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その10 驚かされた理由

 期末テスト後は授業もかなり手抜きになる。国語の授業では、いきなり臨時のビデオ鑑賞会が行われた。視聴覚教室に移動して、日本名作ドラマ特選集を観ることになった。席にはカセットテープとヘッドホンが付いている。気が散らないように隣りの席が仕切られている。健吾は「二年D組立村上総次期評議委員長」に関する考察に専念することにした。


 ──「大人」として、あの野郎を観察するやいかにってか 。

 本条先輩に言われた通り、「大人」の視線で今までのことを捕らえ直すことは必要だ。自分でもなんとなくわかっていたけれども、どうしてもできないことばかりだった。直感と噂との差がこれだけ激しい奴も珍しい。立村上総という男は。

 学校ですれ違う立村は、うつむいたまま健吾に目を合わせようとしなかった。気付かない振りをしているのかそれどころでないってことだろうか。足早に職員室と図書館を往復している。

 巷で噂されている立村に関するいくつかの流言。

 本条先輩が言うには、ほとんどが大嘘だという。


 その一、立村と清坂先輩の関係について。

「第一なあ、あいつがまず自分で女子を口説けると思うのか? 健ちゃん」

 本条先輩は笑い飛ばした。

「あのおどおどした奴が自分から、清坂ちゃんに告白できるかどうか、まず考えてみろよ。いくら保身のためとはいえ、振られたら一生の恥さらしだぜ。そういうリスクの高いこと、奴がするかよ」

 ごもっともごもっとも。

「それに、清坂ちゃんとは仲良かったかもしれねえが、自分の親友と大の仲良しって子をだ。あいつが玉砕覚悟でぶつかってしまえる度胸ないだろうよ。清坂ちゃんが母性本能を発揮して立村を口説いたって方が、自然だろ」

 言われてみるとそうかもしれないと思う。本条先輩すごい。

 その二、立村ははたして杉浦加奈子先輩をしつこくくどき続け追いかけたのか。

 健吾のもらった情報を信じるに、どう考えても黒だった。しかし本条先輩はさらに笑い飛ばした。

「ああ、あれもな。女子たち限定のガセネタだってな。あれはすごいぞ。立村に恨み持った女子がたまたま、何かの理由で『立村に追い掛け回されてる助けてくれ』って噂を流したってだけだ。清坂ちゃんのこともそうだけどな、なんとなくあいつの場合、好きとか嫌いとかそういう感覚が鈍いみたいでさ、そこまで熱く燃えることがないんだよ。男としてそういうことに疎いっていうかなあ。そんな立村がだ、いきなり女子を追い掛け回して付き合いを要求するなんて、そんなこたあ、ねえだろ」

 ごもっともだ。本条先輩。さすがである。

 本条先輩はもう一度にやっと笑って続けた。

「つまりだな、立村の性格が、人の顔色ばかり覗き込んでびくびくしている奴だからこそ、まずありえないネタばかりなんだ。健ちゃんもわかるだろ? あいつとしゃべった感じから言って素直に出ると思うか?」

 健吾もだから、意外だと思った。

「だろだろ。立村はまずどうしようもなくガキなんだ。女子との付き合い方がわからんし、たぶん清坂ちゃんに引きずりまわされてるだけだろう。それに二年連中だって、自分にメリットのない奴の言うことなんかきかないだろ。新井林、お前、二年連中の男子から、立村についてはどういう話を聞いている?」

 ──悪い奴じゃないんだけどな、って前置きつきで。

「そうだろそうだろ。立村はな、相手にとにかく安心させて、それから要求を飲ませるのが天才的にうまいんだ」

 ──けど、やり方が汚ねえんじゃねえの?

