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レッディングタウンのこどもたち

作者: 周詞エッダ

レッディングタウンの線路沿い。

揺れる蒲公英タンポポが綿毛を飛ばす。

鈍色にびいろの空に泡立つように旅立つ綿毛はすぐに空へと溶けていく。

線路のわだちをなぞる馬車に乗り込んで町を出た者は誰一人戻ってはこなかった。

百年続く戦火はすぐそばまで迫っている。

レッディングタウンの子ども達はここで生まれ、ここで育つと、馬車に乗って轍を辿り、戦場いくさばへと出かけていく。

レッディングタウンの村人はみなそう信じて生きてきた。だが、戦場いくさばがどこにあるのか知っている者はいなかった。

ここで生まれ、ここで育ったハーモニカも馬車がどこへ行くのか、線路がどこまで繋がっているのか知らない。

行き先を知っているのは馬車を操る御者ぎょしゃだけだ。

御者を務めるのはハーモニカの兄フューリーだった。

兄といっても血が繋がっているわけではない。ハーモニカの家族はみな馬車に乗って村を去り、二度と戻ってはこなかった。残された幼子は御者の家に引き取られ、ハーモニカと名付けられた。当時の御者はフューリーの父で、ハーモニカは7つ年上のフューリーとともに育った。

「兄さん、次はいつ?」

ハーモニカが訊く。

「来週の月曜日」

兄は答える。

戦場いくさばはどこ?」

「根雪の残る北の町だな」

言葉少なにフューリーは答えた。

物心ついた頃に既に母はなく、父が御者として町を離れている間は兄が面倒を見てくれた。二人の兄弟を分け隔てなく育ててくれた父は昨年亡くなり、今は兄弟二人でこの家に暮らしている。何百年も続く御者の家は古い木造の二階建てで、フューリーが御者を務めるようになってからは兄がいない間、ハーモニカが一人で留守を守っていた。

俺も今年で十三歳だ。

父から教わったように、兄がしてきたように、彼も家のことは何でもできるようにと日々奮闘してきた一年だった。

「もう少し背が伸びたら、」

父が亡くなってから半年ほど過ぎた頃、兄がぽつりと呟いたことがある。

「もう少し背が伸びたら?」

「御者席に座れるようになるな」

「…俺が?」

兄は目を細めると、

「その時は」

ともに行こう、と呟いた。

それ以来、毎日苦手な牛乳を頑張って飲んでいる。

馬車は真っ黒な鋼鉄の大きな丸い枠で形作られている。細かい格子に枇榔度ビロウドの厚手の生地が幾重も重なり挟まって風船のような形をしていた。馬車の中には十五席。木製の椅子にはベージュ色のゴブラン織が張ってある。中には綿がパンパンに詰められていて、町にあるどんな瀟洒な館にもこれほど座り心地のよい椅子はなかった。

馬は鉄の馬である。真っ黒な長い煙突は遠目に本物の馬とよく似ていた。煙突から真っ黒な煙を吐きながら線路を走る馬車に乗れる日が早く来ればいいと彼はいつも願っていた。

しかし、馬車に乗った者は誰一人帰っては来ない。

帰ってくるのはただ一人、御者だけだ。

まだ父が存命だった頃。

ハーモニカは兄に訊いてみたことがある。

戦場いくさばへ行く人達はなぜ帰ってこないの?」

みないくさで死んでしまうの?

兄は生まれつき真っ白な髪を揺らし、赤い瞳を細めると、

「戦って死んでしまう奴が多いんだろうが、帰りたくない奴も多いんだろうな」

と言った。

みな大人にすると戦場いくさばへと追いやられる。

百年前に領主が始めた戦争だったが、今やその家系も死に絶えてレッディングタウンに領主はいない。

何で始めたかはもはや誰にもわからない。

戦場いくさばで兵隊を率いる者もいない。

それでも誰も止めないからいくさはいつまでも終わらない。

戦場いくさばへ行けば金がもらえる。市もある。先に行った家族と再会して住み着く者も珍しくない」

人は生まれて町を出て、生きる場所を見つけるともはや揺籃ようらんには戻って来ない。

「レッディングタウンは揺籠ゆりかごなのかもしれないな」

フューリーはそう言った。

命の誕生を高らかに祝福するレッディングタウンの人々。だから、この町では生まれた子供に音楽にちなんだ名前をつける。ハーモニカだって楽器の名前だ。フューリーは口笛の音だと父親が自慢げに言っていたのを覚えている。

