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その4 嘲笑する理由

 健吾は口笛を吹きながら教室に戻った。すれ違いざまに職員室にて受話器を握り締めている桧山先生を見かけた。真面目な顔をしてだ。珍しい。ふだんはおちゃらけてるっていうのに。借金の申し込みだろうか。人間、生きているといろいろ後ろめたいこともあるんだろう。二十四歳か。

 ──同い年だ。

 吉久菊乃よしひさきくの先生。

 ふわふわパーマをかけたままの、お人形さんのような感じだった先生。

 六年時の担任だった。結婚退職して赤ん坊が腹から出てくるのを待っている。膨らんでいく腹の大きさを見せ付けられてかなり退いた。小学校の頃はよく泣かしたけれども、いつも笑顔で返してくれた。卒業の頃にはみな……ひとりを除いて……中学に行きたくないと泣いてしまう奴らが育っていた。

 そう、あの女を除いて。

 ──そうだ。佐賀を連れて会いに行こうか。ひさびさに。


 健吾は職員室前の赤電話を取った。珍しく人がいない。適当にメモしたところに書いてあったものだった。三回コールしたらすぐに繋がった。

「はい、吉久です」

 結婚していても吉久姓のまま。混乱しない。

「先生、お久しぶりっす。新井林だけど」

「あら、健吾くん。どこからかけてるの? 今、学校じゃないの?」

 甘い声だった。

「学校です。あの、今日、放課後、佐賀連れて遊びに行っていいですか」

「え? いきなりねえ。びっくり。でもいいよ。はるみちゃんと一緒に?」

「ちょっと先生の知恵を借りたいんだけどさあ。いいか」

「わかった。学校終わるのは三時半以降ね。青大附中から来るの?」

「うん。今日は部活がないから」

 一年実力試験三日前から部活が休みになる。一応、青大附属はエリート校らしくその辺はきっちりしていた。どこがといいたいが利用できるものは利用する。

「じゃあ今から、部屋の掃除しなくっちゃね。じゃあ待ってるからね」

 めずらしいことではない。他の女子連中も、公立に行った連中も悩みを抱えた時はみなしたことだった。杉本梨南以外、菊乃先生はみんなから慕われていたのだから。あの女とその親がつるんで、菊乃先生をつぶしにかかったことを知っている健吾としては、はるみ同様悪から守らねばならない「女子」のひとりだった。いや、今度はおなかの赤ん坊入れてふたり分か。


 夏休み前、まだまだ青かった自分をなだめてくれたのが菊乃先生だった。

 はるみも一緒に座っていた。季節はずれのみかんをほおばりながら、ゴールデンウイークの一日、ずっと健吾の話を聞いてくれた。

  

 ──健吾くん、なんで杉本さんがあんなにはるみちゃんをいじめるか知ってる?

 ──佐賀のことを嫌ってるからだろ。

 ──ううん、違うのよ。健吾くんのことを杉本さんが好きだからなのよ。でも健吾くんははるみちゃんのことが好きでしょ。だから、悔しくてならないの。

 健吾も他の連中からうんざりするほど聞かされていたし、見え見えだった。

 ──健吾くん、どうする?

 ──冗談じゃねえ。俺には佐賀がいる。

 ──おお、断言しちゃったねえ。そうよね。迷惑よね。でもはるみちゃんは悩んでいると思うのよ。健吾くん。男としてできることをきちんとするのよ。お姉さんとしてのアドバイス。

 ──男としてできることってなんだよ。

 ──はるみちゃんを守ってあげることよ。女の子の嫉妬は怖いんだから。女の子の友だちなんて軽い軽い。健吾くんがしっかりしていれば、はるみちゃんはめげないですむの。

 ──菊乃先生もやっぱり、杉本が嫌いなのか?

