その3 戦う理由
いつも思うのだが、二年D組の羽飛貴史先輩はどうしてバスケ部に入らなかったのだろう。顧問が何度も説得したとかしなかったとか噂は聞いている。もし、羽飛先輩が入っていればもう少しバスケ部のレベルも上がっていたのではないかと健吾は常々思っている。
──委員会にも入ってないのに。もったいねえよなあ。
はるみを側において健吾は、自転車置き場の方でふたり語らっている羽飛先輩ともうひとりの女子を眺めていた。職員室前廊下の窓。まだ部活に出かけるまで十分くらい余裕がある。
「健吾、まだ行かなくていいの」
「お前が学校出るまではいる」
一言つぶやき健吾はさらに観察を続けた。片手をはるみの指先に触れさせて。温もりを感じると自然に気持ちが落ち着くものだった。他の連中からすると、「女を見ているとむらむらして押し倒したくなる」とか「夜眠れなくてどうのこうの」とか、いろいろあるらしいけれど、健吾に限ってそういうのはなかった。
──すべて、起きてる間に済ませてるっての。
はるみとはだいぶ、進んだ。
一学期悪夢の全校集会クイズ大会もどきのファッションショーで、はじめてはるみの手の甲にくちづけした時からもう、半年近く経つのだから。夏休み前、冗談めかしてはるみが、
「健吾、何がしたいの?」
と尋ねた時、思わずふらふらっと、
「言葉なんかじゃねえよ」
と、胸に手を伸ばしてしまったこともある。あれって俗にいうBって奴だろうか。でも意識はしなかった。まだはるみに触れた時の柔らかさはそれほどでもなかった。はるみも黙って健吾のしたいままにさせてくれた。抱きしめる時にはもっとやわらかくしなくてはならないんだ、そう思ったのもあの時だったろう。
──さっき梨南ちゃんが、私たちのこと、見てた。
思う存分触らせてもらった後、はるみがはにかみつつつぶやいたのを聞いた。あの女のことだ、告げ口するんでないかと焦ったけれども、
──うらやましそうな顔してたわ。きっと二年の先輩のところに行ったのよ。
もし告げ口されてはるみと引き離されるようなことがあれば、健吾は切り札を使おうと決めた。健吾がなぜはるみとくっついているのかその理由と、あの女がしてきた悪行の数々をすべて。
そのためには、隠しておきたい気持ちをさらけ出すしかない。
ずっと秘めておきたかった想いを。
「健吾、何を見ているの」
「羽飛先輩が帰るとこ」
気のないふりして健吾は答えた。指ははるみの手から離さずに。
やがてひとり、やたらと分厚いコートを羽織った男が現われた。顔をじっくり見なくても分かっている。シャーロック・ホームズがきているようなコート。青大附属で着ている奴は健吾の知る限りひとりしかいない。
──目障りな奴だぜ。
羽飛先輩の側にいる女子と話をした後、自分の自転車らしきものの側にしゃがみこみ鍵を外している。かばんを後ろにくくりつけ、羽飛先輩と頷きあって自転車を引き出し、校門の方へ向かっていった。
──あんな奴がなんで。しかも羽飛先輩とだ。何か裏があるに違いねえよな。
「見たくもないものって誰」
「あの、軟弱野郎に決まってるだろ」
吐き捨てるように健吾はつぶやいた。はるみも覗き込み、自転車の姿を見送った後、
「梨南ちゃんが片想いしてふられた人なのね」
こういう話をしている時、はるみの表情は崩れない。軽蔑するでもなく、物笑いにするでもない。ただたんたんと、つぶやくのみだ。幼稚園の頃「お姫様役」をあてがわれ健吾の側で甘えていた頃と同じ顔をしていた。
──この顔を取り戻すのに、六年もかかったんだ。
人通りが多いからこれ以上健吾も、恥ずかしいことをしないですんだ。
「じゃあ、玄関まで行くぞ。急いで帰れ。俺も家に帰ったら電話するからな」
「大丈夫。私、ひとりでも大丈夫」
健吾は聞いてない振りをしていっしょに玄関に向かった。二人隣り合えば、まだ指先が触れていても怪しまれないですんだ。
対抗試合の練習に向けて六時まで走りまわった後、健吾は大急ぎで着替えを済ませた。昨日手書きでしたためた手紙五通を配るため、まずは男子更衣室に向かった。上級生にばれないように、一年の運動部在籍者に。
──六通で間に合うってことが根本的な間違いだよな。
