら一生独身でいるわ。いいえ、修道院に駆け込んでやるんだからっ。私は本気なんですからね! 絶対に、いや!!」
アーマニはそう一気に言い切ると、荒く息をする。
その様に呆気に取られたサリーナは、「ふむ」と心と頭を落ち着けて、親愛なるひめさまと向き合い直して最初から話を確認し直することにした。
「…それは、本当の事ですか?」
これから寝ようという時に紅茶は神経を高ぶらせるからと大好きなミルクをたっぷりと入れて作ったココアを前に出されても「紅茶なんか飲まなくたって、たとえ温めたミルクだろうと氷の様に冷えた水だろうと今のわたくしを落ち着かせることなんかできないわよ」と昼間初めて会った婚約者候補へ怒り出したアーマニは、向かい合わせで座っているサーリナが自分と同じだけあの嫌な男との婚約を「ありえない」と言い捨ててくれないことに頭が沸騰しそうなほど怒りを募らせていた。
「なんでわたくしがそんな嘘を吐かねばならないの? その必要性があると思うなら提示してみせるといいわ」
吐き捨てるがごとくその言葉を口にしたアーマニの表情に嘘はない。その様子は、先ほどサリーナが考えた少女らしい照れとはまったく違っているように見えた。
「可笑しいですね。ジャオユ国の王太子については良い評判しか流れてこないのですが」
アーマニだって二人きりにされる前まではそう思っていた。聞こえてくる噂もそうだったし、実際に挨拶を交わしたその時まではアーマニだってそう感じていたのだから。
しかし。いや、だからこそ。
あの時の事は自分の見る目の無さに愕然としたし、騙されたと怒りもした。
王子様という言葉に憧れを持つほど幼くない、そう思っていた筈だったのにまだ自分は甘かったのだとアーマニは思い知らされた気がした。
父王そっくりで女王たるべく育てられた第一王女の姉姫と呑気に育てられた第二王女たる自分、そして生まれたばかりで父王と姉姫にそっくりの弟王子。王妃たる母君は美しく聡明で、国王たる父君は誰よりも強く賢く、そしてなにより『国中の乙女が憧れたものです』と言われたほど凛々しく美丈夫という言葉が誰よりも似合う。
そんな一家に生まれたアーマニの普通が普通ではないことまでは判らなかったのだ。
「とにかく、リニア王太子との婚姻なんかお断りよ! 絶対に嫌。死んでも嫌。…フォルト王国の為に、どうしても必要と言われれば受け入れなければいけないことは判っているわ。でも、父王様が昨夜言ったように『無理に受け入れる必要はない』のならば、わたくしは違う方の手を取りたい」
最後の言葉を告げた時のアーマニの表情は、先ほどまで激高していたそれとは違い冷静で、自分の置かれた状況とフォルト王国の王女としての自分の立場も含めてきちんと把握した上での発言にサリーナには思えた。
「わかりました。国王陛下へは報告を上げておきましょう」
サリーナがそう答えると、アーマニはようやくその愛らしい顔から緊張を解いただのだった。
「可愛いアーマニ。あのくらいの歳の男にはな、自分に気を惹きたいと思った愛らしい女性に対して変な見栄を張ってしまう習性があるものなのだよ」
全幅の信頼を寄せる父王の言葉に、アーマニの表情は硬く沈んだものになった。
「天使のごとき愛らしいアーマニを前に、少し格好つけたくなったのではないかな。年上として偉ぶってみたかったのかもしれない。断ることはいつでもできる。だから早まって判断をするのではなく、もう少しだけ優しい目で見て差しあげてはどうだろう」
続けられた言葉もすべてアーマニが期待したものとはかけ離れていたが、父王の申し付けは絶対だ。アーマニには「はい」と言葉少なく頷くしかなかった。
その夜、家族で取った晩餐の後のお茶を共にしている時だった。
いつもは口数少なく淡々と与えられた執務と女王教育を受けている姉姫アマーリエが口を開いた。
「お父様とお母様に、聞いていただきたいお話があるのです」
その内容は、話し掛けられた両親だけでなくアーマニにとっても意外で、それでいて納得できるものだった。