 少し考え込んだ顔をしていたが、

 ──ううん、とってもかわいそうな子だと思うの。誰にも好きになってもらえないで、ばかにされてることに気付かなくて、自分が偉いと思ってるなんてね。だから健吾くん、はやく大人になっちゃいなさい。杉本さんを見下してやりなさい。赤ちゃんだと思えるようになりなさい。おんなじ年だと思うから腹が立つのよ。


 大人になるって大変だ。

 どうすれば菊乃先生やはるみと同じように、

「杉本梨南はしょせん赤ちゃんなのよ。かわいそう」

 と思えるのだろうか。健吾にはまだ、激しい嫌悪の対象でしかない。どんなに正々堂々きれいなやり方で戦おうと決意しても、泥を浴びせるような言葉をぶつけられ、自分が崩されそうになる。

 ──どうすれば、俺は大人になれるんだろう。


 やたらとピンク色のじゅうたんとカーテンが目立つ部屋だった。非常に居心地悪いものがある。女の部屋っていうのは誰もそうなのだろうか。まだはるみの部屋には入れてもらっていないのでその辺は想像なのだが。アパートは六畳二部屋だった。赤ん坊が生まれたら別の部屋に寝かせなくてはならないからだそうだ。

「健吾くん、はるみちゃん、さあ、食べてね」

 おなかはぱんぱん、動くたびにだぼっとしたエプロンみたいなスカートが揺れた。あと一ヶ月くらいで生まれるらしい。菊乃先生もこんなに身体を動かしていていいのだろうか。寝てなくてはいけないんではないだろうか。気になったので聞いてみたところ、

「大丈夫なのよ。あとは赤ちゃんがでてくるのを待つだけだからね。栄養つけておかなくちゃ」

 全く問題ないらしかった。よくわからない。

 旦那さんはいつも夜九時くらいにならないと帰ってこない。とりあえず健吾たちは夜七時くらいまで遊んでいてもいいとお許しが出た。髪をふんわり広げた感じのまま、吉久先生は両足を開いてぺたりと座った。こたつの上にはシュークリームとハート型のクッキー。たぶん菊乃先生の手作りだ。

「先生食っていいか」

「いいよ。どんどん食べなくっちゃ」

 菊乃先生の側でお運びさんをしていたはるみの側にくっつき、健吾はまずシュークリームを先に取った。口にほおばるのを見届けてからはるみが自分の分をつまんだ。ちょっと砂糖が入りすぎている感じで甘すぎた。

「健吾くん、甘いの嫌いなの?」

「嫌いじゃねえよ。けどさあ」

「だめなら、はるみちゃんにあげれば?」

 いたずらっぽく菊乃先生がはるみに目で合図をしていた。

「いや、食う。冗談じゃねえ」

 完全に菊乃先生は、健吾とはるみに対して「教師」の顔を捨てている。十二歳年上のお姉さんという身軽な身体。うっかり変なことを言って、

「健吾くん、だめでしょ。学校でそんなことしちゃ」

と怒られることもない。だからいつも、クラス会は盛り上がる。杉本梨南が混じらないようにするのも健吾の計画どおりだ。文句を言われたら……たぶんそんなことはないと思うが……「クラス会ではなくて、有志の集まりにすぎないのになぜ、顔を出したがるのか」

と冷たく言い返してやればいい。

「でもねえ、健吾くんも、よりによってなんであの子と同じクラスになっちゃったんだろうね」

 すでに菊乃先生は杉本のことを「あの子」と冷たく呼び習わしている。第一回春のクラス会からそうだった。杉本梨南をこの先生は、女子なのにめずらしく嫌っていた。

 ──まあな、あんなひでえことされたら当然だな。

「絶対、あれは青大附中の陰謀だ」

「そうよね。なに考えてるんだろうね。でも健吾くんもはるみちゃんも偉いね。しっかり恋人になっちゃったんだもんね。きっとあの子、悔し涙流してるよ」

「先生、あのそれは」

 はるみがクッキーに手を伸ばしている。でも健吾の目に気づいてまず、皿にひとかけらおいてくれた。いつもそうだ。はるみは何を置いても先に健吾を優先してくれた。

「いいのよここでは言いたいこと、言っちゃいなさい。ああ、私だって先生じゃなくなったからもうすっきりしたわよ。ほんっとああいう子、大人になったらいやってほどしっぺ返しされるんだから。あ、でもはるみちゃんにとってはそれどころじゃないか。あと二年も一緒なんだよね。どうにかしないと、ね」

