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その日の放課後。
女子に囲まれてしばらく教室にとどまっていた俺は、耳鳴りのような何とも言えない妙な感覚を覚える。
なんだこれ!?
思わず耳を指で押さえた俺を、周囲の女子たちが不安そうな目で見つめる。
「大丈夫?」「どうしたの?」と聞いてくる女子に、「なんでもないよ」と何気なく返答する。
しかし、耳鳴りはやまない。
『出ました。夢暴思現体です。武道場のあたりでしょうか? 急いで下さい』
リリの慌てた様子に、俺はそっと立ち上がると群がる女子に「用事思い出しちゃった。また明日」と、いかにもリア充クソ喰らえと言わんばかりのベタなセリフをはき、教室から飛び出した。
「ここで変身しても大丈夫なのか?」
『問題ありません。ある程度の霊力及び、魔力神聖を持つものでなければ、故意に見せつけない限り、私達を認識できません』
「了解! なら行くぜ!」
俺は、生徒が下校し、無人となった廊下を走りながら、左拳を構えた。
すると、ふわり輝く紋章がその甲に出現する。すぐさま紋章に手をかざし力を込めた俺は、左腕を振り、横の空間にかざす。
「獣装‼」
次の瞬間。
かざした空間に魔法陣が現れ、素早く俺の体を通過した。魔法陣の通過とともに「猫」の獣装を帯びる俺は、変身完了を確認するなり加速し、窓から飛び出した。
俺は、一直線に武道場に飛んでいく。
「天高く吠えるぜ‼」
叫ぶと同時に武道場の屋根に着地した俺は、窓から中を覗く。
中は、照明で照らされており、思ったよりも明るい。フロアには数人の剣道部員がいて、立ち合いをしているようだ。
と、そこで一つ異様なものが目に入る。
「はぁ⁉」
『へっ⁉』
俺とリリは、その現状に驚きの声を上げる。
なぜなら、そこには……。
「何やってんだアレは……試合鑑賞か?」
そう呟く俺は、フロアで立ち会いをする剣道部員の直ぐ側で何もせずじっと立ち尽くしている化け物を見つめる。
間違いなく夢暴思現体である。
化け物の容姿についてだが、一言で言えば、阿修羅だ。
一つの体に三面の顔と各三本ずつの腕を持つそれは、まるで阿修羅像のようで、ただじっとその場に硬直し、立ち合いを見つめていた。
「周りには、見えていないのか?」
『……のようですね。しかも、人が当たるとすり抜けてますから、もしかすると霊体化してただ見ているだけなのかもしれません。……理由はわかりませんが』
「とりあえず、近づこう」
そう言って俺は、屋根から飛び降りると、フロアに入る。先ほどリリが言っていた通り、本当に他人からは認識されていないようで、俺は変身した姿のまま部員たちの横を通り、阿修羅に近い壁際にもたれかかった。
見たところ俺が近づいても阿修羅は気にする様子はなく、まったくもって微動だにしない。まるで本当の阿修羅像のようだ。
と、そこで俺は阿修羅の見つめているものが気になった。
『……あの人、もう二十抜きくらいしていません?』
ふと漏れたリリのセリフに、俺は阿修羅の見つめる先にいる一人の剣道部員を見た。
一見、他の部員よりも小柄で細い。でも、一振りに力があり、何より早い。正直剣道はさっぱりだが、そんな俺にも見てわかるほどにその人物は強く、次々と立ち会う他の部員たちを打ち負かしていく。
打ち負けた部員たちはすぐさま立ち上がり、挑戦者の列の最後尾に並びに走る。そして、再びその番が回ってくると、全力で打ち込みまた負け、再び並び直す。
一体何周しているのだろうか……。というより、あの強い人は体力が持つのだろうか? そんな疑問が脳裏をよぎった時。
「休憩!」
強者が声を上げ、他の部員たちが「はい!」と掛け声をかえした。
ぞろぞろと休憩を始める部員を他所にリリがつぶやいた。
『今の声、あの人、女の子ですね』
「……マジで?」
確かに若干高い声だった。体も小柄で細い。でも、女子があんな長時間、次々に相手を倒していけるものなのだろうか?
