その2 軽蔑する理由
評議委員会には出ないが、本条委員長仕切るじきじきの集まりには参加することもある。部活の練習が休みの日など健吾はだるい気分で三年A組の教室へ向かった。大抵男子評議委員のみの集まりである。一年男女評議の仲の悪さに手を焼いた本条委員長が、独断で決めたことらしい。一部の女子たちからは「男女差別よ」と問題視されたらしいが、その辺はお上手な本条委員長。夏休みの段階で氷解させたとか。
「ということでひさびさに野郎会が開けるってわけだ。やっぱりなあ、新井林、お前がいないと締まらんぜ」
嬉しいこと言ってくれるじゃないか。やっぱり本条委員長に男子連中がほれ込むのはわからなくもない。健吾は無表情ながらも黙ってノートを広げた。別にメモするつもりもない。ただ、他の先生たちが通り過ぎた時に「一応、評議委員会の延長」という顔ができるよう、カモフラージュするためだ。
「といっても、大きい行事は一通りすんだと。学校祭も合唱コンクールもなんだかんだ言って無事終わったしな。立村、お前もよくやった」
「ありがとうございます」
二年D組の評議委員、かつ次期評議委員長を任命されている立村上総が頭を下げていた。みな当然のように頷いているのが解せない。いったいこの男のどこが怖くて、周りを黙らせているのだろうか。健吾にとって青大附属七不思議の一つである。
──第一、こいつの本性および過去をみな、知ってやってるのか?
──すべての元凶はこいつだってこと、気付けよお前ら。
健吾も本当だったら、立村のやってきた過去の悪行をさらけ出して窮地に追い詰めたいと思う。それだけのことを以前はされてきた自覚もあるし、何よりも第三者からの情報をたんまり仕入れている。年上らしいが、たいしたことはない。立村を一度だって先輩だと思ったことはない。
「ということで、十一月に入ると三年連中は最後の進学試験の時期になりほとんど使いものにならなくなると。俺もしばらくは受験生の顔をせねばならないと。ただそれでも二年たちは忙しくて、冬休みに向けてのビデオ演劇創作をやらねばならないと。裏での仕事はたんまりあるわけだな。一年もまあいろいろ部活とかなんとかで忙しいと思うが、少しずつでも手伝ってもらえないかなあ。な、新井林」
「すいません。十一月はまだ試合があるんで」
本当だ。二、三年が使い物にならない現在のバスケ部、健吾がエース状態なのだ。小学校時代はそれなりにいいポジションを取っていたけれども、青大附属ではにょきにょきと力の差を見せ付けられるようになってきた。たっぱもあるし、シュートの確率も高いとあって、顧問の先生からは、
「青大附中のバスケ部を復権させる切り札だな、お前は」
とまで言われている。ありがたい。
「そうか、新井林はなあ、バスケ部のエースだもんなあ」
「二年が本当は主力のはずなんですけど」
嫌味を言うが気付かないらしい。それもよし。他の先生たちから聞くことによると、運動系で力のある連中がみな、委員会活動を優先させてしまい、運動部ではほとんど幽霊状態だという。本条委員長も、本来ならば陸上・バスケ・男子バレーなどなど大抵の体育部での活躍が予想できたのに、あっさりと評議委員会に没頭されてしまったという。何度か運動部に入るよう説得されたらしいが、あっさり断ってしまったとか。
さらに信じがたいことなのだが、かの立村ですらも卓球センスにおいては非凡なるものを持っていると聞く。悔しいが健吾も生で見た。一学期に行われた球技大会で、健吾すらすごいと思った二年卓球決勝の試合。あの馬鹿づらでも、卓球のラケットを握っている時だけは真剣な顔でもって球を跳ね返していた。結局審判の誤審で負けたものの、健吾の視点から見ても立村の方が有利だったと判断する。対戦相手は二年卓球部のエースだ。当然、立村にもそれなりの話があって当然だろう。
──運動部がこんなんになっちまったのは、みな委員会のせいだっての。
ひとり、バスケ部を背負って立つ健吾としては、頭にくることこの上なし。
顧問の愚痴を聞かされるのもうんざりだ。
「とにかくだ、お前ら。しばらくは二年を中心とした活動に切り替わると思うんで、みな仲良くやれよ。それとだもうひとつ」
本条委員長は横目で扉の方を観た。ほんのわずか、開いている。立村が気付いたらしく、すぐにぴたりと閉めに立ち上がった。目と目で語り合うのが二人は得意だ。噂に聞く「本条・立村ホモ説」が本当ではないかと思うのはこのあたりだ。
「すでにみなの衆ご存知かと思うんだが、青大附属では今年に入ってから、委員会活動に対する風当たりが非常に厳しくなっているんだ。一年の連中は知らないだろうけどな。部活に入ることを最優先にして、委員会活動を後回しにしろというご沙汰が出ているようなんだ。まあ、二年あたりまではそんなことなくてな、委員を決めたあとで初めて部活を選ぶ形式だったんだが。そうだろ、立村」
にやにやしながら本条委員長は指を軽く突きつけた。立村もこめかみをつつくようなしぐさをしながら頷いていた。
「そうですね、僕たちの頃は、一年の宿泊研修が終わってからまず委員会を決めて、それからでしたから。ただ、D組の担任は部活に力を入れろとうるさかったですが」
「菱本さんじゃあなあ、そうだわな。ま、お前のクラスには次期規律委員長もいることだし、特に問題はないと見えるが」
「二年に関してはまず問題ないと思われます。ただ」
「ただ、なんだ?
