恋愛詐欺師
白いワンピースを身にまとい、地上へと続く螺旋階段をゆったりと月が降りていきます。
月はときどき、このように人間の女性の姿で、地上に降りることがあります。しかしながら、不思議なことに、その姿の見え方は人によって違います。なぜなら、その人が最も美しいと思う女性の像になるからです。
ですから、ある人には少女に見えても、他の人には母親のように見えることもあるのです。実際の自分の恋人に見えたり、あるいは、自分そっくりに見えたりすることもあります。
月は、活気に満ちた夜の市場を軽やかに歩いていきます。そのあまりの美しさに、人々はことばを失うのでした。そのような反応をよそに、月は市場の品物を眺めて楽しんでいました。古ぼけてもう使えないくるみ割り人形、拙い恋の詩が書かれた古い絵葉書、昔のお城のシャンデリアの欠片などに、うっとりとしていました。
「あなたの恋には、防腐剤の匂いがする。あなたはお月さまですね。」
一人の男が声をかけました。月はどきりとしました。
「良かったら、紅茶でもいかがですか。」
月は誘われるまま、ついていきました。
男の家は、そう遠くはありませんでした。白枠の大きなガラスの戸を開けて庭に出ると、来客があるとあらかじめ知っていたかのように、既にティーポットと二つのティーカップが、テーブルの上に用意されていました。そして、男は家の側の椅子に座り、その向かい側、男の視線の先には、大きなまるい月が天上にありました。
「私は女性に夢を与えることで生計を立てていましてね。人は私を詐欺師といいますが、まあ、そんなことはどうでもいいことです。」
男はお湯でポットを温めはじめました。
「私は美男子ではありませんが、それも悪くはない。女性は外側の見てくれよりも、心の見てくれに惹かれるものです。多少不格好なほうが安心できるという人もいるくらいです。」
男は改めてポットに茶葉とお湯をいれ、砂時計をひっくり返しました。銀の砂がさらさらと落ちていきます。
「才能や知性を愛する女性もいますが、なにせ百年余り、私は胎児でしたからね。数学、科学、美術に音楽、女性や孤独について学ぶ時間は十分にありましたよ。」
すっかり時計の砂が落ちきると、男は紅茶をつぎ分け、月に向けてカップを差し出しました。
「私はただ、その人が最も理想とする男性の心を演じるだけです。それは私の喜びであって、正直なところ、お金などどうでもよいのです。ただ、本気で恋をしたことはありませんし、今後もすることはないでしょう。人間はだれしも美しい。誰かを選ぶことなど、私にはできません。さあ、お飲みなさいな。」
しばらくして、男は紅茶の最後の一滴を飲み干しましたが、月のほうへと出された紅茶は、ずっとそのままになっていました。
「では、問わず語りもここまでにしますか。」
男はその残された紅茶を庭に撒き、そして、月のほうを振り返ることもなく、家の中に入っていきました。月は、ぽつんと取り残されました。月が紅茶を飲まなかったのは、決してプライドのためではありません。ただただ、困惑するばかりだったからです。
1200字程度の幻想的で耽美な短編小説を書いております。よろしければ、他の作品ものぞいてみてください。