十二話
それは、何気ない一言から始まった。
『犬でも放ってみれば面白いことになるかもしれないね』
久那の血を引く情報屋が何気なく呟いたその一言にかけて都市議会は動いた。
件の魔導師の家へ、何匹も犬を連れて現れた。
レイクハルト都市議会筆頭、ジェレミー・マクダウェルもその一人である。
彼の足元には賢そうな犬が一頭、大人しく座って指示を待っている。
その傍には呪術のエキスパート、エミリアも立ち会っていた。
「確かに情報屋はそう言ったのだな?」
ジェレミーはもう一度確認する。
エミリアは「そう、聴いています」とこくりとうなずいた。
「それなら、やってみて損はない」
ジェレミーは肩をすくめる。
「否、やるより他はあるまい」
どちらにしろ現在、事件は手詰まりなのだ、僅かな情報でも藁にもすがりたい。
「行け」とばかりに彼は、犬に繋がれていたリードをはずす。
それと同時に、犬は尻尾を振って飛び出していった。
ジェレミーたち数人の都市議会のメンバーたちはそれを注意深く見守っている。
しかし――
「何も起きませんね」
誰かがつぶやいた。
庭に放たれた犬数匹は、ただ楽しそうに庭を駆け回っている。
そこに何の変化も現れない。
「ガセネタか?」とジェレミーの眼が語っていた。
「いえ、そんなはずは」とエミリアは逡巡する。
何故なら、情報屋である彼女は、人一倍情報管理に厳しい存在だからだ。
不確かな情報には金を積んでも、売らない主義だと聞いている。
「彼女は信頼たりうる情報屋ですよ。ただ、胡乱な言葉を好み、明言を避けるだけで――」
それは魔術師たる自分たちと同じである。
力を持つからこそ、魔術師たちも明言を避ける傾向にある。
まってと彼女ははたと気づく。
犬を放つというのは彼女の何気ない一言がきっかけだった。
これは彼女は明言していない。つまり不確かな情報である。
けれど、彼女が自分たち魔術師たちと同様の存在ならば、その裏に意味があるのだろう。
その裏を読み解くことができれば、彼女のこの発言の真意が判明するのではないか。
エミリアは頭を巡らせる。
(久那の呪術を聞いたとき、彼女は犬の話をしたわけで・・・。それが有効でないとしたら、どうなるのだろう・・・?どういうことだろうか・・・?)
――まさか・・・?
その真意に気付いたとき、彼女は走り出していた、屋敷に向かって。
呪術というのは少なからず、その残滓が残る。
普通の人が感じられない僅かなその痕跡を、魔導師は感じ取れることができる。
特に呪術を極めた魔導師は、その痕跡を数ミリ単位で判別できた。
それはエミリアも例外ではなかった。
彼女がその痕跡をはっきりと感じたのは、庭ではなかった。
そう、屋敷からだ。
「何ということだろう、久那という先入観から、見当はずれの場所を探していたのね・・・」
呪術は水と相性が良い。
呪術の精霊ともいわれる泉の精霊が水属性だからともいえる。
実際、この屋敷からも呪術の媒体を水回りから発見できた。
「エミリア、どうした、そちらは屋敷だが――」
追いかけてきたジェレミーは、エミリアの手にある物体を見てたたらを踏む。
「それは、媒体か」
さすがは筆頭魔導師、理解が早い。
「屋敷から発見しました」とエミリアは状況を説明する。
「情報屋の彼女が言ったのは、久那の呪法なら久那の方法で解除できる。それでもし何もないのであれば、大陸の呪法だということでしょう」
その真意に気付いた瞬間、はっきりと彼女は屋敷から呪術の残滓を痕跡を感じ取ることができたのだ。
「つまり、我々は、久那の得体の知れない呪術という先入観から、目測を誤っていたというわけだな」
ジェレミーは腕を組んで苦虫をかみ砕いたような表情をした。
エミリアはうなずく。
「恐らく、情報屋の彼女は第三者だからこそ、この可能性も示唆していたのでしょう。ただ、聞いたところ、彼女はそんな風に考えているとは思えませんでしたが・・・」
彼女は苦笑する。情報屋の彼女は、恐らく"目"がいい。
それは、身体的な目ではない、何か。その何かを彼女は所持している。
魔導師としても、貴重なその"目"。
その目を通して、色々な物事を見て感じ、そして一つの事実にたどり着く。
「魔力がないのが実に惜しいね」
ジェレミーもまたエミリアと同じ意見だった。
「さて、それではエミリア、その媒体の解析を頼む。終った頃に、都市議会を招集する」
レイクハルト筆頭魔導師は、エミリアにそう指示を出し、庭に放たれていた犬と共に帰還した。
「了解いたしました」と彼女は頭を下げる。
呪術の痕跡の残る媒体がエミリアの魔力に反応し、僅かに光を帯びていた。
これで手詰まりだった事件の解明に希望が見えてきた。
その解明に自分の力が役に立つというのが嬉しかった。
エミリアは呪術のエキスパートだが、呪術というものに関してあまり良い印象を世の魔導師は抱いていない。
魔力のない者でも扱える呪術。
いうなれば培った知識の見せ所であり、純粋に努力した者に与えられる魔法だ。
努力して、知識を学べば学ぶほど、呪術の腕は上がる。
エミリアはそれにとことんのめりこんだ。
魔力が高いエミリアがなぜ、呪術を?と訝しげにされた。嫌悪感や嘲りも受けた。
呪術は評判の良い魔法ではないから、エミリアは普通に魔導師として表に出ることはないと思っていた。
そのエミリアを、現レイクハルト筆頭魔導師であるジェレミーは見つけ出し都市議会へと招き入れた。
若き天才が何を考えているかは、凡人である彼女には理解できない。
しかし、そんな彼女にも理解できることはある。
「私は私のできる仕事をするだけ」
そのために雇われたのだから。
9年ぶりの投稿申し訳ない。
先入観って怖いよねという話。
これから、完結まで流れは作ってあるので、どうぞお付き合いくださいませ。