おじいちゃんと年賀状
「明けまして、おめでとうございまあす。」
小さな町の古びた家の玄関に、中学生くらいの姉弟ののんびりとした声が響く。するとやがて居間の襖が開き、中から小太りの老人が顔を出し、玄関へと歩いてきた。
「ああ、いらっしゃい。」
「久しぶり、おじいちゃん。今年もよろしくお願いします。」
そう言って弟はにっこりと笑った。老人もまた、にっこりと笑う。
「ところで、お父さんとお母さんはどうした。」
「お父さんとお母さんは車を停めてから来るって。」
老人の問いに澄ました表情で答える姉。それを聴いた老人は頷くと居間へと戻っていく。
「お前たちも早く入りなさい。風邪をひくよ。」
「はあい。」
姉弟もすぐに靴を脱ぎ、老人の跡を追って居間へと入っていった。
居間には老人の他にこれまた小太りの老婆がいて、蜜柑の皮を剥いている最中だった。
「おばあちゃん、新年明けましておめでとうございます。」
姉弟が老婆に声をかけると老婆はのんびりとした調子で返事を返した。
「よう来たねえ。さあさ、こたつに入って熱いお茶か蜜柑でもどうぞ。」
勧められるままにこたつに入る姉弟。
「お年玉はあんた達が帰る前にあげるからね。」
弟はそれを聞いて残念そうな顔をしたが、すぐに表情を改めると蜜柑の皮を剥き始めた。弟の様子を見た姉は弟の尻をつねるのをやめると空いていた湯飲みにお茶を注ぎ、飲み始めたのだった。
「そういえばおじいちゃん、ポストに年賀状が入ってたよ。」
姉は思い出したかのようにそう言うとポーチから一枚のはがきを取り出し、老人に渡した。
「そうかいそうかい、ありがとう。」
老人は姉からはがきを受け取ると懐から老眼鏡を取り出し、はがきを読もうとしたが、視線が差出人欄に向かうとにこやかな表情から一転、真面目そうに表情が変わった。
それを見た弟がはがきを覗き込む。
「間宮、木子。その人がどうかしたの。」
弟が老人に尋ねると老人はしばらく口をモグモグ動かした後、小さな声で答えた。
「昔の、ガールフレンドだよ。」
「まあまあ、ガールフレンドですって。」
すかさず老婆が老人と弟の間に割って入る。
「奥手なあなたにガールフレンドですって。私、聞いたことありませんでしたよ。」
驚く老婆を見た老人は少し気まずそうな顔をしたが、すぐに言葉を返した。
「君が知らないのも当然だよ。何せ僕が君と知り合うどころか、この町に来る前のことだからね。」
「聞かせてよ、その木子さんって人のこと。」
「ちょっと、おばあちゃんの前で昔の彼女の話なんて出来るわけないでしょ。……でも聞きたい。」
「良いのよ、私も聞きたいわ。」
身を乗り出す弟と弟を制止しつつも興味を抑え切れない姉。そして弟に同調する老婆。誰も老人の過去を聞くのを嫌がる者はいない。
老人は三人を見回すと、ゆっくりと話を始めた――――
――――木子さんは故郷の村のお金持ちの娘さんだった。可愛らしい上に性格も良くて、小さな農家の次男坊だった僕にも優しくしてくれたものだから、僕も収穫できた野菜を少しくすねては彼女に届けたりしていた。
彼女は本を読むのが好きで、特に古典を好んで読んでいた。新しい物語を読んでは、物語の良さや解釈を僕に聞かせてくれたのを覚えている。けれども教養のなかった僕には何を言っているのかよく分からなかった。それでも楽しい時間だったのは確かだ。
しかし楽しい時間はそう長くはもたなかった。僕は遠くの町の自動車整備工場で整備士として働くことになったからだ。僕がこの町にやって来たのはその工場がこの町にあったからだ。
それを聞いた木子さんは悲しんだ。僕は家を支えるためなのだから仕方ないとは思っていたがそれでも悲しかったことには間違いは無かった。