「俺がなんとかする」

 健吾はもうひとつシュークリームをほおばった。


 菊乃先生が六年の秋、杉本梨南の親につるされるような形で校長に叱られたことを、健吾は母から聞いていた。有名な事件だった授業が脱線しすぎて進度が遅すぎるという、杉本梨南本人の訴えを真面目に受け取った両親の直訴らしい。もともと杉本の家は気位が高すぎて付き合いづらいといわれていた。クラス父母の団結力が猛烈に高まったのは言うまでもない。

 ──菊乃先生をやめさせるな運動起こったもんな。

 タイミングも悪かった。その前後、杉本の青大附属受験に際して、「もう少し人との付き合い方を勉強しなくては」というニュアンスのことを菊乃先生は話したらしい。決して、怒鳴ったわけでもなく、冷静沈着に、先生の顔して話しただけだったという。

 しかしながら「うちの梨南ちゃんに失礼な」と激怒した杉本の両親は、まず校長へ、次に教育委員会へ話を持っていったという。

 授業が低レベルだったとか、いつも授業をほったらかして遊んでいたとか、多少はめを外しすぎたきらいはあるクラスだった。みんなで一緒におしゃべりしたいと、授業中いつのまにか雑談になったりとかがしょっちゅうだった。しかしそれが気にいらなかったらしい。杉本の成績が群を抜いていたのは自分で勉強したからであって、学校は役に立たないところだ。他の児童はかわいそうだ。などなど並べ立てたという。

 教育委員会が動いたにもかかわらず、父母が一生懸命に菊乃先生を守るよう運動し、何事もなくおさまった。これにより杉本一家は学区内で嫌われ度が高まった。杉本梨南本人は全く無視状態だったが、一応担任らしい顔をして菊乃先生は話し掛けていたはずだった。

「杉本さん、みんなと仲良くしましょうね」と。

 ──でも、すげえよな。本音だよな。これって。

 蛆虫を詰め込んだシュークリームを口に突っ込んでも文句は言えないことを、あの女、あの女の両親はしてきている。健吾としては当然だ。


「でもね、健吾くん。他の人も言っているけど、ああいう子はほっといた方がいいのよ。どうせ大人になったらいやってほど、嫌われるんだから。本当に好きになってほしい人に振り向いてもらえなくて泣いちゃうのは、ああいう子なのよ」

「はあ?」

 よくわからず、健吾は紅茶を入れてくれた菊乃先生にカップを差し出した。

「もうふたりとも、おとな、だから教えてあげるけどね」

 はるみが顔を赤らめる。どうやら健吾に内緒で、ふたりの付き合いについて報告しているらしい。これはまずい。あとで問い詰めよう。もしそうだったら罰としてあれを。健吾はにらみつけた。またはるみが膝に手を置いてうつむいた。

「あとで、何話したか言えよ。でなかったら、お仕置きだ」

「あれのこと?」

 目で会話ができる。はるみの髪がちょっとだけ崩れていた。

「なあにふたりでいちゃいちゃしてるのよ。もう、ほんっと妬けちゃう」

 足を広げたまま、菊乃先生は背をぴんとのばした。

「どうして健吾くんにあんなにあの子がつっかかってきたのかっていうとね。小さい頃から健吾くんははるみちゃんのことを守ってきたでしょ。それが気に入らなかったのよ。他の先生たちも言ってたわよ。健吾くんとはるみちゃんが一緒にいると気に入らなくて、いきなり物を落としたり、ノートを破ったり、いろいろしてたって。はるみちゃんを無理やり引き離したりしてたって。でも、大人はねなかなか、いえないのよ」