「いいな、兄さんは。楽器の名前はありきたりでつまらない」

ハーモニカは愚痴を言ったことがある。

「俺は楽器の名前の方がよかったよ」

と兄は言った。ハーモニカは父親のとっておきの名前なんだぞ、とその時、兄は饒舌に語ったが、弟はその話を信じていない。兄さんは俺に気を遣っているだけだ、と時々思うことがある。寡黙な兄がよく喋る時はたいてい嘘を言っている時だった。

嵐の夜には兄はとりわけ饒舌だった。

風が唸れば、あれは馬車が走り出す音だ、薪がくべられただろう、俺は親父の仕事を見ていたからわかる、と能弁に語る。

雷鳴が轟けば、馬車に火が投じられた音だ、でかい馬車だから特別に明るいのだ、まだお前は見たことがないだろう、そのうち親父が見せてくれるはずだ、と普段からは想像もつかないほどよく喋った。

だが、そんな大きな馬車など存在しないことに最近ようやくハーモニカは気づいた。すべては嵐を怖がる弟を宥めるための作り話なのだ。

時々兄は嘘をつく。

それでも弟は兄を尊敬していた。


その日、馬車は戦場いくさばに向けて出発するはずだった。

しかし、あいにく当日、誰も駅にはやってこなかった。

戦場に行く予定だった男は流行り病に罹り、あっけなく違う場所へと召されていったからだ。

兄はそれでも鉄の馬に薪をくべていた。

定刻になっても兄は出発せず、ただその場に立ち尽くして考えごとをしている。

見送りのために兄とともに駅にやってきたハーモニカはひそかに願う。

(乗客は誰もいないのだから、)

煙突から立ち上っては空へと消えていく黒い煙。勢いは衰えそうにない。

それでも弟は願う。

(兄は出かけなくてもいいのではないだろうか―)

戦場に指揮官はいない。だってみんな死に絶えている。百年の歳月が生きとし生けるものの命をみな奪ってしまっている。

兵隊が送られてこなくてもきっと誰も困らないはずだ。

なのになぜ戦は終わらないのか。

命は自然に終わるのに、人が始めたものは人でないと終わらせられないのか。

おかしな話だと彼は思った。

「根雪の残る北の町は、」

ハーモニカは兄に問う。

「レッディングタウンからどれくらい遠いの?」

兄は弟の黒髪をなでてやる。

「二週間と五日だな」

黒い髪に黒い瞳。兄と似ても似つかない姿だが、それでも二人は兄弟だった。

「根雪の残る北の町では雪は結晶の姿で舞い降りる」

「本当?」

「ああ本当さ」

掌サイズの大きな雪の結晶がひらひらと白い空から降りてくる、それはそれは綺麗なもんだよ、と兄は言い、弟はそのさまを頭の中で思い描く。自分の掌を眺めてみる。そしてなんて大きいんだろうと感動した。