「まあな、奴のやらかしてきたことの中には、停学当然ってこともいくつか混じってるし、そりゃあ、あいつだって自分を守りたいからしたことだってあるだろう。そうだ聞いてたか。立村が小学校時代やらかした事件って。あのかわいそうな番長少年なんだが、決闘したところまでは本当らしい。ただ、それについては素直に退いただけっていうのが本当のところだってな。それをあの彼女っていうか、杉浦って子が話を大きくしたっていうのが、事実だと聞いた。うん、二年D組のとある筋から」

 ──また本条先輩も騙されてるのかよ。

「いいや違う。俺も騙されるのはやだから全部調べた。本人にも聞き出そうとした。でも、しゃべらねえんだよ。あいつ。しゃべらないで、ただ黙ってるんだ。黙ってるってことはどういうことだ? それってほんと、って意味だろ? 嘘でも黙っていたいってことだろ? ひでえ解釈のされかたでもかまわないってことだろ?」

 ──そうか。今までのことが全部ほんとだと思われてもいいってことか。


 一年B組の中もまた、相変わらずだった。

 二年の女子たちが杉本と花森のふたりを休み時間狙って連れ出すのもお約束。一年女子たちが妙な態度で見送る姿。さらにいうなら、ふたりの消えた後のすっきりした空気。この差はなんなのだろう。

「佐賀、大丈夫か」  健吾の声にはるみが振り返った。杉本のいない席をちらっと見やって、

「私はもう大丈夫だから。健吾、私は平気」  手の込んだ編み込み髪を軽く触れるようにして、微笑んだ。 はるみをめぐる状況もだんだん凪いでいるようだった。桧山先生がが女子連中にどんなことを言い渡したのかは読めない。ただ、連中が杉本に対して少しずつ距離をおいてきているのはあからさまだった。  杉本が何かを発言しようとすると、桧山先生は即座にシャットアウトする。

 「君が礼儀をわきまえるまでは、一切答えることはしない」

 見事である。一度は拍手が沸いた。女子たちが静まりかえった。

「杉本、君がきちんと場をわきまえることのできるようになるまではな」

 自然と桧山先生に対する女子たちの接し方は、敬語をきちんと使っている。なんか卑屈な態度が目立つ。男子たちとプロレスネタで和み合っているのに比べて、桧山先生は女子たちに対してのみ、礼儀をきっちりと要求している。

「きちんと、目上に礼儀を守る人間であること」  なんで男子は関係ないのか聞いてみると、

「男子たちはきちんと礼儀をわきまえている。はめを外しても、きちんと新井林の号令で礼をしている。気持ちがきちんと入った言葉遣いをしている」

 のだそうだ。杉本と花森以外の女子たちは、何かわからないがそれに従っていた。桧山先生の言い分については少々、男尊女卑的においがなくもないが、自分に都合よければそれでいい。健吾は一切かまわずに、シャープを弾いて遊んでいた。