 てっきり誰も気付かないでいると思っていた。なんで手伝ってくれなかったんだろう。かなり健吾としては怒りを覚えた。守ってやれといいたかった。

「だからあれは全部、妬きもちなの。どんなに健吾くんの気を惹こうとしていろいろしても、全然相手にしてもらえないどころか、とことん嫌われてくでしょ。ね、はるみちゃんだったらきっと、友だちになってもらうために一生懸命、ご機嫌とっていたでしょ?」

「うん、梨南ちゃんと仲良くしたかったからそうしてきたつもり」

 小さい声でつぶやくはるみ。だからそういう言い方はやめろ、と怒鳴りたかった。

「でしょ。はるみちゃんは偉いなあといつも思ってたの。杉本さんがさんざんわがまま一杯に振舞っている間、はるみちゃんは友だちがいい気持ちになるようなことをしていたのよ。あの子は赤ちゃんだったから、こっちを向いて好きになってもらう方法は、おしめしたままわんわん泣くかものをぶつけるかして、ガラガラを振り回してもらうしかないって思ってたわけよ」

「赤ちゃんだと、思えばよかったんですよね」

 ──あの女のしていることが、そんな簡単に許せることかよ。

 ふたりがくすりと笑っている間、健吾は煮え繰り返りそうな気持ちを甘いクッキーをかみ締め押さえていた。

「健吾くんが杉本さんのタイプだったからなの。私だけの意見じゃないのよ。他の子たちも、他の先生たちも同じこと言ってたんだから」

 菊乃先生はもう「先生」じゃない。

 だから言いたいことがいえるのだ。

 ──言いてえだろうなあ、桧山先生も。

 何かをたくらんでいる桧山先生の顔を思い出した。同年代だ。


「けどなあ、あの女、いまだに佐賀に手出そうとしてるんだぜ。むかつくだろそりゃあ」

 紅茶のおかわり三杯目。口に物をほおばりつぶやいた。

「女の嫉妬ってやつね。しかも気付いてないから厄介なのよね。こういうおばさん、世の中にはたくさんいるからねえ。赤ちゃんから今度はいきなり、おばさんになっちゃったのかしらねえ。杉本さん」

「おばさん、なんて」

 くすくす笑い始めるふたり。こちらの意見の方が健吾には納得がいく。

「健吾くんが色男だから、もう離れられないのよ。なんとしてもこっちを見てほしい、もしかしたら自分のことを好きになってもらえるかもしれないから、と思ってつっかかってくるのよ。でも、健吾くん。はっきり言って、全然、でしょ」

「当たり前だ。あんな奴、男でもむかつく」

「女だからなおさらむかつくんでしょ。本音は」

 鋭い。健吾は答える代わりにカーテンを眺めた。まだ外の太陽が薄く揺らいでいる。薄暗くなっている。立ち上がって灯りをつけた。

「カーテン閉める」

 ついでにピンクのカーテンも閉めた。中途半端な明るさだが、はるみも菊乃先生も、顔がずっと艶やかに見えた。

「ねえ、健吾くん。杉本さんにまさかと思うけど、彼氏なんていないよね」

 難しい質問だ。

「いるわけねえだろ。ただなあ」

 はるみが続けた。

「振られた人はいるのよ。二年の先輩に」

 ──あ、あの馬鹿男だ。

 こういう話題ははるみの方が詳しいだろう。

「佐賀、それはお前が話せ」

「うん」

 健吾にもうひとかけら、クッキーをつまんで皿に置き、はるみは頷いた。

「二年に立村さんっていう、評議委員の先輩がいるんだけど梨南ちゃんのことをすごく大切にしていたの。梨南ちゃんもいつも側にくっついていたんだけど、その人が別の先輩とお付きあいしてしまったの。だから、梨南ちゃんはショックでまた健吾に八つ当たりみたいなことをしたみたい」