「一年以降の問題です。現在僕の知る限り、まずは部活を活性化させてそのあとで、委員会を行おうという指導が行われているようです。僕もよくその辺はわかりませんが」
──なに口走ってるんだ。こいつ。つまらん委員会やってるよりも、身体動かして勝負かけてる時の方が燃えるに決まってるだろうが。
落ち着いた口調で、一言一言きちんと並べていく立村。髪型は襟足まできちんと整えている。いかにもいいとこのお坊ちゃんだ。前髪もさらさらした感じだが少しだけふくらませているのが笑える。顔立ちがどことなく男か女かわからないところとか、異様なくらい肌が白い。病人じゃねえかと最初見た時ぞっとした。「こいつ女じゃねえか」と一時期真剣に疑った。
「青大附属の部活動が低迷していることは認めます。運動部を始め文化部の人たちがかなり厳しい立場だとも聞いてます。ただ、それと委員会活動の上下を決めるのはおかしいと僕は思ってます。現実問題、委員会活動があったからこそ、これまでの学校行事が盛り上がってきたところもありますし、体制をこしらえた結城先輩の力でもあると思います」
「そうだな、結城さんは自分が遊びたいというただそれだけの理由で、部活動よりも委員会活動を守り立てるべく評議委員会最優先主義を唱えちまったもんなあ」
この辺は噂でしか聞いていないので聞き流した。部活に入ることを家で禁じられた結城さんという先輩がいて、抜け穴のひとつとして「委員会活動を部活化」という案をこしらえたのだそうだ。それが続いて現在にいたるというわけだ。まあ、部活は練習時間も取られるし、親たちが嫌がるのもわからなくもない。その時間があれば勉強しろ、と言いたかったのだろう。結城先輩にとってはそれでベストだったのだろうが、四年前と今とでは事情も違う。健吾は教室でうだうだ下らんこと討論している時よりも、体育館でめいっぱいドリブルしてボールを奪いシュートする方に情熱を感じる。
「別に、委員会よりも部活動を優先とするのならばそれはそれでかまいません。ただ、委員会を大切にしている人たちの邪魔をするのだけはやめていただきたいし、その反対もしかるべしではないでしょうか。僕は、委員会側の人間としてそう思います」
拍手。二年の男子評議たちは妙に団結力がある。どうしてかわからん。共通しているのは、みな文化系の顔をしていることくらいだろう。少なくともこいつらが球技大会で活躍しているところを健吾は一度も見たことがない。
「よくわかった。立村、そうだな。ただ現実問題として、評議委員会が存亡の危機に瀕してることもわかってるよな」
「冬になったらひとつ考えていることがあります」
「なんだよそれは」
「教えられません。今は」
ささやかに笑みを浮かべながら立村が答えた。このしぐさといい、表情といい、どうみても女である。健吾は決して女子を軽蔑してはいない。女はむしろ好きな方だ。はるみ以上の女はいないと思っているだけのことだ。ただ、中途半端なおとこおんなというのには虫唾が走る。堂々と男は男、女は女、ついてるものがついてるのか、さわるところがあるのかないのか、見せ付けてくれるならば落ち着くのだが、どうも立村にはそれがない。一言でいうと、軟弱だ。
──やだやだ、この言い方が女々しいっていうかなあ。
もうつっかからないことに決めているのも、こちらにとばっちりがくるのがいやなのと、これから計画することを邪魔されるのがいやだから。
「まあいいか。わかった。その代わりあとでこっそり、教えろよ」
さすが「ホモ説」のお相手といわれる本条先輩。そこらへんの抑えも完璧だ。
──やっぱし本条先輩はかっこいいよなあ。
「とにかく、今の状況は部活最優先主義にだんだん傾いてきてるってことで、委員会一筋で生きてきた俺としては非常に淋しいもんがある。ま、新井林、お前をバスケ部のホープとして大切にしたい気持ちもわかるんだ。わかるんだがなあ」
「俺は大丈夫っすよ。ひとつのことしか出来ねえ程ばかじゃねえから」
あえて、もうひとりの二年に聞こえるように健吾は返事をしてやった。