そう思った時だ。部員らしき強者がフーッと息を吐き、その場に座り込むと面をとった。
「あ」
『あ』
面の下から出てきたその顔に俺とリリは思わず声を出してしまう。
そこにいたのは、朝方廊下で出会った相模女史だった。
髪についた汗を払うように頭を振り、タオルで顔を服彼女は、まさに武道女子というかんじである。
阿修羅はというと、立ち会いが終わっても、じっとその場で相模女史を見つめている。
数分の後。
休憩が終わり、部員たちが立ち合いを始めようとした時、ついに阿修羅が動いた。
すぐさま身構える俺の前で阿修羅はゆっくりと六つの腕をくねらせて何かの舞のようなものを踊り始める。それと同時に赤紫色のモヤのようなものが阿修羅から流れだし、相模を包み込んだ。
「アレ、ヤバイだろ!」
『まってください!』
慌てて飛び出そうとした俺をリリがとめる。
『落ち着いてください。……あれは……』
次の瞬間、これまでに響いた音の中で最も鋭く激しい竹刀の音がフロアに轟く。
見ると、立ち会いを始めた相模女史が部員の一人を倒したあとだった。しかし、これまでとは空気が違う。尻餅をついた部員の面にヒビが入り、二つに割れた。
『アレは……強化の魔法です』
驚愕する部員たち、さして気にする様子もなく次の挑戦者を待つ相模女史。
俺はこれ以上は危険と判断し、阿修羅に飛びかかった。
空中で爪を振りかぶり、首をひねるとその背めがけて振り下ろす。
ゴウンと、銅を叩いたような低い音とともに俺の爪が止まる。
阿修羅の右半身の腕が剣を抜き、受け止めたのだ。
見る見るうちに、その体がジワジワと空間にしみ出してくるように実体化してくる。
「チィッ!」
飛び退いて身構える俺に、リリが叫んだ。
『ふせて!』
反射的に伏せた瞬間、光線のようなものが飛んできて、俺の髪をかすめた。
直後、轟音を立てて武道場の壁が吹き飛んだ。
爆風と部員たちの悲鳴が上がり、フロアは突然の爆発に大混乱となる。
「くそっ! また、レーザーかよっ」
俺が顔を上げると、阿修羅は、煙に紛れてゆっくりと消えていくところだった。
「逃がすと思ってんのかよっ!」
怒鳴る俺は必殺技を放つべく、紋に力を集める。
と、その時、背後で女子の悲鳴が上がった。
振 り返った俺の前には、うつ伏せにこけている相模女史。それの上には落下してくる瓦礫が多数。
「タウロス‼」
必殺技を中止した俺は、紋を切り替えて、重力を操るタウロスに獣装をチェンジする。
魔法陣の通過でタウロスの獣装への変身を終えた俺は、手をかざし今まさに相模女史を押しつぶさんとしている無数の瓦礫を宙に静止させる。
すぐさまそれを横に転がした俺は、脇目もふらず相模女史を抱え上げる。周囲で気絶している部員もろもろ三人を追加で抱えた俺は、素早く武道場から飛び出した。
阿修羅を逃がすことになるが、この際仕方がない。
救出を完了した俺は、半壊した武道場を見た。レーザー一発でこの威力……やっぱり化け物だ。
『とりあえず、犠牲者が出なくて、幸いでした。今後は戦闘時のエリア選択も考えなければ、二次災害が起こります。気をつけてください』
淡々とした口調でそう告げるリリに「すまん」とだけ返し、俺は集まってきた部員に運ばれていく相模を見た。
目を閉じたその美しい顔は、砂ぼこりですすけ、少し苦しげに見える。
俺は考える。なぜ、阿修羅はあんな奇行に走ったのだろうか。見たところあれだけの力があれば一瞬にして一帯の人間を屠ることはたやすかったはずだ。夢暴思現体の行動規範はあくまで人間の抹殺。人を殺すための行動はしても、力を貸す理由などはどこにもない。まして、こちらから攻撃を加えるまで一切の攻撃行動に及ばないというのも、奴らの特性上妙に思える。
