バックスクリーン
初めて現世に降りてから四日目の朝。俺とマリエルはゴリエル少佐に呼ばれてノイシュバンシュタイン城五階の広間に来ていた。歌人の広間という部屋らしい。玉座の広間同様、豪勢で悪趣味だ。ちなみに四日の間とくに変わったことはなし。ゴリエル少佐のしごきに堪えるだけの毎日だった。そろそろ本格的に引きこもりたい。
「ところでマリエル、今日は何の用で呼ばれたんだ?」
壁際に置かれた高級そうなソファーに座るマリエルの方を向いて尋ねた。俺はソファー横の柱に寄りかかって立っている。本来なら昼から防衛軍の訓練なのでそれまで家でゆっくりしていたかったのだが、なんでも緊急の用件ということで朝っぱらから駆り出されたのである。
「私も詳しくは聞いてないんだよ。何かあったのかな?」
マリエルは斜め上を眺めて何かを考えるような仕草をした。そしてこう続ける。
「でもここに来てる人たちを考えると、なんだかただ事じゃなさそう」
「そうなのか? 俺には誰が誰だかわからん」
俺は歌人の広間を見まわした。おっさんだらけでむさ苦しい。
「あれは家康か? あの狸面は見覚えがあるような気がする」
右側を向くとソファーで偉そうに座るどこかで見た狸みたいなおっさんの横顔と、その両脇に直立するマフィアみたいなグラサン天使が遠くに見えた。その近くには忠勝もいる。よく見ると光成の横顔もあった。他のメンバーは猿顔だったり血色悪かったり、とにかくかなり個性的だ。でもほとんど東洋人。
「まあ、徳川家康とか石田光成とかって実際はそうそうたる顔ぶれだからな。テニスとかのプライベートなときがあれなだけで」
すっかり忘れていたがこの人たちはある一時代の日本の頂点を争った歴史の教科書にも載っている戦国武将なのである。ただの傲慢そうなおっさんではないのだ。
しばらくすると、正面の出入り口から神様が歌人の広間に入ってきた。続いてゴリエル少佐が入ってくる。すると先ほどまで騒がしかった歌人の広間は突然、静まり返った。二人は壁際を歩き、神様は一段高くなっている奥のステージで、ゴリエル少佐はステージに登らず段差の下で立ち止まった。俺とマリエルは同時に左を向き、ステージを見た。そしてすぐにゴリエル少佐のドスの利いた声が聞こえてくる。
「あー、あー、マイクテスっ、マイクテスっ。本日は晴天なり。……オーケーです」
ゴリエル少佐は右手に持っていた小さな黒いマイクを神様に手渡した。神様はそのマイクに向かって声を出す。
「えー、みなさんごきげんよう。神様です。今回は緊急の用件ということで防衛軍関係、また生前に軍略において活躍した皆様をお呼び立てしました。今ここにいない人たちはサボったということで今度お仕置きします。ヨーロッパの方たちが全員、世界一周旅行に行ってますが問答無用です」
軍略において活躍したヨーロッパの方たち総出で世界一周旅行ですか。しかし防衛軍関係と軍略で活躍した方々を集めたということは、近々戦争でも起きるのだろうか。それなら完全に足手まといじゃないか、俺?
「さっそく本題ですが、今朝、私のもとにライトノベルぐらいに厚みのある書状が届きました。ていうかもはや本。中身は大変饒舌で無駄な装飾が多い非常に面倒な文章だったので要約しますと、地獄からの宣戦布告でした」
予想通り、本当に戦争だった。つまり開戦通知がきたわけである。戦争という言葉に俺の身も引き締まる。平和ボケした日本人的な考えなのかもしれないが、できれば平和的に解決してもらいたいところである。
「あの、つまり戦争が始まっちゃうってことですか? 話し合いとかで解決するみたいなことって……」
マリエルは手を上げて神様に尋ねた。マリエルも俺と同じ考えをしていたらしい。
「厳しいわね。あっちは大義名分とか関係なしに攻めてくるし、話し合いが通じる相手でもない。そもそも話し合いでどうにかなるなら宣戦布告なんてされないわ」
「そうですか……」
マリエルは肩を落として黙った。同時にまた広間は静かになる。とりあえずこれで戦争をすることは確定してしまった。
神様は一度、咳払いをして、また話し始める。
「あと一時間くらいで来るそうです」
「すぐじゃねえか!」
今度は俺がたまらず声を上げた。部屋は静まり返っていたので声を出すつもりはなかったのだが、いくらなんでも開戦までの期間が短すぎる。むしろ宣戦布告が遅すぎる。ほとんど奇襲である。
「ええ。私も文書の解読をしながら本気でイライラしました。長いし。挙句あと一時間で攻撃しますよって、非常識にもほどがあるだろと」
神様は表情を変えないが、言葉には棘があった。
「というわけで開戦まであまり時間がありません。さっそく対策を検討したいと思います。では、ゴリエル少佐」
神様はマイクをゴリエル少佐に返す。
「防衛軍東アジア大隊長のゴリエルだ。他の大隊の連中は有給とってるらしい。帰ってきたらしばく」
軍人が一斉に有給って、呑気すぎるだろ。
「なので今は我々だけで地獄軍を撃退せねばならん。早急に対策を立てよう。その前に相手方の情報からだな。と言っても俺自身、生まれて高々九百年しかたっていないため地獄と戦ったことはない」
九百年が高々て、人間なら九回は転生してるぞ。しかし九百年で一度も戦ったことがないということは、地獄は九百年以上攻めてきていないということか?