テニス部、卓球部、陸上部、剣道部、サッカー部、そしてバスケ部。いかに少ないか。情けなさ。健吾はそれぞれの部室の様子をうかがいつつ、顔見知りの一年男子を見つけてはひっぱりだした。
「なんだよ、健吾」
「これをとりあえず読んでくれ。それから話だ」
それぞれの部室で同じ言葉を五回繰り返し、最後にバスケ部の連中7人を呼び出した。ちょうど着替えがすんで帰るところだった。まだいるがほとんど幽霊化しているのも否めない。委員会のせいだ。
「俺の書いたもんをみんな、回し読みしてくれ。これから三十分後にグラウンドに集合だ」
「ひええ、これからかよ。腹減ったってのに」
「ばかやろう。部活なくなるかもしれねって時によく言えるよな」
一喝し、健吾は集合場所のグラウンド奥を指示した。
文面は以下の通りである。
青大附属中学運動部所属の一年男子へ
これから青大附属中学の運動部(バスケ部・テニス部・陸上部・サッカー部・卓球部・剣道部)の価値を高めていきたいと思う人は、ぜひ今日の夜六時、体育館裏のグラウンド裏にて集合してほしい。
真剣にこれからの青大附属運動部のことを考えたい。
青大附属の運動部は、現在どの部も二年の部員が少なく、存亡の危機に立たされているところが多いと聞いている。理由は委員会活動が最優先されているからだそうだ。そのため部活の練習がおなざりになりがちで、試合ではいつもぼろ負け。この繰り返しだ。
でも、それはまずいと僕、新井林健吾は考える。
これからの青大附属運動部のレベルを上げ、今の委員会最優先主義を変えていきたいと思う人は、ぜひ集まってほしい。
文責 新井林健吾(1B)
──どうせ俺は作文嫌いだっての。
自分でも下手な文章だということは自覚している。意味さえ通じればそれでよい。汗が冷えてきて風邪を引きそうだった。少し走って体を温めたかった。グラウンドにはサッカー部の練習も終わったようで人がいない。真っ暗い闇の中を健吾は一周、ウォーミングアップ気分で走った。
健吾が前から温めてきた案をここで発表する時がきた。
夏休みから、この状況をどう変えていくか、評議委員会最優先主義から部活動最優先主義へどうシフトしていくべきか、健吾はずっと考えつづけてきた。
もちろんきっかけは、一学期六月の、評議委員会でのごたごただった。
自分が器の小さい奴だと思い知らされた。
てっきり健吾は自分が次期評議委員長に指名されるもんだと信じ込んでいたのだが、ふたをあけてみれば本条委員長は次期委員長に立村を指名した。立ち直れないくらいの衝撃を受けた。
次期委員長が杉本でなかっただけまだいい。あとで自分を慰めた
立村は最初から異様なほど杉本を可愛がっていた。ちゃんと彼女がいるというのに、ふたりっきりで喫茶店に連れて行くとかしたりしていた。かばいたてする行動は、健吾以外の連中からも、
「立村先輩はきっと杉本さんのことが好きなんだ」
という的を射た意見が出たりするくらいだった。
──なんで、清坂先輩を選んだんだか。きっとあれだな。あいつは自分の身を守るため、人気のある清坂先輩にくっついて周りを懐柔しようとたくらんだってわけだ。はは、肝っ玉の小さい奴だぜ。まあな、あの女とくっついたら、俺たち一年男子連中からは総すかん食うと、あの軟弱野郎も想像ついていたんだろう。
現在立村の恋人とされる清坂美里先輩。あの人はもし同級生ではるみがいなかったとしたら、健吾もふらっとしていたかもしれない「女子」のイメージそのものだ。杉本にひっついているうざい連中とは違う、さわやかに気持ちよくしてくれる女子だ。ああいうのがなぜ、一年にははるみしかいないのか、健吾には謎過ぎるくらい謎だ。もちろん男子からも人気が高く、しょっちゅう他の男子たちからつきあいをかけられているという噂もある。
なのになぜだろう。
──なんで清坂先輩がだ、あの男でがまんしてるかだ。
──ちゃんと羽飛先輩がいるってのにだ。
──なにか、まずいことでもあったのかもしれねえな。
二年の恋愛事情なんて知ったことじゃない。健吾が知りたいのは、
「なんで立村は自分の保身のために命を賭けるのか」
一点にすぎない。
気に入っているなら堂々と杉本を彼女にするなりして、いっしょに嫌われる覚悟を決めればいいのだ。そうすれば、健吾も奴を見直すだろう。最初の印象を覆すだけのものをもっていれば素直に頭を下げる。自分を折って反省するだけの度量を持ちたい。
