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夢を見た。
すごく遠い日のことだった気がする。
いや、そもそもこれは記憶ではないのかもしれない。
十二人の仲間と笑い、遊び、野山を駆け回っていた。
そしてあの人は……だれだったのだろうか。幼い猫の女の子を連れていて、笑顔で自分たちを見ている。すごく温かった。すごく楽しかった。でも何故か、自分の内側がとても冷たい。この光景を目にするととても寒い気がする。それは心が冷えているからだろうか。いや、そもそも自分に心などあったのだろうか。それに心とは何なのだろう。心があると、この寒さ冷たさは無くなるのだろうか? わからないな。……あれ?
俺は誰だ?
☓☓☓
―来た―
俺はゆっくりと目を開けた。
時刻はPM11:30。ここは俺が初めて戦ったところにして、俺が死んだ場所。俺は海岸部の堤防の上にいた。そして堤防の下、俺の眼下には、いくつかの花束が置かれている。それは全て、かつてリリを助けるために死した俺へとたむけられたものだ。
少し前まではリリに魂だけ救われたから、俺は死んでいないと考えていた。でも、ここ数ヶ月を通して自らの内に起こった変化を感じた時、やはりあの時、それまでの自分はあそこで死んだんだなと思うようになった。
「やっぱり変わったよ俺。……良くも、悪くも」
海を見つめつつ、そんなことをぼやいてみた俺はフッと笑みを漏らす。
『いいんじゃないですか。良くも悪くも、それが今の輝羅さんですから』
どこか楽しげな口調のリリの言葉に俺は苦笑する。
「まっ、そうだな」
そう応えた俺はフッと息を吐くと気持ちを切り替え、左手の甲にある紋章を構えた。
たった数ヶ月でいろいろあった。どれもこれまでの人生では考えられないことばかりだった。嫌なこともあったがそれが無駄とは思わない。だからこそ俺はそのすべてを肯定すべく前に進まなくてはならない。
俺は真っ直ぐ前を見た。
「いくぞ!リリ!!」
『はいっ!輝羅さんっ』
俺は返事に強く頷くと、拳を握り、輝き出す紋章を月夜の天にかざす。
「獣装!」
魔法陣が体を通過し、猫の獣装「ケット」が、纏われる。猫耳をピクッと動かし、顔を振った俺はそっと目を開けた。俺はその場から飛び上がると、遥かにある荒野、アルテューンとの初対戦した場所へと向かった。
『どうやって倒すつもりです?』
リリの率直な疑問に俺はわずかに考える。が、すぐにニヒルな笑いを浮かべると答える。
「策なんてねーよ。攻め一択だ!」
とは言ってみたものの、実際のところ結構不安があった。気持ちに変化はあったし、実際「力」もみなぎっている。が、そう簡単に奴に指摘された癖が直るとは思えない。それに奴の攻撃を凌ぐ術が俺にあるのかもわからない。いろいろと積み手を強いられているのは間違いないだろう。さぁて、どうしたものか。
そんなことを考えているうちにも、俺達は目的地に到着した。月明かりに照らされた荒野は、昼間の光景とは全く別の世界のようで、どこか寂しさというか、ゾワリと毛のよだつ感覚を受ける。
「いるんだろ?……アルテューン」
迷うことなく、正面の空間にそう呼びかけた次の瞬間、少し離れた虚空がグニャリと歪む。そしてそこから染み出してくるようにゆっくりと、アルテューンが姿を現した。
「わざわざ自分から消されに来るとはなぁ」
アルテューンはそう呟き、こちらを睨む。その様子はどこか苦しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「消されるために来るわけねーだろ。消しに来たんだよ。ラスボスヤロー」
至極落ち着いた口調でそう言って笑ってみせる俺に奴は顔をしかめる。
「たかが数日で実力差が埋まるとでも?」
「埋めたんじゃねぇよ。超したと思ったから来たんだよ」
そう言った俺は笑みの下で冷や汗をかく。とりあえず煽ってみてはいるが、今日の奴は非常に機嫌が悪いと見える。実力差を超えるどころか埋めてすらいない俺に勝てるだろうか。ぶっちゃけ、修行なんてしてねぇし、遊んだだけだからな……。
俺は虚勢と見破られぬよう精一杯の余裕面を顔面に張り付ける。普通ならこれくらいの虚勢、簡単に見破られてもおかしくないはずなのだが、どうやらアルテューンは全くもって気付いていない。何か様子がおかしい。