「よって情報に関しては神様にお話しいただく。お願いします」
ゴリエル少佐は深々と頭を下げてマイクを神様に渡した。だったらその前のゴリエル少佐に渡した部分いらないんじゃないかな。まあ急なことだったし打ち合わせもほとんどできてないんだろうけど。
「改めまして神様です。地獄の情報を教えます。先ほどゴリエル少佐が言ったように地獄軍はここ最近まったく動きませんでした。具体的には千年間ですね。すっかりあきらめたと思っていたのですが……」
九百年どころの騒ぎではなかった。千年前というと泣くよウグイスといい国作ろうの間だから、つまり平安時代である。光源氏とかいうイケメンがプレイボーイする妄想を紫さんがしてた時代である。
「それでは地獄の王、ルシファーのことを話します。彼はもともと私に遣える天使でした。馬鹿だったのでパシリとしては非常に有能だったのですが、それがある日突然『僕は新世界の神になる』とかかなり痛いことを言い出しました」
ああ、なんか想像しただけで痛々しいな。もう名前からして痛いし。
「まあ最初は無視していたのですが、チクチクちょっかい出してくるのがうざかったので適当に小突き回したら泣きながら地獄に引きこもりまして」
地獄の王様、引きこもりなのか。最高にかっこ悪いな。
「それから地獄で悪魔をいっぱい作り、後からやってきた堕天使を言葉巧みに利用して千年前まではちょくちょくこっちに攻めてきたわけです。つまり戦争の理由は私への個人的な恨みですね。まったく、小さい男です」
個人的な恨みで他の人巻き込んでまで戦争するのか。偉い人ってよくわからん。
「ま、基本的に雑魚ばっかだし突貫しか能がないので今回も簡単に撃退できると思います。悪魔には普通の武器も通用しますし」
なんか思ってた悪魔と違う。もっと強大な敵だと思っていた。拍子抜けである。
神様はまたゴリエル少佐にマイクを渡す。
「そういうことらしい。では早速だが、軍議を始めよう。地獄軍は本城から西方へ約五キロ進んだところにある『天地の門』をくぐってやってくることがわかっている。というか他に地獄と通じている場所はない。門の周囲は広場になっている」
ゴリエル少佐が言い終えると、すかさず後ろから低い声がした。
「それなら突貫でいいんじゃね?」
振り向くと、意見を出していたのは狸親父、もとい徳川家康である。
「相手が雑魚なら問題ないじゃろ。考えるのも面倒だし」
あんたそれでも日本で二百年以上続いた幕府の初代将軍様かよ。いやまあ、確かに三方ヶ原とかはあれだったけど。
「それに何かあっても忠勝がなんとかしてくれる」
忠勝は家康の斜め後ろで仁王立ちのまま微動だにしない。結局は東国無双頼りである。それでも説得力あるのがすごい。
「一理あるな」
ゴリエル少佐は家康よりももっと低い声でうなずいた。たしかに忠勝の部分は一理どころか二理も三理もあるが、いっぱしの大隊長がこんな粗末な意見に同意してもいいのだろうか。たぶん一番理にかなった戦法なのだろうが。
「正直、時間もないからな。他のややこしい戦術では準備にすら時間がかかってしまう。はっきり言って突撃以外の選択肢はない」
ゴリエル少佐はきっぱりと言い放った。たぶん最初からほぼ決まっていたのだろう。
「ではこれより、地獄軍を迎え撃つ準備に取り掛かる! 防衛運は天地の門に集合せよ! 駆け足!」
ゴリエル少佐が命令すると、防衛軍関係者は駆け足で部屋を出ていった。関係者以外は歩いて部屋を出ていく。
「作戦すっかすかじゃねえか。こんな適当で大丈夫かよ、この軍隊」
俺とマリエルは関係者以外の人に紛れて歩き始めた。
「大丈夫だよ。忠勝さんだもん」
マリエルは俺の半歩前に出て笑顔で言った。なんだその忠勝への信用。ちょっと嫉妬しちゃうぞ。
「それより走らないの?」
マリエルは俺の袖口を引っ張って急かしてきた。
「平気、平気。ゆっくり歩こうぜ」
どうせ忠勝がいればなんとかなるので急いで参陣する必要もないだろう。
「何をしている新井! 駆け足!」
「イエッサー!」
俺はゴリエル少佐の怒声が上がった瞬間に素早く敬礼し、マリエルの腕を引いて走り出した。日頃の訓練の結果、着実に軍の犬として成長してきている。