しかし、立村の過去を聞くにどう考えても納得いかないところが多すぎる。
──まず、清坂先輩を口説く前にあの男、別の女子にしつこく言い寄ったらしいじゃねえか。この前先輩たちから聞いたぞ。確か杉浦さんだったか、そういう女子に二回くらい告白かまして、振られたらしつこく追いかけていたらしいってな。可愛い感じの子だって聞いたけれども、あまりにもしつこすぎて相手の子がノイローゼになって、結局先生たちに怒鳴られて一件落着だったらしいってな。別に好きなら好きでいいけど、振られたらふつう、きるだろ。しつこく追われたらいやだってのが、想像つかねえのかよ。まるであの女と一緒だな。
あの女。
一周し終わると息が黒い幕の中で白く浮かんでいた。急いでグラウンド奥の陰に向かうと、すでにいらいらしながら八人ほどの連中がうごめいていた。ジャージ姿が三人、あとはブレザーにスタジャンを着た連中だった。汗くさい。
「健吾、わるいがなんか食うもんだけ買って来ていいか」
突然切り出されて健吾は顔を眺めた。サッカー部の男だ。
「どうせ長くなるだろうってことでさ。コロッケ九つ、一個五十円。どうだ」
みんなやる気らしい。健吾はすぐにポケットから財布を出し、千円札を取り出した。
「わかった。今日は俺が呼び出したから俺のおごりだ。もちろんつり銭、返せよ」
健吾が来る前に奴らも考えてくれたのかもしれなかった。あと三人が後で加わり、六時半開始予定の集まりは十分ほど早まった。揚げたてのコロッケをみなでくわえながら地べたに座り込み、健吾はまず、大体の説明を行った。
「俺が一応、B組の評議委員であることが今のところネックになってるってわけだ。本当だったら毎日俺もバスケ部の練習に打ち込みたいし、もっと他の学校の練習試合に出たいんだ。けどなあ、評議があるだろ。十月はほとんど使い物にならない状態だったしな」
「ああ、健吾の立場は複雑だもんなあ」
みなが頷いた。
「けど、委員会活動しないと怒られるだろ。先輩たちに」
「先輩にはな。けど先生にはなんも言われねえよ」
「はあ?」
意外だ。健吾はてっきりみな、青大附属の委員会活動優先主義がゆらいできていることに気付いていると思ったのだが。みな、あきらめの境地に達していたのかもしれない。これはまずい。健吾は慌てて続けることにした。
「いいか、良く聞け。今日俺が集まりかけたのはな。今、学校側がだんだん代わってきてるってことを伝えたかったんだ。俺たちが入学した時、先に部活を決めて、それから委員会を決める、そういうやり方だったろ?」
みなが頷く。
「どうも今の二年は先に委員会を決めて、それから部活に入れるかどうかチェックしたってやり方だったらしいぜ。冗談じゃねえよ。まさか俺だって、評議委員がこんな怪しいファッションショーやったり演劇やらされたりするとは思わなかったもんな。俺は絶対止めてたぜ。わかってればな」
みな同情めいた笑いを漏らす。みな知っているのだろう。六月の全校集会での、はるみへの手の甲キス事件を。恥ずかしいと思うのはもうあきらめた。
「だから今の二年たちは委員会ばかり最優先して、部活のことなんて全然考えようとしないんだ。まあしゃあねえよ。忙しいことはしゃあねえよ。けどな、それで対抗試合が減っちまうとか、練習を休まれるとか、そういうことが続くと俺だってたまったもんじゃねえよ」
「じゃあどうしたい、健吾」
闇の中から声が聞こえる。たぶん剣道部の奴だ。
「二年に逆らおうってのか。それは悪いが御免こうむりたいぜ」
「ほほう、なんでだ」
反発。感じて健吾は尋ねた。
「剣道部の先輩たちはみんないい人ばっかりだからなあ。俺はあまり波風立てたくねえ」
噂に聞くところによるとそうらしい。剣道部もかなり先輩後輩の面倒見がよく、弱小ながらも頑張っているらしい。
「そうか、他に先輩がたと喧嘩したくねえって奴はいるか」
「俺も」
今度声があがった。サッカー部だった。
他の部からも似たように手が上がった。
「なんでだよ」
「なんかわからんけど、二年の先輩たちってみな親切だと思うぜ。俺も公立に行った奴の話聞くけどさ、先輩達って結構怖いらしいだろ。やきいれたり、殴ったりするって。俺のとこもそうだけど大抵の部活、そういうのないらしいってな」
