第八話
名医セリオス・コルリッジには忘れがたい幼少時の記憶がある。
彼が生まれたのもまた、シズと同じくレイクハルトの港町カラボラだった。
カラボラが唯一、久那との貿易を許可されていたのは、セリオスの幼少時も同様で、カラボラには、久那より来訪した人々が多数居住していた。
”彼女”は久那の品々を扱う久那の店の娘であった。
本店は久那にあったが、レイクハルトとの交易を行うには本店は不便であったから、家族でカラボラに移ってきたのだ。
彼女は久那の人々と同様に黒髪に黒い瞳の持ち主で、特に髪は癖がなくさらさらで、綺麗な黒髪だった。
慎ましげで、はにかんだ笑みを浮かべる様は子供心にも「可愛い」と思った。
けれども――
彼女は死んだ。自分が殺したも同然である。
幼少時のセリオスは、自分で言うのも何だがどうしようもない悪餓鬼だった。
近所の餓鬼どもを集めては、大人相手にどうしようもない悪戯を仕組んだり、悪事を働いてみたりと、他愛もないことに夢中になっていた。
気になる子へのアプローチの仕方を知らなかった悪餓鬼は、彼女の気を引こうとあまりにも稚拙な方法を取る。
本当に稚拙だったと反省せざるを得ない。
あろうことか、彼女の容姿をからかったのである。要するに、少年が好きになった女の子を苛めるという図式だ。
しかし、ここで思わぬ展開に見舞われる。
セリオスが、悪餓鬼の大将格であった故の悲劇。彼の行動はいじめとして、伝播されてしまう。
最初は面白そうに傍観していた彼だが、いざ止めようとすると歯止めが利かなくなっていた。
耐え切れなくなった彼女は、その後自ら命を絶った。
衝撃的な光景に呆然とするセリオスに、彼女の両親は憤怒の表情を浮かべ、
「法では裁けないが、私たちは君を許さない」
きっぱりと断言した。
その後、セリオスが子供であったこともあり、彼女の自殺に関してはお咎めなしとされた。
彼女の両親も理解していたのだ。
自分たち、久那の人間の地位は大陸人より低く、たとえ、訴えたとしてもまともに相手はされないと・・・。
事実、久那の地位は大陸人より低かった。
一人娘を失った彼らは、セリオス、いや、彼を通して大陸人を恨みつつ、久那に帰国した。
以後、久那の人間が自らこの大陸に商会を構えることはしなくなった。
思えば、あの時、自分は彼らに呪いをかけられたのだ・・・。
セリオスは解る。呪いとはやはり言葉なのだ。言葉によって呪いは、種を植え付けられる。
そう、セリオスは彼らの言葉で呪いをかけられたのだ。
そして、彼の中で植えつけられた種は成長していく。成長した種は、罪悪感という呪いとなって苦しめる。
あの時、何故、最初の段階でとめられなかったのか?
何故、冗談だと言えなかったのか・・・?
結局、自分は彼女に対して、優越感に浸りたかっただけなのか・・・?
かつて悪餓鬼であった少年は、呪いに怯えるただの臆病な青年に成り果てる。
許してくれ・・・
呪いから逃れるために、彼は医者の道を目指すことになる。誰かを助けることで呪いを和らげようとしたのだ。
贖罪、それが、名医セリオス・コルリッジの原点であった。
医者になって多くの患者を治療してきたが、呪いの根を完全に排除することは叶わなかった。
本当に救いたかった人間は既にこの世に無い。
どんなに人を助けようと、彼が満たされることは無かった。常に、患者を求め放浪した。
そんな彼はいつしか、名医と呼ばれるようになっていた。
たとえ名医と呼ばれようとも、罪悪感という名の呪いは彼を苦しめ続ける。
呪縛が永久に続くのかとあきらめかけたとき、セリオスはシズと出会う。
黒髪に黒い瞳、シズは彼女の生まれ変わりと錯覚させられるほど、彼女に生き写しだった。
シズが生き倒れていた理由は単なる軽い栄養失調で、2,3日もすればベッドから起き上がれるようになった。
「せっかく、治療してもらったけれど、お金がありません」
今では見る影もないが、出会った頃のシズは、セリオスにも敬語を使っていた。
「いいさ、お金がほしくてやっているわけじゃないし」
彼はけらけらと笑い飛ばす。実際、自分が助けたかっただけで、単なる自己満足だ。
そんなセリオスをシズは、長い前髪の下に隠れた両目でじいと凝視する。
「厄介なもの、抱えていますね・・・」
凝視されてうろたえる彼に、シズはきっぱりと答えた。
「やっかいなもの?」とセリオスは首をひねる。
真っ先に思いついたのは呪いのことだが、知り合って間もない彼女が知る由もないはず。
「あなたの後ろで、少女が泣いているんですよ」
逸る心を抑えつつ、「少女?」と訪ね返す。
「黒髪に黒い瞳をした10歳前後の女の子」
きっぱりと断言した彼女に、セリオスは目を見開く。
それは、セリオスの幼少時に刻まれた”彼女”の特徴を捉えていた。
「彼女が言うんです。『お願いだから、私にとらわれないで、いい加減開放して』って・・・」
セリオスは絶句した。先に自分を捕らえたのは彼女ではないか・・・。呪縛を植えつけるきっかけを作ったのは・・・。
なのに、「開放して」とは聞き捨てならぬ。
「彼女からすべて聞きました」
でもと彼女は首をかしげる。
「本来、呪いは何の力も持たぬ一般人がかけたとしても、効力はないんですよ・・・」
「はあ?」と彼は懐疑的だ。ならば、この身を蝕む呪縛は何なのだ・・・?
「死者に形はないですよ。逆に言えば、自由に形が変えられる。だからか、私たち生きる者達は自分の都合の良いように、死者の形を作り上げる」
彼女が語る言葉は衝撃的だった。
「あなたの後ろにいる少女は、あなたが自分の都合の良いように作り出した幻影に過ぎません」
「幻影だと・・・?こんなにはっきりしているというのに・・・!?」
セリオスはシズに詰め寄った。「やれやれ」と彼女は肩をすくめた。
「あなたの背後のいる少女を作り上げたのは、あなたが彼女に対して抱いた罪悪感でしょう」
彼女は冷ややかに言葉を続ける。
「あなたは裁かれたいのでしょう。あなたがそう望む以上、呪縛からは逃れられない」
シズは断言した。
一向に執筆速度があがりません・・・orz