「俺は二足のわらじがはけねえほど軟弱でもばかでないですから。成績もなんとかなると思いますが、それを認めない奴だって世の中いるわけで、それはしかたないです」
「さあどうした立村、お前すっかり元気ないなあ」
からかう本条委員長の声。二年側の席を横目でうかがうと、立村の表情が少々こわばっているように見受けられた。次期評議委員長に指名されているとはいえ、二足のわらじがはけそうにない代表格だと見て取ったのかもしれない。やっぱり切れる奴は切れる奴の気持ちがわかる。そして切れない奴の精神状態も手に取ったように分かる。
──だから、なんで本条先輩は、俺を次期評議委員長に指名しねかったんだよ。あれだけ切れる人がなあ。俺だっていくらでも二足のわらじはいてやったんだぞ。あの馬鹿女をつぶすことだってできるし、何よりもあの非常識な二年の馬鹿男を。
臨時評議委員会は終わった。相変わらず本条委員長は立村を呼び寄せて、ひそひそ話をしている。こういう集まりが終わった後には必ず、二人仲良く教室を出るのが常だった。「本条・立村ホモ説」健在と言われるのはこういう時だ。二年の他先輩たちもその辺はいつものことと思っているらしい。一年と二年は、一学期に杉本を通じて起きた事件をきっかけに、犬猿の仲になっているが、健吾以外の連中をすでに立村が懐柔しているとも聞いた。健吾にとっては信じがたい事実だが。実質的に、「新井林健吾VS二年男子評議」の図式が出来上がっている。しかも裏で仲良くさせようと手を回しているのが立村ときたら、そりゃあむかつかないわけがない。本当なら健吾も一年の野郎連中に
「なんで立村なんかに頭を下げるのかよ、お前らこそ軟弱者!」
と問い詰めたい。問い詰めたいのだが、それをしてしまうと「正々堂々」としたやり方ではなくなってしまう。夏休み悩みに悩んでだした結論が、
「評議関係の連中は当てにするな」
だった。奴らが立村に頭を下げる理由のひとつに、
「英語の勉強を教えてくれる」
とか
「他の困ったことに手を差し伸べてくれる」
とか、健吾にも話せないいろいろな事情があると聞いた。実際立村は他のネットワークを利用して、かなり面倒を見てやっているらしい。恋愛関係とか教師とのトラブルとか、想像つかないネタをかなり解決しているらしい。いったいどこでそういうことができるもんなのか。健吾は聞くのもむかつくので仔細を聞いていないのだが。
──とにかくあの軟弱野郎とは、いつか勝負をつけておかねえとな。
健吾は本条委員長のみに頭を下げ教室を出た。視線がかち合った分、立村にも頭を下げたことになるのが不本意だった。無表情で、猫のようなまなざしで射られた。
今日は練習がないのでまっすぐ、職員室に向かった。
まだ四時半だ。もしかしたら桧山先生がいるかもしれない。一度、空いている時間に来てほしいといわれていた。たぶん話の内容はクラスの男女の仲悪いという問題だろう。いくらでも話してやる。
「どうした、新井林」
三年の女子が質問に来ていたらしく、明るい声が飛び交っていた。桧山先生の専門は英語だった。なんでも子どもの頃から教師になることが夢だったそうだ。なんで自分は小学校の頃から年代的に若い先生に当たることが多いんだろうと、最近になって健吾は思う。六年の時の担任も新任だった。健吾との相性はなぜか合ったが、杉本とはみな嫌悪しあうところが共通していた。
「この前暇だったら来いって言われたから」
「ああそうだな。今暇だぞ。ゆっくり話すか」
「個人面談でもいいっすよ」
思惑ありげに健吾がつぶやくと、にやっと笑って桧山先生も頷いた。
「人に聞かれたらまずいか。やはり」
煉瓦色のジャケットに袖を通し、桧山先生はカーテンで仕切られた椅子とテーブルを眺めた。
「あそこに行くか」
手には何ももたなかった。健吾を先に入れると、カーテンをぴしゃりとしめた。立ったままでいる健吾を頭のてっぺんから足下まで眺め、
「本当にお前、典型的なバスケ部だよなあ」
とため息をついた。
「先生、中学の時なにか部活入ってたのかよ」
「剣道やってたんだが、ものにはならなかったなあ」
