表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

本日は、この『久比塚書店』へお立ち寄りいただき……

……おや?


どうしたのですか、そんな呆けた顔をして。


……。


『あなた』ですよ。


ええ、そう。『あなた』です。


僕は、『あなた』に話しかけているのですよ。


……ああ、良かった。狐に抓まれている訳では無い様ですね。


では、改めて御挨拶を。


初めまして、僕は『四宮シノミヤ』といいます。


本日は、この『久比塚書店』へお立ち寄り頂き、ありがとうございます。



……寄った覚えは無い?いつの間にかここに居た?



くっ、くっくっくっ……


……おっと、失礼。どうにも可愛らしい事を仰るので、つい。


しかし、困りましたね。


先程の呆けた様子と言い、どうにも『あなた』の意識はまだ目覚めていないようだ。


うつらうつらと、眠ってしまっていたのでしょう、起き抜けで少し記憶があやふたになっているに違いない。


それでは――――こうしましょう。


『あなた』の目が覚めるまで。意識がはっきりするまで。


『あなた』は、この『久比塚書店』で、ゆっくりしていくといい。


書棚の本でも読んで、眠った頭をゆっくり動かしていくといい。


何、本だけはたくさんありますし、恥ずかしながら客が来る予定もありません。


お茶も御菓子も用意しましょう。


だから……遠慮せずにお過ごしください。





……ああ、但し。


あまり、手に取った本に夢中になり過ぎないよう、ご注意を……。








「……え?」



気が付けば『私』は、自分の部屋に居た。

ベッドに寝そべり、読みかけの少女漫画の単行本を手に持って。

辺りに響くのは、蝉の鳴き声とクーラーの稼働音だけ。

当然、周囲に本棚も無ければ、黒い着物を着た、貼り付けたような笑顔の店主も居ない。

それはつまり


「……あ……そっか。……うん、変な夢だった」


思わずそう呟いて、脱力する。

どうにも私は、漫画を読んでいる途中に寝てしまった様だ。

……うん、そうだ。だんだんと思い出してきた。

バイト代が入ったから、普段読まない漫画雑誌の単行本を、表紙の絵だけ見て直感で買って来て……

そして、あまりのつまらなさに意識のブレーカーが落ちたんだった。


「うー、損した……」


全く、なんであんな本を買ってしまったんだろう。

絵柄は王道のラブコメなのに、ストーリーは登場人物が全員化け物に食べられるとか、どんな詐欺だ。

こんな漫画を出版した編集部は何を考えているんだろう。


「……700円あったら、昼ご飯にサラダが付けられたのに……はぁ……」


自業自得とはいえ、なんと空しい散財である事か。

……とはいえ、こうして悩んでいてもお金が戻ってくる訳も無い。

流石に、本がつまらないからクーリングオフしろと言える程、私は厚かましくはなれないのである。


「いや……それ以前に、人の目を見て話す事もしんどい訳だけど……っと」


そうして、最近独り言が増えて来たなー、などと思いつつベットから背を起こす。

思う事が有って伸ばしている髪が枕の上を流れるのを感じながら、両手をぐっと上に上げ伸びをして


「んん、あ……そういえば、今何時だろ」


枕元の時計を眺め見た。私が視線を向けると同時に、カチコチと無機質に時を刻む秒針は12の文字盤に辿り着き





4:44




「……う」


4止、4刺、4死……『偶然』に眺め見た時刻は、お世辞にも気持ちがいいとは言い難いものだった。


「……」


つまらない漫画と言い、この時刻と言い、本当に気が滅入る。それに……


「……私、寝過ぎ……」


それに、こんな夕方になるまで寝続けるなんて、いったいどれだけ疲れていたんだろう、私は。

これでは折角の休日が台無し……ああ!


「テレビも見逃した!」


本当に最悪だ……そもそも、今日は見たいテレビ番組があったから、本を読んで時間を潰してたのに。

その時間潰しのせいで番組を見逃すなんて、本末転倒も良い所だ。

お金と時間を両方失うとか、やるせないにも程がある……いや、本当に。


枕に顔を埋め、暫く唸ってみるけれど、そんな事で失った時間が戻る訳も無くて……


「……もういいや。お風呂入ろう。そしてもう一回寝よう」


結局、色々と諦めて自棄になった私は、シャワーで汗を流してから、再度不貞寝を決め込むことにした。

散々寝たからこれ以上寝られるか分からないけど、まあ、その時はその時だ。


ベッドから腰を上げて立ち上がり、パジャマの裾を引きずりながらドアノブに手を掛け






『がたり』





……。

今、何か……私の後ろ。夕日が差し込む窓の方から、物音がした。

風でも吹いたんだろうか?