ノイシュバンシュタイン城を出て西へ走り出した俺たちは、人だかりができている前で立ち止まった。ちなみにマリエルは百メートルくらいから「走るの疲れた」とか言って飛んでいた。そして俺はすでにグロッキーである。道がほとんど石畳だったり上り坂や階段が多かったりしたのも俺の疲労を加速させた。五キロでこれならその八倍以上も石畳とかアスファルトを走るフルマラソンはとんでもない地獄である。箱根駅伝の五区とか自分から死にに行くようなものだ。
「地獄軍の侵攻まであと五分くらいだって」
マリエルが人ごみの中から俺の前にやってきて告げた。
「タイム。無理。死んでしまう。いや、死んでるけど」
俺は石畳の上で四つん這いになって、大げさに深呼吸していた。
「訓練ではもっと長い距離を走ってるんじゃないの?」
「耐えられてるとは言ってない」
「あ、なるほど……」
元軍人とか傭兵とか忠勝なんかの化け物どもと比べられても困る。俺は身体的にはごく一般的な高校二年生なのだ。
「ではこれより地獄軍の迎撃準備に入る。といっても並ぶだけだが」
ゴリエル少佐の声が群衆の奥から聞こえた。
「とりあえず忠勝は先頭。あとは適当に」
完全に地獄を舐めきっているとしか思えない采配である。
「そして新井隼人。どこにいる」
「あ、ここっす」
息はまだ整っていないがなんとか立ち上がり、マリエルの腕を引きながら人ごみをかき分け前に出た。びっしりと石畳が敷かれた広場はいくつもの白い石柱で円形に取り囲まれている。広場の最奥部には遠くてディティールはわからないが、神々しい雰囲気のパルテノン神殿に似た建物があった。おそらくあの建物が『天地の門』である。
「うむ、お前は後ろの方で見ていろ」
ゴリエル少佐は腕を組みながら言った。
「え、なんでですか?」
「まだ足手まといだろうからな」
「ストレートですね。まあ嬉しいですけど」
痛いのは嫌ですからね。でも見てるだけでいいなら帰らせてくれませんかねえ。
「ていうか今さらですが、こんなアバウトで本当に撃退できるんですか? フル武装してるのも忠勝だけですし」
黒い甲冑を着込んだ忠勝は広場入り口の通路の真ん中で胡坐をかいて目をつぶっている。あれ何? 精神統一? しかしこの広場に鎧武者は似合わなすぎる。
「まあ忠勝なら千人切りも余裕だろうからな」
「そんなゲームじゃあるまいし、と言いたいところですが、訓練ではゲームみたいなことも普通にやってのけてるんで本当に余裕そうですね」
なんかよくわからない訓練用のガンダムみたいなのを一撃で粉砕していたし、実際に木人相手では何度も千人切りとか達成しているのでいけそうだ。たぶん松風に乗っけたら鬼のようにどころか鬼の軍隊でさえも相手にならないほど戦闘力が増す。
「では、俺は後方で先輩方の活躍を見学させていただきます。行くぞ、マリエル」
俺はマリエルの腕を引いてまた元の位置に戻った。戻るときには群衆は綺麗に整列されていたので苦労せずに歩けた。隊列の隙間から広場の様子もよく見える。
数分後、『天地の門』の隙間に闇がかかった。それに合わせ背景も心なしか暗くなる。ゴリエル少佐と神様はそれぞれ双眼鏡をのぞいて門の様子をうかがっている。忠勝を先頭にした天界防衛軍東アジア大隊は隊列を崩さず、静かに正面の門を見つめる。やがて遠くに黒い靄のようなものが見え始めた。
「やあやあ我こそは、偉大なるルシファー様が右腕、地獄史上最強の悪魔、ウィア様であるぞ!」
前方から耳に残る媚薬のようなロリボイスが響いた。
「えーと、このしゃべり方めんどくさいな。普通にしゃべろう。とりあえず今から攻撃を開始するから覚悟しろ!」
ロリボイスはそう言うと、高らかに進軍の合図をした。
「まずいわね」
神様は双眼鏡から目を離してつぶやいた。
「まずいですね」
ゴリエル少佐は双眼鏡をのぞき込んだままつぶやいた。
「どうしたんすか? もしかしてあのロリボイスの人ってものすごく強い悪魔なんですか?」
俺は隊列の横で何やら話し始めた二人に対して質問を投げかけた。神様が振り返って答える。
「あの悪魔は大したことないと思うわ。しかし別に想定外のことが起きた」