照れくさそうに笑った。言われてみれば背が高くてがっちりした体格は剣道向きと言えなくもない。
「ま、座れ。僕も新井林にはいろいろと聞いておきたいと思っていたんだ。一学期のこととか、それとか」
「あの、女のこととかだろ」
さっそく健吾は突っ込んでみた。
「女という言い方はやめろ。杉本のことだな。いろいろ、お前も大変だったらしいなあ」
「無視してればいいけど、佐賀のことが問題だと俺は思う」
「そうか、佐賀か。なんだ、お前赤くなってるぞ」
図星だ。どうしてもこういう時、健吾は自分が恥を捨てていると感じる。見え見えの態度である。
桧山先生はにやっと笑うと、口元をほころばせてカーテンをもういちどぴっちりと閉めた。
「溝口先生からも聞いていたんだが、確かになあ。そうとうなもんだな。今の一Bは。新井林、前から杉本はああいう風に佐賀をなぶっていたのか?」
やっぱり桧山先生にもそう見えているのだ。嬉しい。健吾だけの思い込みではないと分かったのが嬉しい。両腕をかわるがわるさすりながら健吾は短く答えた。
「小学校一年の時からずっとああだった」
「一年、って」
「あの女と佐賀と、俺とは六年間おんなじクラスだったんで、ずっと見えたし」
「六年間。じゃあ何か。ずっと新井林は佐賀を守ってきたのか?」
守ってきた? 言葉にぞくっと寒気が走った。素直に「そうだよ」と答えたかったのに、できなかった。
「どうした、お前、あれだけ佐賀を」
「出来なかった、かもしれない」
唇をかみ締めてしまう。健吾の六年間は攻撃を仕掛けてくる杉本と、その周辺の女子たちを追い払い痛めつけることに費やされていたけれど、その間はるみを引き離したことは一度もなかった。本当だったらすぐにでもはるみを杉本から引き離して縁を切らせてやればよかったのに。そこまで頭が働かなかった。
「今はその分を」
これだけつぶやき、こめかみが熱くなるのをこらえた。
「そうか。でもなあ、なんで佐賀を杉本があれだけいじめるんだろうなあ。女子たちもあれがおかしいと誰も思わないのかな。溝口先生が最後まで心配していたのは、クラスの女子たちがみな杉本の言い分を飲み込んでいて、自分たちのしていることに気付いていないって事実なんだ。みな、杉本の言い方を受け入れているのは、いじめに加担してるのと一緒だ。新井林、男子がわから見てどう思う」
「このクラスの女子、頭が狂ってるからどうしようもねえ」
吐き捨てるようにつぶやいた。本当だったらクラスの女子連中にみな蛆虫を振りかけてやりたかった。はるみを一緒に「ぶりっこ女」だとか「男にくっついている女」だとか「杉本さんに悪口言っている女」だとか言っている姿を見るとなおさらだった。でも最近になり、女子たちの様子も変わってきている印象がなきにしもあらずだった。少なくとも健吾の経験だと。
「新井林、狂っているという言い方はやめた方がいい。狂っているということは免罪符を与えているようなものだからな。みなまともなまま、こういうことをしているのが問題なんだ。要は、杉本がクラスの女子たちをまとめて、佐賀いじめをさせていると、そういうわけだな」
「俺はそう思う。けど、人によってはそうでないみたいだ」
「人によって?」
「だからうちのクラスの女子ども。あの女がいい奴だとみな思い込んでる。佐賀が苦しい思いしても全然平気って顔してやがるから」
「長いものには巻かれろ、か」
言い当てた言葉だ。健吾は頷いた。
「でもな、新井林。たぶん女子たちは、杉本に同じことをされたくないからああしているんじゃないのか? いつ自分がいじめの犠牲者になるとも限らないんだからなあ。正しいことを正しい、間違っていることを間違っていると言えるクラスでないと、佐賀も、いや杉本も救われないだろう」
「あんな女を救っていいと思ってるのかよ、先生」
「そうにらむな、新井林。つまりだなあ」
膝を広げ、桧山先生は声を潜めた。顔と顔を突き合わせた。たばこくさい。
「世の中には、自分がいじめをしているとか、悪いことをしているとか、自覚できないかわいそうな奴がたくさんいるんだ。新井林ならわかるだろ。佐賀が苦しんでいるから、守ってやろうって思うだろ。佐賀が毎日どんな思いで学校に通っているか、想像つくからだろ。そういう想像力を持っているんだ」