──要は、二年に骨抜きにされてるんかよ。評議委員会と同じだぜ。
健吾はため息を気付かれないようについた。
「よくわかった。けど俺は決して、二年に喧嘩を売りたいとかそう思ってるわけじゃねえ。今回あえて一年連中に集まってもらったのはだな」
脂臭い匂いが漂った。みなコロッケを食った後の口臭だ。
「俺たちにとって運動部ってのがどれだけ大切なものなのかを、他の連中に知ってもらう必要があるってことだ。委員会よりも運動部の練習を優先してどこが悪いって、俺は思う。もちろん学校祭とかそういう行事がある時は別だけど、それ以外のどうでもいい行事についてくっついていく必要があるのかどうかってことだ。どうせ弱小部、試合に出てもすぐにぼろ負け、もしくはコールド負け。情けねえ連中と思われてるかもしれねえ」
「だって本当だもんなあ」
脳天気だというかこいつらは。健吾は一発ぶんなぐりたいのをこらえてさらに話を続けた。
「だが、試合に出ている時の俺たちは、委員会で居眠りこいている時の自分とは違う。本気で戦ってる。それをまずは、大人である先生たちに見せ付けてやろうと俺は思ってるんだ」
「は、先生?」
まだわかっていない。意味が不明といわんばかりのざわめきがコロッケ臭い息とともにもれる。
「お前ら知ってる奴も多いと思うけど、今の先生たちは、青大附属の委員会最優先主義をあまり良く思ってないらしい。もちろん勉強しろしろってうるせえけど、それ以上に部活のレベルが下がってることを嘆いてるみたいだ。だから、俺たちが結果を出せばそれなりに納得してくれると思う。そして、委員会に現抜かして遊び呆けている連中よりも、俺たち運動部の方を大切にしてくれるんじゃないかって思うんだ」
「そうかあ、問題は結果が出ないと」
気弱な奴らだ。だからこいつらはいつもなめられるのだ。健吾は怒鳴りたいのをかろうじてこらえた。
「先生たちが変われば、あとは影響されて他の生徒連中も変わる。俺もできる限りバスケ部と評議を両立させたいが、できれば比重を八対二の割合でやりたいんだ。そのためにはもっと、実力のある存在であることを見せたいんだ。わかるだろ」
みな黙りこくった。空気のコロッケが消えていく。寒さで指がかじかみ、なんどかさすった。手の皮が少し破けていて、健吾は何度かそこをなめた。はるみが二人っきりの時に同じことをしてくれた。
「健吾、わかった。要するに俺たちは何をすればいいんだ」
「青大附属の運動部はがんばってるんだってことを、結果で見せることだ。とりあえず俺は来週の対抗試合でシュートを最低五つは決める。相手は水鳥中学で結構強敵だが、やるっきゃねえだろ」
健吾はもうひとり、陸上部の奴に話を振った。
「お前も来週、長距離走るんだろ」
「ああ。けど見込みねえよ」
「最初っから気弱なこと言うんじゃねえよ。いいかお前。そりゃあ負けるかもしれない。それは俺も正直なところ勝つ自信なんてねえよ。先月の試合ぼろ負けでさんざん物笑いになったからな。けどな、俺としては絶対、手抜きしたところは見せたくないと思ってやった。いくらやってもシュートは決まらねえし、足は重くなる。けど、汚い手は一度も使わなかったぜ。正々堂々と勝負しつづければいつかは通じるもんがかならずあるはずだって、俺は絶対思うんだ」
「そうかなあ」
みな、わかっているのかいないのかわからない反応を返すだけだった。
「じゃあ言い方替えるぜ。負けたっていい。負けるなら負けたで、堂々と言い返せるだけの勝負をした証明をしようぜ。手抜きはしてない。堂々とした勝負でもって、玉砕してるってな。俺はそれぞれの運動部の結果を集めて、毎週朝の会で評議の特権を使って報告する。俺の文字は汚いから、誰かに書かせて学級新聞みたく張り出してもいい。とにかく運動部はこれだけ頑張っているんだってことを、学校の連中に知らしめることが最初なんだ」
健吾の剣幕にだんだん飲まれたのだろう。円陣がだんだん狭まってきたような気がする。ふたたび肉の匂いや油のかすかな息が漂い始めた。
「健吾、そうだな。精一杯やったことをまずは」
「わかったか、お前ら」
片手を差し出し、健吾は冷たい手がだんだん重なってくるのを待った。「ファイトー! オー!」と試合前に気合を入れる儀式に似ている。重なるごとにだんだん暖かくなる指先。
