第十話
二人の出会いは、シズにとっては偶然だと思っていたが、セリオスにとっては偶然ではなかった。
シズが副業として情報屋を営んでいるのは、彼も聞き知っていた。
その情報屋が出没するポイントが市立図書館であることも・・・。
セリオスは市立図書館に向かっていた、その途中で彼女に会ったのである。
尋ねたいことがあった――
唐突にセリオスのお腹がぐうと音を立てた。
その音の大きさに、シズは目を見張った。
セリオスに、自分の時間はほぼ無いと言って等しい。
名医である彼には、ひっきりなしに患者が舞い込む。
名医の割には、診察料も低価格で、それも彼の多忙さを増長する要因のひとつでもあった。
律儀にすべての患者を診察する彼には、自由に食事を取る時間などないのだ。
大方、朝からレイクハルトのお偉いさんから診察の要請があったのだろう。
彼を直接呼び寄せようとするのは、高官ぐらいだ。そういった無理もきく。
困ったものだとシズは肩をすくめた。
別の意味でシズもまた、自由に食事を取る時間はない。
昼食にもなれば、町はごった返す。
目立つ久那の外見を持つ彼女は、人々の視線を避けるかのように、他の人たちが昼食をとる時間を避ける傾向があった。
こうして、昼食前、すいている時間を見計らい、簡単に食事を済ませ、図書館に引きこもる。
「よし!今から昼食いくぞ、シズ!」
「はあっ!?」
唐突の彼の申し出に口から飛び出した一声が、この言葉だった。
セリオスは、嬉々とした表情を浮かべ、今にも食堂に飛んでいきそうだ。
逆にシズは、「信じられない」といった表情を浮かべている。
「ん?お腹すいていないのか?」
シズの心情を知ってか知らずか、セリオスは無邪気に問うてくる。
「そんなわけじゃないけど・・・」と彼女は言葉を濁した。
「私は・・・」と彼女はきょろきょろと周囲を見渡し、「あ・・・」と小さな声をあげた。
いつもの露店商の姿が見える。いつも、シズが昼食代わりに買う相手だ。
非常に無口な男で、こんなに無口で商売が出来るのかと疑ったこともあったが、心配はご無用。味は確かだった。
客の容姿に関しても特に興味はないらしく、見るからに久那の容貌をしている彼女を見ても、眉ひとつ変えなかった。
シズはそれが嬉しくもある。
彼女の視線にセリオスも気付いた。
「露店のような軽食ばかり食べてるから、いつまでたっても細っこいんだぞ」
余計なお世話だとシズはむっとする。
文句を言いつつも、彼は露店の主人に「二つ」と注文していた。
「ほれ」と紙に包まれたパンを差し出す。
「あ、ありがとう・・・」と一応お礼を言い、シズはそれを受け取った。
シズだって、気の許した相手に礼ぐらいは言うのだ。
「どういたしまして」とセリオスは公園のベンチに腰を下ろし、パンにかぶりついた。
「うまい・・・!」
彼の目が嬉しそうに細められる。シズもベンチに腰を下ろし、パンにかじりついた。
「少し聞きたいことがあったんだ・・・」
最後の一切れを口に放り込むと、セリオスは手に付いたパンくずをはたいて落とす。
シズのパンはまだ半分も残っていた。軽く彼をにらむ。
ゆっくりと食べさせてくれぬものか・・・。
不満を顔に出しつつも、彼女は「何?」と問うた。
「呪いのことに関して・・・」
彼が発した言葉に、「やはりか・・・」と彼女は呟く。
「何がやはりだよ・・・」
耳聡く、セリオスがその言葉を受け止める。「うん・・・」と彼女はパンをかじる。
知り合いの中では一番、自分について理解しているはずのセリオスなら十分、この意味が理解できよう。
案の定、「そうか・・・」と彼ははっと気付いたらしい。
「お前、視えたのか・・・!」
シズはこくりと無言で頷いた。彼女は死者が視える。
「確かにあの人の最期を看取った医師は俺だしな・・・」
彼は顎に手を当て黙考した。
既に死んでしまった死者に意思はないが、数時間前は死者も生きていたわけで・・・。
死者が最期に残した強烈な思念、特にマイナスな思念は時々、生きている人間に害をもたらす。
「確か、残留思念といったか・・・?」
またしても彼女は無言で頷く。