「これまで、わたくしは二人しかいないこの国の王女として、一の姫として女王たるべく研鑽を重ねて参りました。それは義務であり当然の責務としてわたくしの前にありました。でも、もういいのではないかと思うようになったのです。わたくしは、わたくしが女王に相応しい器にはないと知っています。他の誰がそれを否定しても、わたくし以上にそれを知る者はおらず、またわたくしがそう自覚している以上、それを否定されても事実を知らない人間が勝手なことを言っているだけだと思うだけです」
そこまで思いつめた様子で一気に言うと、次に言う言葉を口にすることを恐れるように一度だけ目を閉じた。そうして、再び開き父王をまっすぐ見つめる瞳には一切の迷いがなく、正しいことを選んだ者だけが持つ、真摯な輝きが宿っていた。
「わたくしは、女王候補としてのその地位から降りたいと思います。わたくしの心にはお慕いしている方がいます。他国の、王太子の方です」
その言葉に、誰もが息を呑んだ。
今日、昼間にアーマニの婚約者候補としてこのフォルト王国の王城を訪問していたその人も隣国ジャオス国の王太子だった。
歳の頃もリニアはアマーリエより2つ上。組み合わせとしてはアマーリエの方が似合いだったが、女王候補だったアマーリエを嫁に迎える事はならないと思ったのだろう。最初からアーマニへの打診だった。しかし。
「それは、誰だ?」
父王が、内心の緊張を隠して手にしたブランデー入りのグラスを軽く口へ運びながら端的に問う。
「ラロス王国王太子ハロルド殿下です。ハロ様が昨年度学園へ留学されていた際に交流を持ち、あの方が国元へお帰りになる前に御心を告げて戴いて…」
そこまでまっすぐした瞳を父であるフォルト王国国王陛下へと向けていたアマーリエだったが、段々と声が小さくなりついに言葉が切れた。
「…一度はこの国の未来の女王として、お断り致しました。けれど。それでも。本当はあの方についていきたかった」
苦しい胸の内を吐露する姉姫の瞳からは、堪え切れなかった涙がほろほろと流れ落ちていた。
「おねえさま!」
ついにアーマニはその膝へと駆け寄った。
誰よりも傍に居ると思っていた姉の、本当は気弱で恋に悩む少女としての心を初めて知って愕然とした気持ちではあったけれど、それでも姉に笑っていて欲しいとその心に寄りそう。
「お姉様のお心に気が付かなくてごめんなさい。駄目な妹で頼りにならなくて。でも、まだこの国にはわたくしもいるわ? 頼りないと思われるかもしれないけれどお姉様がこれまで頑張られていたのと同じだけ、わたくし頑張ってみせます。なによりアルベールはお姉様以上に父様そっくりなんだもの。きっと賢くて強い王になれるわ。だから、だから…」
言い募るアーマニの瞳を、大好きな自慢の姉が呆然とした様子で見返してくる。「お姉さまは、好きになられたその御方と、お幸せになると、いいと思うの」
「あーまに」
ぎゅっと、見た目はまったく似ていないが仲の良い姉妹が抱きしめ合う。
「ありがとう、ありがとうアーマニ。ごめんなさいね」
涙をあふれさせながら妹を抱きしめる姉を、妹も力の限り抱き返す。
「謝る必要なんかないわ。お姉様、大好きよ」
幸せになって欲しいと、お互いに何度も口にしながら泣きながら抱きしめ合う姉妹を前にして、父たる国王は「一番いいところをアーマニに持っていかれたな」と笑って愚痴た。
姉が背負っていた重圧はこれ程のものだったのだと、今更ながら二の姫でしかなかった己が背負っていたものとの違いに、アーマニはため息を吐いた。
これでも、王女として厳しい教育に耐えてきているつもりだった。
しかしそれがあくまで”つもり”なだけだったという事に愕然とする。
毎日受ける授業は、同じ国外情勢についてでも隣接している諸国についでだけでなく海を隔てた世界各国についてまで知る事、知り尽くしていることを要求されるようになった。礼儀は捧げる事のみができるのではなく、捧げられる立場としてのものも完璧にできるようにならねばならない。弟王子が立太子して王となるのが当然ではあるが、それでももしものスペアとしての自分が使い物にならないのでは困るのだから。