「よし、じゃあ気合一発いくか! 青大附中運動部復権に向けて、ファイットー!」
「オー!」
空気がコロッケの息そのもので一杯だ。満足だ。健吾はその息を胸いっぱい吸い込み直した。
宣言はしたものの試合はやっぱりぼろ負けだった。中体連常勝チームの水鳥中学から勝ちを期待する方が無謀だといわれていたが、それなりに健吾もシュートチャンスをつかんだ。もっともその倍、相手側にボールを奪われてしまったら立場がない。なにせ二年が主流の水鳥中学チームに比べ、青大附中は二年が全く使えない。本当だったら健吾が司令塔になりたかったのだが、一応は先輩を敬わなくてはならないのでそこんところもうまくいかない。
──そうなんだよな、先輩たちがいい奴過ぎるからなおさらうまく切り捨てられないってんだよな。
運動部の一年たちが集まり、「結局は先輩に反抗できない理由」としてあげられるのが、現二年生たちの穏やかな性格だった。本当に運動部に入りたかったのか?と尋ねたくなるような、競争心の薄い連中ばかりで、非常にやさしい。女子の方が勝気と言われている。非常に面倒見がいい。食い物の奢りは先生たちに見つからないよう、毎回行われている。もちろんしごきいじめなんてあるわけがない。みなにこやかに「お前ら、早く帰れよ、風邪引くなよ」と、暖かい気遣いのあるお言葉を賜る。そりゃあ性格の不一致は多少あるかもしれないが、とにかく親切な奴らばかりだ。
──実はそれがネックになってるんだな、うちの学校の運動部は。
闘争心溢れるプレイがモットーの健吾としては、頭の痛いところでもある。むしろ一年同士の間でぶつかり合うことが多いような気がする。大抵は二年に割って入られて、結局なあなあで終わる。やるときは鉄拳の一発二発食らわせてもいいと思うのだが、過剰に暴力を避ける人々だ。
──なんだかなあ、いい奴が多いとやり方も難しいぜ。
月曜の朝、健吾はまず学校に到着後、それぞれの一年運動部連中から、部活の最新情報および試合の結果について全部聞き取り調査をした。明るい情報は一切ない。みなぼろ負け情報ばかり。気がめいるが言い出しっぺの健吾だしかたない。ひとつひとつメモをしつつも、どういう試合だったか、どういう見せ場があったのか、相手チームはどのくらい強かったのか、を克明に記した。スポーツ関係の記事を書く記者になった気分だった。
「健吾、お前のとこはどうだったんだよ。バスケ部は」
「シュートは決めたぜ。しっかりとな」
「それ以上の突っ込みを求めないのはどういうわけだ?」
お互い様だ。ということで教室に戻り、はるみを呼び寄せてまずは模造紙を広げた。
「お前、このまま俺の書いたとおりに書け。色はなんでもいい」
「え? 私が?」
「佐賀の文字の方が読みやすいだろ。上に『青大附中運動部最新情報速報』って書け。あとはお前の好きな書き方で全部写していけばいい」
「いいけど、私で本当にいいの」
「だからそう、びくびくした言い方するな! 怒るぞ!」
健吾が怒鳴りそうになるのではるみもおとなしく赤マジックと橙色マジック、そして黒マジックを使い分け丁寧に文字を埋め始めた。紙から下に映らない様に二枚模造紙を重ねている。健吾の机とはるみの机をくっつけるのは当然だった。健吾が紙を押さえてずれないようにしてやった。
からかう奴がいたら殴られるのをみな知っているのだろう。ちろちろ女子たちが見つつむ、無言で席に着く。一度はるみの髪型について「媚びてるよね」という悪口を言った女子がいたので、きちんと筋を通した話をしてやった。素直に納得してその場は収まったのだが、後で杉本梨南がロングホームルーム時に持ち出して大騒ぎになった。当時はまだ溝口先生だったから手におえなかった。今なら桧山先生にあっさり、「失礼なことを言われたら抗議するのが君の主義じゃなかったのかな。杉本さん」といやみをこめた一発を食らっておしまいだろうが。たぶん溝口先生が身体を壊した原因のひとつは杉本にあると、健吾は思う。
