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NO 静脈, NO LIFE.〜静脈から始まる恋〜

作者: あいうえお.

……静脈が好きな全ての人に捧ぐ……

人間は2種類に分けられる。

すなわち、採血しやすい者としにくい者だ。


ミユキは献血ルームにて、どちらかと言えば採血しやすそうな青年の腕に駆血帯を巻きつけながら、彼女が常々思っている事を改めて思う。


……若々しくてなかなか良い静脈だ。しかし、私の探し求めるものではない。色がちょっとね。


彼女はここで、1日数十人分の血液を採取する。今年でもう13年目だ。彼女の採血スキルは熟練の域に達し、他の追随を許さない。

「うわァ、今までで一番痛くない採血でした!」と言われることも日常茶飯事だ。


思えば2歳の頃すでに、ミユキの静脈好きは片鱗を覗かせていた。

買い物やお散歩の度に、美容院や床屋の前のくるくる回るポールを凝視してなかなか離れず、母親を困らせていたからだ。「もっと、もっと」とせがむミユキを無理やりベビーカーに乗せながら、母親は(この子は何処かおかしいのかしら?)と悩みさえした。


お子様ランチのチキンライスに刺してあった、フランス国旗のトリコロールにも目が釘付けになった。彼女はそれを家に持ち帰り、後生大事に机の一番上の鍵付きの引き出しにしまったりしたものだ。イタリア国旗の事はスルーした。


赤、白、青。何て素敵な組み合わせ!


中でもミユキは特に青に言い知れぬ魅力を感じていた。


幼稚園児の頃読んだ「からだのずかん」にて静脈というものを初めて見た時、身体に電流が走る感覚があった。


やがて彼女は比較的見る頻度の多い腕の表在静脈に惹かれていった。


高校生の頃、美術の授業にて自分の手のデッサンをするというものがあった。

ミユキは手首の静脈を非常にリアルに表現した。反対にその周囲の指や爪などは適当だった。友人はドン引きし、美術教師に「静脈ばかりに執着せずに、他の部分の細部にも気を配りましょうネ」と言われた程である。


他にも、理科実験室の人体模型を自分の家に飾りたいとフリマアプリで検索したり、習字の宿題で書くように指示された「希望」という文字を勝手に「静脈」にかえて提出し叱られたり(その半紙は額に入れて自室に飾った)、教師たちの静脈を色や長さ、曲がり具合などの項目に分け採点し独自に「静脈通知表」を作成したり(一番の高得点は政治経済の教師の91点だった)、「静脈部」という新たな部活を開設しようとして「活動内容が不透明」という理由で却下されたり、「静脈迷路させて」と友人達に頻繁に声を掛けうざがられたりと精力的に静脈活動に勤しんだ。


彼女の静脈にかける情熱は並々ならぬものがあった。もはや静脈なしでは生きられないレヴェルであった。静脈は彼女にぴったりと寄り添い、逆もまた然りであった。


ミユキの好きな季節は夏。

皆が薄着になり、通勤中の電車でも買い物中のスーパーでも、人々の静脈が見放題だからだ。春から夏にかけての、皆が長袖から半袖へと移行する季節は毎年鳥肌が立つくらいだ。


看護師になったのは、だからミユキにとっては必然の事であった。

彼女は年少サンの時には既に、「わたしのゆめはかんごふさんになってはりをうでにさしまくることです」と周囲に宣言していた。

大好物である静脈に直接触れ、その内部に薬剤を注入したり、流れる血液を採取したりする事に異様な興味を覚えたのだ。


看護学校に進学後、初の採血実習にて隣の席の学生と採血し合いっこをした際は震えた。手ではなく精神が、である。

……ぞくりとした。

シリンジや針を介してだが、確実に自分は今静脈と繋がっている!