「想定外のこと?」
宣戦布告をされたことがそもそも想定外だと思うが。
「ええ。想定外だったのは彼女ではなく、彼女の率いる兵隊よ」
「ここからだとよく見えないんだけど、兵隊ってあの靄みたいなのか?」
神様がうなずくと、ゴリエル少佐は無言で俺に双眼鏡を放り投げた。俺はそれを両手でキャッチし、のぞき込む。
「うお、なんじゃあのキモイの……」
丸くなった視界の中には空中に浮かぶ全体的に露出度の高い幼女と、その下でよろよろと動く黒い人型の影の大群であった。無論、キモイのは後者だ。幼女の方はかなりかわいい。
「あれは、一言で説明すると不死身の兵隊」
「不死身って、あんま強そうじゃないけど」
ホラーな見た目ではあるが、動きは緩慢なので脆弱そうである。
「ゾンビとでも言えばわかりやすいかしら。もっとも、ゾンビとは根本的な部分で違うけれど」
「ああ、たしかにバイオハザードっぽい動きだな」
そう考えると途端に怖くなってきた。
「この兵隊は地獄の瘴気を魔力で固めて作る、動く人形のようなもの。切ったところで瘴気の集まりだから負傷しないしすぐ元に戻る。悪魔と違って通常の攻撃も効かない」
通常の攻撃が効かないということは忠勝でさえも太刀打ちできないということである。忠勝で太刀打ちできないのならもう勝ち目はないといえる。
「そんなやばい兵隊の存在を知ってるなら何で対策しとかないんだよ!」
ランナーが瞬足なのにクイックしないぐらいに不用意である。簡単に盗塁を許していいはずがない。
「通常の攻撃は効かないということは、裏を返せばそれ以外の攻撃は効くということになるわ。具体的には聖水とか特殊な武器を使うと簡単に倒せる。でもその割には一体作るのに膨大な魔力がかかるから、コスパを考慮して、ないと結論したのよ。それがこれだけの軍勢で来たということは、おそらく千年の間、軍備を整え続けていたのでしょうね」
神様は悔しそうに親指の爪を噛んだ。
「そうなのか……。でも聖水で倒せるんだな。だったら持ってきた方がいいんじゃねえか? 指示してくれれば俺が持ってくるぜ」
足手まといになるので戦闘には参加できないが、輸送ぐらいなら俺でも力になれるはずだ。
「残念ながら、ないわ」
しかし神様はやや下を向いて首を振った。
「な、なぜ」
「まあ、資源不足よね。使わずにしまっておいたものは時間がたてば劣化するし。まあそこらへんの詳しいことについては、約四百年前から天国の資源経済大臣を担当している彼に話してもらいましょう」
言い終えると、神様は斜め上の空に目を向けた。俺もつられて空を見ると、屈強な天使にお姫様抱っこをされた男が見えた。なかなか見ていてつらいものがある。
天使が地面に着地し、男が天使の腕から降りた。男はゆっくりと口を開いた。
「神に呼ばれて来てみれば、ずいぶんと面倒な状況になっているのだな」
「み、三成!? ……さん!?」
俺は男の顔を見た途端に叫んだ。このなんか見てるとイラつくイケメンはずばり、石田三成である。
「誰だ貴様は」
三成は俺の顔を見て、真顔で聞いてきた。
「いや、つい十数日前に一緒にテニスしたじゃねえか。忘れんなよ」
「テニス? 確かに最近、家康とテニスをしたが。相手はマリエルという名の天使と……貴様などいたか?」
三成はまた真顔で返す。反応がかなりリアルなので真剣に忘れてそうである。
「どこかでもう知り合っているのか知らないけど、とりあえず私の方から紹介するわ」
神様が三成と俺に近づいてきた。
「彼は石田三成。日本人なら歴史の授業で習っているでしょう。今は天国の資源分配を統括する資源経済大臣をしてもらっているわ」
三成、そんな重役だったのか。ただの暇そうなイケメン野郎だと思っていた。
「ていうか、つまり聖水とか、あのゾンビに対抗できる武器を作るのに資源を回さなかった張本人は三成さんってことか?」
「そういうことね」
神様は三成を細い目でにらみつけた。
「全部の責任を俺に擦り付けるな。最終決定したのは貴様だぞ」
三成はクールな顔を崩さず神様をにらみ返した。
「なんでそんな割り振り方したんだよ」
