ポエミ(1/9)
第一章 ポエミ
僕の昼休みはいつも一人だ。
その日も僕は、一人コンビニのおにぎりとお茶を持って裏庭に向かった。誰もいない場所で一人過ごす至福の時間。
裏庭は銀杏と桜が植えられていて春と秋に季節を楽しむことが出来た。休憩用にベンチも用意されていて、真冬の寒い時期を除けば意外に人がいる。そのスポットから少し離れた場所に風力発電器のようなプロペラ設備が5つほど並んでいる。付属の大学の実験で使う設備らしい。そのプロペラ設備の脇に周囲から死角になっているベンチがある。ここは、普段誰も来ない上に三方が塞がれた小屋の中にあるため、雨風も防ぐことが出来る。僕の憩いの場所だ。
僕はコンビニのおにぎりを開けて食べ始める。銀杏はまだ色づく前で気候的にも程よく気持ちよかった。これから寒くなってくれば、この場所はいよいよ誰も寄り付かないだろう。一人になりたい僕には、それがまた好都合だった。
その時LINEの通知がある。
相手は分かっている。僕とLINEをしているのは二人だけしかいない。一人は姉だけど、95%の通知はもう一人の相手からだ。
『今日は帰りにウチに寄って』
彼女からのお誘いだった。
僕には2週間前から彼女がいる。
彼女とはまだ外で会ったことがなく、彼女の家で会う以外はスカイプと電話で話すだけだった。
何故なら、彼女は2年くらい外に出ていないから。
事情は色々あるのだけど、小学校6年生の時に出て行ったお父さんとの関係が影響している。彼女はお父さんが出て行く少し前から不安定になり、中学に入ってからも改善することなく中二以降は完全に不登校になってしまった。今は通信制高校に在籍している。
僕は彼女のLINEにOKの返信をして、昼食を再開する。
彼女に初めて会ったのは1年ほど前のことだ。
僕は、オニギリを食べながら彼女と出会った時を思い出していた。
母親を幼い時に亡くした僕はお父さん子で、父親の期待通りにする事を生き甲斐にしているような子供だった。ところが中三の夏にその父も亡くなり、生きる方向性を完全に見失ってしまった。そんな僕を心配した姉が、仕事仲間であるスピリチュアルカウンセラー矢島サクラさんのスカイプセッションを僕に受けさせた。
当然、僕一人で受けるものだと思っていたセッションは、後に彼女になるポエミとの合同セッションだった。
ポエミと言う名前はもちろん本名ではない。
でも彼女は自己紹介の時、あだ名だけを名乗った。
「は・・じめまして、ポエミです」
それに対して僕は本名をフルネームで返したのだが
「はじめまして、生田マリオです」
名前のせいで、僕もあだ名みたいだった。
その時、ポエミはキョトンと僕を見つめて言った。
「あの・・・名前・・・」
やっぱりそこに食い付いたか・・・と思った
この名前のせいで小さい頃からよくからかわれた。
この名前はゲームとは全く関係なく、敬虔なクリスチャンだった父がマリアさまからつけた名前だ。
でも普通は有名なゲームキャラを思い浮かべるはずで、
ポエミもそれで聞いてきたのかと思った。
「ああ、僕の名前?」
「ううん。そうじゃなくて、私の名前のこと。不思議じゃないの?」
と意外にも自分の名前の事を気にしていた。
ポエミって名前は確かに変わっていたけど、あだ名だと分かるし本人が気に入ってる感じがしたので特に気になりはしなかった。
「ああ、ポエミちゃんでしょ。可愛い名前だね」
素直に思ったのでそう言ったのだけど、ポエミは凄く嬉しそうだった。
「自分でつけた名前。本名は中西萌実。でも、本当の自分はポエミなの。中学生になった時ポエミになったの。もう萌実に縛られないの」