「想像じゃねえよ。目の前でやってるんだから誰だってわかる」
意味がわからず健吾は言い返した。違うとばかりに軽くテーブルを叩く桧山先生。視線が物言いたげだった。
「ところが、同じことをしていても相手がどういう感じをもつか、想像つかない人もたくさんいる。相手のことを思いやれないで、みな同じことを考えていると決め付ける、かわいそうな人がな。そういう人たちには、どうすればいいと思う、新井林」
「俺は何度もあの女に、教え込もうとしたぜ、けどできなかったんだ」
「小学校の時か?」
「ずっとだぜ。あの女が佐賀にああしろこうしろと命令している時、何度もやめさせようとしたさ。けど、あの女全然気付かないでやんの。佐賀が嫌がっているのを全然、無視してやるの。頭来るだろ、それに下手なやり方しようもんならあの女、親に告げ口するんだぜ。あのうちの親、裏で手を回してさ、相手の親にひでえことするんだ。仕事首にして青潟から追い出したりさ。だからあの女のうち、近所ではきらわれもんなんだぜ。青大附属くらいだ。あの女を普通に扱ってるのは。あんなやり方する奴を、いいかげんのさばらしておきたくねえから俺は何度も」
急に胸が熱く、むかむかしてきた。驚いた顔をしているのは桧山先生。どうした、と覗き込む。
「なんでもねえよ。ただ、俺、もういやなんだ。友だちがあの女のせいで、青潟を追い出されたりしたことがあるから、なおさらなんだ。もう、佐賀まで取られるのはたくさんなんだ。あのままだったら佐賀が青大附属をやめると言い出すんでないかって、まさか、と思うけどさ、けど」
なんたる醜態か。健吾は自分の涙腺がめちゃくちゃゆるくなっているのが情けなかった。いつもそうだった。杉本の告げ口により親の仕事を奪われ町を出て行った友達ふたりのことを思い出すたび、一晩中泣きつづけた自分が戻ってきてしまう。親にくってかかった自分が、真剣に署名運動をしようとして親に止められ三日間ハンガーストライキをした自分が、思い出されてしまう。
「そんなことがあったのか」
テーブルに突っ伏した。ガラスのテーブルにはレースの敷物が乗っかっていた。鼻水がじゅるじゅるいうのを押し付けて。
──もう、佐賀までいなくなるのはいやだ。
「よくわかった。新井林、よく話してくれたな。僕もこれから一年B組の問題が片付くようにしていくから、一緒に頑張ろうな」
頭をぽんぽんと叩かれた。顔を上げると、桧山先生がにこやかな表情で見下ろしてくれていた。
「それに、お前は偉いよ。この前男子のひとりから聞いたよ。新井林、杉本に非合法な手を使うのではなく、正々堂々とした態度で対決しようと、クラス男子に命令してるそうだな」
どこでもれたんだか。健吾も鼻をすすり上げながら頷いた。
「俺は、あの女と同じ汚い奴になんてなりたくない。ただそれだけだ」
その後は、過去の杉本梨南に関する悪行の数々を洗いざらい述べ立て、ところどころ佐賀はるみへの熱い思いについて語り、結局五時半まで残ってしまった。どうして桧山先生はここまで話をすべて聞いてくれるのだろうか。やはり「男子」だからだろうか。杉本に手を焼いていた溝口先生ですらここまで杉本をあしざまにいうことはなかった。杉本も悪いがいじめる男子たちも、と言う態度を取っていた。
──なのに、なぜ桧山先生は。
健吾は疑問を覚えつつもまずは満足することにした。今まではなかなか頼りになる大人がいなかった。いつも自分だけが悪いと言われつづけていた。でも、今日の会見で確かに桧山先生が味方であることを確認した。
──まあいいさ。次だ次。クラスは桧山先生の連合軍で勝負するとして、次は。
正々堂々、正しいものが受け入れられる、ごくごく普通のことを求めているだけなのに、なんでこんなに苦労しなくちゃいけないのだろう。
杉本のような弱いものいじめをしている女を追い出すのに健吾がこれだけ涙を流さねばならないのだろうか。納得いかなかった。
──不条理だ。けど、俺はやる。