くだんの杉本梨南も、クラスの不良女・花森なつめ嬢と一緒に教室に入ってきた。けげんなまなざしを投げたけれども、そ知らぬ顔を決め込んだ。会話を成立させない、クラスのことについては健吾が仕切り、委員会関係は杉本が担当するという約束を交わしているので、こういうことについてはよけいな口をはさまれないですんだ。ポニーテールにして長い髪の毛を束ねていた。一学期の頃は女子たちからうらやましがられていた長髪だったが、最近は特別そういう話題もない。はるみが中華風娘の髪型、二つ分けした髪を丸めて耳の上で留めるという器用なことをしてきてから、そちらに目がいくようになったらしい。
「健吾、これでいい?」
「上出来だ。よし、俺と来い」
すばやく健吾は廊下にはるみと共に飛び出した。画鋲と椅子を一脚抱えた。
「いいか、押さえてろよ」
廊下前の掲示板に手を伸ばして貼り付けた。どうも斜めっているような気がするが、その辺はご愛嬌だ。とにかく健吾の目的はひとつ。
一年の連中に、運動部がきっちりと活動していることを知らしめる。
それも一年たちが、負けているとはいえ努力していることを伝えることだ。
「ね、健吾」
「なんだ。うるさいな」
「もし、また作るんだったらもっときれいなの作りたい」
「はあ?」
なんとか画鋲で貼り付けた後、健吾は聞き返した。
「だって、文字だけでつまらないもの」
──じゃあ作ってみろよ。どうせ俺は。
むっときたのをはるみはやわらかな笑顔で遮った。
「健吾怒らないで。私、うちでもっときれいに作りたかったの」
椅子を抱え直し画鋲の箱を渡し、健吾ははるみの耳に息を吹きかけた。
桧山先生が入ってきて開口一番。
「いやあ、すごいなあ。どうした新井林。朝の会始まる前に青大附中スポーツニュース最新情報が入るのは嬉しいぞ。おい、バスケ部どうだった?」
起立・礼・着席の前にいきなり話を振られてしまった。鼻水をすすりつつ健吾は答える。
「はあ、やっぱり朝の会だけだとB組の連中しか知らないことになるだろうからってことで、やってみました」
「新井林の意見か」
「書いたのは佐賀です」
真ん中にでうつむいているはるみに視線をやり、健吾は靴の紐を結び直した。上靴をスニーカーにしているのはクラスだと健吾くらいなものだ。
「ほお、きれいな文字書くんだなあとは思っていたが。そうかそうか。新井林の手伝いか」
「いや、来週からは佐賀に一通り任せる予定です。俺が情報を集めて、夜のうちに佐賀に作らせて、朝貼るって形にします」
壁新聞。
小学校の頃にやらされたことがある。大抵、近所の火事情報とか、お祭りとか、ニュースめいたものとかを載せて、各クラスにポスターとして貼り付けるのがメインだった。あの頃はいやいやだったが、あらためて思うのは経験のありがたみだった。
──青大附中スポーツ新聞を壁新聞形式でつくりゃあいいじゃねえか。
行き当たりばったりとはいえ、形は整った。
はるみまで、いきなり手伝いを申し出てくれたではないか。
もっときれいなのを作ってくれる、と言ってくれたではないか。
健吾は後ろに張り出してある、四角張った文字の、面白みのない文字の羅列、評議委員会関係の張り紙を眺めてみた。全部、一学期のうちに杉本がひとりで定規を使ってこしらえたものだった。見た目きちんとしてはいるが、遊びがない。すべてが四角い枠の中に押し込められて、やたらとかちかちしている。はるみの柔らかい文字に比べて息苦しい。
「そうだな、佐賀、そろそろ時間割とかも汚くなってきたしな、佐賀がそういうデザイン関係が得意ってことだったら、時間ある時に書き直してもらいたいなあ」
──こうきたか。
ぴんときたのは健吾だけではない。はるみの真後ろにいる女の顔も、すっくと上がり、真っ正面の桧山先生を見つめていた。さすがにつっかかりはしない。
──そういう動物的本能は鋭いよな。
全く揺らがない桧山先生の表情が心地よい。さっそく健吾は起立・礼の号令をかけた。
特別、桧山先生が何をしたわけでもない。はるみについては健吾が毎朝つききりだ。女子だけの授業ではかなり、他の女子から嫌がらせをされているらしいが決して愚痴をこぼさないはるみ。杉本が操っているらしいのだが、本人が手を下さないので周りからも誤解されているようだ。「杉本さんと仲良しだったのに、いきなり男を選んだ佐賀さん」という誤解だ。その「男」である健吾としてはなんともいえない部分がある。
しかし、クラスの女子たちは知らないのだ。
はるみに杉本が何をしてきたのかを。
──あんな男と一緒にいると馬鹿になるから離れなさい。はるみ。あんたにプライドってもんはないの?