彼女はそう僕に説明した。
萌実と言う名前はお父さんとの記憶を思い出させるから好きじゃないらしく、ポエミじゃなければ苗字で呼んで欲しいと言っていた。
そんな出会いから始まって、僕たちは十回以上一緒にセッションを受けた。
その度に、ポエミはどんどん僕になついてきた。
「マリオみたいに怖くない人初めて。もっと話したい」
「マリオと話してると安心する」
「マリオの顔見てるだけで元気になる」
等々、僕の反応が他の人と全く違うのが新鮮な驚きだったようだ。
カウンセラーのサクラさんも、きっとこうなる事が分かっていて僕らを一緒にセッションしたのだろう。人付き合いを極度に避ける僕にとっても、ポエミは全く警戒心を抱かせない希有な存在だった。
それから僕たちはセッションが無い日でも、毎日のようにスカイプで話すようになり、実際に会ったことは無くても長年の親友のような関係になっていた。
そんなポエミに突然、家に招かれたのが2週間前のことだ。
ポエミの家はこじんまりした2階建て一軒屋で、やや古めの家屋ながら鉢植えなどが趣味良く並んだオシャレな佇まいだった。
インターホンを押すと若い女性が応対してくれて、少し待つと声の主がドアを開け出迎えてくれた。
「わぁ、マリオさんですかぁ。へぇ~。ふ~ん。ほうほう」
僕をジロジロと観察する少女
「あの」
「あ、ゴメンなさい。妹の梨沙です。いつも姉がお世話になってます」
「い、妹さんですか。生田マリオです。こちらこそ何時もお姉さんにお世話になっています」
「うそぉ~。お姉ちゃんが世話になってるに決まってるじゃないですか。さあ、固い挨拶はいいですから、上がって下さい」
梨沙ちゃんは、ポエミの一つ下で中学三年生。しっかりしていながら真面目すぎず明るくて可愛い、いかにもクラスの人気者と言うタイプだ。
リビングに行くと、お母さんが携帯ゲームをやりながらチラッと僕に視線を向けて「いらっしゃい」と言った。僕が丁寧に挨拶しようとすると
「そんな事はいいから、早くポエコのところに行ってあげて」
と言われた。ポエコと言う、お母さん独特の呼び方が可笑しかった。
「スミマセン。お母さんがあんなで」
お母さんの態度を詫びる梨沙ちゃんに案内され2階のポエミの部屋に行くと、ポエミが恥ずかしそうに出迎えてくれた。
ポエミは髪はベーリーショートで、全く外に出てないので肌は真っ白。
ちょうど卵みたいな顔をしている。美少女とは言わないけどオシャレをすればきっと可愛い方だと思う。服装は淡い水色の一見セパレートっぽく見えるワンピースを着て、今日は髪もしっかり手入れされていて艶があった。
僕は、思わず見とれてしまい何も言えなかった。
「あとで、お茶を持ってきますね」
梨沙ちゃんは僕とポエミを見てナマ暖かい笑顔をして階段を下りて行った。
「マ、マリオ・・・いらっしゃい・・・」
ポエミは、はにかんで挨拶をする。
その時のポエミは可愛いくて、すごくドキドキしていた。
ポエミの部屋は普段は薄暗くしていると言っていたけど、その日は明かるくて全体に淡い色を基調とした女の子らしい感じだった。
机には教科書やノートの類はなくノートパソコンとハムスターのカゴが二つ。ベットには巨大なハムスターのぬいぐるみがあった。
女の子の部屋に入る事自体が初めてだった僕は、とにかく緊張して最初の頃はあんまり記憶がない。
落ち着いてきた時分には日が傾いていて、窓からは向かいの家の屋根の後ろに黄金色の空が見えていた。
それまで緊張している僕をよそにはしゃいでいたポエミだったけど、急に真面目な顔して僕に聞いてきた。
「マリオはどうして私に外に出なきゃダメって言わないの?