ミユキは「もう一回刺していい?」と相手の腕が傷だらけになるまで何回でも相手の腕に針を突き立て、クラスで一番優しいと評されていた隣の席の学生が「腕を蜂の巣にする気か」とついにはキレた程だ。


献血ルームに就職したのも、採血をやってやってやり倒す為である。


実家の近くには大病院があり、「検査センター」という、患者の採血を延々と行う部署もあるにはあった。

しかしミユキは高齢者ばかりでしかも病人の静脈を毎日見るよりは、健康な静脈からひたすら採血する方に何千倍も魅力を感じた。


……私は静脈で結婚相手を決める。


ミユキはそう決めていた。


ミユキの思い描く結婚生活はこうだ。

夜、素晴らしき静脈を抱き締め、撫でさすりながら眠りに落ちる。朝は静脈にオハヨウを言い頬ずりする。

週に一度、いやあわよくば三度はその美しく気高い静脈から採血させて頂く。静脈迷路もやり放題だ。

もちろん、静脈を常にイキイキと保つ為、食事にも気を配る。塩分は控えめに、青魚や大豆製品を取り入れバランスの良い食事を心掛ける。


しかしミユキはまだ理想の静脈に出会っていない。


いや、一度だけ彼女の思う静脈に99.9%一致した静脈と出会った事がある。

その人は約4年前、献血ルームの閉まる数分前にやって来た。スラリとした立ち姿。ミユキは、何故だか胸がドキドキした。その人物からは後光が差して見えた。

震える声で「消毒でかぶれた事は無いですか?」などと言いながら、ミユキの交感神経からはノルアドレナリンが大量に分泌されていた。

その人物のあっぱれでチャーミングな、曲がるべき部分で素直に湾曲し、色も黒過ぎず青過ぎず、浮き出具合も申し分ない、総合点120点の文句の付けようのない静脈を見ながらミユキは、あぁ、この人が男だったら!と心中で地団駄を踏んでいた。


もし彼女が理想の静脈に出会って、しかもその持ち主が男性であれば、迷わずその場で求婚するだろう。

ワンダフルな静脈の持ち主がワンダフルで無い訳はない‼︎

逆に言うと、ワンダフルな静脈はワンダフルな人間に宿る。

年齢も容姿も年収も、はたまた既婚か未婚かも、ワンダフルな静脈の前ではどうでも良かった。

ミユキの第一条件は、とにかく静脈であるのだ。


だからミユキは、彼氏いない歴イコール年齢なのであった。

学生時代に告白された事もあるが、「あなたの静脈は友だちとして以外は考えられない」と断ったのだ。

因みに彼女自身の静脈はというと、何の取り柄もない至って平凡な静脈であった。人はやはり自分に無いものを求めるのだ、と彼女は思っていた。



……その男は、嵐と共にやって来た。


中途半端な勢力の3つの台風がミユキの勤務する県の南方の海上とはるか南西とそのまた南方に渦を巻く日で、その日の献血ルームは朝から人が疎らだった。


ミユキは午前中から何だかそわそわしていた。

白ブタみたいな男の静脈に針を刺し損ねたりもした。滅多に無い事だった。

「僕の血管逃げるでしょ」とその男はニヤニヤ笑って言い、更にミユキを苛立たせた。「お前の血液はドロドロだろう、どうせ使い物にならない」と心中で悪態をついたりもした。


午後、ミユキはロビーの掃除をしていた。

チリトリを使うために屈み込んだ時、入り口の自動ドアが開いた。

雨の中歩いて来たのか、彼の腕は濡れていた。

……水も滴る良い静脈!

そう直感する。


……トゥクン。

胸が鳴る。

イケ静(もちろんイケてる静脈の事である)の人物を、ミユキは静脈を見なくても見抜く事が出来る様になっていた。


彼は何故だかミユキを見つめたまま、しばらく突っ立っていた。

ミユキも屈み込んだまま無言で彼に見入った。


4年前と同じ様に、いや、あの時の3倍くらいは明るく、後光が差して見えた。

後光タイムが終わっても、2人はお互い動けないでいた。


雷鳴が轟き、やっと2人は我に返った。

初めて見る顔だ、少なくとも常連ではない。ミユキは立ち上がって男に挨拶し、採血の時を待った。


受付や問診が済み、遂にその時が来た。

静脈チャンスは2度、まず貧血の有無や血液型をみる少量の採血、次に献血の為の採血だ。


男の静脈は、ミユキの理想とするそれの更に斜め上を行っていた。

何てセクシーで、それでいて大らかで、尚且つ風格のある静脈だろう!!