「あなたが町に着いたら、手紙を送ってくださいね。私、必ずお返事を出しますから。」
僕が村を発つ前夜、家を訪ねてきた僕に木子さんは僕にそう言って小指を差し出した。僕も何も言うことなく小指を差し出した。
指切りげんまん、思えばあれが僕が木子さんに触れた最初で最後の時だった。
翌朝、僕は親戚の車で村を発ち町へと向かった。けれどもその後、約束は守られることはなかった。僕は町に着くや否や朝から晩まで整備士見習いとして働くことになり、手紙を書く暇もなく忙殺されてしまったからだ。
もちろん僕が手紙を出さないものだから木子さんが僕の居場所を知ることができるわけもなく、彼女からの手紙も来ない。そしてそのまま、それっきり僕は木子さんのことを忘れてしまった。――――
――――話を終えた老人は「悪いことをしたなあ。」と呟き、窓越しに見える空を仰いだ。
「でもさ、どうしてそんな人から年賀状が届いたの。」
弟が不思議そうに尋ねると、姉も老婆も同調して頷く。老人は落ち着いた調子で返事を返す。
「この間、部屋を片付けている時に彼女の手ぬぐいを見つけたんだ。」
「手ぬぐいですか。」
弟に次いで老婆が老人に問いかけた。
「ああ、木子さんが旅立ちの餞別にくれたようで、昔の荷物の中に使われないまま眠っていたんだよ。それで僕は木子さんのことを思い出して、同じ荷物の中に入っていたメモに書いてあった彼女の住所に年賀状を送ったんだ。」
「なるほど。それはよかったですねえ。」
老人の答えを聞いた老婆は納得した様子で手を打った。
「おばあちゃん、妬いたりしないの。」
すぐさま弟が少し茶化したような声で老婆に問いかける。それを聞いて、ほほほ、と老う老婆。
「まさか。何十年も前のことだもの。それに今、私は間違いなくおじいちゃんの妻なんですからね。」
「あー、惚気ちゃって。」
姉が老婆に突っ込みを入れると、皆そう思っていたようで声を上げて笑ったのだった。
「……それで、年賀状には何が書いてあるの。」
ふと我に返った姉が老人に尋ねた。老人ははがきを裏返して年賀状の文面を読み上げる。
「えーと、『新年あけましておめでとうございます。突然のお便りに驚きました。あれから時が経ち、互いに歳を取ったことでしょう。お体に気を付けてください。木子。』とあるね。」
口をとがらせて弟が何かを言おうとする。しかしその言葉は老婆の一声によって遮られた。
「お待ちなさいな、まだ何か書いてある。」
「ああ、バレていたのか。」
気まずそうな顔をして頭を掻いた。そして再び年賀状の文面を読み上げた。
「……『さりともと思ふ心にはかられて世にもけふかと生ける命か』。木子さんもさぞ心残りだったんだろうね。」
「知ってる。雨月物語でしょ。」
姉がそう言うと、老人は頷き言葉を続けた。
「そう、木子さんのお気に入りの物語だったよ。『それにしても手紙が来るのを待ち続けた結果、今日まで生きてしまいましたよ』とでも言ったところかな。良かったよ。彼女の心残りを晴らせて。」
カラカラと笑う老人。
「『これでいつでもあの世に行ける』なんて言わないでしょうね。」
老婆がすかさず口をはさんだ。
「おばあちゃん、やっぱり妬いてるじゃないの。」
間髪入れずにそれを茶化す弟。
「『君が死ぬときは必ず僕が看取ってあげる』と私に婚約を申し込んできたときにあなた、そう言ったじゃないですか。約束は守ってもらいますよ。私は百歳まで生きるつもりですからね。」
口をとがらせて老婆は悪戯っぽくわらった。顔を赤くしてモゴモゴ何かを言う老人。それを見てクスクスと笑う姉。
玄関から「父さん、母さん、今帰ったよ。」と父の声が聞こえた。