「あれは別問題だ。けどそれも当たってるかもしれねえ」

 吐き出すように答えた。単に評議委員長ポスト争いでむかついて喧嘩を売ったのかと思っていたが、立村のことが絡んでいるとなると納得だ。

 ──まさかな、清坂先輩とあの馬鹿立村がくっついているとはな。あの女も読めなかったんだな。

「ふうん。ちなみにその二年の男の子ってどんな顔?」

「小柄だけど、王子さまって感じ」

「おいあいつのどこがだ。あの馬鹿面でろくにもの食ってねえような顔のどこが!」

 はるみを怒鳴りつけたが、本人は全然どこ吹く風だ。

「だって、他の人が『小公子様みたい』って。ほら、セドリックが大きくなったような感じだって話してたわ。梨南ちゃんは健吾のような顔が本当は好きなので、いつも『不細工で馬鹿で頭が悪い』とか言ってたけど」

「その通りだ、奴についてはそのとおりだ」

 はるみの口から立村のいいところを誉められるとむかついてくる。よりによって、健吾と正反対の男を誉められるっていうのは気持ちよくない。

「うわあ、そうなんだ。王子様みたいな感じなのね。顔でぼおっとした感じじゃなくて」

 菊乃先生の言葉を遮った。

「ばかやろう。あの男が今まで何してきたか、知らないだろ。俺は知ってるんだ、いいかよっく聞け」

 以下、次期評議委員長・立村上総にまつわる事実を、約十分の間しゃべらせていただいた。はるみと菊乃先生はときおり顔を見合わせて、特に何も言わずに聞いていた。健吾のことをやっぱりわかっていらっしゃる。


「小学校六年の時だったらしい。やたらと人の顔色ばかり見ておどおどしていたらしいが、そういうのはしょうがないわな。性格だ。まわりの連中もそういうあいつの性格に手を焼いて、いろいろ誘ったり仲間に入れようとかしていたらしい。やり方が荒っぽすぎたっていうけど、そのくらいふつうは耐えられるよな。人間なんだから。ところが卒業式数日前、あいつが青大附属に合格した直後。いきなりクラスの浜野さんっていうサッカー部の同級生に決闘を申し込んだそうなんだ。それもわかる。むかつく奴がいたら正々堂々と勝負をかける、これもいいことだ」

 はるみを見つめて、肩をぽんぽんと叩く菊乃先生。わかっていらっしゃる。

「浜野さんって人はすげえよく出来た人らしくって、ある程度負けをあの馬鹿男に譲ろうと思ったらしいんだ。話によると、あえてわざと負けてやって、気持ちよく青大附属に送り出してやろうと、覚悟を決めたらしい。からかいすぎたし、かわいそうだしというあったかい心からきたもんらしい。浜野さんから聞いたわけじゃねえよ。一学期に俺が本品山中学の練習試合に行った時、聞かされた話だ」

「ふうん、その浜野さんって子は、男の子って感じでかっこいいわ。なんか健吾くんに似てる」

「知らねえよ。ふつうだったらここで気付くだろ? 奴の得意とする自転車のぶつけ合いに決闘内容を選んでやったくらいだから。ところがだ。あの男は全くそういうところに気付かないで、馬鹿正直に土手から突き飛ばして、浜野さんにひでえ怪我をさせたらしい。信じられねえよな。しかも本人はそれが終わったことだと思ってさっさと帰っていったらしい。ここで勝負がついたなら、俺ならためらうことなく握手するぜ。勝ったことは認める。けどな。相手をたたえろよフェアプレーを誉めろよって俺は言いたい。そんなこともしないでおびえて逃げて、あとは親同士で話し合いさせて、本人は出てこねえ。最低だよな」