──男はみな馬鹿ばかり。死ねばいいのよ。
──こんなピンク色のノートを使うのはやめなさい。はるみ。こんなのを使うのは頭のレベルが低い印なのよ。そういうのではなく、全く何もついていない上品な便箋を使うべきなのよ。私のように。
小学生の言葉じゃない。どっかのおばさんたちが「おほほ」と言っているのではないかと思う。しかし、口にしていたのは小学校一年から六年にかけての杉本梨南だった。ノートの色くらいでレベルが低いというところに、何か勘違いしたものを思う。そういうお前は今、「上品」なノートを使って、ねとっとした顔つきで背を伸ばし、一点を見つめている。ひそかに他の連中、最近は女子たちからも、
「ひとつのものしか見てないみたいで、怖い。霊能者みたい」
とささやかれていることに気付いてもいないようだ。
たぶん、杉本の見ているものはひとつなのだろう。
健吾や桧山先生、はるみには理解できない生命体を見つけているのだろう。怖い怖い。
──桧山先生はいつ勝負をかけるつもりなんだろうなあ。
健吾が涙ながらに訴えた二者対談。あれから桧山先生の行動をかなり観察していたのだが、特段変わったことはなかったようすだった。早くつぶすならつぶしてほしいし、ロングホームルームでまた、はるみに対する女子のいじめ問題についてやるのならば早くしてほしい。それなりの資料を集めるべく、健吾は毎日はるみの側に目を光らせていた。
「佐賀、今日は体育の時間、女どもになにかされなかったのか」
「大丈夫、私、ひとりで大丈夫だから」
「いいか、あの女なんかにくっつくんじゃねえぞ。いいか」
「梨南ちゃんは私を嫌ってしまったみたいだもの」
「あの女が土下座してあやまってきても、決して許すんじゃねえぞ。佐賀。お前があの女にされてきたことは、とことん蹴りを入れてもかまわないことばかりなんだからな」
健吾が繰り返しはるみに言い聞かせてきたこと。
はるみは素直に受け入れてくれているのだろうか。
どうもそこが不安だった。いくら杉本のあくどさを説明しても、
「でも、梨南ちゃんがかわいそうだから」
とくる。かわいそうという言葉はまだ、杉本に対していい感情を残していることなのかもしれない。六年間洗脳されつづけてきたのだ、元に戻すのに時間がかかるのは覚悟の上だけど、健吾は日々いらいらする。むかむかした挙句、帰り道にいつも肩へ手を伸ばす。両手を合わせ、はるみのひたい一点に唇を近づける。本能だ。黙ったままうつむくはるみを見て、また衝動が走り同じことを繰り返す。幸い、まだ第三者に見られたことはない。
あまり学内でくっつきすぎていると、上級生たちに冷たい視線を注がれる恐れがあるので、はるみと仲のいい他クラスの連中のところに連れて行った。杉本から離れてだいぶたち、はるみもそれなりの友だちを外で作っているようだった。
それがいい。それができるだけの力を持つ女だ。佐賀はるみは。
健吾は給食後の腹ごなしに体育館へ向かった。
空いていればバレーボールかドッチボールかのうちどちらかをできるのだが、大抵は二、三年が占領している。さすがに上級生を敬うしかないのですごすごと帰る。今日も同じ状況だった。ブレザー、ネクタイともに脱ぎ捨てボールにかじりついているのは、二年D組の羽飛貴史先輩だった。幻のバスケ部エースになるべき人だったはずだ。なんで帰宅部なのか、健吾には理解できない。
二年D組というと、あの軟弱次期評議委員長も混じっている。仲間内で遊んでいるのだろう。三対三に分かれてシュートを決めるべく飛び回っている。
「羽飛、よーし、その調子!」