「……まあ、いい。貴様がなんと言おうと俺が勝ち、貴様は消える。自ら来たことを後悔させてやろう!」
言うなりアルテューンは水槍と炎剣を亜空間から取り出すと、回転させ正面でクロス字に先端を払う。構えられた二つの武器が月明かりに妖しく煌めく。
俺も負けじと手甲に魔力を込め、光りに包まれた大爪を顕現させた。
両者が睨み合い、互いにそっと身構える。
アルテューンは今にでも飛びかからんと言わんばかりの眼力で俺を睨み、俺はその間に意識を集中させた。
この状況はある意味でチャンスでもある。怒りに身を染めたアルテューンの戦闘力は計り知れない。しかし、怒りを含め余裕を失った奴の思考に平常時に比べ劣ることは言うまでもない。勝者でありながらなぜあそこまで露骨にも余裕が無いのかは不明だが、そこを突くことができれば俺にも分がある。
睨み合いは続く。
風の吹く荒野に二人に魔力がせめぎあい、大気を震わせる。
それから何分経っただろうか。不意にそれまで吹き荒れていた風がピタリと止む。
次の瞬間、俺とアルテューンは動いた。
その場からかき消えた俺とアルテューンは一直線に飛び出すと、己が敵に目掛けて刃を突き出した。
俺の大爪と奴の炎剣が交差し、わずかに火花を散らす。そして、先手を制したのは俺だった。
まっすぐに突き出された大爪がアルテューンの右肩を抉り、奴が大きく仰け反る。
俺は反対の爪で炎剣を弾きそのまま突っ込むと、アルテューンの胸部に膝蹴りをおみまいした。
「ぐおっ!?」
これもヒットだ。
すかさず、その場で回し蹴りを食らわせ吹き飛ばす。アルテューンはそのまま岩壁に叩きつけられ、土埃にまみれた。
が、すぐに土埃から飛び出して来た奴が水槍を振り抜く。とたんにどこからか大波が出現し、俺を飲み込もうとする。
「エクウス!」
直後、大波が一瞬に凍りつき、動きを止めた。
エクウスを纏った俺は氷で創りだした剣で斬りかかる。奴は炎剣でそれを受け止め、水槍を突き出す。突き出された水槍を宙返りすることで躱し、氷剣を振り下ろすと同時に宙に創りだしていた無数の氷の矢を斉射。
「くらいやがれっ!!」
「ぐぅっ!!」
轟音が響き、大地を冷気と土埃が包む。
「まだぁっ!!」
声を上げたアルテューンは炎剣より溢れる炎で煙を払い、炎球を次々と放ってきた。
俺は素早く紋章を切り替え、叫ぶ。
「タウロス!」
獣装が切り替わると同時に重力の波で炎球を止めた俺は、それも一気に押し返した。
「何っ!?」
迫る炎球に目を見開くアルテューンはそのまま重力の波と同時に自らの炎球を受ける。
「ぐあぁぁぁ!!」
吹き飛ぶアルテューンは苦しげにこちらを睨む。なんとか着地した奴はすれすれで俺の掌打を躱し、水槍を振り抜く。
水槍が俺の頬を掠り、僅かに血を散らす。だが俺は引かずに一歩踏み込むと反対の拳で奴の顎にアッパーをおみまいした。
「うらあああ!!」
圧縮した重力を上乗せした一撃に奴は苦しげに打ち上げられる。遥かに上がったアルテューンは力なく地に叩きつけられ「ぐぅ!」と声を漏らす。
『綺羅さんっすごいです! これはいけますよ!』
「いや、まだだ!」
興奮気味のリリを制し、身構える俺は、地に伏せるアルテューンを見つめる。
すると、アルテューンはゆっくりと体を起こすと、荒々しく血を吐き捨てた。
「なるほど。……どういうわけか知らねーが、たしかに強くなってやがる。……だが」
そこで言葉を切った奴は、水槍を払う。すると水槍がうねり、形を変えていく。そして、いつの間にかそれは炎剣と同サイズの剣へと姿を変えていた。
そこから溢れ出す魔力は先程とはケタ違いのもので、俺は目を見開く。
アルテューンは笑った。
「残念だが、このアルテューンは最強にして最凶の夢爆思現体。ここで死にはせん! 最凶たる真の力をもってして、貴様に引導を渡してやるっ!」
そう叫び、水神剣たる水剣を天に突き上げたアルテューン。その直後、アルテューンの肉体から魔力が溢れ出し、赤と青の二つの魔力が激しく燃え上がる。
「夢限解放」