「ふつう、学校側の問題にならないのかしら。その、立村先輩って子、青大附属に入学したんでしょ。あの学校、そういうところで合格取り消しにしたりしないのかしら」

「するよなするよな。その辺があの女ともおんなじなんだ。たぶん何かしたんだろうな。とにかく浜野さんは相手に情けをかけたがために、一学期サッカー部を棒に振ったというわけだ。これがまず第一段」


 複数の本品山中学バスケ部の二年生から聞き出したことだった。

 ただ健吾の言葉には脚色が入っていることも否定できない。

 なんとなくだが、本品山二年の人たちが話す口調には、カバーがかかっている感じがしたし、立村に対する恨みのようなものもさほど感じられなかったからだ。もう過去なんだろう。浜野さんという対決相手もかなり出来た人で、多少つっぱってはいるものの兄貴分みたいな存在らしい。浜野さんと対に話せる奴だったら、健吾も立村を多少は尊敬できたかもしれない。立村は結局ヒステリックにぶつかっておびえて逃げ出した大馬鹿野郎なのだ。尊敬する先輩ランキングから思いっきり下げたのは言うまでもない。

 健吾は第二段を続けた。


「まあ、小学校のことはご破算にしたっていい。奴が青大附属に入学して先にしたことというのが、クラスの人気あるふたりに近づいたってことだ。まあ、気があうならそれでもいいわな。そのふたりっていうのが、佐賀、知ってるだろ」

「羽飛先輩と、清坂先輩ね」

 頷いた。その辺ははるみもよく見ている。

「菊乃先生知らねえかもしれないけどな、今言ったふたりってのが、めちゃくちゃ人気ある先輩たちなんだ。あの、おどおどした馬鹿男なんかには鼻もかけないようなタイプなんだ。ところがあいつは自分を守るためにそのふたりにさっさと近づき、お友達になろうと計画したらしい。ひとりは親友に、ひとりは自分の彼女にしちまった」

「ただ仲良しになっただけじゃないの?」

 菊乃先生がきょとんとして首をかしげた。

「考えてみろよ菊乃先生。もしだ、俺のところに、ほら、三組にいただろ。少し頭がぼーっとした感じの、やたらとあの女にくっついて嫌がられてた奴」

 妙に納得するふたりの顔。

「ああいう奴がいきなり、俺のところに来て、友だちになろうとべたべたしてきたところ想像してみろよ。俺ならぞっとするぜ。保護してほしいのかどうかわからねえけど、俺は俺と相性の合う奴と付き合いたいと思うよな。いじめはしねえけどな。あいつは何を考えたか、化けの皮をかぶって羽飛先輩と清坂先輩に近づき、完全なお友だちの顔をしていったってわけだ。自分の同じレベルの連中とつるむのがいやだったんだろうな」」


 これはほとんど、二年の女子たちから聞かされたことだった。

 二年D組関係ではなかった。たまたま、女子バスケ部の連中が噂していた時のことを思い出したのと、職員室に行った時に偶然、他の先生たちが立村についてぐちっていたことを耳にした程度である。

 「彼もかわいそうな子なんですが」という前置き付で、現在二年D組担任の菱本先生が誰かに話していたのを耳にした。地獄耳である。

 いったいどこがかわいそうなのかはよくわからない。父子家庭で、家族の愛に飢えているとでもいうんだろうか。数学能力が欠加していて将来苦労するのが目に見えているからっていうんだろうか……ならなぜ青大附属に合格したのかが健吾としては謎である……とにかく、嫌われるよりは「哀れまれている」といった方が近い。あの女と同じ扱いをされているのに気付いていない。ってわけだ。

 