そのくねりは、雄大なアマゾン川を思わせた。

程よく青く程よく濃いその色彩を眺めていると、宇宙の深淵を覗き込むような感覚があった。


この静脈と添い寝が出来たら!この静脈と生涯添い遂げて、最終的には一緒のお墓に入りたい!!


ミユキは男に声を掛ける機会を伺っていた。

書類によると彼はカワノヒロシ39歳。34歳のミユキとの年齢差もいい感じだ。


最高級の静脈を堪能しながら針を刺し、やがて採血が終わった。

ヒロシという男はミユキが側にいる時、落ち着きなくずっとミユキをチラチラと見ていた。献血は初めてだと言っていたから緊張しているのかもしれない、とミユキは思った。


献血後の休憩中に、ミユキはヒロシにやっと話しかけた。彼はソファに浅く腰掛けボーッとしていた。

「あの、」

ミユキが声を掛けると、彼はびくりと肩を震わせ「わぁっ」と悲鳴を上げた。

ミユキは驚かせた事を詫び、

「よろしければ後でどこかでお話し出来ませんか?」

と一息に言った。

さすがに今ここでプロポーズする事は躊躇われた。彼女にも最低限の節度があるし、いざ理想の静脈を目の当たりにするとドキドキして思うように行動出来なかった。

ヒロシは

「え、良いんですか!」

とよくわからない言葉を発した。

2人はミユキの仕事の終わる18時過ぎに、献血ルームの入るビルの斜向かいの喫茶店で待ち合わせる事にした。


ミユキは定時ぴったりに光の速度で着替えを済ませ、待ち合わせ場所へ急いだ。理想の静脈を長く待たせる事でストレスを与え、静脈の状態を悪くさせてはいけない、そんな一心で階段を駆け下りた。


理想の静脈……もといヒロシは窓際の席でコーヒーを飲んで待っていた。

ミユキは早速彼の向かいに腰掛け、メニュー表も見ずに、仕事中に考えたセリフを言った。

「あなたに一目惚れしました、単刀直入に言いますが、結婚を前提としてお付き合いして下さいませんか」


本音は「あなたの静脈に一目惚れしました、正直言って静脈に付属するその他の部位に関しましてはさして興味が無いのですが、あなたの静脈と共に生活できるように私と結婚し、私だけの為にその静脈を活用して下さい」だったのだが、まさかそう言う訳にもいかなかった。


本音を知られるとおかしな女だと思われて二度と理想静脈に会えなくなるかもしれない。ミユキは、ヒロシが例えば既婚者である場合などに備え、定期的に採血を行うため献血ルームの常連になってもらうよう、あわよくば友人として時々理想静脈を拝ませてもらうよう誘導するため保険をかけたのだ。