「使わなければ削るのは当然だ」
「だからって軍事費ゼロにするのはおかしいだろ……」
「千年だぞ千年! 十年とか二十年ならまだしも、千年だぞ! 千年間、軍事費をどぶに捨て続けるって、いくらなんでも耐えられるか! どぶが金であふれかえるわ!」
三成は家計を預かる主婦のごとき様相で怒り出した。神様に責任を擦り付けられても崩れなかったクールな表情が無駄削減の話になった途端、真っ赤である。
「まあしかし、武器が何もないわけではないぞ」
三成は気を取り直してまた話し始めた。そして懐から出した何かを神様に渡す。手のひらサイズで銀色の球体である。
「倉庫を探していたらこれだけは見つかった。たしか百年ほど前に貴様が作った爆弾のはずだ」
神様はその球体を見ると目を大きく開いた。
「でかしたわ三成!」
「なんかすごい兵器なのか?」
「これは約百年前に私が作った光の爆弾。着弾点から半径五十メートル以内に光を発し、瘴気を祓うことができる。つまりこれをゾンビもどきの真ん中に落とせば、瘴気でできた奴らは消えることになる」
「なるほど。これであの黒いのを一掃できるってわけだな」
「そういうことよ。では三成、さっそくこの爆弾を打ち込む準備をしなさい」
神様は嬉々として三成に指示を出した。
「できん」
しかし三成はきっぱりと言い放った。
「は?」
「さっき言っただろう。『これだけは』と」
「え、じゃあ何? つまり……」
「つまり打ち込む道具がない。大砲はおろか投石器ですらな」
三成は目をつぶりながら冷たい表情で言った。
「じゃ、じゃあどうするのよ!」
「知らん。自分でなんとかしろ。俺にできるのはここまでだ」
「ちょっと、待ちなさい! 無責任すぎるわよ!」
しかし三成は神様の制止を聞かずに城の方へ歩いて行ってしまった。
「あの、神様」
難しい顔で考え事を始めた神様に、いつの間にか近づいていたゴリエル少佐が話しかけた。
「なんですかゴリエル少佐。私は今、対策を練るので忙しいのですが」
「いえ、そのことなのですが」
「何か妙案でも?」
「そんなところです。ところで新井」
ゴリエル少佐は俺の方に顔を向け、名前を呼んだ。
「なんですか?」
「お前、野球をやっていたな」
「え? ああ、やってましたけど、それが何か? 今はそんなこと関係ないんじゃないですか?」
そんなことよりあのゾンビもどきをなんとかする方法を考えるべきである。
「まあいいから素直に答えろ。バッティングでセンター方向ならどこまで飛ばせる?」
「一三〇メートルくらいですかね」
横浜スタジアムならバックスクリーンにホームランである。他の球場でも確実に長打だ。
「本当か?」
「一二〇、一一〇、やっぱ一〇〇くらい……」
すいません。サバ読みました。
「そうか、わかった」
「ていうかなんでそんなことを?」
と、質問した瞬間に何かが頭をよぎる。この爆弾はあるのに打ち込む術がないという状況でのセンター、つまり真正面にどこまでかっ飛ばせるかという質問。これはつまりあれではないだろうか。
「ゴリエル少佐、まさかとは思いますが……」
俺はたった今、推測したことをゴリエル少佐にぶつける。
「爆弾を俺が打ってぶち込めってことじゃないですよね?」
「察しがいいな」
そういうと同時に、ゴリエル少佐は勢いよく右手の親指を立てた。
「いや、そんな輝くような笑顔で言われましても、そんなもん無理に決まってるじゃないですか! 野球やってたって言っても毎年、一回戦敗退の弱小校ですし、そんな大役務まりませんよ!」
「でも『トスバッティングの隼人さん』なんでしょ?」
俺の後ろで黙っていたマリエルが口を開いた。
「たしかにトスバッティングでのバットコントロールには自信があるが、それとこれとは話が別だろ!」
何度でもできる練習と一回しかチャンスがない今回のケースを一緒にしてはいけない。
「だいたいあんな金属っぽいもん、野球ボールみたいには打てないだろ!」
「反発係数は四・一に設定してあるわ」
今度は神様が言う。
「統一球かよ!」
たしかに硬式野球ボールの反発係数だが、その値は飛ばないタイプのボールである。ていうか神様はこの案でいいのか?