「いったい何があったんだろな。佐賀、桧山先生にいったい何言われた」

「他の女子はみな、『このままいじめをするようだったら、学校側で処分の対象になる』みたいなことを、言われたみたいなの」

「そんなことできんのかよ」

 はるみを無視した女子たちについては当然のことだと思うが、そんな処分の方法があるだなんて聞いたことがない。

「私も知らなかったけれど、最悪の場合は退学処分なんですって」

 ──じゃあ杉本なんてさっさと追い出せるってわけかよ。

「でも、退学まではしなくても、罰がこれから増えていくから覚悟しておけって言われたんですって。私に話し掛けてくる子たちがそう言っていたの」

 話し掛けてくる子の個人名をはるみは口にしなかった。

 友だちと思っていないのだろう。

「健吾、退学なんて、させることできるの? 本当に?」 「知るかよ。そったらこと」  はるみは健吾に寄り添い、ふうっとネクタイの襟元へ息を吹きかけた。

「私、いじめられてたのかしら」

「あたりまえだろ! 無視は十分そういうもんだ」

「別に、私、そんなの気にしてないのに」

 いらいらしてくる。怒鳴りたくなる。

「私、クラスの人たちのことを、かわいそうだと思っているだけなのにね」

「俺だけは違うよな」

 反り返って健吾は尋ねた。答えの代わりにはるみは瞬間、健吾の手首を握り締めすぐに離した。

 休み時間そろそろ終りか。ちょうど再接近した健吾の側を、杉本がひとりで通り過ぎていった。一瞥のみ投げて自分の席に戻った。全く、表情を変えないまま。


  二時間目の体育が終り、グラウンドから帰って来た健吾が玄関で靴を履き替えていた時、立村に呼び止められた。

 顔色は相変わらず真っ白け。目の周りにはくま。

 相当、消耗しているに違いない。ドリンク剤を飲めといいたかった。あえて返事せずに黙って立ち止まった。

「あのさ、新井林」

「なんか用っすか」

 避けていたのは向こうさまなのだから、健吾にはなんの引け目もない。

 ただ、本条先輩の「大人として」という言葉に敬意を評し、「ですます」体を使うことにした。

「この前は、悪かった」

「別にあやまってもらうようなことはないけど」

「もう一度だけ、頼みたいんだ。図書室に来てもらえないか」

 時計を覗き込んだ。デジタルウオッチの蛍光色が緑に光った。

「練習これ以上さぼりたくねえけど」 「昼休みでいい」

 茶室の裏で泣きそうな目をしてすがったあのまなざしとは違う。

 なにか、覚悟の上で切り出した、そんな顔だった。

 ──本条先輩に縁切られたのがそうとう答えてるのか。こいつ。

 ──俺は「大人」だ。こいつよりもはるかに。

 ──だったら、どうする?

 咽元から飛び出してきそうになるガキっぽい本音を飲み込んだ。健吾は五秒数えた後、ゆっくりと答えた。

「わかりました。すぐに図書館で」

「二人がけの椅子で待っているから」

 心なしか、お辞儀をした風に見えた。立村はもう一度健吾を見つめ返して、背を向けた。二階の教室に戻っていったのだろう。階段を駆け足で上がる音が聞こえた。



 たぶん本条先輩に「もし新井林の納得する案を出せなければ、縁を切る」と言い渡されてしまったのが堪えているのだろう。なにせ「本条・立村ホモ説」を謳われるほどの仲良しだったのだから。一方的に振られたようなものだろう。健吾からすると、単なる痴話げんかにしか見えないが。ただそこらへんが立村のガキたるゆえんで、真っ正直に落ち込んだんだろう。影で本条先輩が、懸命にかばっていたのを知らずに。

 ──けっ、だからそういうとこがこいつガキなんだよ。

 健吾はポケットに時計を外してしまいこんだ。どうも腕にかかっていると重たくていらいらする。ドリブルする時に腕がだめになるんでないかと心配だ。

 ──俺は大人だ。あんたの言い分、まずは本条先輩の言う通り、「大人」 の目と耳で聞いてやるさ。

 約束は昼休みだった。給食をさっさと腹に押しこんだ。育ち盛りは腹がすくのだ。はるみにだけ目配せした後、健吾は廊下に出た。「青潟大学附属中学スポーツ新聞」の最新号がすでに公開されている。全部バックナンバーにしようという声も上がっているので、とりあえずはるみに持ち帰らせている。

 ──冬休み、それぞれの部活の予定および合宿関係について。

 冬になるとなかなかネタもなくなるので、健吾の案にて冬休み中の合宿日程をずらっと書き並べた。

 結構評判がいいらしい。来年こそは、「青大附中バスケ部勝利!」の知らせを書き込みたいものだ。その時は特別バージョンの用紙を使うことにしようと健吾は決めた。


 三階の図書館に向かい、すぐに扉を開いた。

 図書局員たちがカウンターでなにやらアニメ関係の話題で盛り上がっている。いかにも試験期間終了といった雰囲気だった。あと一週間もしないうちに冬休みだ。入り口からも氷柱が太く長くぶら下がっているのが見える。健吾は氷柱を背負った格好で席に付いている立村に近づいた。背中の書籍棚に並んでいるのは、誰も読まないような古臭い道徳児童書みたいなものばかりだった。暗かった。

