十五話
"彼"は恐怖した。
何故ならば、彼女は魔導師に必要な詠唱を省き、魔法を発動させていたからだ。
それも何度も・・・。
こんなこと聞いていない・・・!
レイクハルトの重鎮たる魔導師やそれに付随する実力のある魔導師。
それらは"彼"の組織が細部にわたるまでに慎重に情報収集を行っている。
ゆえに、詠唱を省くまでの高位の魔導師ならば、"彼"の情報網に引っかかっていたはずだ。
しかし、ゆったりと歩いてくる女性に関しての情報は、その情報網にはない。
これは早々に撤退したほうがいいと"彼"は結論づけた。
何も自分がターゲットに接触しなくても、同志がターゲットに接触すればいいのだ。
そのために、ひとりではなく数人で赴いたのだから。
そうと決まればと"彼"は行動を開始した。
「騎士さま!助けてください、魔導師に襲われているんです!」
あろうことか巡回中の騎士に助けを求めたのである。
命あっての物種だ。
"彼"らがひっそりと誰一人かけることなく活動できていたのもこの指針があったからだ。
決して無理はせずに、無理と判断したら撤収。その撤収も利用できるものはすべて利用する。
このとき、"彼"は巡回中の騎士たちを利用したのである。
しかし、「魔導師?」とゆるりと騎士は顔を上げる。反応が鈍い。
「どこにいるんだ?」
怪訝そうな騎士たちの表情。「え?」とばかりに"彼"は振り返る。
先ほどまで嬉々とした表情で、自分を追いかけていたかの女性の姿はなく、彼女が放っていた魔法の跡すら残っていなかった。
「どういうことだ?」と今度は"彼"が怪訝そうな表情をする番だった。
そして、次の瞬間、騎士たちが発した言葉で、"彼"は真っ青になった。
「そういえば、お前、このあたりでは見ない顔だな」
逃げるのに手いっぱいで商人の仮面をかぶるのを忘れていた。
「都市議会のほうで警備を強化するようにと言われていてな。少々話を聞きたいがいいか?」
それは任意のような聞き方ではあったが、実際には強制だろう。
実は"彼"はターゲットに接触するために、媒体を忍ばせていた。
騎士たちが相手ならごまかしもきくだろうが、魔導師にかかればたちまちにその正体を解読されるだろう。
都市議会には優秀な呪術師が在籍していると聞いている。
名残惜しいが、廃棄せざるを得ない。
"彼"は隙を見て、忍ばせていた媒体をこっそりと廃棄した。
そして、「はい」と再び商人の仮面をかぶる。
廃棄された媒体は巡り巡って、解読図とともに都市議会へ送られるがそれはまた別の話。
結果論として、商人と思われる男たちは証拠不十分として釈放された。
呪術は、媒体という証拠がなければ罪を立証するのは難しい。
とはいえ、標的となった魔導師の命は救われたといっていいだろう、それが救いだ。
「ハイラン商会か、しばらく監視を続けることにしよう」
ジェレミーは静かな部屋でひとり考え込む。
「港町カラボラに都市議会の影を数人在住させるか――」
騎士の在住も考えたが、騎士の存在は目立つ。
その騎士を警戒して、ハイラン商会の動きが鈍るやもしれない。
どうやって尻尾を掴むか、彼の明敏な頭脳は次の手を導き出していた。
「それにしても」と彼は、任意同行を承諾した男が語った、名前も知らぬ魔導師の存在。
男にしか見えなかった魔法、それは恐らく幻術だ。
呪文を省略したということは優秀な媒体を使用している。
そして、ふいといなくなったのは転移術。これも呪文詠唱を省いている。
男の妄言と言ってしまえばそれまでだが、ジェレミーはそう思えなかった。
呪術を極めればそのくらいたやすいのだ。
つまり在野にまだそういった魔導師が存在していたという可能性も捨てきれなかった。
「そちらも並行して調べるか――」
優秀な魔導師は優秀ゆえに調整を間違えると暴走しやすい。
魔法都市はそういった存在を探し、保護。魔力のコントロールを教えるという役割も担っていた。
魔力の発露は子供時代が多いが、まれに大人になって発露する者も存在する。
男が語った魔導師がそういった存在であるならば、魔法都市が保護することになるだろう。
「一難去ってまた一難か・・・」
ジェレミーは人知れず嘆息した。
恐らく次の話で完結です。