「もし仮に爆弾をバットで打つとしても、他にもっと適任者いるだろ!」
俺よりジョー・ディマジオとかベーブ・ルースとか呼んだ方が絶対いい。テッド・ウィリアムスとかおすすめだ。打撃の神様だし。
「呼んでいる時間がない。消去法になるが、この中ではお前が適任者ということだ」
ゴリエル少佐はそう言った後、どこから持ってきたのか知らないが俺に一本の棒を差し出した。その棒には見覚えがある。この茶色くて木の質感が強く残る棒切れは俺の愛刀、ひのきの棒である。
「いやこの際、木製バットが出てきても驚かないつもりでいましたが、これバットですらないじゃないですか! 最悪バットじゃなくてもいいからせめてアオダモの棒にしてくださいよ!」
ひのきで硬式球なんて打ったら芯に当たっても折れそうである。少なくともメイプルあたりと複合しないとバットとして機能しそうにない。
「お願いだよ新井。今は新井しか頼れる人がいないの」
マリエルは両手を組んで懇願する。
「そんなこと言ったってお前……」
マリエルは目を固く閉じ、まるで神様に祈るような体勢である。
「……ゴリエル少佐、棒貸してください」
俺はため息を吐きながら言い、ゴリエル少佐からひのきの棒を奪い取った。
「じゃあ新井、やってくれるんだね!」
マリエルは目を開け、こぼれるような笑顔で言った。
「うまくいくかはわからんがな」
言いながら、俺はひのきの棒の先端を左手の親指と中指でつまみ、右手中指の第二関節で打撃面を軽く叩く。先端から野球ボール三つ分くらいのところで左手に伝わる振動がなくなった。つまりここが芯ということだ。大きさとしては一センチあるかもわからない。普段使っていた金属バットの芯はもう少しグリップ側にある上に広いのでこの違いに慣れられるか不安である。
「敵は現在、約一五〇メートル先。進軍速度が亀並みで助かったな。タイミングは俺が指示する。準備しておけ」
ゴリエル少佐は双眼鏡をのぞきながら言った。いつの間にか防衛軍の隊列も二手に分かれ、真ん中に道を作っていた。おかげでターゲットが見えやすい。
「わかりました。じゃあマリエル、トスはお前が上げてくれ」
俺はゆっくりと素振りをしながら言った。
「え、私が上げるの!?」
「一番信頼できるしな」
「い、一番信頼できるって、そんなこと……。だいたいトスなんて上げたことないし、たぶんうまくできないよ!?」
「マリエルなら大丈夫だ! 斜め前からストライクゾーンのど真ん中にかるーく放ってくれれば俺が何とかする!」
遅いボールならもれなく俺のフルスイングの餌食である。
「ど真ん中ってどこ……」
「この前、野球してホームラン打ったときのボールだ」
「ああ、かすかに覚えてるような……」
「じゃあ問題ないな。マリエルで決定」
「うええ!? 無理だよ! 無理だって!」
マリエルは泣きそうになりながら首を何度も横に振った。そんなマリエルに神様が近づいてきた。
「マリエル、どうやら彼はあなたじゃないとダメみたいよ」
「私じゃなきゃ……ダメ?」
「そう。あなた、彼に本当に信頼されているの」
「新井に信頼されてる……」
「そう。だから、はいこれ」
神様はマリエルに、銀色に鈍く輝く爆弾を手渡した。マリエルはそれを受け取り、しばらく凝視する。
「わかりました。やってみます」
マリエルは左腕で目をこすった。これでなんとか役者はそろった。
「あとはゴリエル少佐の指示を待つだけだな」
俺は両手でゆったりと握ったひのきの棒を右肩に乗せ、半身になって構える。マリエルは両手で爆弾を持ったまま右斜め前に移動してきた。
さて、かっこつけて引き受けたわけだが、やはり緊張する。失敗が許されないというのはとんでもない重圧である。バッターはプロの一流選手でも三割しかヒットを打てない。つまり七割は失敗している、ということをよく言われる。それは相手投手もプロだということもあるし、そもそも今回の場合はヒットを打たなくてはいけないわけでもないのだが、それでもバッティングは非常に不確実なものなので不安になる。またバッティングにはメンタルな部分もかなり影響する。不安や緊張からフォームを崩せば飛距離は伸びない。ならゴリエル少佐の指示があるまで不安をなんとか抑えなければいけない。よし、妄想で気を紛らわそう。舞台は超満員の甲子園だな。よし、だんだん妄想が膨れ上がってきたぞ。
日本シリーズ最終戦。超満員の甲子園球場ではまさに日本一を決めるにふさわしい戦いが繰り広げられていた。しかしその戦いも終焉に近づいている。九回裏ツーアウト満塁、三点ビハインド。一打サヨナラの場面だが、同時にワンアウトで負けてしまう状況。セ・リーグの覇者たるタイガースは窮地を迎えていた。そんな中、一人の男がベンチからゆっくりと立ち上がった。その男に先ほどから冷や汗が止まらなくなっている監督が声をかける。