「すまない。無理言ったな」

「なんか」

 難しい。やはりいきなり立村に対して「敬語」を使うのはしんどい。

 目の前の立村は静かな佇まいのまま立ち上がった。相変わらず乱れひとつない格好だった。健吾を見つめる目は、茶室の陰でネクタイを掴んできたあの時よりもおとなしかった。潤みもない。それ以上のものは見出せなかった。

「ここでは人がいる。向こうに行こう」

 指差したのは、百科事典の居並ぶ一隅だった。窓側はめいっぱい光の入る形だが、置かれているのはかなり昔の百科事典一式と、旧かなづかいの背表紙の本だけだった。たぶん、過去三年くらいは誰も棚をいじってないに違いない。そこには高いところから本を取るための脚立が一台置かれていた。立村は脚立の踏み台に手をかけ、健吾が来るのを待っていた。

 ──大人からみてこいつはどう見えるのかってか。

 淋しそうな奴だ。  立村はブレザーのポケットから、黒い手帳を取り出した。下のところに金で型押しされているものだった。かなり使い込まれているだけあって、光沢が鈍かった。開いて後、唇をかみ締めるようにして目を落とした。そのままゆっくりと健吾に向き直った。

「今回のことは、俺が一方的に新井林へ迷惑をかけたようなものだ。すまなかった」

 頭を下げず、しっかりと瞳を見つめてきた。

「いくつかのことについてできることはみな片をつけておいた」

「片ってなにを」

 するんですか、と丁寧語は使えず、言葉を切った。立村の声は細かったけれどはっきり聞こえた。

「たぶん、桧山先生がそのことは、すると思う。それに任せておけばすべてが終わるだろう。そして新井林、お前が俺について聞いてきたことはすべて本当のことだ。先輩と思えないのも当然だ。だからせめて俺のできることだけ、こちらにまとめておいた。俺がお前に提供できるのはこのくらいだから」

 手帳から一ページ、丁寧に破り取り、健吾に差し出した。

 受け取った。ミシン目のところが全く破れていない。毛筆の文字みたいな、上品な筆跡が並んでいた。


 一 青大附中内の委員会と部活動の関わりについて

 評議委員会……演劇関連と学外渉外関連(来年以降の予定)  

 規律委員会……美術関係および写真関係(青大附中ファッション通信の発行など年四回)

 音楽委員会……文字通り音楽関係。音楽関連の大学を目指す人向け。

 保健委員会……医療関係および病院関係、また医学部を目指す人の溜まり場

 体育委員会……体育系部活動関連を一通り網羅。

 学習委員会……文芸部と理科系の部活動を兼ねる。

 その他、文集委員会、美化委員会、図書局、放送局など。

 生徒会は主に渉外活動中心だが、来年以降は評議委員会にも渉外関係の活動を求める予定。


 「委員会最優先主義」の内訳が、健吾もわかっているようでわからなかった。評議委員会の連中がやたらとステージもの好きだというのは辟易していたけれども、他の委員会も相当深いことをしているとは思わなかった。特に規律委員会については、次期委員長の南雲先輩がかなり女子人気ありということしか聞いていなかった。単に制服の違反チェックをする集団ではなかったらしい。