生と死の境界を垣間見る医者は科学的な反面、霊的な部分にも通じていることがあるらしい。
「まあ、あれはすさまじかったからなぁ・・・」
ぽりぽりとセリオスは頬を掻いた。
彼が聞いたある魔導師の「生きたい、死にたくない」という断末魔。
死の間際、誰もが抱く感情だが、彼の場合、些か度が過ぎていたというか、壮絶であった。
そこには、原因不明、治療方法もまったくわからないという病への恐怖からくるものがあったのかもしれない。
「問題はそこではなくて・・・、彼の魔導師が倒れる前に妙な光景を見かけたんだが・・・」
「妙な光景・・・?」とシズは首をかしげる。
「庭師を雇っていないのか、やたら庭がぼこぼこしていた・・・」
セリオスの疑問はもっともだ。
普通、庭を持っているような魔導師は召使を雇っているはずで、その召使が庭師を雇って庭の手入れをさせる。
綺麗に整備された庭もまた富や権力の象徴だからだ。
セリオスを名指しで指名できるような、高名な魔導師にしてはありまじき行為である。
「それは・・・その魔導師が・・・興味が無かったとか・・・?」
変人の集まりである魔導師の連中ならあり得る。
彼女の問いかけを、「いや」とセリオスは即座に否定した。
「街で聞いてみたが、むしろ熱心に庭師を雇っていたとか・・・」
「急に心変わりとか・・・?」
魔導師の連中の考え方はシズにもわからない。
「魔導師が雇っていた庭師にも話を聞いたんだが・・・」と彼は首をひねる。
「倒れる前日、執事を名乗る男からもうこなくていいと言われたらしい」
「はあ?」
まったくもって不可解だ。
「だけど、執事の話に寄れば、そんな話はしたことがないとか・・・」
「意見の食い違いはよくあることだね・・・」
シズはあくまで冷淡であった。
「だから、金なんだよ!」
金と彼は連呼する。
「セリオス、いつのまに金の亡者になった・・・」
シズの目が細められる。
「俺じゃねぇつーの!その偽執事が金渡したらしいんだよ。だけど、本物の執事は渡してないし、渡すはずのお金もきっちり残ってた・・・」
ああ、それからとさらに彼は付け加えた。
「庭師がちゃんといたことを使用人たちが目撃している」
その庭師は誰なのか・・・。
「恐らく、そいつが今回の呪詛事件に関与している可能性が高いんだが、事が事だけに俺一人じゃ決められないんだよ」
呪術は彼の専門外である。
「だから、お前に意見を求めようと思って・・・」
「私は、久那のことに詳しいだけで呪術は専門外だよ・・・」
シズは肩をすくめた。
「それでも俺より遥かに詳しいはずだよな?」
断定されれば言葉がない。確かに、久那のことを知っているということはおのずと呪術にも詳しくなってくる。
人間は、呪術はきってもきれない間柄だ。
今では悪い印象が強い呪術だが、かつては普通に使用されていた形跡がある。
いつのまにか、人間は進化し、それを野蛮な行為だと排他していったのだ。
「確か、呪術は媒体さえあれば使用できたよな?」
「ああ、でも媒体が見つかってしまえば、術はほぼ崩壊する。力の強い術士に渡れば確実に崩壊する」
力の強い術師は、媒体の構造を見破ってしまうからだ。特に呪術に造詣が深ければ尚のこと。
「もしかして、そのぼこぼこは掘り返した後じゃないかと思ってさ・・・」
「掘り返したのか・・?」
「見つからなかったけどね、何も」と彼はあっさりと答えた。
「でもさ、すごく不安になったわけ。もしかしたら、俺が掘り起こしてない場所に何かあるんじゃないかって・・・。けれど、それ以上、掘り返す正当な理由も無かった」
当然だろう。何の理由があって、他人の庭を掘り起こす権利があるのだ。
「それで、前にシズに身代わりの話を聞いたことがあったことを思い出して・・・」
ああと彼女は額に手を当てた。そこからは大体想像が出来る。
すくっとベンチから立ち上がり、
「お前かーー!!人形送り付けた奴は・・・!!」
珍しく、シズは声を荒げた。彼女の握り締めた両手は心なしか震えていた。
それが怒りのせいなのか、想像がつきにくかったのだが・・・。
なまじ、知っていると混乱させてしまうことが多々あるよね?という話(何)。