とりあえず、校舎裏で変身を解除した俺は、相模の運ばれた保健室に向かった。
正直なところいくら考えたことで憶測でしかない。今は、相模女史に話を聞いてみることがヒントになるかもしれない。
若干、今行くのは彼女の体調に触るような気がして気が進まないが、早く聞かねば次の阿修羅の出現に対応できないかもしれない。
俺は、早足に廊下を歩く。
武道場半壊の事件で校内は慌ただしく、教員や部活で残っていた生徒たちが動き回っていた。
人混みを縫い、保健室に辿り着いた俺は、ドアを小さくノックする。
「どうぞ」
柔らかい声が聞こえ、俺はそっと扉を開く。
入室した俺を出迎えたのは、保健室教員の老年の女性だった。たしか……田城先生だったかな? まぁ、どうでもいいんすけど。
「あの、相模さん、今いいですか?」
俺の言葉に先生は、カーテンのベッドに歩いて行くと、そっと中を覗くと言った。
「大丈夫。……でも、あんまり無理させちゃ、だめよ?」
「えぇ、少し話すだけですから」
そう返した俺は、カーテンの内側に入る。
カーテンの中では、相模がベッドの上で体を起こし、窓から外を眺めていた。
「……相模さん」
小さく声をかける俺に、彼女ハッとしてこちらに顔を向ける。
「おっ……おぅ。大和くんか、どうしてここに?」
「さっき、先輩が運ばれているのを見かけたので、気になってしまって。……大丈夫ですか?」
正確には、ずっと見ていたわけだが……。まあ、それより、こうして見たところ大傷はなさげそうでよかった。運び出したのはいいが、その途中で怪我していたら申し訳ない。
俺の言葉に相模は、急に顔を赤らめると、慌てたように咳払いする。
「っ……あぁ、心配ありがとう。とりあえず、私は無事だ。……それにしても、武道場が崩壊するとは……びっくりしたな。しかし、まいったな。大会が近いというのに……」
呟くように言った最後の一言に、俺は問いを投げかけてみる。
「大会ですか?」
「あぁ、別に市内戦だし、特別な大会というわけではないんだが、ライバル校との対決が決まっていてね。今は、なんとしても力を付けたい時期なんだよ」
……力……。
ふと、先ほどの面割の一本が思い出される。
「……先輩、うわさに聞いただけなんですが、もう十分すぎるくらい強いんじゃないですか?」
すると、彼女は、少し寂しそうに笑うと答えた。
「いや、私は全然強くない。ましてや、スポーツに十分な強さなんて存在しないよ」
そう言って、彼女はどこか自嘲気味の笑みを浮かべる。その寂しげな表情にどこか居た堪れなくなった俺は、無理に笑顔をつくり話を進める。
「……で、でも、最近は一瞬で勝負を着けるとか、防具を切るとか聞きますけど?」
その言葉に相模女史は、若干恥ずかしそうな顔になる。
「そんなことが起きだしたのは、ここ数週間の話さ。……と言っても立ち会う瞬間、頭がボーっとしてしまって、あんまり考えないうちに気がつくと勝っているという感じだから、単なるまぐれかもしれないさ。防具だって、ボロが来ていたのだろう。あんなものが人の力で破壊できるわけないじゃないか」
そう言って、はははっと豪快に笑って見せる相模女史。俺はそんな彼女からそっと視線を外し、考える。
なるほど、おそらくボーっとしている瞬間に阿修羅からの力を受けているのだろう。いや、正しくは、力を受ける際に半催眠状態にでもかかっているという感じか……。あくまで自分の力ではないのか。まぁ、それはそうか。面を一振りで破壊できる人間がいるはずがない。
「腕が上がったのは、なにか訳があるんですか? ……なんというか、何か精神的な吹っ切れがあったとか……」