「これってどういう」

 ことですか、とはつなげられず、また言葉を切った。

 立村は健吾の手元で揺れている紙を見つめながら続けた。

「現在の青大附中委員会活動の流れみたいなのをまとめておいた。これからの参考にしてくれないか」

「これからの参考って、いったい」

 いいたいことがわからない。

「来年以降は俺が評議委員会を仕切ることになるが、たぶん学校内よりも学校外の活動が中心になると思うんだ。これにも書いたけれど、生徒会と一緒に他の公立中学との交流会を活発に行おうとか、それこそ部活動との兼ね合いも考えようとか、いろいろな案が今出ているところで、俺もちょうど検討してたところなんだ。新井林、今作っている『青大附属スポーツ新聞』のことなんだが、お前ひとりで続けていくのは正直なところ、かなり困難だと思う」

 ──あんたとは違うぜ、何考えてるんだあほんだら。

 いかん、大人の意識。引っ張り出す。

「この紙にある通り、体育系の部活動については体育委員会がかなり詳しい。お前が駈けずりまわって探しまくる情報を、早い段階で手に入れていることが多いらしいんだ。俺も知らないけど。それから写真なども規律委員会にかなりプロはだしの奴がいると聞いた。あそこは実質美術関係についてなら逸材のてんこもりだからかなり面白い面子が揃っているはずだ。それから音楽委員会。合唱コンクールの時くらいしか出番がないと言われているけれど、暇な時にはバンドとかコンサートとか、いろいろ練習していると聞いたことがあるんだ。臨時吹奏楽みたいなこともやりたいと話していたのを聞いたことあるんだ。だから、もし応援などでそういうのが必要だったら、音楽委員の誰かに声をかけてみるといいかもしれない」

 よどみなく立村は述べ立てた。最後に、

「あとで次期委員長の名前とクラスもこちらで用意して渡すから」

「なんで、俺に?」

 さっぱりわけがわからない。今聞いた感じだと、立村のしゃべったことはかなりのトップシークレットなはずだ。そう簡単に、一年坊主にしゃべりまくることではないような気がする。しかも、各委員会の次期委員長関連もとなると。いったい立村は何を言いたいのだろう? 一時は殴らせろとまで言い放った相手に対してだ。

「なんでそんなこと俺に言うんですか?」

 立村は手帳を閉じ、もう一度健吾を真面目に見つめた。

「再来年の評議委員長は、新井林、君を指名したいからだ」


  自分の口がぽかんと開いていくのがわかる。 

 ──あんた、今、なんて言った?

 立村の表情は変わらない。様子を伺っている風にじっと覗き込んでいる。

「評議委員長、って、君っていったい」

「今の一年の中で評議委員長としてふさわしいのは新井林だけだと判断したってことだ」

「けど、あんたそれでいいのかよ!」

 激するものが確かにある。開いた口を急いで閉めた。もういちど「ああ?」とつぶやき、健吾は立村に一歩近づいた。さすがに図書館、音声は低いけれど、腹からどすは利かせて。

「あんた俺を嫌ってるだろ、あんた俺を殴りたかったんだろ。俺よりもあの女の方を本当は気に入ってるんだろ。なんでだよ、今度はそれでだまし討ちしたいってのかよ」

「違うよ。新井林。俺の判断で、杉本よりも君の方が評議委員長としてふさわしいと思った、それだけだ」

 おびえずかすかなやわらぎとともに立村は答えた。おとなしいまなざしと共に。

 後ろの窓から伸びた氷柱に雪が降りかかるのが見えた。立村の表情だけが、それを溶かすかのように温かみをもってるように見えた。茶室の裏で見たような、凍るまなざしではなかった。

「まだ俺も正式な評議委員長として任命されてないし、来年果たして評議委員が元のままかどうかもわからない。状況はかなり揺れ動いてる。でも新井林を俺の次にしたいってことははっきりしている。君なら一年連中をまとめるだけの力を持っているし、俺なんかと違って女子受けもいい。新しいことをどんどん切り開いていくだけの能力もあると、俺は思っている。それに」