「だからなかなか溶けなくて根雪が春が来ても残る。春は短くて一気に花が咲くんだ」

春まだ浅き頃に咲く可憐な花も、散り急ぐ花吹雪も、夏を連れてくる青い花も、一気に咲き誇るさまをハーモニカは思い描いた。

「寒いからな。夜空の星々も綺麗だよ」

「流れ星は?見たことある?」

「流星雨が流れるらしいな」

「綺麗だろうなあ」

「そうだな」

「いつか俺も行くことがあるのかな」

ハーモニカは遠い未来を夢想する。

それはいつ訪れるのだろうか。

何度、兄の背を見送ればよいのだろうか。

幾夜、広い家で一人の夜を過ごせばよいのだろうか。

「少し早いが、」

と兄が言う。

「行くか?」

「え、今?」

兄は頷く。

「でも、俺、」

身長がまだ足りてない。

「客席は空いてるだろ」

と兄が言う。

「本当に行くの?」

兄は何も言わなかった。

ただ赤い目を細めて弟を見ると笑顔でうなずいた。

これはぼんやりしている場合じゃない。

ハーモニカは急いで家へと引き返す。

小さな鞄を引っ掴んでは何度も中身を確かめて、火の元を何度も何度も確かめて、全ての鍵を厳重にかけて、全速力で兄の元へと戻ってくる。

荷造りなんてとっくの昔に済んでいる。いつか馬車に乗れる日が来たら持っていこうと決めていた。準備はいつでも万端だった。足りなかったのは背だけだ。

兄は鉄の馬に薪をくべている。

戦火は迫っていた。

戦場いくさばへ送る若者はもうレッディングタウンにはいない。

最後の男は病魔に掻っ攫われてしまった。

だが、兵隊が送られてこなくて困る領主ももういない。

馬車が戦場いくさばへ行かなければ戦争はいずれ終わるんじゃないか。

兄はそう考えた。

何より弟を戦場に送るのはごめんだった。

鉄の馬から黒々とした煙が上がる頃、道の彼方に鞄を下げて走ってくる弟の姿が見えた。

弟はもう十三歳になった。

背は足りないが、もう立派な大人だ。

彼の家族を送った戦場いくさばをフューリーは覚えている。

父親が繰り返し話していたその場所へ行けばハーモニカは両親と会えるだろう。

だが、弟の両親は十年戻ってこなかった。もしかしたらすでに亡くなっているかもしれない。

いずれにせよ行ってみなければわかるまい。

お待たせ、とハーモニカが息を切らして御者席に手をかける。

フューリーは御者席に座ったまま後ろを指差す。

「お前は後ろに乗れ」

席に座るにはまだ少し背が足りない。ハーモニカは情けなさそうに眉を寄せると、

「少しだけ」

と兄に懇願した。憧れは御者席だ。客席に乗りたいわけじゃない。

「少しだけだぞ。速度が上がる昼過ぎには後ろに行けよ」

兄は弟に手を貸すと自分の隣へと引き上げる。どすんと隣に座る弟の大きさを兄は実感する。

「大きくなったな」

「ホント?」

弟は素直に喜んだ。

馬車は大きく迂回して南へ向けて走り出す。

「北じゃないの?」

戦場いくさばへ行くわけじゃないからな」

弟はあからさまに落胆する。

「雪の結晶見たかったな。北じゃ雪はいつ止むの?」

「いつだろうな」

おざなりな兄の返答に、あれ、とハーモニカは思った。

「行ったことないの?」

「今回初めて行くはずだったんだ」

走り出した馬車に集中している兄は前を向いたまま上の空で答えた。

ああ、嘘なんだ。

ハーモニカはやっと気づいた。

掌サイズの雪の結晶も百花繚乱の春の景色も。

兄は時々嘘をつく。

嵐の時と同じように何か理由があるのだろうが、ハーモニカは嘘の理由を聞いたことがない。

「北の町にも行きたい」

諦めきれずに弟は駄々をこねる。

兄の話はとても魅力的で、嘘でもいいから北の町に行きたいと思った。

「帰りに寄ろうな」

宥めるように兄は言う。

でも、それは嘘になるかもしれない。

南の町でハーモニカの家族と会えれば、そこで二人の旅は終わりになるはずだった。

帰りはフューリー一人かもしれないと思ったが、それは口に出さなかった。

南の町までは二週間と六日の旅になる。

それまでは二人旅だ。

それまでは俺はまだ兄のままだ。

「南の町は一年中夏なんだぜ」

兄は行ったことのない町の話を語り出した。

兄は年の離れた弟を楽しませてやりたいといつも思っていた。

すぐ隣で弟が黒い大きな瞳を輝かせて兄の話に聞き入っている。

見た目はまるで似ていないが、それでも二人は兄弟だった。


(終わり)


ほのぼのしたくて書きました。

皆さんにもほのぼのしてもらえたら嬉しいです。

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