一瞬の間の後、今度はアルテューンそのものが変化した。炎剣を持つ右半身は、炎神カグツチを思わせる紅の炎に染まり、トゲトゲしい武装を纏う。水剣を持つ左半身はダイヤモンドのように輝く表皮へと変質し、各所からはニードルのようなものが突き出している。背からは四本もの触手と、円を描くようにして宙に浮遊する十本の炎剣。
『あっ……有り得ませんっ! あれは、まるで神と同質の力ですっ。あんなもの見た事がありませんよぉおお!』
完全に怯えきっているリリの声に俺は舌打ちする。リリも知らないとなると、相当ヤバイやつだ。……でも、こっちも神の力。同質なら、対向できるはず。
そう考え、飛び出そうとした時、不意に奴が炎剣を振った。
「滅焼蓮華・紅蓮ノ焔」
刹那。
爆炎が世界を包んだ。
これは、先日俺が敗れた時の大技。瞬時に回避したもののかすっただけでこのざまか……。
俺は、炎撃のかすった右腕を見る。右腕は黒焦げになり、爛れていた。
もはや痛みすら感じないほどに焼き尽くされている。どれほど威力上げされているんだ。……つか、アイツ、ノーモーションで撃ちやがった。
「つぅことは、これが通常攻撃ってことかよ……」
修復されていく右腕を軽く振り、苦笑いする俺は、大きくえぐれた大地を眺める。
「よく避けた。今ので終わっていては面白くないからなぁ……。もっとじっくりと殺してやる」
アルテューンは、そう言うとクスクスと不気味な笑いを漏らした。どうやら、力量差を開けたことで、少し余裕を取り戻したようである。
「ったく、厄介な……」
俺は、吐き捨てるようにそう呟くと地を蹴った。
視界の隅で奴の背の炎剣達が動いたのがわかる。
すぐさま、エクウスにチェンジし直した俺は宙に氷槍を作り出し、対向する。
次々に炎剣と氷槍がぶつかり合い、爆風が大気を揺らす。
氷剣二刀流の俺に奴は素早く触手を伸ばした。ランスの如く真っ直ぐに突き出された触手の攻撃を氷剣を滑らせることでかわし、接近する。
次から次へと繰り出される一撃を回避しつつ、俺は氷槍を生成し続け、飛来する炎剣にぶつけていく。
同時に二つの事をこなす故かなかなか奴に近づけない。
「どおらあああ!!」
手に氷剣を突き立てると同時に、氷剣の刀身を放射状に変形させる。
「調子に乗るなっ」
触手を一本屠り、喜ぶのもつかの間、奴本体が直接炎剣を振り襲いかかってきた。
「ぐう!!」
炎剣を受け止め踏ん張る俺は、反対の手に氷のクナイを四つほど作ると、飛び退くのと同時に投げつける。
「っ!」
四本の内、三本は触手に阻まれたが、残り一本は偶然にも、奴の左目を貫いた。
「何っ!?」
僅かに動揺するアルテューン。俺は突き刺さったクナイを大きくし、奥まで突き抜けさせるが、奴は夢爆思現体、ダメージこそあってもコアでない限り、これで死ぬ事はない。
「この程度でどうにかなるとでも?」
「思ってねえよっ!!」
言い返した俺は、氷剣を巨大なサイスに変えて斬撃を繰り出す。アルテューンはそれを炎剣に水剣の二本をクロスして受け止める。
『輝羅さん! 触手!!』
リリの言葉を聞いた瞬間、咄嗟に後退する俺。すぐ前方で三本の触手が三方向から突き出され、一点で交差していた。
「……ったく危ねぇっ。……リリ、いつも通りサポートいいか?」
舌を巻きつつ息を吐く俺がそう言うと、りりは元気な声で答える。
『もちろんですっ!!』
その後は、リリのサポートを受けつつ俺は奴相手に少しづつダメージを与えていく。それ一つ一つは小さい一撃でも積み重ねていけばきっと――――――
そう考えた時、奴が動いた。
「大海旋激波!」
奴の詠唱と共に俺はいつの間にか大海の広がる空間に引き込まれていた。そして、魔物の如く、襲いかかってきた波にのまれ、そのまま高速の螺旋に巻き込まれる。
「がああああっ!!」
『きゃああああっ!!』
大技を受け、痛みのあまり悲鳴を上げる俺達。技が終了し、結界が解けると同時に荒野に投げ出された俺は、血を吐き、地を這う。
「……ははは……。つえーな、やっぱり」
呟いた俺の背にアルテューンが十本の炎剣を一気に突き立てた。
「っがぁっ!!」
詰まりそうな息をなんとか整える中、アルテューンの触手が俺の両腕を掴み、宙に持ち上げる。そして、三本目の触手が素早く俺の首に巻き付きゆっくりと力を込めていく。
「……ぐっ……うぐっ……」
なんとか持ちこたえようと力を込めるが、魔力の消費と先程のダメージで思うようにいかない。