高校のスクーリングだって行ってないのに。でも、ダメって言わない」
秋の日は暮れ始めると早い。部屋は薄暗かった。
ポエミは言い終えると、緊張した面持ちで僕を見つめていた。
僕はポエミを出来る限りに優しく見つめ返して、ゆっくりと話し始めた。
「だって、そんな事はみんなに言われてきてるでしょ。色んな人に何度も言われて、それでも出来ないんでしょ。だったら今は無理しなくていいと僕は思う。だから僕はポエミがもっと元気になる言葉を伝えたい。それに、ポエミはダメじゃないよ」
「マリオ・・・」
ポエミは僕の手に自分の手を重ねて俯いた。
人からどう思われようが、何を言われようが、僕の考えが間違ってるとは思わない。僕の気持ちはしっかりとポエミに伝わったんだろうか・・・
そのまま、長い沈黙が続いた。
沈黙に耐えられず僕はポエミを呼んだ
「ポエ・・ミ・・?」
ポエミはピクッと反応したものの何も言わなかった。
もう一度優しくポエミの名前を呟く
「ポエミ・・・」
すると、ポエミは俯いたまま
小さな声でつぶやくように言った。
「マリオ、大好き。付き合って欲しい」
それが2週間前のこと。
そして、僕らが付き合い始めて2週間になる。
僕にとって初めての彼女だった。
もっとも付合い始めたとは言え、まだ外でデートしたことすらないわけで、付合う前と大きな変化はない。ただ、ほんの少しだけ僕らの意識が変わったくらいのものだ。
そんな感じでポエミの事を考えていると、昼休みも終わる時間になっていた。この場所は教室まで遠い、急いで戻らないと・・・。
僕の昼休みは、いつもこんな感じだった。
「外でデートしたい」
その日の放課後、ポエミの家に行くと
ポエミはいきなりそう言った。
僕は驚きのあまり唖然としてしまった。
するとポエミはもう一度ねだる様に言った。
「ねぇ、マリオ。外でデートがしたい!」
僕は、我に返り慌てて答える。
「そ、それは・・・もちろん良いけど・・・大丈夫?」
「ダメだから相談してるの!」
ニコニコとそう言うポエミ。
「相談って言われても・・・具体的に行きたい所とかあるの?」
ポエミは視線を上に向け、人差し指を唇に当て考える。
そのしぐさが妙に可愛い。
「えーと、人に会わないで行けて、人が居ない、楽しいところ」
困った要求だった。
「ムズかしいな・・・」
「やっぱりぃ」
舌を出すポエミ。
ポエミは約2年、外に出ていない。
ある時期からポエミは人の感情や場所の波動を普通の人の何倍も敏感に感じてしまうようになって、外に出る事を怖がるようになたらしい。
「そもそも、ポエミが楽しいとこってどんな所?」
「んー、ワカンナイ!」
「ローラか!」
埒が明かない。
「でも、マリオと一緒ならどこでも良い」
「・・・・」
ポエミは時々無意識にこういう発言をするから可愛くて何でもしてあげたくなるのだが・・・もしこれが狙ってやってるとしたら僕は手玉に取られてるな。
「と言うか、マリオと一緒じゃないと外行くの無理だし」
まぁ、でもポエミの場合は狙ってる感じじゃないよな・・・。
そんな事より、ポエミがどうして急に外でデートしたいなんて言い出したのか気になった。
でも僕は理由はあえて聞かなかった。
そんな事は大きな問題じゃないから・・・
外に出たいと言う気持ちがポエミに芽生たことが凄い事なんだ。
是が非でも協力したいと思った。
「それじゃあ、一番近い公園に行って帰って来るって言うのは?」
僕の提案に再び視線を上に向けて思案する。
「うん、それで良いかも。じゃぁマリオ、今から行くよ」
「い、今から!?」
「当たり前だよ。だから来て貰ったんだもん」
「あら、マリオさんもう帰るんですか?」
来て30分もしないうちに、ポエミの部屋から出てきた僕に梨沙ちゃんが驚く。
「あの、ポエミの着替え待ちです」
「お姉ちゃん、お茶でも溢したんですか?」
梨沙ちゃんがそう思うのも無理はない。
僕が来る前に、ポエミは着替えていたみたいだし。
記念すべき初外デートのために準備しているなんて知る由もない。
本当は僕もお洒落したいところだけど、今日のところは制服で我慢だ。
「で、どうしてお姉ちゃんは着替えてるんですか?」
梨沙ちゃんがもう一度聞いてきたので、
外に出る事を聞いて、どんな反応するかワクワクしながら答える。
「いや、その・・・外に行きます」
その答えを聞き、梨沙ちゃんは固まった。
リビングのソファーで携帯ゲームをやっていたお母さんは携帯を落とした。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