ちょっと執拗に聞き過ぎただろうか? そう思いつつ、俺は彼女の目を見た。
すると、彼女はクスリと可愛らしい笑い声を漏らす。
「妙なことを聞くんだな。ふふっ……まぁ、大した話じゃないよ。でも、確かに変化はあったんだ。その、なんというんだろうな…………夢ができたんだ」
夢。その単語に俺の中でリリが反応する。俺は黙って続きを待つ。
相模女史は窓の外に視線を向け、続けた。
「私は道場の孫娘なんだ。道場の主である祖父には、自分の進みたい道を進め、無理に道場を継ぐ必要はないから大丈夫だと言われてきた。でも、私は祖父が道場の主ということに関係なく、昔から剣道が好きで道場を継ぎたいと思っていたんだ。といっても、その思いに気付いたのは、つい二週間ほど前、祖父が重い病気で入院した時。それまでうやむやだった感情が大好きな祖父の死をイメージしてしまったことで、はっきりと目標にかわったんだ。祖父を安心させたい気持ちもある。でも、それ以上に自分の夢として道場を継ぎたい。そのためには――――――――――――――――――――――――――――――」
「それなりの実力と自信が欲しい……ですか」
「まぁ、そんなところだな」
立派な夢だ。人のためでもあるが、結局は自分の本心を形にしたいという思い。これまでの人生でどちらかしか取ってこなかった自分には、眩しすぎる夢だ。
「なんだか……そういう夢が持てるって羨ましいです」
つい本音が漏れてしまい、慌てて口をつぐむ。わざわざ夢を語ってくれた先輩に、今の言葉は少々失礼だったかもしれない。
しかし、彼女は大して気にする様子も無く、窓の外を静かに見つめている。
「……大和くんには、何か夢はあるのかい?」
「えっ?」
唐突な問いに、つい声が上ずってしまう。
予想外の質問に苦笑いしつつ、俺はしばし考えてみる。
夢…………か。
正直なところ、俺は生まれてこのかた、夢という夢を持ったことがない。ただ何となく生活し、のんびりと日々を送ってきたわけで、何かあるとしてもそれはあくまで他人のことであった。いつも誰かのためであって、自分のためじゃない。ずっと誰かの不幸を和らげようとして、自分が傷ついて苦しんで……。そして、今回は体まで変わってしまった。……果たして、こんな生き方で夢などできるのだろうか? いや、逆にこの歳で明確な夢を持つ人間がどれほどいるだろうか。
そう胸の内で呟き、現に明確な夢を持つ彼女を見つめた。
「夢……ですか。ないですねぇ」
俺は胃にある遺物を吐き出すかのようなぎこちない口調でそう言って、ごまかすように笑って見せる。それから、こう付け加えた。
「でも、欲しいとは思います。誰の為でもない。自分だけの夢を。……なんか俺って人のことでいっぱいいっぱいで、自分のことに気まわんないんですよ」
再び笑って見せ重い口調をごまかすも、漏れるのは乾いた音。俺は、何を言っているのだろうか。こんなこと言っても何も――――――――――――――――――――――――
「君は、優しいな」
不意に、それまでとは打って変わった柔らかい口調に、俺は俯きかけた顔をあげ二度瞬きする。
視線の先には、夕日を背にこちらにどこか切なそうに微笑む彼女がいた。あぁ、ダメだ。そんな顔をしてほしくはないんだ。ほんと何を言っているんだ俺は……。
息が詰まりそうになる中、相模女史は続けた。
「大丈夫。他人のことを考えられる人間は、きっと自分についても考えられるさ。今は見つからなくても、いつかいい夢が見つかるさ」
続いたその一言は、先刻のような優しい響きではなく、それまでの如く凛と響く相模らしい声だった。
その後、相模女史と別れ保健室を後にした俺は、校門に差す夕日に左手をかざし、そっと呟いた。
「夢…………か」