「なかなか面白かったぞ。……獣装の戦士」
そう言って勝ち誇った様子のアルテューンが近づいて来る。
さすがにもう無理か……。
そう思い、俺は顔をしかめる。体がスゥと冷たくなっていく感覚に俺は悔しげに歯ぎしりした。
その時だった。
――――――まだだ――――――
「っ!?」
どこからか聞こえた声に俺は飛びかけた意識をなんとか留める。
すると、突然アルテューンに異変が起こった。
「ぐっ……ぐああああああ!!」
アルテューンは、俺を投げ出すと頭を抱えてその場にうずくまる。
触手から解放された俺は咳き込みつつ、膝を付きアルテューンを見た。
奴は苦しげに呻き、頭を押さえている。
「邪魔を! するなああ!!」
アルテューンは叫び、明後日の方向に向かって炎剣をめちゃくちゃに振り回す。
その度に炎が大地を裂き、暴走する。
「どうなってやがる……」
謎の現象に呟く俺は、ゆっくりと立ち上がり呼吸を整える。
『よくわかりませんが……。今がチャンスです。決めてしまいましょう』
「そうだな」
リリの言葉にそう返した俺は、紋章に力を込め身構える。十分な力の圧縮を確認した俺は、力を脚部に移す。
そして、
「蓮脚螺旋撃!」
唸り回転する氷のドリルを突き出し、真っ直ぐにアルテューンに向けてキックを繰り出す俺。魔力に包まれた俺は、一気に奴の背を突き抜けた。
が、その時俺は気付いた。
「こいつ! コアがねぇ!?」
着地した俺は背後で大爆発を起こすアルテューンを見た。
コアが無い。つぅことは、こいつは夢爆思現体じゃないのか?
すると、爆煙の中から、武装が砕け、触手を失ったアルテューンが現れる。
その顔を見た時、俺は息を飲んだ。
アルテューンの顔、左半分が爛れ、その下から別の顔が覗いていたのだ。その顔はどこか見た事があるような、誰かに似ているような……。
『お兄……様……』
リリの言葉に俺はギョッとする。
「は? まじか。そっ……それどういう……」
俺がリリに問うた時、突然アルテューンが吼え、炎剣を横なぎに振るった。
猛烈な爆炎が俺を襲い、俺は岩壁に叩きつけられる。
「ぎっ!」
なんとか踏ん張り、地に這いつつも顔を上げた俺は、リリに問う。
「おい。リリ。どういうことなんだよ」
その言葉にリリはハッとすると、震える声で喋り始めた。
『お兄様は、私の先代の猫神。つまり、現十二支神の方々と競争する予定で、子様に騙されて、競争に参加できなかった神です。三百年ほど前に突然に姿を消して、それっきりでしたが……まさか、夢爆思現体の依り代にされていたなんて……』
「依り代?」
『はい。夢爆思現体は、ごく稀にコアを持つ代わりに強力な生命に取り憑き依り代にすることで発生する場合があるんです』
その説明で俺は納得する。
「なるほど……。要は、リリの兄貴は、アルテューンの核にされてるってわけか……」
ということは、もしかするとさっきの声はあの人の……。
そう考えた時、アルテューンが再び剣を振る。力を振り絞りなんとか回避するが、もう戦えるほどの力が残っていない。
『輝羅さん、無理しないで下さい。こっ……ここは一度引いて――――――』
「いや、戦う!」
動揺を隠せないリリの声を遮り、俺はゆっくりと立ち上がった。
「俺はな……。人の笑顔が見たくて戦ってんだ。……リリ。お前の笑顔だって見たい。……お兄さん、きっと辛いはずだ。だから、俺が助けるっ!!」
俺がそう言って身構えた時、アルテューンが吼えた。
グァアアアアアアアアアアアア
とてつもない咆哮に大気が震え、俺は少し後退させられる。
見ると、いつの間にかアルテューンの顔が元通り修復されていた。アルテューンは言った。
「……こいつが、うるさくてなぁ。本当腹が立つ。……でも、貴様とその女を殺せばこいつは完全に俺と融合し、こんな声も消えるだろう。だからっ!!」
そう声を荒げたアルテューンは二本の剣を天に掲げた。すると、二本の剣が大気中の魔力を吸い込み始め脈打ち始める。魔力はどんどん増幅していき、荒れ狂う二つの渦を作り出す。
アルテューンは、その二つの大竜巻を俺目掛けて振り降ろした。
「ここで死ねー!!」
奴の絶叫と共に迫り来る赤と青の竜巻。俺はその中で、アルテューンの左目から零れた一滴の雫を見た。