「まあそれだってどうだっていいぜ。俺には関係ねえ。さて第三幕。あの野郎は清坂先輩に手を出しながら、何を考えたか別の女子にちょっかいだしやがったってわけだ」

「杉浦先輩のこと?」

「そうだ。杉浦先輩がなんと、本品山中学に進んだ浜野さんの彼女だということも気付かずにちょっかい出したりさらには、しつこく追い掛け回したりしたらしい。その辺は俺も見ていねえからどうでもいいんだ。だが、あまりのうるささに根を上げた杉浦先輩は、先生に助けを求めたというわけだ。ふつう、するか? そこまで? 相手に嫌がられていると感じたら、俺ならすっぱりあきらめる」

 はるみを見て、向こうが首を振るのを確かめた。

「最終的に絞られて手を引いたらしいが、その時なんと、清坂先輩と羽飛先輩を利用してクラスを黙らせたそうじゃねえか。ここまでやるかよ。最低だな」


 こちらのニュースソースは別ルートからだ。やはり二年の女子たちが流してくれたことなのだが、今までの連中がわりと立村びいきの発言中心だったのとは全く違う。仮想敵として立村の存在を受け止めている。手を出されたという杉浦先輩は、何度か見かけたことがあるがかなり可愛い部類に入った。はるみに似ていると思う。彼女と仲良しの女子たちが取り巻いて、いろいろ噂を蒔いているようすだった。顔がどうとか性格がどうとか、そういう問題ではなく、

「立村くんがしつこくて、杉浦さんが苦しんでいる。なんとかして」

と声を大にして訴えたかったようだ。

 もちろん好きな子がいて付き合いたいと思うのは自然だろう。健吾が人のことをとやかく言うことは絶対にできない。証拠ははるみ、そこにおり。

 健吾が許せないのは、立村が振られたにも関わらず最後の最後まで追い掛け回したことにある。もしはるみを取られたら健吾はどんなことがあっても取り返すだろう。でも、はるみ本人が健吾をほしくないというのだったらあきらめるしかない。いや、あきらめはしないがゆっくりとチャンスをうかがっていくだろう。

 しかし立村の場合は周りの眼を気にせずにしつこく寄って言ったという。

 相手が自分の天敵・浜野の彼女であることも知っててか。

 ──勝ち目のねえ戦いをよくもまあしたもんだよな。

 第一、周りの取り巻きが担任に通報するということ事態が尋常ならざることではないか。

 一応、評議のくせしてそんなこともわからないのか。

 ここまで健吾は言いたいところだったが、あえて伏せたのは自分の墓穴を掘る恐れがあるから。あきらめて第四段に続いた。


「まあそれだっていいさ、さて次の年。杉浦さんから手をひいたあいつは、とうとう大本命単勝一・〇倍の清坂先輩にアプローチしたそうだ。勝ち目ねえよとは思っていただろうな。その一方で抑えに杉本まで手を出すという始末。まあこっちの方で決まってくれれば一番話は丸く収まったろうな。惚れている相手だったらたとえ蛆虫であろうとも、あばたもえくぼって奴でな。ところが何かの間違いで清坂先輩を口説き落としてしまった。まぐれだぜあれは。そりゃあな、美人で人気者の清坂先輩を落とせば奴の立場も安泰だ。本条先輩にもおべっか使っているわけだしな。自分の保身にはどんな手でも使うってことだ。そして、奴はためらうことなくあの女を切り捨てた」


 健吾がぶち切れたのはこの点だった。

 他人の恋路なんてどうでもいい。その一、その二、その三における出来事は健吾にとって入学前のことだし、「尊敬できない頭の軽い先輩」として無視すればいいことだ。しかし、いくら女狂いとはいえあの杉本梨南に手を出そうとしたり、運良く清坂先輩にOKをもらうやいなやべたべたとくっついて自分の身を守ろうとするところ。要は、節操がなさ過ぎるのだ。もし杉本梨南を覚悟の上で選んで、毎日一年B組の教室に杉本を迎えに来るなり、健吾のような態度の相手にけんかを買って出たりでもしたら、自分の立村観はかなり変わったような気がする。あの馬鹿女を選んだ馬鹿野郎と思いつつも、「ずいぶん根性ある奴じゃねえか」と一目置いて、評議委員長としても受け入れられたような気がする。趣味が悪い女狂いの点はさておいて。