ヒロシは当然の事ながら驚いていたが、ミユキの頭の上あたりを見ながら

「はい、是非ともそうさせて下さい」

と夢のような事を言った。

ミユキはこれが現実か調べるため、自らの膝に膝蓋腱(しつがいけん)反射テストを行った。カクンと膝が伸展する。

……夢では無い。


それから2人はそこで共に食事をし、お互いや今後の事を話し合った。

ヒロシはミユキと同じ市に住む美容師であった。2人は生まれも育ちもずっと市内だったが、生活圏が微妙にずれていたのですれ違う事もなかったらしい。


それからはいわゆるトントン拍子に事が運んだ。

翌週にはお互いを両親に紹介し、翌月にはミユキは実家を出てヒロシの部屋で同棲生活を始めた。

さらに2ヶ月後、2人は入籍した。披露宴は開かず、簡単な食事会と写真撮影だけを行い新婚生活が始まった。


夜、ベッドに入ってミユキはヒロシの静脈を優しく撫でて口づけする。最も幸せな瞬間であった。

一方ヒロシはミユキの頭頂部を見つめ、その渦巻きに沿ってゆっくりと指を這わせる。

時々ミユキは職場からちょろまかしてきた注射器でヒロシの腕から採血し、またヒロシは彼の理想とする髪型にミユキをカットする。


2人は交際後、相手に惹かれた本当の理由を打ち明けた。

そして直ぐにお互いを「ジョー君」「ツンちゃん」と呼び合う仲になった。「静脈君」「つむじちゃん」の略である。


勘の良い皆さんならとっくにお気付きだろうが、ヒロシは極度のつむじフェチなのであった。


思えば4歳の頃すでに、彼のつむじ好きは片鱗を覗かせていた。

洗濯の度に二層式洗濯機の渦を凝視してなかなか離れず、母親を困らせていたからだ。「もっと、もっと」とせがむヒロシを無理やり洗濯機から引き剥がし、母親は(この子は何処かおかしいのかしら?)と悩みさえした。


インスタントラーメンに入っているナルトにも目が釘付けになった。彼はそれを後生大事に机の一番上の鍵付きの引き出しにしまったりしたものだ。


ぐるぐる、ぐるぐる。何て素敵なスパイラル!


小学生の頃、図工の授業にて隣の席の児童の顔を描くというものがあった。

ヒロシは隣の子に頼み下を向かせ、あろう事が真正面からではなく頭頂部の表情を活き活きとリアルに描き上げた。モデルの子は泣き出し、担任教諭に「大変良く描けましたね、でももはや誰だかわかりませんね」と言われた程である。


他にも、新聞に載っている天気図や気象衛星画像に好感の持てる渦を見つけてはスクラップしたり、とぐろを巻き鎌首をもたげる蛇から離れられず周囲を慌てさせたり、新体操のリボンを自作しひたすらくるくる回してみたりと、彼の渦探求活動は止まることを知らなかった。

駅の跨線橋から人々のつむじを見下ろしては知らないお爺さんに「何があったか知らないけど、人生捨てたもんじゃないよ」と優しく肩を叩かれた事も一度や二度ではない。


彼のリクエストに応え、初めての家族旅行では鳴門の渦潮を見に行った。


ヒロシは冬が嫌いだ。人々はせっかくのつむじをニット帽に隠しがちとなるからだ。

何故に人々は美しいそれを奥深くに隠匿するのだろうか、彼には理解不能だった。


美容師になったのは、だからヒロシにとっては必然の事であった。

彼は年長サンの時には既に、「ぼくのゆめはとこやさんになってつむじをおもうぞんぶんたんのうすることです」と周囲に宣言していた。


「とこやさん」つまり理容師になるという夢を美容師へと変更したのは、理容師ならば男性ばかりを散髪する事になるからだ。高齢になると、つむじ自体が消失している場合もある。

一方美容師ならば男女のつむじ、特に女性のそれをたくさん観察する事が出来るのだ。


……俺はつむじで結婚相手を決める。


ヒロシはそう決めていた。

理想のつむじに出会えぬまま、いつの間にか彼は39歳になっていた。


3つの台風が渦巻く日、ヒロシのテンションは高ぶった。

その3つの渦は、ヘクトパスカルこそそこまで低くはなかったが、穏やかで友好的な印象を彼に与えた。

その3つに感銘を受け、新しい何かをやらなければ、と唐突に彼は思った。

彼の同僚に献血マニアがいた。献血カードをドヤ顔で見せつけてきたり、景品でお猪口を貰ったなどと自慢してきたりするのをふと思い出し、ヒロシは「そうだ、献血に行こう!」と思い立った。


そして3つの渦に導かれ訪れた献血ルームで、彼は白衣の天使ならぬ、つむじの女神に出会った。


マユミの頭には、左巻きのつむじが3つもあるのだった。

彼らは夫婦間で、完全に世界が完結しているのだ。


変態同士が出会った、それは実に天文学的確率であった。

割れ鍋に綴じ蓋。世界はたまに、よく出来ているのである。

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