そうして、スペアでなくとも弟が王となった時には支えられるようになりたい。
これまでは姉がいてくれた。姉がそれを完璧に熟してくれていた。
その事への感謝は勿論だったけれど、なぜ二の姫だからと弟王子が産まれる前のアーマニはそれに気が付かなかった自分が、誰もそれを要求してこない期待されていなかった甘えた自分が悔しかった。
笑顔が減り硬い思い詰めた表情をしていることが増えた妹姫に、傍に居る乳母は勿論、姉も母も、なにより父王たるアルフォンスも心を痛めた。
弾けるようなその笑顔を、どれだけ見ていないだろう。
しかし、自分で姉に代わって国を支える力になると自分で言ったからにはどんなに甘やかしたいと思っても堪えようとしていたアルフォンスに、アマーリエから取りなしが入った。
「お父様、どうぞアーマニにお慈悲を。少しでいいのです。私の我が儘でいきなり立場が変わってしまって心のバランスが取れないでいる妹に少しだけ自由を与えてあげては戴けないでしょうか」
生まれた時からその責務を負うことを定められていたアマーリエと違い、自由を謳歌していた二の姫の妹が、いきなりその務めを完全に背負うのは無理があると訴える。
その誘惑に抗うために、これまでずっと二の姫を甘やかしてきた自覚のある父王はそっと目を伏せた。
「え? わたくしの教育はまだ何も成果を出せておりませんのに」
アーマニは突然呼び出された父王から、その言葉を告げられた意味を読み取ろうと懸命に考えた。
王領地にある離宮で過ごす一週間。本格的な冬が来て寒くなってしまう前に、紅葉する樹々の美しさと静かな湖を堪能することができる秋の離宮で短い秋を堪能できることは素晴らしいの一言だ。
しかし、立ち位置を新たにしたばかりのアーマニにとって、その父王の言葉は合格点を取れなかったから故ではないかと邪推したくなるものに聞こえた。
思わず花弁のようであった唇を噛みスカートの裾をぎゅっと握りしめた。
王城の誰もが愛したアーマニの可憐な雰囲気は、いま父王たるアルフォンス王の目にはどこにも見つけられなかった。悲壮感が漂う程瞳を不安に揺らし、それでも懸命に背筋を伸ばして立とうとする姿は、誇らしくはあるがついその不安を取り除いて甘やかしてやりたくもなる。
しかし、アーマニは自身の意思でその甘やかされた存在から生まれ変わろうとしている。その意思を周囲が不意にする訳にはいかない。
それでも。
「うむ。アマーリエの縁談を進めようと思うのだ。我が国としてもラロス王国と縁が結べることは利が大きい。なにより王太子であるハロルド殿とならアマーリエは幸せになれるだろう」
フォルト王国として情報を集め終わったのだろう。その上で、父王はアマーリエとの婚姻を認めることにしたようだった。アーマニはその父王の判断に表情を緩めた。
「それはようございました。おめでとうございます」
姉の結婚は、自分のそれよりずっと明るいものになりそうだと見通しがついたことにアーマニは喜んだ。
「ついてはラロス王国より正式な婚約を交わす前に内々に使者がやってくることになった。お前を同席させようかとも思ったが、今、お前にはジャオユとの婚約について打診を受けている状態だ。お前の婚約について天秤に架けていると邪推されても困る。お前は王城にはいない方がいいだろうという判断をした」
そこまで説明されてようやくアーマニは父王の言葉に素直に頷く気持ちになった。
本当は、ジャオユとの婚約など壊れてしまえと思ったけれど、国の代表になるかもしれない存在として、隣国との諍いの種に自らなるなど愚の骨頂であろう。
それに、自分が国政のスペアとして正式に立つことが出来る存在になれば、ジャオユとの婚約は穏やかに無かったものとされるだろう。
今は騒がず、王太子のスペアとしてその責務を負える存在になることを目指すべきだとアーマニは頭を下げて受け入れた。