「ピンチヒッター、行けるか?」
「いつでも行けますよ」
男の言葉にうなずいた監督はすぐさま主審を呼び、彼の名を告げた。そしてしばしの静寂ののち、ウグイス嬢が艶やかな声をスピーカーから発する。
「タイガース、選手の交代をお知らせします。ピンチヒッター、新井」
そのアナウンスの瞬間、ライトスタンドのボルテージは一気に上昇し、レフトスタンドは絶望に包まれた。ベンチから出てきた新井隼人は右手で優雅にバットを振り回しながら、悠々と打席に向かう。甲子園に詰めかけたタイガースファンたちは、なんとか長打をと期待をかける声援を送り始めた。いや、これは期待ではない。なぜならファンたちは知っているからだ。新井隼人は誰もが緊張し、誰もが燃える場面において、必ず結果を出す男である、と。だからこの声援は期待という不確かなものではなく、確信、言うなれば次に起こる展開を予言しているのだ。だから人々は彼をこう呼ぶのである。『代打の神様』である、と。
その神の登場に、内外野は一歩、また一歩と後ずさりしていく。まるで恐れおののくように。無論、彼の打席では後退守備など何の意味もないことを選手も監督もわかっているのだが、それでも反射的に退いてしまうのは新井隼人の威圧感によるものだ。しかし守っている者たちとは反対に、神の正面に立たされ、動くことを許されない投手は何ともすがすがしい表情をしている。それは悟りにも似た表情だ。最終戦を任されたこのエースは、普段は絶対にマウンドを譲らない。少なくとも譲ろうとはしない。だが今回ばかりは、誰かに変わってほしいという気持ちになっていた。負けるとわかっている戦い。いっそのこと押し出しで一点を失ってもいいから敬遠してしまおうか、などと思考するほどだ。実際はそれが最善の策である。しかしそんな選択はプロ野球選手としてありえなかった。ファンが本当に見たいのは優勝の瞬間ではなく、野球なのだ。ならば、ここは自分の最高のボールで勝負して、華々しく散ってやろう。それで自分を責める者はほとんどいないだろう。その思いがエースの表情を和らげていた。
一方、新井隼人の頭脳もその優美な動きとは裏腹に高速で回っていた。考えていることはどうやってホームランを打つかではなく、どこにホームランを打とうかだが。ライトスタンドのファンに届けようかとも考えたが、流し方向へのホームランはぎりぎり入らない可能性もある。窮地を任された者として、勝負には徹しなくてはならない。そして新井隼人の登場で絶望の淵に立たされているレフトスタンドに、とどめを刺すボールを放り込むなどとむごいことをするほど鬼ではない。ならば。答えは一つだった。バックスクリーンへのホームラン。そう心に決め、新井隼人は無言で打席に入った。
そう、次の瞬間に、日本の覇者が決まるのだ。
「……ところでゴリエル少佐。まだっすか?」
俺は妄想から戻ってきて、双眼鏡をのぞいたままのゴリエル少佐に尋ねた。まさか打席に入っても爆弾を打ち込む指示がないとは思わなかった。俺の予定ではあの後エースが投球すると同時にマリエルにトスしてもらい、見事にバックスクリーン直撃の日本一決定代打逆転サヨナラ満塁ホームランを北川博敏のごとく打つはずだったのだが。
「うむ、もう少しなんだが、奴らの進軍速度が本当に亀並みでな」
ゴリエル少佐は困ったように答える。たぶんテッド・ウィリアムスを呼んでくる時間はあったと思う。
「だがもう少しだ。もう少し。ほら、今だ! 約一〇〇メートル地点を進んでいるぞ! ファイヤ!」
ゴリエル少佐は急に声を張り上げた。
「うえ!? ちょっ、タイミング! えーと、エースはランナーがいるにもかかわらずワインドアップを……って、これもういい! マリエル、トス!」
「わ、わかってるよ! どうなっても知らないんだからね!」
マリエルはそう前置き、下手投げで爆弾を軽くトスする。爆弾はゆっくりと俺に近づき、ストライクゾーンのど真ん中に……。
「あ、ミスった!」
マリエルはしまったという顔をした。その言葉通り、爆弾はストライクゾーンの真ん中には入らない。しかし俺は焦ることはなかった。むしろマリエルを褒めたいくらいである。そう、マリエルが投げたこのコース、真ん中高めは、俺の得意コースなのである。
俺は大きく左足を上げた。そしてその足を勢いよく叩きつけ、直後に腰を回す勢いを利用してひのきの棒、いやバットを振りぬいた。完璧に真芯で捉えた上にジャストミートである。最後は中村紀洋ばりに美しい動作でバットを投げる。もしかしたら俺は木製バットの方が得意なのかもしれない。打球はぐんぐん伸びていき、本当にバックスクリーンに直撃するような勢いで俺から遠ざかっていく。最高の気分である。