 しかし、立村は結局、自分の保身のために杉本を切り捨てた。

 自分がふつうだと思っているのなら、男としては当然のやり方だろう。

 しかし立村は本音で杉本梨南のことを気に入っていたはずだ。

 好きな女はひとりで十分だろう。

 たまたま高級品の女子が振り向いてくれたからといって、自分の惚れた女を見捨てるなんてことができるだろうか。健吾だったら絶対にできない。はるみが仮に嫌われつづけていていじめられていたとしても。たとえはるみを選んで全校からシカトされたとしても。

 ──そのくらいのことをしないで、なあにが。

「俺だったら、たとえ嫌われ者に惚れたってかまわしねえ。絶対に守ってやる」 

 はるみの瞳をまっすぐとらえ、つぶやいた。そばでぱちぱちと小さな拍手。菊乃先生がにこにこしながらおなかの上で手を叩いていた。

「よっくわかったわ。しょせん、杉本さんの好きになる男の子って感じなのね」

「健吾の言うことは大げさです。だって、そんな人かどうかわかんないし」

「俺の言うことが間違ってるというのかよ」

「ううん、違うの。健吾。だって立村先輩は梨南ちゃんを振ったんだもの」

「だから言っただろ、自分の立場を危うくしたくないからだって」

「梨南ちゃんはそれに気付かないでまだ思っているのよ」

 知るか、そんなこと。あの女が誰に惚れていようが健吾には関係ない。立村に熱を上げてもらっている方が好都合だ。

「馬鹿は馬鹿どうしでくっついてもらってればいいんだ」

 菊乃先生はふんふんと頷きながら考え込んでいた。シュークリームをもうひとつつまみ、

「健吾くんは大変だったもんね。私もわかる。大嫌いな相手に好かれるってストレスたまるもんね。よく言うじゃない? 相手を好きになると大抵好きになり返してくれるって。大嘘よね。どんなに好いてくれても、絶対にいやなものはいやよね。しつこくされたらもっといやよね」

 どこかひっかかるものがあって、健吾は答えずに紅茶をすすった。音を立てて一気に飲んだのでむせた。背中に暖かいものが乗ったのを感じた。上下に温もりが動いた。

「あらあらはるみちゃん、いきなりさすっちゃだめよ。健吾くん、息の根止まっちゃう」

「そんなことねえよ」

 心臓がどくどくしたのを、どうやら菊乃先生に聞き取られてしまったようだった。


 夕方ではなく夜に近い時刻、ふたりは菊乃先生の部屋を出た。

「またふたりで来てね。もう私は、先生じゃないんだから。お姉さん、って呼んでね」

「お姉さんじゃねえだろ、おばさんだろ」

「こら、失礼なっ!」

 ごちそうさまと答えたはるみを無理やり先に外へ出し、健吾はもういちど菊乃先生に向い尋ねた。

「菊乃先生」

「ん? なあに?」

「さっき言ってたことだけどさあ」

 口篭もった。咽の小骨をとりたかった。

「嫌いな相手に好かれても、絶対にいやなものはいやだって、さっき言ってただろ。そう思っても絶対変じゃねえよな、俺」

「杉本さんをどうしても好きになれないってこと?」

 菊乃先生はそっと健吾の耳にささやいた。

「嫌いなものは嫌いでいいのよ。当然。でもね、健吾くんやはるみちゃんがあんな子のことで、叱られるなんて損よ。大丈夫、私も協力するから」

「協力?」

 おなかを撫でながら、もういちど菊乃先生は微笑んだ。

「私、もう先生じゃないのよ」

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