上から女子の嬌声が聞こえるのも毎度のこと。やはり二年D組の清坂美里先輩と他の女子たちが二階から見下ろしていろいろ批評している。
「ほおら、立村、ほらちゃんとボール狙えってば、全くあんたってガキなんだから」
目立たなかったので気付かなかったのだが、ちゃんとかの次期評議委員長様もボールの奪い合いをしているらしい。目を凝らすと確かに、羽飛先輩と反対側の組で、ボールを奪ってはドリブルで進んでいる。しかしシュートチャンスを生かそうとせず、他の奴に回してしまう。結局は羽飛先輩がすぐに奪い返してロングシュートを決めるパターンだ。まさに、委員会時と同じ。ヒーローは羽飛先輩で十分って奴だ。
──やっぱ、バスケの試合は人間関係を写す鏡だっていうけどほんとだな。
今後の委員会研究に参考になる事例だと思いつつ、健吾は体育館から出た。
立村が小学校時代、死ぬほど泣き虫だったから嫌いになったわけではない。
意味不明の女子おっかけ事件を起こして騒ぎになったという女狂い伝説を聞かされて軽蔑したわけでもない。
自分に関係なければ勝手にしろってことだ。その噂を事細かに教えてくれた先輩も、さほど立村に対しては嫌悪意識を持っていないようすだった。
「ま、あいつも悪い奴じゃないんだけどな」
と大抵前置きがついていた。
最初の他中学交流試合についていった時だったろうか。
本品山中学に遠征で出かけた時、たまたま青大附属中学の話となり、
「そういえばなあ、品山で三年ぶりに合格した奴がいたんだけど、あいつ元気かなあ」
という脳天気な話題に進み、
「そういえば立村っていたけど、あいつ相変わらず授業中しくしく泣いてるのかなあ」
「ちょっと肩を叩いて、驚かせただけで泣き出すしなあ」
「人が近づくだけでもだめみたいだったぞ、あいつは」
「まあでも、ああいうのって切れると怖かったよなあ。何されるかわからねえしなあ」
しかじか。しかじか。健吾が盗み聞きした範囲によると、品山小学校三年ぶりの合格者たる立村上総は、信じられないささいなことで大泣きしてしまう困ったガキだったということだった。もともと軟弱な男は無視するつもりでいたが、さらに理由が深まった程度に過ぎない。
しかし何でだろう。
もっといいかげんで馬鹿であっても、いい奴、尊敬できる奴、そう思えればためらうことなく健吾は頭を下げるだろう。そのくらいの礼儀は持っている。九九はいえなくても知らない国の言葉をあっという間にマスターしてしまうという能力は、すごい。曲がりなりにもあそこまで男子連中の信頼を集める手段は相当なものだろう。
あれさえなければ健吾は素直に立村を先輩として呼んでやれるのだ。
──あの女なんかをひいきしなければな。
入学当時から、どうも立村は杉本梨南をすっかりお気に入りにしているらしかった。あの全校集会ファッションショーでも杉本のことを絶賛し、やたらと呼び寄せ近所の喫茶店に連れ込んだりする始末だ。ちゃんと立村には清坂先輩というもったいない彼女がいるというのにだ。
まがりなりにも彼女がいるなら一筋に生きろと健吾は叫びたい。
それともなにか。杉本の気持ち悪いくらいぶらさがった胸が好みなのか。
単なる巨乳好きなのか。
なにかあると「杉本は頭がいいよ。本当にすごいよ。よくやった」と繰り返している。そのくせ杉本には「あの不細工な顔」と謗られているのを知ってか知らずか。自分を可愛がってくれる先輩にすら、あの女は平気で失礼極まりない言葉を投げるのだ。お天気な奴だ。きっと杉本にのぼせ上がっているから、何も回りが見えないのだろう。
健吾はどうしても許せない。
最低女に狂っている馬鹿男。
どっちもどっちだ。