いや、きっとそうだ。風が吹いて窓が揺れたに違いない。



『がたり、がたり、がた、がた』



……風のせいだ。

そう思うのに、何故か私は振り返る事が出来ない。

だって、だって……聞こえる音が、風の揺れじゃなく、まるで


まるで……誰かが、窓を叩いている様に聞こえるから。


『がたりがたりがたり、がた がた がた がた 』


でも、そんな筈はない。そんな事は有る筈がない。

だって、私の部屋はベランダの無い2階にあるのだから。

だから、これは。この音は、窓が風に揺れているに違いない。


『 がたん! がたん! がたん! がたん! 』


そう、こんな奇妙な音がしているけど振り返れば、きっと、何も居ないに違いない。

風が窓を揺らしている事に安堵して、臆病な自分に失笑出来るに決まっている。

だから私は、真実を確かめる為に意を決して振り返り――――



「 がたん ばたん がた がた ばん ばん ! 」


「ヒッ!!?」


っ、いやだ、いた、やだ、いたいたいたいたいたいいた!!居たっ!!!

化物だ!カチカチと歯を鳴らす、奇妙な物体が!


全身に『口』がびっちりと張り付いた人影が、いた!!



しかも、窓の外に居たんじゃない!

私のすぐ傍に居た!

口の塊はずっと、私の後ろで『がたん、ばたん』と声を出して聞かせてたんだ!



やだ!嫌だ!逃げないと!

……っ!?

ドアノブを捻ったのに、ドアが開かない!

なんで!?


化物は、今も私の近くで「がたん、ばたん」と叫び続けていて……ゆっくりと、近づいて来てる!


「や……やだ!助けて! 誰か私を助けて! ここから出してっ!!」


悲鳴を上げる私に、化物が『口』だらけの腕を伸ばす。

カチカチと歯を合わせる音と、ぴちゃぴちゃという粘膜が接触する気味の悪い音が、とうとう私の耳元にまで近づいて来て――――













……おや、お気付きになられましたか。


どうにも『あなた』が本に夢中になっていたので、心配していたのですよ?


……うん?どうしたのですか、そのような顔をして。


随分と怯えた……そう。まるで、今しがた怪物にでも襲われた様な顔をしていますよ、今の『あなた』は。



『先程まで自分の部屋に居た』

『口だけの化物に襲われた』


……ですか?


くっくっ……失礼、どうにも『あなた』はまだ寝ぼけたままの様だ。


微睡み、寝ぼけて、本の中身を『あなた』の体験だと思い込んでしまった様だ。


どうぞ、緑茶と御茶請けの桜餅を用意しましたので、これでも摘まんで落ち着いてください。


少し落ち着けば、本当はどうであったのか、気付ける筈ですから。





ええ、そうです。


『あなた』は夢を見ていたのです。


本に夢中になり過ぎて、本を夢見て、本の中に遊んでしまったのですよ。


……。


……帰る、ですか?


……。


ええ、構いませんよ。

帰る事も。残る事も。『あなた』の自由です。


僕に、帰るお客様を引き留める権利はありません。


けれども……




本当に、帰ってよろしいんですか?


夢の中で、あれ程までに怯える事になった『あなた』の部屋に。




……ええ。どうするかは『あなた』の自由です。


もう少しだけ本を読んで行かれるのなら、今度は羊羹でも切りましょう。


お帰りになられるのなら、来店記念の土産に饅頭でもお包みしましょう。



『久比塚書店』は、閑古鳥の鳴く本屋。


幸い、『あなた』以外にお客様はおりませんので、どうぞゆっくりお考えになってください。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] すごく面白くて読みやすかったです。
2016/11/24 13:58 退会済み
管理
[良い点] 伊戸空様 ご返事ありがとうございます。 続編をご検討いただけるそうで嬉しいです。 ただ、急かす気はございません。気長にお待ちしております。
2016/11/24 00:12 退会済み
管理
[良い点] 初めまして。 冒頭から引き込まれました。 是非続編をお願いします。
2016/11/23 11:35 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