 言葉を切って、健吾の手元にある紙を指差した。

「来年以降、俺としては評議委員会を学内だけではなくて外に出して活動させる方向を取りたいんだ。できれば生徒会とか部活動とかともうまく繋がっていける形にしたい。本条先輩のように強引なくらいひっぱっていくだけの力が俺にはないから、これまで通りのやり方では評議委員会が持たないと思う。学内関係は部活動と一緒に協力して、人数集めて盛り上がっていく方がいいんじゃないかって、前から思っていた。新井林の企画した「青大附中スポーツ新聞」は、いいタイミングだったし、俺も全面協力したい気持ちはある」

 ──なんでいきなりひとりで語るんだよ。あんた。

 妙だ。立村にしろ本条先輩にしろ、どうしていきなり健吾のご機嫌を取ろうとするのだろう。いつもの健吾だったら、すぐに噛み付いてやっただろう。でも、あえて大人モードで話を聞いている以上、黙るしかない。抑え抑えて健吾は立村の渡した紙きれを見つめた。

「来年二年に入ってからぜひ、新井林には学内の委員会と部活との繋ぎ役をぜひやってほしいんだ。もちろん部活のからみもあるだろうし、決して無理強いはしない。評議委員会は二の次でかまわない。新井林の代になったら部活動より評議委員会を下ろしてかまわない。できれば部活動も評議委員会も生徒会も全部取り混ぜた感じで活動したいと思っている。適任だと思う新井林、君にすべてを任せたいんだ」

 ──なんでだよ、なんでだって。  情けなさ過ぎる。動揺している。頭の中がぱにくってる。

 言葉が出てこなくて唇が震えている。 評議委員長任命の内定は夏休みの評議委員会合宿で行われると聞いたが、まさかこの場所ででてくるとは思わなかった。それに立村のお気に入りたる杉本をなんで外したのか? 保身なのか、なんなのか。本条先輩の話していた立村の像がいきなり重なってきて、わけがわからない。

 ──いつのまにかこいつに取り込まれるって、このことかよ。

 大人の目で、大人の視線で、大人の考えで。

 やっと、大人の言葉が流れ出た。「君」に健吾の二人称が変わった段階で。


「最初は杉本を指名するつもりだったって、それがどうしてだよ」

「半年以上それぞれの性格を考えて、決めたからだ。俺なりに判断したってところだ」

「俺はあんたに相当ひでえこと言ったけど、そんな恨みも捨ててかよ」

「新井林の言うことは、すべて本当のことだ。ただふたつだけ頼みがあるんだ」

 健吾は反り返って立村の言葉を待った。

「たぶん、このことが判明したら、杉本は冷静ではいられないだろうと思う。俺もかなり気を持たせる言い方ばかりしてきたから、当然だと思う。もしかしたらまた新井林や佐賀さんに、辛い思いをさせるかもしれない」 「そうだな。確かにな。あんた正しいよ」

 逆恨みはあの女の特許だ。背がぴんと伸びる。

「桧山先生もあの調子だと手加減をしないだろう。先生たちのやり方には口出しできない。俺も一年のことについては、今のやり方が限界だ。だからせめて、お願いだ。杉本が一年B組に卒業までいられるよう、せめていじめられないようにしてやってもらえないか。仲良くしてくれなんて言わない。ただ、男子連中が無視するだけでいい。存在しないものだと思うだけでいい。手出しだけはしないでほしい、それだけなんだ」

「俺たちにそんなことできるってか」

「今、新井林が一年の野郎連中に対して『杉本に一切手を出すな』っていうあれだ。三年間、有効にしてやってほしい。無視される辛さとか惨めさを味あわせるなとは言わない。ただ、実力行使だけはやめさせてほしいんだ。今、近所では杉本の家を村八分にするような運動が起こっているとも聞いている。もう完全に杉本は制裁を受けているんだ。自分がおかしいんだということをいやというほど言われつづけているんだ」