「まずいぞ! 超えそうだ!」
「ま、マジですか……」
つまり飛距離が出ているということなので普段なら大喜びなのだが、爆弾を外したくはないのでなんだか複雑だ。
俺はホームラン性の打球に対して『越えろ!』と念じたい気持ちを抑え、小さくなっていく爆弾に対して『当たれ!』と念じる。すると爆弾がちょうど見えなくなったときに空き缶を蹴ったような音が遠くから聞こえた。そしてすぐに大きなロリボイスが響く。
「った! なんか飛んできた!」
一瞬の間が空き、前方の一点が白く光る。そして直後に思わず目をつぶってしまうほどの光が辺りを包んだ。爆弾が起爆したらしい。
「やったぞ……」
起爆から二秒ほどのちに聞こえたゴリエル少佐の声で目を開けた。
「やったぞ! なんか知らんが途中で爆弾が悪魔に当たって起爆した! 敵兵を一掃したぞ!」
ゴリエル少佐は双眼鏡を投げだして「万歳! 万歳!」と復唱し始めた。それと同時に整列していた防衛軍人たちも歓声を上げ始める。ゴリエル少佐のサングラスの下からは涙が滝のように流れている。たしかに黒い靄は消えていた。というか百メートル先のちっこい幼女悪魔に見事、打球がぶつかるってすごい確率だな。幼女に痛い思いをさせてしまったという罪悪感は残るが。
「やったね新井! 私たちが撃退したよ!」
マリエルは俺の右手を両手で握ってぴょんぴょん飛び跳ねながら喜びだした。
「そうだな。お前はトス失敗したけどな」
「そ、それはもういいじゃない! 結果オーライだよ!」
マリエルは握る力を強めた。
「冗談だ、冗談。というかマリエルの方から手を握ってくるとは珍しいな。なんかちょっと恥ずかしいぞ」
もう何度も手を握ったりしているが、考えてみればほとんど俺からだ。まあ全部、手をつなぐというより手首を引っ張るという感じだが。
「ふえ? って、何、恥ずかしがってるのよ! ていうか何、勝手に手なんか握ってるのよ!」
マリエルは戸惑いながら両手を同時に離した。握ってきたのはお前だけどな。
「まあしかし、危機を回避できて本当に……」
「イチャイチャしてんじゃなあい!」
俺が『本当によかった』と言おうとした瞬間、そんな耳に残るロリボイスと同時に頭をちょこんと押された。振り返ると、そこには露出度の高い衣装を着た涙目の幼女がいた。たしかウィアとかいう名前の悪魔である。
「え、何? 俺なんで押されたの?」
「押さ……押してない! 殴ったんだよ!」
「いや、さっきのはどう考えても殴った威力じゃないだろ。真冬の打撃練習で芯外して打ったときの振動の方がまだ痛いと思うぞ」
あれは地味に痛い。
「な、なんだよそのわかりづらい比較対象は……っていうかそうじゃなくて、お前のせいで私の大事な部下が消えちゃっただろ!」
「そっちが攻めてこなければ俺は何もしてなかったんだけどな」
「うるさい! ばーか! ばーか!」
ウィアは泣きながら『天地の門』に飛んでいった。嵐のようだったな。
「しかし本当によくやったぞ新井。俺からも褒めておこう」
後ろから出てきたゴリエル少佐は俺の右肩に手を乗せた。
「うっす!」
「では、この後の訓練もより一層、励めよ」
「え、ていうかこの後、訓練やるんですか? 今日はもう疲れたんで休暇にしません? ほら俺、超頑張りましたし」
上手くいった瞬間の安心感で疲れが一気に出ているのですが。
「それはそれ。これはこれだ。さあ演習場に行くぞ」
そう言うと、ゴリエル少佐は俺を右腕で担ぎ上げ、ノイシュバンシュタイン城へ競歩を始めた。鬼だ。
「待ってください、ゴリエル少佐。彼に少し話があります」
ゴリエル少佐が防衛軍を引き連れて広場を後にしようとすると、神様から待ったがかかった。神様の声は危機が去ったにも関わらず、凄みを帯びていた。
「……わかりました。では、私たちはこれで」
「ええ」
会話が終わるとゴリエル少佐はすぐに俺を降ろし、他の防衛軍メンバーを引き連れて行ってしまった。広場には俺とマリエルと神様だけが残された。勝利を歓喜する声で騒がしかった広場はすっかり静まり返っている。
三人はしばらく誰も話さず、数秒の沈黙が続いた。マリエルと神様はなんだか神妙な表情をしている。沈黙に耐え切れず、俺が切り出す。
「ところで話って何だよ、神様?」
「ええ、そうね。今から話します」
神様は小さく深呼吸すると、何かを決心したように口を開いた。
「新井隼人。あなたに、生き返る権利を与えます」
神様は真剣な表情ではっきりと言った。マリエルはうつむいていて、表情を確認することができなかった。
そよそよと風が吹き始め、マリエルの髪を揺らした。
広場をまた、沈黙が襲う。