叫ぶ梨沙ちゃんとは対照的に、お母さんは直ぐに携帯を拾ってゲームを再開した。ただ、一瞬僕の方を向きニヤッとして親指を立てた。
「マリオ君、グッジョブ」
お母さんは直ぐに携帯に視線を戻す。
「もう、お母さん! お姉ちゃんが外出るんだよ。もう少し違う反応ないの?」
「何事も大事にしないのがいいの」
さすがポエミのお母さん。肝が座っている。
でも梨沙ちゃんは状況が理解できず僕を問いただす。
「あの、マリオさん。外ってどう言うことですか?」
「その・・・、外でデートするんです。50m先の小さな公園までですけど」
デートと言う響きが妙に恥ずかしかった。
「本当ですか! あの、お姉ちゃんが!?」
そう言って、梨沙ちゃんは僕の顔をまじまじと見た。
「お姉ちゃんと付き合っちゃうなんて、凄い人だなぁと思ってましたけど・・・。マリオさんて思ってた以上に凄い人ですね」
そんな事を話している間にポエミが部屋から出て、階段を下りてきた。
ポエミは暗めの地色に赤いチェック柄の襟付きワンピースを着て現れた。足は黒タイツを履いていて、ワンピースと良く合っていた。短い髪もしっかり整えられていて、白い顔と相まって天使っぽいなと思った。
「凄く・・・カワイイ・・・」
梨沙ちゃんとお母さんが近くに居たのだが、あまりの可愛さに思わず呟いてしまった。
すると梨沙ちゃんが口に手を当てて吹き出した。
「良かったねお姉ちゃん、良い人が見つかって」
ポエミは耳を真っ赤にして黙りこんでしまった。
僕も顔が熱くなるのがはっきり分かった。
恥ずかしくて早くこの場から逃げ出したいと思ったので
「じゃぁ、行こうか」
と、モジモジしているポエミの手をとって歩き出した。
いきなり手を繋ぐとか思わず勢いでしてしまい顔から火が出そうだった。あまりにも恥ずかしかったので、失礼とは思いつつも梨沙ちゃんやお母さんの方は見ずに「失礼します」と軽く会釈をしてリビングを後にした。
後ろから梨沙ちゃんがクスクス笑う声と
「私は携帯ゲームに夢中で何も見てないから大丈夫よ」
と言う、お母さんの声がした。
出だしからグダグダだった。
玄関のドアを開けると恥ずかしさは一瞬で緊張に変わった。ポエミは握っている僕の手をより強く握りしめ、もう一方の手で僕の袖を掴んで体を強ばらせた。
それでも、僕と目が合うと
「少し緊張するけどヘーキ」
と笑みを浮かべた。
そして僕たちはドアを出た。僕たちにとっての初めての外デート。ポエミにとっては約2年ぶりの外出だった。
ゆっくりと家の前の道まで来るとポエミは不安なのか、やや体を寄せてきた。なんだか密着したいから彼女をお化け屋敷に誘った作戦みたいな状況に似てるが、実際にはそんな余裕はなかった。
少しポエミが落ち着くのを待ってから
「じゃぁ、行くよ」
と、西側に向かってゆっくりと歩きだした。10月、温暖化の昨今はまだ暑い日も珍しくないが、日が傾きかけた今は涼しい風が心地よく感じられた。ポエミは緊張しているものの、心なしか外の空気を楽しんでいる様に見えた。
やがて、目的地の公園が見えてきた。ポエミの家に来る時にいつも通る道沿いにある小さなこの公園は、管理が行き届いているのか綺麗に整備され清潔感があった。遊具は何もなく、ベンチと水のみ場があるだけの公園。この先さらに行くと遊具のある、少し大きめの公園がある。でも、そこに行くには人通りの多いバス通りを行かなければならない。無理は禁物だ。僕達は公園に入り一番手前のベンチに腰を下ろした。すると、ポエミはフウと息を吐いて僕の腕をギュッとした。
かなりキツかったのかなと思い、聞いてみると
「全然大丈夫だった・・・」
と嬉しそうに僕を見上げて言った。
その表情がすごく可愛かったので、写真に納めるため携帯を取りだした。
「記念に撮ろう」
僕が言うと、ポエミはウンと頷いて少し顔を近づけてきた。
僕はドキドキして写真がブレまくったので、最後はポエミに撮ってもらった。
しばし幸せな時間を過ごした僕達はゆっくりと家路についた。
「ねぇマリオ。また外でデートしたい」
「うん」
僕らは50mの道のりをたっぷりと時間をかけてゆっくりと歩いている。
「今度はもっと、遠くに行く」
「うん」
そこで家についてしまった。
なんか名残惜しかった。でもポエミはもう次の事を考えていた。
「ねえ、今日は家で夕飯食べていきなよ」
「お母さんにも言われたし、そうしようかな」
「何なら、泊まっていっても良いよ。お母さんは賛成してくれると思うよ」
「それは流石に遠慮しておく」
彼氏彼女になって二週間目の僕とポエミは
こんな感じで付き合っている。