「じゃあ反省しろって言いてえな。第一あんた、どうしてそこまであの女をかばうんだよ」

 立村は臆することなく、答えた。

「俺が杉本について言ったことはみな、俺が毎日感じてることばかりなんだ」


 すべてが繋がった。ずっと感じていて、でも口にできなかったことがやっと理解できた。

 ──同じ穴のむじなってことを認めたってわけかよ、あんた。

 立村は健吾の隣りに並んでいる、埃臭い本棚を指差した。

「今棚に並んでいる本、これを数えてもらえるか?」

「はあ?」

 ざっと目で追って数え終わった。二十冊。

「早いな」

「あたりめえだろ」

 次に立村は、指で一冊一冊、題名を抑えながら何かをつぶやき始めた。

「いち、にい、さん、しい……ええと四、五、六……」

 実にまどろっこしかった。なんとか二十冊まで言ったところで、

「十九冊じゃなかったよな?」

「何考えてるんだよ。二十冊に決まってるだろ」

 なんと自分で「にじゅう」と言ったのを忘れてる。度忘れか。

 もう一度目で追って確認した。立村もまた指で押えながら数えていた。今度は無事二十冊にたどり着いたようだった。埃で灰色になった指を見つめていた。

「俺はものを数えることが苦手というより、どうしても普通にできないんだ。途中でかならず数字が違ってしまう。遠足の時の整列でも、点呼を取る時に一度も数字が合わさったことがない。だから点呼はいつも、人の肩に手を置いて、どこまで数えたかを忘れないよう口で言いながら数えている」

「それでも自分で言った数字を忘れるってなんだよ」

「そういうことなんだ。いくら自分ひとりでやろうとしても、うまくいかない。普通に数えて普通にあわせようとしても、どうやればいいかが、俺はわからないまま今まできた。だから杉本が、新井林たちの感じる普通というものがわかんないのも、なんとなく俺には通じるんだ」

「けっ。それが言い訳だってんだ」

「その通りだと思う。自分がおかしいから、自分の感じ方が普通じゃないからといって言い訳するのは、きちんとした感じ方をする人たちに迷惑だって俺も思う。だから、毎日どうすれば、周りの人たちの迷惑にならないか、どうすればいいかを考えてる。勘違いばかりしてるし、毎日数え間違いを繰り返しているけれど、そうしないと受け入れてもらえないとわかっているから、なんとかしようと思っている。けど」

 もう一度、立村は指を本棚に置いたまま、背を眺めた。

「きっと杉本も同じなんだって、思うんだ。どんなに数えても二十冊にならない理由がわからないんだ。きっと杉本は、新井林とふつうの話をしてみたかったんだろう。佐賀さんとずっと友だちでいたかったんだろう。でも、どうすればいいのかが今だにわからないんだと思う。他の人たちに迷惑をかけている以上、杉本が制裁を受けるのは当然のことだろう。それをするなとは言えない。ただ少しだけでいい、杉本に情けかけてやってもらえないか?」

「情け?」

「俺のような数え方をする奴と新井林たちとは、勝負付けが終わっているんだから」

 向き直り頭を垂れた。動かなかった。

 健吾の中に何かが動いた。


 ──勝負はもうついているだろう。


  ずっと立村と言い合いを続けてきた。殴られて当然のことをぶつけてきた。先輩としてどうして腕力勝負に出ないのかいらいらしていた。いったいこんな馬鹿野郎のどこがよくて、みんな立村を高い評価するのかがわからなかった。本条先輩の話でだいぶ見方が変わったとはいえども、どうしてみんなは立村の言うことを素直に聞くのか理解できなかった。

 ──退学も辞さない性格、か。

 すべての感情を「大人」モードに切り替えてみて、初めて見えたものがある。

 立村は今、すべてを失うかわからない足場のもと、物を言っている。

 いくら腕力的に劣っているとはいえ、後輩に対して頭を下げ、罵り文句を受け止め、再来年以降の評議委員長の座まで用意しようとする。そこまでしてなぜ、あの女をかばおうとするのだろう。受け入れてもらう努力もしないでずうずうしく迷惑をかけるあの女を。  立村が何度も訴えた言葉が蘇る。

 ──どんなに感じようとしたって感じられないんだ。どんなに受け入れてもらおうとしても、そのやり方がわからないんだ。普通の人たちがどうすれば喜んでもらえるか、わかろうとしたって、わからないんだ。だから、自分の感じたことを必死に訴えるしかないんだ。

 健吾の返した言葉を思い出す。

 ──じゃあ、あんた、普通の人間に迷惑かけるなよ。努力しろよ。けど、あんたは。

 立村の目を見た。指の埃を見つめた。

 ──こいつは、努力してるじゃねえか。十分に。


 敬語が混じらない。ただけんか腰にならないように気をつけた。立村にあわせて静かに。混乱していたあの言葉をすべて吐き出すかのように。

「あんた、前から言ってたよな。杉本は精一杯なんだってな。必死に努力して、懸命に俺や佐賀と仲良くしたいから、ああいう嫌がらせをするってな。俺としたらたまったもんじゃねえが、やっとわかったよ。あんたも同じことしてたってことだよな。がむしゃらに俺たちと近づきたかったってことだよな。本条先輩や清坂先輩や羽飛先輩とうまくやりたかったってことだよな」

 立村は黙っていた。そのまま続けるように促すまなざしのまま。

「それがあんたの保身のせいだって、この前までは思ってた。ああ、俺もガキだった。噂を鵜呑みにしてたからな。けど、本条先輩から話を聞いて、あらためて今までのことを考えなおしてみて、あんたもまんざら馬鹿じゃないし、頭切れるしって思った。俺を評議委員長にしたいというのが本心だったというんなら、俺もあんたを見直したいって思ってる。少なくともあれだけ俺が言いたいことを言っておいて、うらんでないっていうんならな。けど、俺ももうひとつだけ言わせてもらうってんだ。あんたはな」

 横目で人影がないのを確かめた。

「人並み以上に、俺たちに受け入れられようとして、努力してるじゃねえか。あの馬鹿女と同じ気持ちを持ってるかもしれないかもしれんけど、本条先輩にも、清坂先輩にも、羽飛先輩にもちゃんと受け入れてもらってるじゃねえか。青大附属の評議委員会にも、二年の連中にも、みんなにさ」

 つぶやきながら、立村の後ろに見える氷柱に語りかけた。

「そういう努力をしてくれる女だったら、俺も杉本を許せたかもしれねえ」

 視線を逸らさない立村に、もう一度健吾は言い放った。

「けど、あの女は一切近寄ろうって努力のかけらも見せねえ。佐賀に謝る気もなければ、さんざん悪口言われて塩かけられている親のこと考えて頭を下げようともしねえ。どんなにあんたが一生懸命杉本のために走り回っても、ほら、一切あんたを無視したままだろ? あんたが頭にどういう問題抱えているか知らねえけど、あの女はあんたをかばうどころか自分の武器にして桧山先生を責めたんだぜ。あんた、杉本のどこが気に入ってかばいまくってるんだよ。あの女の性格が悪いことを、わかっていてなんでだよ。俺が徹底してむかつくのは、自分が他の奴と違うことを正当化して押しまくる奴であって、受け入れられる努力をしている人間じゃあないんだ」

 はっと、立村の目に揺れが見えた。

「評議委員長のどうたらこうたらはまだ先のことだよな。だから、今の話は後回しにしとく。けど、これだけは言っとく。あんた、自分で思ってるほど馬鹿じゃねえし、俺が今まで言い放ったような最低馬鹿野郎ではないってな。立村さん」

 ちょうど鐘が鳴った。健吾は明らかに震え上がった表情の立村を取り残し、図書室を引き上げた。

 勝負は、ついた。       


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